終話
俺はノンアルコールカクテルの入ったグラスを高々と掲げ周囲を見回す。皆々俺に笑顔で頷いてくれたので準備完了。じゃあいってみよ~!!
「それでは我が母、愛子の退院を祝ってぇ~っ!! カンパ~イッ!!!」
景気づけも兼ねた俺の乾杯の音頭に合わせ皆が一斉に復唱と共に手に持ったグラスを高々と上げる。
「「「「「カンパ~イッ!!」」」」」
セカイの情勢は未だに不穏だが。この暗いご時世に久々に景気の良い話を聞くんだっ!! 皆のテンションも上がりっぱなしだぜっ!!
「も、もうっ! 恥ずかしいから、お、大きな声を出さないでちょうだいっ!!」
母さんは真っ赤になって抗議の声を上げるが、誰も彼もがニコニコしている様子から聞き入れる気が皆無なのが伝わってくるね。
絶好の好機到来と来たもんだっ!
「母さん、常日頃事ある毎に俺を揶揄ってきたツケが回ってきたようだな? 甘んじて耐え忍んでくれやっ」
俺はここぞとばかりに、ニヤニヤとしながら母さんを冷やかす事に決めましたよぉ~っ!!
「れ、レンジィ~、あ、アンタ、家に帰ったら憶えてなさいよっ!!」
「♪~♪~♫」
恥ずかしさからか愛する息子である俺を親の仇の如く睨み付けるが、俺は口笛を吹きながらソッポを向く。例え帰ったら鉄拳制裁が待っていようと、男には引けぬ時が存在するのだっ!!
そんな俺たちの間に割って入る存在が現れる。
「もうっ、レンジさんったらっ!! お母様は病み上がりなんですから揶揄ってはいけませんよっ!!」
俺の袖を軽く引っ張りながらクレアが可愛らしく頬を膨らませて抗議の声を上げてきた。
「ほんと、バカ息子と違ってクレアちゃんは最高の嫁だよぉっ~」
そんなクレアを見て母さんは、感極まった様に抱き着く。クレアの腰じゃなく、豊かな胸に飛び込んでやがる点が実にわざとらしく厭らしい。
嫁という言葉に反応したのか、純真なクレアちゃんは熟れたトマトの様に真っ赤っか。
下らん三文芝居に過ぎんが、この一幕を見て介入しそうな人たちがこの場にいる。そうなると分が悪くなるので切り上げようとしたが……時すでに遅しだったようだ。
「もう、レンジちゃんにこんな綺麗な彼女さんがいたなんて……おばさん初耳だったわ~」
「ガハハハッ! こんな美人と同棲してるなんざ……やるもんだなぁ~ッレンジィ~」
「ホントよね~っ!! 自宅近くでクレアちゃんが魔物に襲われていたところを助けて、そのまま自宅に連れ込んだんですってぇ~っ!! むっつり助平ここに極まれりよね~」
俺が世話になっている白崎商会の社長夫妻の参戦により母さんの勢いが盛り返し。場のカオス感が一気に増して来やがった。こうなる前に手を打たなかったのは痛恨のミスだぜクソッタレッ!!
「兄貴がこんな美人さんと付き合うなんて‥‥…世界が終わる日が近いんじゃねぇ、ブッ!」
社長の息子にして我が弟分の大地が舐めた戯言を口にしたのでデコピンでお仕置きしておく。軽くとはいえ俺のステは人外だ。加減をしたが痛みからか蹲ってしまったが、黙ったのでヨシにしよう。
「レン兄、ひょっとして怪しげな薬やら今流行りのスキルを使って洗脳したんじゃないでしょうねぇ~。そうじゃなきゃゲーム好きの陰キャにこんな美人さんが靡くわけないわよっ!!」
ジト目で失礼極まりない発言をしてくるのは、社長の長女にして会社の部下であり妹分でもあるエリカだ。発言の中に偏見が見られるので反論しておこう。いや、その前にデコピンによる制裁を実行する。
ひゅっ、と風邪を切る鋭い音が指から迸り、エリカの美しい額をぴしゃりと打つ。弟同様にエリカも痛みから大地の横に蹲る……学習能力の無い似た者同士の姉弟ですなぁ。美男美女で国内最高学府・帝大卒と卒業見込みが泣くぜ? 俺の愛の鞭にエリカがキッと恨みがましく睨み付けてくるが、自業自得。無視を決め込む。
クレアは社長夫妻と母さんの相手をしてもみくちゃにされているので放っておこう。非情なようだが、あちらに近づくのは死地に赴くと同義と俺の勘が告げている。真っ赤になって蒸気でも上げそうなクレアがいい証左だ。
申し訳ないが、クレアには尊い犠牲となっていただきましょう。幼少より俺を知るあの三人を相手にするのは俺でもキツイ。
俺は腕を組み、二人の前に仁王立ちするとエリカの戯言を訂正するべく口を開いた。
「まずエリカの戯言を訂正してやろう。一つはゲーム好きだから陰キャってのは時代錯誤も甚だしい。今やプロゲーマーもいるくらいゲームってのは一般に浸透している。ゲーマー=陰キャってのはエリカの偏見だ」
エリカは頬を膨らませてプイッとソッポを向く。まったく、二十五になるってのにデカくなったのは身長と胸だけか? そんなんじゃ嫁に行けんぞ?
