第88話 戦線崩壊間近
〇【国防陸軍総司令部】
「戦況はどうなっている! こちらの攻撃が一切通じないだと。ふざけるなっ! 世迷言は大概にしろ、情報ひとつ満足に送れないのですか? すぐさま現場の責任者に繋ぎなさいっ!!」
そう怒鳴るのは国防陸軍に所属する数少ない女性将官、佐藤少将だ。実戦の経験こそ少ないが、総司令部に参謀として長く勤めていた経験から、中央に太いパイプを持つ謀略を得意とする政治将官である。
実戦を知らず、現場を知らぬが故に『下の人間は上の指示に黙って従えばいい!』と考える。ある意味において典型的な軍人と言えるだろう。
下の人間、特に下士官を駒や道具のように扱うやり口から。一定の成果を上げることを除いて評判は芳しくない、いや最悪といっていいだろう(成果を上げていなければ、とっくに下の人間に殺されているような人間性だ)。
時代は変わろうが軍隊は基本、男社会であることには変わりない。いくら結果を出そうとも、女から頭ごなしに命令されることに反発を覚える士官は多い。
ましてや『国家のため』・『国益優先だ』と人を簡単に捨て駒にする人間に、たとえ上官だからといって敬意を払えるはずがない。
確かに軍人にとって国家の安全や国益を守るのは当然だろう。しかし軍人の本懐は『国民を守ること』それがWWⅢ以降、この国の大多数の軍人が思っている事だろう。
佐藤少将が下から蛇蝎の如く嫌われるのは、国家だ国益だと騒ぎ立てたところで。結局の本質は自身の出世と利益しか頭にない事が明け透けだからだ。下の人間からの評価が最悪なのも当然といっていいだろう。人である以上は感情がある、命令だからといって何でも黙って従う機械では無いのだから。
国家のため、国民を守るための犠牲なら、まだ納得は出来なくとも理解は出来る。が、何の利益も無い政争の、それもいけ好かない上官の生贄に捧げられるのは、見返りも与えられないのにやってられないと考えるのは当たり前だ。
ゆえに現場の人間や下士官の多くは佐藤を【お嬢官様】、【口だけ道化】、【お将官様】と陰口を叩き。国防軍の将官でありながら、軍人の本文である戦闘指揮ひとつ満足に取れない事を常々皮肉っている。
現在、佐藤少将に対応している第45歩兵大隊長の今井少佐もその一人、いや佐藤を貶す筆頭といえる。そもそも今井少佐は叩き上げでありながら戦場で数多の部下の命を救い、数々の武功を立てたことによって、国民のみならず上層部に認められ佐官まで上り詰めた傑物だ。
そんな今井にとって佐藤少将のような部下を簡単に切り捨てる輩は反吐が出るほど嫌いなタイプなのだろう。だからなのか先ほどから行われている受け答えも、凄まじく淡白で感情を一切でい含んでいない。
「先ほどから司令部に挙げられている報告は一体何なのですか? こちらの攻撃が通じず、一方的に蹂躙されているなど・・・・・。現在は冗談が許される状況ではありません。この状況で虚偽報告など・・・・・・、終結後に軍法会議に掛けられることも覚悟しなさい!!」
その脅しとも受け取れる言葉に対しての返答は。
「ふっ! クク、ハハハハハハハハハ!!!」
たっぷりと侮蔑を含んだ嘲笑だった。今井少佐は状況把握一つできない愚か者が可笑しくてしょうがないのだ。
「な、何がおかしいのですか? 国防軍の佐官ともあろうものが、この切迫した状況下でわ、笑うなど。ぐ、軍人としての自覚ときょ、教育が足りていないようですねっっ!」
自分が馬鹿にされていると敏感に察した佐藤少将は唾を飛ばしながら食って掛かるが対する今井少佐はどこ吹く風といった様子だ。いや、冷静に見えるのは態度だけで内心腹に据えかねているのは少しでも人を見る目のある者ならば一目瞭然だろう・・・・・・佐藤少将はそうではなかったようだが。
