第89話 地獄絵図
〇<東京暫定防衛線>
国防軍が避難誘導に当たったと言っても、それで全ての地区の住民をカバーできるわけではない。
今井少佐を始めとする軍人たちは必至で避難を促しているが、WWⅢ以降首都が脅威に晒された経験などこの国は皆無だ。都民たちに危機意識があまりにも鈍く、避難は難航していた。
行政機関や国防軍全体で呼びかければまだ何とかなったかもしれないが。戦後の責任を取ることを恐れ、主要機関からの避難指示は無かったことがこの地獄に繋がった。
この地獄の後に責任を取れるものが生き残っているか分からないが・・・・・・。
「な、何だ?お前たち、ぎゃっ!」 「い、イヤーっ、た、助けて~」「逃げろ、あぶねーぞ!」
後方に撤退した国防軍の戦線が崩壊したことで、オークの軍団は首都圏に一気に雪崩れ込み、住民の虐殺を開始した。
正確には男は殺され、女は連れ去られた。連れ去られたと言っても救いがあるわけではない。
異形の怪物たちの苗床にされるぐらいならば、少しの痛みを味わいさっさと死んだほうが幸せだったかもしれない。
殺された住民の中には、戦闘系の種族とジョブに恵まれ。殺されるぐらいならせめてもの抵抗をしようと考えた者たちもいたが。真面な実戦経験も無い者が下級兵とはいえオークの兵士に勝てるはずがない。
真面な戦闘経験が無い素人が、闇雲に突っ込んだところで、すぐさま包囲され。嬲り殺され、無残な死体を晒す結果にしかならなかった。
確かにレンジは種族やジョブにも就かずにオークを討伐した。しかし、それはレンジが幼少より実践武術を習い、今なお鍛錬を積んでいたからに他ならない。
もちろん、敵を殺す覚悟や戦闘センス、運などの要素も含まれていたのは言うまでもないが、それらが味方していてさえギリギリの辛勝がやっとだった。
そしてレンジの読み通り、このオークたちはあの時倒したオークよりはるかに強い。
レベルは勿論、装備や戦闘技術。更には上位種のパッシブ効果によりステータスさえ向上している。
もし戦おうとしたら最低でも戦闘系下級職を30ほど上げて互角。安定して討伐しようとしたらファーストジョブのカンストは必要だ。
最初のレベル上げや、スキル検証さえ真面に進んでいない地球で、これほどの軍団に抗えるはずもない。レンジは社内の方針を決めるときに、近代兵器が使えないから敗北すると説明していたが。
仮に近代兵器が使用出来たところで、相当な被害を出すことになるだろう。
それ程の軍勢が市街地に虐殺を目的として侵攻したとなれば、その惨状は火を見るよりも明らかだ。
逃げ遅れた市民は次々と殺され、建物は打ち壊される。その光景はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
正常な神経をしているならば直視に耐えない物だった。
「ママ~!」 「お、お願いします。ど、どうかこの子だけは」「や、止めろ~、ぐぎゃっ!」
「い、痛いよ~!パパった、助けてッ!」「クッソ~、死ねや~!ゲッガッ!」
どれだけ声を張り上げようとも助けは来ない。行政機関の責任者や軍人たちは既に後方に退却しているからだ。役人や軍人の務めである、守るべき市民を見捨てて。
一部訂正するなら、逃げ出したのは佐藤准将を始めとする高級士官やその副官だ。今井少佐を始めとした一部は住民の避難誘導を懸命に行っているが、所詮は寡兵に過ぎないので限界がある。
それでも、一部でも国民を守るために命を賭けている姿は賞賛されるべきだし、たとえ職務だとしても立派だ。少なくとも、さっさと逃げだした屑どもよりはよっぽどマシといえるだろう。
その屑どもは、真っ先に逃げ出しておきながらも、責任転換のため「今井少佐たちは命令に従わず。独断専行で勝手な振る舞いをしたゆえに戦線が崩壊した」と臨時司令部に報告しているのだから救えない。
だが、そんなことは関係ないとばかり奮闘している部隊がある。
今井少佐を筆頭に各地区の守備隊の残存兵が集結し、避難する都民を懸命に守りながらズタボロながらも戦線を維持している。
「クソッタレが! ココはもう持たない、退避しろっ。敵兵がこの建物に侵入したと同時にTNTで施設ごと爆破する。幸いと言っては胸糞悪いが、既に住民は避難が完了している。遠慮なく吹き飛ばしてやれっ!!」
怒鳴るように指示を飛ばし、次の策を考えるべく頭をフル回転させている。
もはや周辺の建物は打ち壊され、瓦礫の山と化している。爆発による近隣への影響は、最小限に抑えられるのがせめてもの救いだ。