俺の不埒な考えを読んだのか、ギロッと睨んでくる。女の勘が鋭いこった。
まぁこれはエリカに限らずプロゲーマーってのを勘違いしてるのは普通にいる。馬鹿な連中の中には『ゲームをやってるだけで大金を稼ぐ楽な職業』『暗い部屋で年から年中ゲームばかりやってる不健康な職業』なんて大っぴらに吹聴してる評論家気取りがいるせいだ。ゲームへの理解が低く、ゲーマーの生態を知らないエリカが勘違いするのも無理はない(実際に陰気な奴もいるのでエリカの意見を否定しきれんのが悲しいがな)。
さて、第二の訂正だ。
「次に洗脳だの怪しい薬など使うはずが無い。俺にそんなスキルも薬を手に入れる伝手も無い」
実際にその系統のスキルは使えるし、そういった薬を入手しようとすれば可能だ。だがその手のモンは俺の美学に反する。
だがそれ以前の問題がある。
「仮にそんな風に人を操って手に入れたとして満足か? 好かれるように一生懸命努力して交際に漕ぎつけられたなら堂々と胸を張って誇れるし、その後も大事にする。
だがそんなインチキで人の心を手に入れたところで達成感も無く虚しいだけだし。何よりその人を大切にしないと思うぜ?」
会場がシンと静まった。めでたい日に言うべきじゃないが、エリカのためにもちゃんと言っておいた方がいいだろう。
「一昔前、ほんの数か月前ならさっきのエリカの言葉は冗談で済まされた。だが今の地球に少し前の常識は通用しないんだぜ? まだ判明してないだけで、そういったスキルを使える能力者が潜んでいる可能性はかなり高い。そんな能力があるって知られたら? 絶対に周囲から不気味がられるに決まってる。迫害されるに決まってる」
俺の言いたいことが分かったのか、エリカは真っ青になっている。
そう、よほどの馬鹿や切羽詰まった状況でもない限りそんな特性や能力は秘匿しておく。バレれば気味悪がられ迫害されるに決まっている。下手したら国に人体実験のモルモットとして攫われてもおかしくない。
いや、この国も無能ばかりじゃない。既にそういった危険なスキルの使い手【催眠術師】【奇術師】を囲い込んでいる可能性は高い。
倫理や道徳を無視し、使い方さえ間違わなければ有用なのは間違いないしな。
まぁせっかくの祝いにこれ以上場の雰囲気を悪化させるのはホスト失格だ。俺はニヤリと笑いながらエリカの頭をポンポン叩き軽く言う。
「エリカが悪気があって言った訳じゃないのも長い付き合いのある俺は分かってる。だが思ったとしても口に出すのは止めとけ」
「……ごめんなさい」
自分が悪いと思ったらすぐに謝るのがエリカの美点だろう。俺はウインドウを開き(偽装した)ステータスを開示した。
「ホレっ!! 獣人で【戦士】の俺にそんなスキルは無い。エリカが俺に夢中になっていたとしても、それは俺に惚れちまったってだけさ~」
冗談めかしてエリカを揶揄うが、そんな蔑んだごみを見るような目をしないの。お兄さん傷付いちゃうよ!? まぁ頬に赤みがさしているところを見ると満更で‥‥…もぉっ!