「私は事実を正確に報告した。それを証拠も無くデタラメと断ずるなら、根拠をお聞かせ願いたいですな!」
「軍人の本分一つ果たそうとしないお前がほざくなっ!」という言葉を呑み込み、冷静にその根拠を求める。だが口調こそ丁寧だが今井少佐が怒りを抑えていることは直ぐ分かる。
「先ほどから、コチラの攻撃が通じない。一方的に蹂躙されている。戦線崩壊は間近で後方住民の避難指示をしろ、などわが軍が不利な情報ばかり、第23機械化歩兵隊は? 第7戦車大隊は? それだけの戦力がありながら、なぜこちらだけが一方的に蹂躙されるのですか? 冗談も休み休み言いなさいっ!!」
その熱弁を今井少佐は冷めた目で聞いていた。聞き終えて思ったことは「耳を傾け聞く価値さえなかった」だが。
「相手が我々よりも遥かに強いからでしょうな。それに、このクエストにが発生した際に近代兵器は一切使用できないとクエストに記載されていました。その事をお忘れですか?」
「その様な事がある筈がありません! EMP対策がされた近代兵器をどうやって使用不能にするのですか? 大方、整備班の失態でしょう!」
内心で「バカがっ!」と怒鳴りつけたい衝動に駆られるが、それでも冷静さを失わないのは流石歴戦の猛者といえる。レンジが今井少佐の立場なら無視するか、相手にするのも面倒になって呪殺でもしているだろう。
「1車輛か2車輛ならともかく、クエスト開始と同時に全ての兵器が一斉に使用不可能になるとは思えませんな! それに整備班がそのような無能とは思えません。何せクエストとやらが開始するまでは普通に動いていたのですから。そもそも機能不全に陥ったのはクエスト開始のアナウンスが流れたと同時です。いい加減に現実を見ていただきたいっ!」
そもそも今井少佐を始めとする現場の経験が豊富な士官は上層部に「近代兵器に頼ると万が一使用できなかった場合に総崩れになる」と具申してきた。それを非科学的だと握り潰した筆頭は佐藤少将だ。
このバカが死ぬなら自業自得だが、それにより部下に被害が出ているのだ。文句や嫌みのひとつは言いたくなる。
「では、どうしたらそのような事態になるのですか? その原因を言ってみなさい。それに兵器が使えずとも取れるべき手は幾らでもある筈です。それをやりもせず不様を晒しているのは現場の責任でしょう! お門違いの苛立ちをぶつけ上に責任転換するのは止めなさいっっ!!!」
キャンキャンと不快な金切り声で喚く屑を絞め殺したくなるが。どの道、奴はこれで終わりだ。現場はこの無能たちの失態の責任を取り今も命を散らしているのだから。
「そもそも非科学的だ、非現実的だと喚くなら。この地球で起こっている現象自体が意味不明です。誰が、どうして、何のためにこの様な事をしたのかさえ解っていません! 兵器が使えなくなる程度今更ですなっ!!」
この世界に起きている現象自体が既に理解不能なのだ。ジョブだ種族だ魔法だといった理解不能な現象に比べれば、兵器が使用できない程度のことは常識の範囲内に収まっている。
この地球で起きた現象により、各国でどれほどの被害が出た事か。それに、それはまだほんの罹りにさえ過ぎないかもしれない。軍部は連日の事件続きで出動する羽目になり、過重労働を超えた超過労働で休む間もない。それなのにこの馬鹿は権力ゴッコに明け暮れている、たかが少将に過ぎない佐藤がこの防衛戦の責任者なのがその証左だ。
————今井少佐らは上層部の権力闘争の煽りを受けた被害者(犠牲者)といえる。
「この件が片付いたら。今の階級でいられるとは思わない事です。貴方の失態は包み隠さず総司令部の会議で取り上げます。精々覚悟しておくことですねっ!」