住民の避難が完了してもどの道、東京から出られないのだから逃げ場など無い。
しかし、このクエストの期限の三日を過ぎればわからない。ひょっとしたらだが、この東京一帯を覆う光の壁が無くなり、他県に逃げられるかもしれない。
今井少佐はそのことを指摘し、その考えに賛同した者たちはそれに賭けたのだ。自分たちがゲリラのように活動し、敵の眼を引き付ける。寡兵で奮戦していると聞けば、聞こえは良いかもしれないが、要は孤立無援の捨て駒だ。
しかし、そんなポジションでさえも喜んで引き受ける大馬鹿者達が。現在この地で奮戦している軍人たちだ。
「後方の弓兵から矢が飛んでくる。総員退避~! 後退後、再度防衛ラインを構築する。負傷者は即刻後方に逃がせ。ここまでやったんだ恥じる必要はない。堂々と、胸を張って後退しろ」
「少佐、生憎と此処にいるのは馬鹿だけです。掠り傷で後退するような神経のコマい輩はいませんぜっ!! それに佐藤腰抜け閣下が、俺たちを命令違反だとかで上に虚偽報告してるに違いねぇんだ。後退して軍法会議に掛けられる位ならココで一花咲かせた方がマシですぜ!!」
「「「ちがいねぇ~や! ハハハハハハハ!!!!」」」
身も蓋もない発言だが、咎める者は誰一人いない。彼らは軍上層部の身勝手さや、馬鹿さ加減を身をもって知っていて先の言葉が正しいからこそ誰も批判の声を上げない。彼らは上が自分たちのことなど幾らでも替えの利く駒くらいにしか思っていない事は嫌というほど理解している。
「まったく、お偉いさん方は頭で考えりゃすぐに実現できると思ってんだから、現場は苦労するんですよ! 俺たちが負けた原因の大部分は、お偉いさん方の見通しの甘さのせいでしょ?」
「オイオイ! 皆が判ってることを名推理のように言っても賢くは見えんぞ」
「背広組や制服組の上層部のお坊ちゃんたちの無能っぷりで困るのはいつも現場だからな」
「ま~な~。な~にが「窮地に陥った時こそ軍人としての真価が問われるのだ(キリッ)」だよ? 後方の安全圏からふんぞり返って偉そうにしてる連中や実戦経験もねぇ奴らがいつ窮地を味わったて~のっ!!!」
自分たちを下士官だからと見下す腰抜けどもをここぞとばかりに罵り士気を保つ。普段なら懲罰物の行為だが、ここにいるのは上層部の無能のせいで貧乏くじを引いた———引かされた者ばかりなので、肯定以外の雰囲気しかない。
此処にいるのは下士官がほとんどだが、決死の覚悟をして踏みとどまっている命知らずの歴戦の猛者ばかり。
いや、死ぬのが怖くない兵士など此処にはいない。正確には死ぬのは怖いが、今井少佐の命令なら命を捨てても惜しくない兵士ばかり・・・・・だ。
彼らはもはや死を覚悟している。さっきからしきりに行っている暴言は、日頃から溜まりに溜まった上層部への不満もあるが、大部分はこれから死ぬ恐怖を紛らわせる為の軽口的な意味合いが強い。
それを解っているからこそ彼らの暴言————上層部批判に対して今井少佐は彼らを窘めるどころか、注意さえしない(普段の彼なら鉄拳制裁を実行している)。
「てゆーか! 少佐の階級は低すぎませんか? 少佐のこれまでの功績と軍歴を考慮したなら、大佐に昇進しても不思議じゃないと思うんですが?」
先ほどから喋っている部下・木戸少尉に痛いところを突かれた事で、今井の表情に苦みが混じったが直ぐに苦笑に切り替わる。
数多の武功を立てた彼がこの年齢で少佐なのは、上層部に彼を出世させる気が無いからに他ならない。
「ふん! 英雄だ何だと言われたところで、結局のところ上層部は俺が目障りなのさ。本来なら佐官どころか、尉官の少尉から出世させる気は無かったはずさ。 今となっては佐官になれたのさえ奇跡だろうな!! まったくあの保身しか能の無い頭でっかち共には辟易するわっ!!!」
今井少佐も上層部には良い感情を抱いていない軍人の一人だ(自分の死を願い、死線に何度も送り込まれたのだから当然だ!)。長年溜め込んだ鬱憤がここにきて抑えきれなかったようで口から出たのは罵倒に近いモノだった。
思い起こされるのは、対馬が新ソ連の侵略にあった日の事。住民の多くは虐殺され、国土を奪回するための部隊の一団の中に若き日の今井少尉は居た。
戦闘は激戦を極め、多くの上官が死んでいく中。指揮官を失った部隊を率いて、無謀ともいえるゲリラ戦を繰り返し。最後は新ソ連の侵略者を撃退できてしまったのが、結果的に新ソ連と事を荒立てたくなかった(奪還の軍隊を送り込んで何言ってんだ?・・・と多くの人は思うかもしれないが!)上層部に睨まれる原因となる。