頭部を持ち上げられ強制的に一回転した先に居たのは一目で作り笑いとわかる笑顔を張り付けたクレアちゃんです。
笑顔は笑顔でも絶対零度の圧を放つ冷たい笑顔。更に目が全く笑ってないねぇ。
美しい唇から死刑宣告でも飛び出しそうなほど物騒な気配を漂わせてまっせぇ~。
「恋人の前で堂々と浮気ですか?」
その言葉に込められた殺気に場の皆が直立不動の姿勢を取る。ニヤニヤと面白がって眺めていた大地など涙目だ。
まぁ屈強な魔物を統率するクレアの圧に一般人が耐えられる訳ないって話しだ。
「クレアも覇気を抑えな。俺は平気だが、一般人にお前の覇気はキツイ」
周囲を見て慌てた様に覇気を抑える。張り詰めたような場の空気が霧散し、皆は息を吸うのも忘れていたように溜まっていた空気を吐き出す。
それを見てクレアは俯いてしまった。祝いの席の場を悪くしてしまった事を申し訳なく思ってるんだろう。母さんと奥さんだけはクレアを微笑ましげに見てニコニコしてるがな。
しかし、ちょうどいい機会でもある。この場に居るのは俺の身内だけ。俺のあやふやな態度に一つの区切りを付ける場に丁度いいはずだ。
「この場に居るのは俺の身内だけだし丁度いいな」
俺は俯いていたクレアの顎を優しく掴み顔を上げさせる。その顔には申し訳なさと、深い悲しみがあった。クレアに悲し気な顔はまったく似合わん。
「クレア……」
「は、はい」
叱られると思ったのか、ビクッとしている。だが全くの見当違いだ。
俺はクレアの両肩に手を置き。普段は押さえつけている覇気を全身に纏うと真摯に告げた。
「今このセカイは緊迫した状況だ。今日は良くても明日は分からない。だが俺は何があってもクレアだけは守って見せる」
「ひゃ、ほぁ!?」
俺の告白にクレアは壮絶にテンパっているが、俺は構わず続けた。皆も俺がふざけていないと理解しているのか、固唾をのんで見守っている。
「今すぐとはいかない。だが必ずクレアに相応しい男になって見せる」
「ひゃっ!?」
ビクッビクッと痙攣し始めたが、ここまで来たら最後まで突っ走るのみ。
「そうなったら‥‥…俺と一緒になってくれっ!!!」
「ひゃ、えあ‥……は、‥‥……はい」
突然のプロポーズにクレアは戸惑っていたが、最後は毅然と顔を上げ蚊の鳴くような小さな声だったが、涙を流しながら頷いてくれた。
その直後、俺たちの様子を窺っていた参加者全員から温かい祝福の声が舞い上がった。母さんを見てみると、俯きながら震えている。顔から床に向けて雫が零れている……泣いてるのか?
『美夜、巌さん、今のレンジを見てる? 私達の子供はようやく巣立ち、新しい家庭を築き上げるまでになったわ……願わくばもう少しだけこの子の傍に居させてちょうだい……』
それは物凄く小さな声だったが、確かに俺の耳に届いた。
これからは三人で仲良く、普通でも温かい家庭を築いて行こう。それが亡き祖父母や親父たちへの一番の恩返しになる。そう信じて‥‥…。
思わぬ形のプロポーズに散々冷やかされたが、胸に抱いた温かい気持ちが冷める事は無かった。
裏終話 怪物の目覚め
セカイは時として人々に様々な試練を課す。
だが極稀に数奇としか他に言いようがない奇怪な運命を辿る者たちが現れる。
その者たちに取って不本意であったとしても、そうなるように仕向けられたとしか思えない因果が働いた結果、そのような形に落ち着くのが常である。
それは誰が望んだのだろう? 当人? 民衆? 国家? 時代? 運命? 神? そのどちらも違うだろう。
敢えて言うならば、そう……セカイが彼らを求めたのかもしれない。
始原特集『偉人の言葉』(ジュリウス・クラフトマン氏の一文から抜粋)
◆
思わぬ形で行ったレンジのプロポーズ。それをクレアは受け入れ、二人は本当の意味で家族となった。
レンジは二人の時間を大切にしつつも、愛子への親孝行を忘れていなかった。
最初に行ったのは愛子とクレアを連れての旅行。愛子はクレアの邪魔になるのを嫌がっていたが、クレアが熱心に誘ったこともあり、日本中の様々な場所に赴いた。
旅行から帰るとレンジとクレアの二人は真っ先に愛子に同居を進めた、愛子の家はレンジの自宅より多少距離が離れているのでいざという時に心配だったから。
だが『アンタたちの熱々っぷりを見てると火傷しちゃうわよっ! 見せるのなら早く初孫を見せなさいっ!!』と揶揄われ、二人揃って見事に撃沈した。
