第85話 外出
〇地球自宅
クエスト開始の一日前の本日は、地球でゆっくりと過ごすと決めている。
気を抜きすぎるのは論外だが、余り張り詰めすぎても悪影響を及ぼすことは近代医学によって証明されている。
思えば自宅地下にダンジョンが出来てから気を張り詰めてばかりで、真面に休息を取ったことが無い。たとえ一時でも気分転換でもして心の休息を取るべきだ。
そう思って手に取ったのはやはり、というかゲームだ。その名も往年の名作【ファントム・オブ・タネガシマ】。
戦国時代に転移した第2次世界大戦中に死んだはずの旧日本兵が目覚めた場所は何故か群雄割拠の戦国時代、狙撃銃を片手に歴史上の偉人たちと激闘を繰り広げるという。ちょっとぶっ飛んだ世界観は・・・・・・・まぁ脇に置いておく。
この作品が名作と呼ばれる所以は。その圧倒的骨太なストーリーと操作性にある。
この作品が発売された当時はフルダイブと言う概念が確立して間もなく。圧倒的なハード性能の前にソフト面での技術が追いついておらず、バグやラグは当たり前。名作、良作以前に、マトモにプレイできる作品を探す方が難しいとさえ言われていた。
なまじ『ゲームの中に入ってプレイできる』という。ゲーマーの長年の夢を実現させた謳い文句に対する期待が大きかったからこそ、同時にプレイしたユーザーからの失望も大きかった。
あるゲーム評論家は、『フルダイブはゲーマーに夢を見せてくれたが、しょせんは夢に過ぎなかった!』と辛辣なコメントを世に残した。そんな中で満を持して発売された作品が【ファントム・オブ・タネガシマ】だ。
当初は今までの期待外れな先達たちの影響からか全く売れなかった。しかし、プレイしたユーザーの口コミや評価を見て購入するゲーマーが増え始め。
そのゲーマーの高評価でまたユーザーが増えるといった好循環が繰り返された。そしてジワジワと売り上げが伸び、最終的に年間売り上げトップ及び、年間ベストゲーム大賞を冠するまでに至った。
余談だが、このゲームは所属する武将を【織田勢】・【豊臣勢】・【徳川勢】から選ぶことが出来る。その中でも織田信長勢力に所属し、ラストステージの本能寺で信長と濃姫が寺に火を放ち自刃するまで明知(明智)勢から守り通すシナリオのイベントシーンは『歴史に残すべきフルダイブのワンシーン』で必ず上位に上がるほどだ。
ファンの中には『このゲームをやらずしてフルダイブゲーを語るべからず』などの格言まである名作中の名作を久方ぶりに楽しみたいと思う。
難易度調整機能のアップデートで【極楽】(ベリーイージーモード)が選択できるようになってからは。爽快感の味わえる無双ゲーとしても人気を博した。今回はこのベリーイージーモードでプレイする。
最高難易度の【無限獄】(スーパーハードモード)だと楽しむどころか、却ってストレスがたまるからな。
〇2時間経過・・・・・。
・・・・・・久方ぶりにプレイしても最高だった。正しく名作の名に恥じないゲームよな!!!
【極楽】だと何故か突然、近代装備と兵站が転移してきて高機動戦車で騎馬を蹂躙できるちょっとわけわからん状況になるわけだが。一方的に蹂躙できるこの爽快感はなかなか体験できるもんじゃない!!!