その後も大亜連合南部侵攻妨害などの危険な任務に駆り出され、数えるのも馬鹿らしい程の死線を潜り抜けてきた。だが、今井自身が優秀故に部下を生還させ、作戦を成功に導くなど結果を出し続けたことで英雄と持ち上げられた。
上の本音としては今井少佐を出世させたくないが、下からの「功績に報いるべき」の声が大きすぎるために渋々出世させたに過ぎない。
そのため今井少佐は上層部の覚えこそめでたくないが、部下や下士官からは軍の所属を超えて敬意を集め慕われている。
「ハハハハハハハ! お偉いさんは目立つ下が嫌いなのが世の常ですからな! 目立つ下が、いつ自分の地位を脅かすかわかりませんから。 指揮は天下無双でも、少佐殿は政治や権力闘争は苦手なようですな」
「ハっ! 俺は現場の軍人だ。そんなもんが得意になる必要はないし、なりなくも無いわ! そもそも政治闘争を生き残るには人を常に疑い利用するような性格の悪さが必要だ。お前らは政治将校共の醜悪な顔と陰険陰湿な性格になって下から馬鹿にされ、舐められる存在になりたいか?」
木戸の余りにも正直すぎる発言を鼻で笑い飛ばし。逆に問いかけてやると。
「「「「「なりたくありません!!!!! 冗談じゃねぇ~!!!」」」」」
絶望的な状況、好転の見通しが全く立たない中。彼らはお互い顔を見合わせると、盛大に笑い転げた。
彼らは武功は有れど素行、正確には上官への態度が悪い言わば不良軍人だ。
態度が悪くとも上官に最低限、見せかけの礼儀は取るが。おべっかなどは使わない、使えないぶきっちょ軍人の集まり。
そんな彼らにとって権力闘争ばかりに精を出し、軍人の本懐である国防を疎かにしがちな政治将校は、彼らが最も唾棄する存在。
世の中綺麗ごとだけで回って行くと考えるほど初心では無いが、自身の出世だけにかまけている連中は受け入れられないし、敬意を払う必要性も認めていない。ただそれだけのことだ。
この状況下で彼らは奮闘している。今井少佐のジョブ【指揮官】は配下のステータスをわずかであるが上昇させる指揮官系統のジョブ。そして【狼人】の種族の持つ並外れた勘とこれまで培った感覚がシナジーして何とか戦線を保っている。
そして討伐した際にパーティー内で経験値が分配されたことで、レベルも上昇している。
だが、彼らの奮闘にも限界が訪れる時は近い。中軍で指揮を取っているオークコマンダーがついに動いた。彼らが相手取ってきたのはオーク軍の下級兵士、オークソルジャーやオークアーチャーだ。
しかし、オーク軍最高支配者であるオークエンペラーが、戦線硬直を苦々しく思ったのを敏感に察したコマンダーは。すぐさま精鋭であるハイオークナイト部隊を増援に出したことで戦況は一気にオーク側に傾き始める。
「くそっ! コイツラさっきまでの連中とは動きが違う。弾の通りも悪いし、簡単に防がれる。少佐、これ以上の戦線維持はキツイ。後退して再度防衛ラインを築くべきでは?」
ハイオークナイトは鋼鉄の鎧に身を固め。片手にはロングソードもう片方は大型のバックラーを装備しており、弾丸を簡単に防いでしまう上にトロそうな見目に反して素早い。
油断していると簡単に距離を詰められる。一時後退するべき、そう考えた木戸の判断は正しい。
「わかった。ではこれより後退する。その後集結したのち再度防衛ラインを構築。あと一日だ。何としても我々はみ出し者の意地を見せつけるぞ!」
「「「「了解ですっっっ」」」」
(まだ士気は高い。消耗は厳しいが、あと一日。何が何でも持たせて見せる)
クエストの期限は3日。だが3日過ぎてもオークがどうなるのかは誰にも分からない。そんな事はとっくに理解できているが、このか細い希望に縋らなければ今にも心が折れてしまうのだ。
そう考えた直後だった。それはただの流れ弾ならぬ流れ魔法だったのだろう。後方のオークメイジたちの放った魔法が運悪く今井少佐の近くに着弾した。
着弾と同時に爆風が吹き荒れ、今井少佐を吹き飛ばす。
「ガハッ! く、腕は問題無いが、ちっ、くそ、あ、脚が」
まず真っ先に行うのは自身の体の確認。指揮官である自分がここを離れたら士気が一気に下がり。防衛ラインを構築するどころではなくなってしまうからだ。
打ち据えた体に痛みはあるが、腕は問題なく動く。しかし、左足はふくらはぎの辺りが大きく傷つき半ばから抉れていた。
(くそっ! こんな時に、このタイミングで俺が足手まといになるわけにはいかん。この後の指揮を取るためにも後方に下がるべきだが、この足では走るどころか歩くのさえ厳しい。俺のために人を割く余裕はもはやない。ここが俺の命の使い時か?)