屑が勝ち誇ったように喚くが、そんな馬鹿気た事を言ってる時点ですでに救えない。
「ええ。わかっております。貴方が終わりだとね」
今井少佐はこれまでの鬱憤を晴らすかのように、絶対零度の冷え切った声で死刑宣告を告げた。
「ふん、ついに頭がおかしくなったようですね。なぜ私が終わりなのです?」
(ハッ! 説明するのも面倒だが、最後の情けだ。テメェの幸薄い未来を教えてやろう)
彼からすれば説明するのも面倒だが、この失態の責任を少しでも自覚させるために説明することにしたようだ。(部下の死に責任を感じるような人間でないと理解をしていただろうが)
「貴方が我々が総司令部及び参謀本部に具申していた報告を握りつぶしているのは知っている。その証拠も提出済みだ。それにもう部隊は俺たち以外はほぼ全滅だ。俺程度をスケープゴートに捧げても上はおろか国民が納得しない。そしてこの場での最高責任者は貴方だ。上は間違いなくアンタに罪を被せるだろう。この惨状を見るに現場で指揮を取れる将校を罰するのは今後を見据えればどう見ても悪手だ。その点アンタは打って付けだ、実戦指揮ひとつ真面に取れない、コソコソと人を陥れるしか取り柄のないアンタはなっ!!」
途中までは上官に対する敬語を使っていたが、面倒になったのかドンドンと荒い口調に変わっていった。
「私を裏切り処罰する? 私の部下が? そのようなことはありえませんし、あってはなりません!! 軍隊では上官の命令が絶対です。その様な常識は下士官でも知っていますよ? 最後まで無知で愚かな醜態を晒しますね。所詮は叩き上げで、士官教育さえまともに受けられ無かった低能なので仕方ないかもしれませんがね、そう貴方の事ですよ今井少佐!!」
嘲笑うように自分を侮辱した佐藤少将の言葉に、今井少佐は何一つ感銘を受けなかった。人を知らない、正確には人の気持ちがわからない屑には何を言っても無駄、と諦観しただけかもしれないが。
「貴方は所詮その程度の器に過ぎません。人の上、将官どころか尉官を与えるのさえ避けるべき人間だ。貴方が自慢げに語るその部下たちですが、私が話を持ち掛けたら喜んで貴方の不正の証拠資料を渡してくれましたよ? 「あのような国防軍の癌は早々に切除するべきだ」とね。少し物を考えられるなら、貴方の下で働くなんざ御免ですよ。汚れ仕事や厄介ごとを押し付けられ、それの見返りさえ渡さないアンタのような屑の下で働くなんてね」
「まて、本当に証拠資料を提出したのか? 告発はそれが真実でも内部からは冷たい目で見られる。そんなことをしたら、これ以上軍での出世は望めないぞっ!!」
淡々と一切の侮辱も含めず(憐れみは含まれているかもしれないが)に話す今井少佐の態度に流石に焦りを覚えて来たのか慌てて問いただす。
「貴方が先ほどおっしゃった、士官教育もまともに受けていない私が佐官まで昇進できたこと自体出来すぎです。これ以上出世など望んでいませんし、出世するつもりさえ無いっ」
内部告発はいつの時代、どの組織でも嫌われる。内部告発した者が会社に居られなくなるのがいい例えだろうが、今井少佐にとっては今更に過ぎないのだろう。士官教育を受けていない軍人が、ここまで出世できたことさえ奇跡といっていいのだから。
それに・・・・・・・。
(これほど部下を死なせたのだ、のうのうと生きるつもりもない。せめて豚共に一太刀入れて、死んでいった部下たちへの手向けとするだけよっ)
死さえ覚悟した人間には脅しなどは通用しない。保身しか能のない佐藤には一生理解できないだろう。
「どの道、この東京はお終いだ。精々生き汚く逃げ回ることですな。もはやあなたを守る軍人はこの地には存在しないでしょうがね」