決戦前にイイ気分転換になった・・・・・・俺はな。しかし、クレアはこの家に閉じこもったままだ。万が一外出した際に職質でもされると、地球での戸籍など存在しない異世界人のクレアを庇うことは不可能だからだ。
ただ、ずっとこの家に閉じこめておくのも可哀そうだし、非現実的だ。
実はこの状況を打開するための方法は、ひとつだけある。正直気は進まないし、道徳上でもどうかと思うが。無駄に腐らせておくよりは有効と自分を納得させることにする。
(まさか使う日が来ることになるとは・・・・人生って奴は本当に何が起こるかわからんぜ)
俺の机の二重底になっている更に下から、俺は厳重に保管しておいた封筒を取り出した。
この世界で売れないものは存在しないと言っていい。中には金に困ったり事情があって。自分の戸籍を売却する人間も残念なことに存在する。
もっともこれはそんな非合法なものではなく。知り合いの天才ハッカーから買い取った架空の戸籍だ。 奴は国家のデータベースにさえ侵入できる凄腕だ。 昨今は捨て子などにも便宜上の戸籍が与えられている。 奴ならばそこに手を加えることなど朝飯前だ。
なぜ俺のような品行方正な人間が、そんな人種と知り合いなのかは長くなるので割愛しよう。
これは奴から小金で買い取った戸籍だ。普通ならこんなものを使ったところで捜査されればバレる。
しかし。以前から考えていた。『種族選定後に自宅近くで倒れていたところを保護した』・『身元の確認をしたかったけど記憶が無いようで。自分が誰なのかわからないようだ』・『バックに入っていた持ち物から名前は分かったが。身元や住所までは解らなかった』・『本人の希望もあって落ち着くまで、俺が身柄を請け負うことにした。彼女は美人なので、俺にもスケベ心があった事は否定しない』
無理やり俺が拉致したらお縄頂戴待ったなしだが、クレアが同意の上で同居していることを証明できれば警察であろうとそれ以上は突っ込めない。
密入国者や不審者なら兎も角。仮初でも戸籍はあるわけだからな。
もしあの馬鹿に手抜かりがあって、ブラフの戸籍を売り付けたのなら。奴は地獄行きが決定する!
まぁ免許とかは流石に用意できないが、昨今は交通ネットワークの発達により車離れが進んでいる。車を持っているのは愛好家や交通ネットワークの発達していない郊外や田舎の人間が多い。逆に都心部では免許を持っていないほうが多数派だろう。
故にそれほど免許が無いことはそれほどおかしくないし、不便でもない(俺は持ってるけど)。
(クレアは文句も言わないが、俺の母のお古ばかり着るのは嫌だろう。それに服だけじゃなく、下着も無いと困るだろうし・・・・・。よし、ちょっと奮発して買いに行くか!)
俺は仕事できるスーツ以外は着るモノに割かし無頓着だ。勿論、清潔なものを着るように心がけているが、センスの観点で見ればお世辞にもセンスが有るとは言えないだろう。
そんな俺が下手に見繕うよりはクレアを伴って専門家にコーディネートしてもらう方クレアも喜ぶはずだ。
幸いと言っていいのか。先日の株の売却と投資で大儲けしたので、金は十分にある。
当面はリスクが高いので、株に手を出す気は無い。その代わり、金を購入して既に利益が付き始めている。俺は基本、生活費とゲームくらいしか金の使い道が無い。偶に散財するのも世の流通を考えれば良い事だろうさ。
クレアには俺が事前に考えた設定をよく伝え言い聞かせておく。この地球での名前は【斎藤玲奈】としたが、本人が慣れないようなので。源氏名として【斎藤クレア】と名乗るよう伝えておく。
クレアは当初遠慮していたが、やはり外に出れるのは嬉しいのか。抑えきれない喜びが見え隠れしている。
クレアを連れ立って車で近隣のデパート『満島屋』にやって来た。明日は首都でクエストが開始するのに。かなりの賑わいようだったのには、驚きと呆れが半々のようなが気持ちが湧き上がってくる
しかし、これが現実だ。絶対に自分は当事者にならない、危険に晒されることは無い。と高を括っているのが周囲の顔付きと雰囲気から見て取れる。 或いはこの国の軍と政治家をよほど信頼しているのか、もう信じるしか方法が無いのかは分からないが。
そんな周囲を全く気にせず。さっきからクレアは嬉しそうな笑みを浮かべ、あちこちを見回している。美人が笑顔でいれば魅力10倍増しだ。さっきから男共の視線がクレアに集中している。同時に俺には嫉妬(主に男から)と優越感(主に男と一緒の女)が向けられている。
まぁ男連中の気持ちはわかる。俺だってもし冴えない男が美女と連れ立って歩いていたら。そういった視線のひとつを向けたい気持ちはわかる。しかし、彼氏持ちの女の向けてくる優越感は理解しかねる。
まぁ『ふん、確かに女の方は美人だけど男がアレじゃあね~! 私の方がイケてる男を捕まえたんだから、私の方が勝ち組で格上よっ! フンッ!!!』ってとこだろうけどな!
