宮坂詠太の失敗の人生
「着替え終わりました」
シャキッと姿勢を正し、俺はフロントで暇そうに立っていた沖店長に声を掛けた。
平日の昼間だとそれ程お客さんも来ないのだろう。それにしても他のアルバイトを1人も見かけない。1人で回せてしまう程暇なんだろうな。
「オッケー、じゃあそこの扉からこっち入って来てー」
相変わらず力の抜けた感じで俺を案内する沖店長。
何だろう、やっぱ俺、沖店長好きかも。上司として。
──と、俺がフロント横の扉に手を掛けた時、“ピンポーン”という音と共に店の入り口の自動ドアが開いた。振り向くと、そこには先程店下で会ったゆるふわ系女子大生がリュックのアライグマタスカルを揺らしながら店から出て行く姿があった。
やっぱリコリスに1人カラオケに来てたのか。にしても帰るの早過ぎない? まだ多分彼女が入って来てから10分も経っていないはずだ。
「どしたの?」
彼女が気になり過ぎて見とれていた俺を、フロントの横の扉から沖店長が不思議そうに顔を出して聞いた。
「あ、すみません、何でもありません」
俺は笑顔を作って答えると、沖店長のいるバックヤードへと入った。
♢
バックヤードの奥に小さな事務所とキッチンがあった。全てバックヤードを中心に行き来できるように隣接しているらしい。
「ここが事務所ね、更衣室の鍵はこの壁に引っ掛かってるから出勤したらここから取って更衣室に向かってねー」
「はい」
「うぃ、じゃあ次はタイムカードの説明するよー。ウチは静脈認証で勤怠の確認してるから、まずは静脈登録させてー」
沖店長は手馴れた感じで次々と新人研修を進めていく。俺は言われるがままにはいはいと返事をしていった。
「ところで宮坂くんは前何の仕事してたの?」
「……えっと……」
不意に振られた前職の話題に、俺は一瞬答えに詰まる。
前職。それは俺にとっては消し去りたい記憶。
***
俺、宮坂詠太が24歳で初めて正社員になったのには、ヘタレ性分と関係がある。
まあ、話せば長くなるから割愛するが、簡単に言うと俺は大学デビューと就活を両方とも失敗した。
高校を卒業すると、俺は隣県の四流大学へ進学した。友達や恋人を作り夢のキャンパスライフを満喫するはずが、生粋のコミュ障である俺はそのどちらも作れなかった。
顔も良くなければ体型もガリガリのもやし君で極めて貧相。頭も良くなければスポーツも苦手。話も面白くない上に酒も飲めないし、極めつけは『会食恐怖症』というマイナススキル持ち。『会食恐怖症』って知ってる? 他人と食事が出来ない精神疾患。飲食店に入っていざ食事! という場面で気持ち悪くなって何も食べられなくなる。それが毎回。地獄でしょ? 女の子とデートなんてとてもじゃないけど出来ない。
お陰様で俺は正真正銘の童貞だ。
大学時代の思い出は、趣味で良く行くカラオケ店でのアルバイトがまあそれなりに楽しかった……というくらいだ。コミュ障克服の為に絶対向いていない接客業に挑戦してみたのだが、意外と続ける事が出来たのは俺自身驚いた。
で、バイトばかりやってたらいつの間にか就活の時期が終わっていた。
その時の気持ちはただただ虚無だった。
貯金は出来たけど、俺は社会人としての第一歩を出遅れたわけだ。
そこで俺は一旦就職を見送り、資格試験とか受けて自分磨きをしてから社会に出ようと思い、2年程実家暮らしでカラオケのバイトを続けながら勉強したりしたが、結局、集中力も根性もない俺は何一つ資格を取れず……。
回想しながら、あまりのダメっぷりに悲しくなってくるな。
でも、さすがにこのままだとマジで人生終わると思った俺は、勇気を出して正社員の仕事に応募。何と無事に採用されたのだ。
「やれば出来るじゃん!」と、調子に乗った俺は勢いで実家を飛び出し都内で一人暮らしを始めた。
けど、ダメ男の俺はそこでもしっかりと失敗する。
初めての仕事は不動産屋の営業マン。
だが、そこでの仕事は人生を舐めていた俺に社会の洗礼を受けさせた。
ブラック企業というわけではなかったが、残念ながら営業という仕事は俺には合わなかった。詳しくは……聞かないで欲しい。とにかく俺はそこをたったの2日で辞めた。
それは思い出したくもない人生の汚点。
***
「実は、今まではフリーターで、地元のカラオケ店でアルバイトしてました。正社員は……初めてです」
咄嗟に俺の口から出た言葉は本当の前職を隠すものだった。まあ、たったの2日の勤務なら職歴にカウントしなくても差し支えないだろう。
「そっかー、じゃあカラオケ店の仕事は初心者ってわけじゃないんだね。なら俺も楽だわー」
「え、いや、でも抜けてる事とかあるかもしれません……」
「機械の操作とか接客とか慣れてるでしょ?」
「まあ、多少は」
「なら教える事少し減るから俺も助かるわ。ま、しばらくはバイトと同じ事しか教えないから気楽にやってよ。今日も見ての通り暇だし、今は俺1人だけど、この後“ダブルシックス”っていうウチのベテランコンビが来るし。ゆっくり研修出来そうだよ」
「ダブル……シックス?」
漫画に出てきそうな謎のネーミングのコンビ。どんな人なのか想像も出来ず俺は苦笑を浮かべると、沖店長は穏やかな顔でうむと頷いた。