漆黒1
ルベル視点の話です
近衛の詰所で朝の鍛練から戻る途中、同僚の近衛の世間話を何気なく聞いていたら…
「ハラシュリア様と一緒に来たメイドいるじゃないか?」
「ああっ!?もしかしてあのマエリア嬢?」
マエリア嬢の名前が出たので、思わず意識を同僚達に向けた。
「そうそう、あのマエリア嬢って色っぽいよな~こう…胸も大きいし…」
同僚が胸と言って手を胸の前でワキワキと動かしている。なんて卑猥な動きだ…つい、横目で同僚を睨んでしまう。
「おまけにさ~こう伏せた睫毛が長くて…唇は厚くて、こう誘ってるみたいなんだよなぁ!」
「分かるわっ~でもいつ会っても伏し目がちで全然俺の方見てくれないんだよなぁ」
「そうだよな、恥ずかしいのかな?それも可愛くて堪らんな!」
何…?どういうことだ?マエリア嬢は俺と話す時は殆どが目を見て話してくれるぞ?そして目を潤ませて…優しい俺の顔を見ていたい…と言ってくれたんだ。
「フ…」
笑いそうになって口元を手で隠した。
「俺、知ってるぜぇ」
別の近衛の先輩がマエリア嬢の話をしていた同僚の後ろから近付いて来た。
「メイドの彼女に聞いたんだ、何でもさ~昔から目を見て話すと勘違いした男から迫られたり、追いかけられたりして困るから目を合わせないように気を付けてるんだって、いやぁ色っぽい女も悩ましいよな」
そうなのか…確かに、マエリア嬢のあの潤んだ瞳で見詰められると、引き込まれそうにはなるな。
確かに魅惑の眼差しだ。
その話を聞いて、身支度を整えるとフリデミング殿下の所へ行った。フリデミング殿下にご挨拶をし共に役人棟から出て廊下を進んでいると若い衛兵が駆け足で私達に近付いて来た。廊下は走るな!
「どうした?」
その衛兵は妙にあたふたしている。フリデミング殿下に礼をした後、俺を見た。
「あの…門前にハラシュリア様のご実家のコーヒルラント家のメイドを名乗る者が来ておりまして…」
「えぇ?」
フリデミング殿下が声を上げたので、衛兵はフリデミング殿下に向かって説明を始めた。
「それで…そのメイドが言うには、ルベル=ビジュリア卿を呼んでくれ…と会いに来たと伝えてくれ…といつもの感じの方でしょうか?」
この衛兵は門前に時々来る俺に懸想する者達の対処にも手慣れているはずだ。追い返してもらおうと思ったが、ハラシュリア様のメイド…というのが気にかかった。するとフリデミング殿下が
「門前に来ているのだな?コーヒルラント家のメイドの名前は分かるのか?」
と衛兵に聞かれた。衛兵は答えた。
「アレニカ…と名乗っております」
アレニカ…?知らんな…
フリデミング殿下は心当たりがあるのか、苦虫を噛み潰したよう顔をした。
「あのメイドかっ…しかしこんな時間に他国の王城に来るなんて、本当に公爵家の使いの用事か?それにしてはルベルを呼ぶなんて…確かめに行くぞ!」
言うと思った…この殿下は聡明で思慮深い反面、時々子供らしい探求心を発揮してしまう。要は好奇心旺盛なのだ。それは子供らしくて微笑ましいことだが、何もこんな状況で発揮しなくても…早歩きで移動する殿下の後を付いて行く。
あぁ…待てよ?マエリア嬢がいるではないか!?どうしてここに?
「いいから早くルベル様を呼んで来てよ!」
金切り声を上げて叫ぶ女性の顔を見るが、やっぱり思い出せない。あっマエリア嬢の横にハラシュリア様もおられる。精一杯、睨みをきかせてそのメイドを見ているが…
「ハラシュリアがいるじゃないか…くそっ」
フリデミング殿下は更に速度を上げて、門前に駆け出して行った。
「何をしている!」
フリデミング殿下はハラシュリア様の前に駆け込んで、ご自分の背後にハラシュリア様を庇った。
マエリア嬢がハッとして、私の方を顧みられた。今日もマエリア嬢は色っぽい…
「ルベル様っ!お会いしたかったです!」
本当に誰だ、この女…印象に残らないような濃い茶色の髪に茶色の瞳…体型も標準型で外見からは記憶に残りにくい。かろうじて分かるのは俺より年下かな?ぐらいだ。
俺はマエリア嬢を背後に庇うようにして、そのメイドのアレニカ…だったか?と対峙した。
「ルベル様!私、会いに来ましたよ!だってお手紙全然下さらないのだもの!」
知らない相手に何の手紙を書くと言うのか…頬を染め俺に矢継ぎ早にそう言うメイドを見て、これはいつもののぼせた令嬢と一緒だな…と判断した。
「そうよっ…ハラシュリア様がルベル様のお手紙を意地悪して私に渡して下さらなかったのでしょう?そうですよね!?」
「なっ…!」
フリデミング殿下がカッ…と魔力を上げた。殿下は基本の魔力量が多い方だから、あまり興奮するのは危険だ。
「フリデミングッ…任せて」
ハラシュリア様が小声でフリデミング殿下の肩を叩いている。そうそう、ハラシュリア様にお任せを…この小さな令嬢はものすごく機転がきいて、才媛な上に大人顔負けに弁の立つお方だ。
ハラシュリア様はフリデミング殿下の前に回り込むとアレニカというメイドを睨み上げた。
「答えは簡単よ、ルベル卿…あなたはこのメイドをご存じですか?」
「いえ…恐らく会っているのでしょうけど、記憶には御座いません」
「ひぅ!?」
俺がそう答えるとアレニカは顔を引きつらせた。この子も俺をよく知らないで外見だけを見て騒いでいるに過ぎない。俺は怒気を抑えずにアレニカというメイドを睨んだ。
なんだ?何故、睨まれて頬を染める?