皮肉気にそう吐き捨てるように告げると、手に持つ通信機を地面に叩きつけようと振り上げる。
「ま、待ちなさい。貴官の失態は私が上に掛け合って何とかしよう。だ、だから・・・「ツーツー」」
焦る佐藤が縋るように声を張り上げるが、返ってきたのは無情の電子音だった。
東京の防衛が失敗したらその責任は最高責任者である佐藤が負うのが道理だ。今井少佐の失態とほざいている時点で既に馬鹿げている。もっとも今更屑に何を言われたところで、今井少佐は気にも留めないだろう。
◆
〇<第45歩兵大隊臨時拠点>
「現在入手、及び解析できた敵性存在の情報は臨時総司令部に送信できたな? ではこれより第45歩兵大隊は敵陣に強襲を掛ける。だが、これは無謀な捨て身だ。生還の可能性は無いに等しい。よって志願制とする、後退したい者は下がって構わんし。一切罪には問わん」
銃火器がまるで通じなかったのに、決死の覚悟で突撃したところで無駄死にするだけだ。そんなことは解っているはずなのに、命を捨てようとする行為は端から見れば愚かなのかも知れない。だが、これは今井少佐の意地だ。無策に等しい命令によって部下を多数戦死させた今井少佐の軍人としての最後の意地。こんな馬鹿げた行動に付き合う大馬鹿野郎など・・・・・・・。
「少佐、頭がイカれましたか? 少佐に付き合って無茶無謀なんざ今更ですよ。対馬で新ソとヤリ合った時だって、何度死にかけたか分からんのですから。少佐の部下になって20年、少なくとも俺たちゃ最後までお付き合いしますぜっ!! なぁ~、お前らっ!!!」
「「「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおお」」」」」
・・・・・・・・・・どうやらいるようだ。
軍人とは思えない程に粗野で横柄な口調だが、この状況においては頼もしいといえるだろう。彼らは今井少佐の直属の部下・・・・・というよりも、今井少佐の手下といった方が適切な不良軍人たちだ。
「少佐がいない国防軍なんている意味もありませんし、居たくもありません。俺たちが今、こうして生きてるのは少佐のおかげです。最後まで一緒に馬鹿をやらせてください」
その言葉と共に周囲の軍人が一斉に敬礼する。どのような困難でも、部下を最後まで見捨てずに行動し続けた軍人の、今井克典という漢の生き様がここにあった。
「ふん。馬鹿どもが! 罪に問わんと言ってるんだから、さっさと逃げればイイものを・・・・・すまん」
最後の言葉は聞こえないほど小さく呟いただけだった。だが部下たちには聞こえたのかニヤニヤとした笑みを張り付けている。通常なら怒鳴るか殴るかするところだが、今はそれどころではないので生還出来たら思いっ切り説教をくれてやると胸に誓うだけにしておいた。
「捨て身の攻撃の前に我らには真っ先にやらねばならん事がある。それは・・・後方住民の避難誘導だ! あの腰抜けが自ら敗北を認め避難指示を出すとは到底思えん。我らの本分は国民を守ることにある、それと各部隊にはまだ生き残りがいる可能性もあるはずだ、無事なものは我が隊と合流させ部隊を再編する。負傷者がいた場合は後方へ逃がせ!」
暫し瞑目すると毅然と顔を上げて指示を飛ばす。因みにあの腰抜けとはもちろん佐藤少将だ。その読みは正しく彼女は後方住民に避難勧告を出していない。
「近隣住民の避難誘導が完了したら全戦力を集結させ敵に打って出る。これは時間との勝負だ。即座に実行せよ!」
国防軍の、正確には東京に集結した国防軍、その生き残りたちの最後の悪あがきが始まった。
この地獄を終結させる力を持つものは・・・・・・まだ現れない。