(惨めな女どもだ。クレアに女としての魅力で勝てないから粗を探し、安っぽいプライドを保とうとする。自分は理論武装しているつもりだろうけど、哀れな上に惨めだね~)
俺は侮蔑と憐れみの感情を押し隠し、鉄壁の愛想笑いを顔面に張り付けるが。周囲の連中に嘲笑を向けたい衝動を堪えるのに苦労することになる。
クレアも俺に向けられる負の感情に苛立ったのか。顔こそ笑みを浮かべているが、目はまるでゴミか虫けらでも視るかのように、凄まじく冷たい。
(やれやれ、せっかく気分転換に連れて来たのにこれじゃ台無しだ)
周囲に威圧を放てば、こんな連中は一瞬で黙らせることが出来る。しかし、俺は騒ぎを起こしにここまで来たわけではない。仮に威圧を放ってこいつ等を失神させたりしたら、監視カメラの映像から事情聴取は免れない(周囲はぶっ倒れているのに二人だけ無事な奴らがいたら、まず間違いなく勘づく)。
そうなっては、せっかくここまで来たのに台無しだし、時間の無駄以外の何モノでもない。
それゆえに・・・・・・。
俺はすぐ後ろにいるクレアの腰を掴んで抱き寄せる。クレアは大きく目を見開いていたが、直ぐに表情を綻ばせると。嬉しそうに俺の腕に抱き着いてきた。
「「「「!!????!!??」」」」
周りの連中は言葉にならない言葉?を発して瞳を有り得ない程見開いて固まってしまう羽目になる。
あの手の連中はこちらが下手に反応すると、却って逆効果になる。ならば空気のように無視して、逆に見せつけてやるっ!ぐらいの方が有効な撃退手段だ。
(別に疚しいことしてるわけじゃないんだ。あんな連中にいちいち構うだけ損だ。しっかし、俺がこんな恋ゲーの主人公みたいなことを現実でする日が来るとは。人生ってのは何があるのかホントにわからんな?)
ギャルゲーや恋愛ゲーなど、そういったモノは一通り手を出してきたが、まさかあの気恥しい行為を現実でするとは夢にも思っていなかった。プレイしていた当時は『こんなこっぱずかしい事現実でできるかって~の!』とか笑い飛ばしていたんだがな。
今だフリーズしている連中を歯牙にもかけず。俺とクレアは4階にあるお目当てのブティックに足を進めた。
「彼女に似合う夏物と秋物の服を数着ずつ見繕ってくれ。値段は気にしなくてもイイ」
店内に入るなり店員を捕まえて言い放った一言に、その店員は開いた口が塞がらない様子でポカンと立ち尽くすことになる。
お読みいただきありがとうございます。
〇【ファントム・オブ・タネガシマ】
フルダイブという言葉を知ら占めた名作中の名作。操作性は勿論のこと、そのシナリオは神ゲーといえるほど凝った作り込みがなされている(この作品以前のフルダイブゲーはバグやラグは当たり前だった)。
如何になる勢力を選ぼうと日本軍で同じ部隊に所属していた戦友が敵勢力に所属しており友情と恩義の間で揺れ動き苦悩する心情を事細かに描いたシナリオや、歴史を狂わせようと暗躍する嘗ての上官を狙撃するシナリオなど完成度の高さが群を抜いており、当初は難易度調整機能が無かったので玄人向けでそれなりのPSが必要だったことが唯一の欠点だったといえた。だがアップデートにより難易度調整機能が追加され新規を受け入れやすい環境になったことが爆発的なヒットにつながった。
難易度は下から【極楽】・【安楽】・【凡庸】・【苦行】・【地獄】・【煉獄】・【無限獄】とあり。最高難易度のソロクリアは世界中でも片手で数えられるゲームの歴史上屈指の難関ステージとなっている。