「私はルベル卿からあなた宛てのお手紙なんて預かって無いけどねぇ~それにルベル卿が手紙だなんてそんな性分じゃないわよね?」
ハラシュリア様の俺に対する評価が気になる所だけど、確かに手紙をしたためるよりは直接物言いをした方が面倒がなくて良い。
「私は会いたければ直接会いに行きます」
「…っ!」
ハラシュリア様はカカカ…と高笑いをした。
「このルベル卿が薔薇の花束を添えて愛の言葉をしたためた手紙なんて書くものですかっ!」
やっぱりハラシュリア様の俺への評価がどうも低い気がするな…
アレニカというメイドは俯いてしまった。ハラシュリア様は大きく溜め息をついてから
「このまま国に帰りなさい。お母様には私からお話をするわ。あなたの紹介状を書いてあげて、と頼んであげる。但し、お母様がどう判断するかは分からないわよ?」
と仰った。
優しいな…ハラシュリア様は。
このアレニカというメイドは無断でシュリツピーア王国に来ていると見える。おまけに公爵家の令嬢であるハラシュリア様に対する暴言…もしフリデミング殿下が命令されれば俺はこのメイドをここで切って捨てても構わないと思っていた。
それを紹介状まで書いて解雇ではなく、退職扱いにしようとするなんてな。
「紹介状…?」
アレニカは俯いたままそう尋ね返した。
「そうよ、あなたにはコーヒルラント家のメイドを辞めてもらうわ。ただ公爵家の紹介状があれば、爵位のある家でも使用人としても雇ってもらえると思うわ」
「……」
黙り込んだアレニカの傍にマエリア嬢が近付いた。
「さあ…転移陣でここへ来たの?1人で帰れる?」
そう言って微笑んで優しい言葉をかけているマエリア嬢も優しいな…
アレニカが顔を上げた瞬間、アレニカがいきなりマエリア嬢の手首を掴んだ。
「マエリアさんも私を馬鹿にしているんでしょう!?誰だってグーテレオンド様のようなルベル様に微笑まれたら、その気になるよね?だってそうじゃない!あんなに素敵な方が…」
「…っひ……」
マエリア嬢の様子がおかしい…?
「やめてっ!手を離してっ!」
ハラシュリア様の悲鳴に俺は瞬時にアレニカの手を捻り上げて、アレニカとマエリア嬢の体を引き離した。
「…っひ…っく…」
マエリア嬢は目を見開き、ガタガタと震えていた。目の焦点が合っていない!?俺はマエリア嬢の顔を覗き込んだ。
「マエリア嬢、落ち着いて下さい。ルベル=ビジュリアです。私の顔を見て」
マエリア嬢はガタガタと震えながら俺を見て、涙を一筋流した。なんて美しい…俺はより一層マエリア嬢の顔を覗き込んだ。
「もう大丈夫、私が側にいます」
「…は…ぃ」
「きゃあ!漆黒の獣ぉぉ!?」
折角の良い雰囲気がぶち壊しだ。いや、叫んだハラシュリア様を責めてはいけない…俺だって漆黒の獣とやらの例えが何であるかは知っている。
メイドや女官方にコソコソと囁かれていれば馬鹿でも分かる。『攫って騎士様』という続巻が出ている若い女性に人気の小説の主人公のことだ。
どうやら俺がその主人公のグーテレオンド=リブリーザーに似ているらしいのだ。小説も少しは読んでみたが…けしからん。
なんであんなわざわざねちっこい言い回しをせねばならんのだ…おまけに花弁をベッドに撒いて寝たら気持ち悪いだろう?女性の部屋に深夜に窓から侵入するのも如何わしいし、あんな常識外れな男が俺に似ているなんて…気持ち悪すぎる。
それをそのまま同僚の近衛に言ったら皆が大笑いをした。
「ルベル~ゥお前は何も言うな!いいか?女性達がお前に夢見ているんだ、そんなしょっぱい対応をしたら夢が壊れるだろう?微笑んでおけば全てが解決だ!」
よく分からん。顔が良いと褒められるのは昔からだし、何をもってその小説の主人公と同一視されねばならんのだ。
「たかが、物語の創作人物の1人だろう?」
近衛の先輩が俺に顔を寄せてきた。
「ルベル、女性とは時に物語の登場人物に恋い焦がれる生き物なんだよ~可愛いじゃないか」
そうか?現実の相手の方が触れるし全然いいけどな?
…
……
マエリア嬢はやっと落ち着いてきたのか、体の震えが治まってきた。俺はまだ顔色の悪いマエリア嬢を横抱きにして抱き上げた。
「少し横になられた方が宜しいですね」
「はいっルベル卿っ!こっちへこっちへ…」
……ハラシュリア様が何故こんなに興奮なさるのか…謎だ。
フリデミング殿下が衛兵達にアレニカを転移陣でフートロザエンド王国に送り返せ!と怒鳴りつけている。これは…アレだ。ハラシュリア様は紹介状を書いて…と優しいことを言っておられたが、フリデミング殿下が公爵家に言付けそうだ。
マエリア嬢が薄っすらと目を開けて俺を見た。潤んで色っぽい瞳だ。
「おて…すうおかけしまして申し訳ありません…」
「いいえ…淑女をお守りするのも騎士の務めでございますので」
「ぎゃああおぅぅ!?漆黒ぅぅ!」
……本当、ハラシュリア様どうしたんだろうか。