もう部隊は満身創痍。何かのきっかけでいつ倒れてもおかしくない状態だ。この状況で自分のために人手を割くなど論外だ。ならば・・・・・・・・。
「木戸少尉。ここにTNTを置いていきたまえ。この足では私はもうお荷物だ。敵を限界まで引き付けて自爆する」
「「「「「っっっっっっっっ」」」」」
自らの命を捨て駒に使おうとする少佐の命令にこの場の全員が息を呑み込んだ。
「しょ、少佐、な、何言ってんです? 俺が背負います。後方に退避しましょう!!」
その言葉に対し、静かにかぶりを振ることで否定する。
「我らはもはや限界近い。ここで余計なお荷物のために労力を割く必要も余裕も無い。それに後方に下がってもこの足ではまともな指揮が取れんし、逃げ切ることも出来ん。それならばせめて連中に一泡吹かせてやりたい」
これは意地、軍人としての最後の意地だ。訳も分からんクエストとやらに首都を蹂躙され。守るべき国民さえも守れなかった歴戦の軍人の最後の意地。
「もう時間が無い。敵はすぐにここまで来るだろう。私からの最後の命令だ、諸君らは後方に退却せよっ!」
軍人にとって上官の命令は絶対。建前ではあるが、彼らは今井少佐の命令に異を唱えた事は一度としてない。今回もそう・・・・・・・・・・・・
「「「「「出来ませんっ! その命令は拒否しますっ」」」」
———ならなかった。生き残った全員は武器を構え、不動の姿勢で敵を迎え撃たんと気合を入れる。
「田口曹長、少佐を連れて後方に退避しろ。俺たちは少しでも時間を稼ぐ、少佐は国防軍に必要な方だ・・・・何としても逃がせっ!」
木戸少尉はこの部隊で最年少の田口曹長にそう命じた。敢えて最年少の田口を指名したのはこの場から逃がすためだ。
「ハッ! 了解であります!! 木戸少尉殿、御武運を!!」
「ま、貴様ら、こ、これは上官命令だっ! さっさと後方に退避しろっ!」
「少佐殿。不良軍人の自分たちに今更命令ですか? だいぶお疲れのご様子ですな? それに上官命令とやらを一番嫌っている少佐殿からその言葉を聞くとは・・・長く生きてみるものですなぁ」
そう告げる木戸少尉の表情はもはや心残りが無いかのように晴れ晴れとしている。
「ま、まてお前たち。あの軍勢にお前たちだけで戦う? そ、それは蛮勇だ。せめて俺も「生き残ってください少佐。貴方さえ生きてりゃまだやり直せる。・・・貴方は俺たちの英雄です。長い間お世話になりました。田口っ行けっ死んでも少佐をお守りするんだっ、絶対に後ろを振り返るなっ!」
長い付き合いの木戸少尉は少佐の言わんとすることを理解できた。だが最後まで言わせなかった。その想いを察した田口曹長は頷き、今井少佐を抱えて後方に向けて全力で走り去る。
「ま、待ってくれ、た、田口。俺を下ろせっ。せめて最後はここで皆と一緒に「お聞きできません。少佐を後方に退避させたのち、自分もあそこに戻ります。もし俺たちがくたばってたら、俺たちの敵を取ってください!!」
田口は一切感情を覗かせない能面のような表情をしている。口調こそ平静だが、それは感情に蓋をしただけだとすぐに分かる。
田口は対馬の新ソの侵攻で虐殺された住民たちの生き残りだ。森の中にわずかな生き残りと共に隠れていたのを今井少佐(当時は少尉)に保護され、その時の恩義もあり国防軍に志願した男だ。
全ての身内を一瞬で失った田口にとってこの部隊は身内同然。今井少佐に至っては父同然だ。
故に豚共に最も憤っているのは田口だろう。家族を目の前で殺されているのだから当然だ。
・・・・・・・苦難や絶望が現実で起こった時、物語のように都合よくヒーローは現れない。だが、この悲劇を終わらせる存在が介入する時は・・・・近い。
お読みいただきありがとうごさいます。
・・・・・なんか今井少佐が主人公のような気がしてくる今日この頃です。