それでもクレアは愛子の元に足しげく通い。レンジも可能な限り顔を出した……二人とも分かっていたからだ……愛子との別れが決して避けられぬものであり、そう遠くない将来に訪れると。
だからこそ日常を大切にした。普段通りに接する、当たり前の日常こそ愛子が一番求めていると知っていたから。
それでも何もしないという選択肢は存在しない。
昼はレンジかクレア、或いは二人で愛子の元に訪れ時に自宅へ招く。夜はダンジョンの探索や今後を見据えた活動に従事。レンジはこの二重生活をほぼ不眠不休で熟した。
異形であり人間を止めたレンジをして過酷であったが、決して疲労を表に出さなかった。
時には謎のヒーローフェイスレスとして世界中を飛び回り、危険なクエストや魔物に襲われている場面に介入し、多くの人々を救い感謝された。
無償で世界中を飛び回り魔物の脅威から人々を救うフェイスレスは民衆のヒーローとなり。世界中で賞賛が巻き起こる。
中には否定的な報道やコメントをする者もいたが、『アンタのせいでフェイスレスが助けに来てくれなかったら責任取れるわけ?』という反論を境に一気に下火となる。
それは国家も同様だ。自分たちが行う活動を横取りされた形になったが、反論したところで民衆がどちらを支持するかは明らか。内心はどうあれ、肯定的にならざるを得なかった。
レンジとしてはクエストの報酬が目当てで感謝される事に忌避感があったが、どのような目的であれ救われる人がいるなら良いとクレアから諭されていた。
少ない時間をやりくりし、僅かな可能性を求めダンジョンを放浪。その結果、異様な力を得たが‥…レンジが望む可能性は手に入らなかった。
それならばと地獄の入り口と謳われる『禁足地』に足を踏み入れる。その地は超越的な力を手に入れたレンジをして地獄と称するも生温い真の地獄。
異常な環境やその地に適応した怪物を相手に死線を彷徨い、実際に幾度となく死に至る。特性により復活し、絶望に身を焦がしてなお安全マージンが確保できると躊躇いなく地獄の釜に飛び込む。救いを求め彼の地を放浪し続け少しずつセカイの真実を解明していく。
——だが彼はその様な物に興味など無い。
レンジの身に宿す理不尽な世界への憎悪を糧にカオスは限界など無い様に進化していく。レベルⅤ、レベルⅥ、レベルⅦ(轟級)となってもカオスに望む救いの力は宿らない。
現実に打ち拉がれ身も心もズタズタにされてもレンジは歩みは止めない。そのような選択など無いとばかりに歩み続ける。
そんな彼を見ても、クレアは決してレンジを止めなかった。ズタボロになって死に戻る姿に胸が張り裂けそうになっても、決して引き留める真似だけはしなかった。
それをしたら‥‥…レンジが本当の怪物になってしまう。セカイを滅ぼしてしまう。そう確信していたから……。
何があってもレンジの傍で支え続ける。その在り様を言葉ではなく、態度と行動で示し続けたのだ。
皮肉にもその心意を読み取った様にガイアは壁を突き破り、カオスに引っ張られるように進化を続けていく。
更に月日は流れ、誰が呼んだか地球の変換点。『運命の日』と呼ばれた日から一年が過ぎようとしていた。
地球でも高レベルの存在がチラホラと現われ、世界各国で暴力やスキルを用いた犯罪件数は激増。政府も世間の急激な動きに後手後手となり民衆の非難に言い訳ばかりするのが日常となり始めたころ。
そんな世間の動きを嘲笑う様に台頭してきた人物が二人いた。一人は南米を拠点とした独裁者・デス。そして欧州で犯罪行為を繰り返し、世界各国で指名手配された大犯罪者・リバース・コイン。
デスについて判明しているのは、銀色の髑髏の仮面を被り死者を自在に操る【死霊術師】であること。ステイツの犯罪者収容施設を襲撃し、自分に服従を条件に犯罪者を解放して部下にしていること。南米の無法地帯を牛耳る犯罪組織を壊滅し、支配領域を拡大していること。
リバース・コインは経歴・年齢・容姿・その一切が不明。唯一判明している点は自分の犯罪行為の痕跡として両面が裏になったコインを残していく事からメディアが名付けた通り名だけ。
それだけなら愉快犯に過ぎないが、その犯罪の規模が冗談で済まされるレベルを遥かに超えていた。
犯罪行為をみすみす見逃し痕跡さえ辿れaaa。面子を潰された欧州各国はリバースに懸賞金を掛けたが『容姿さえ分からないのにどうしろってんだ?』と各国から嘲笑の的になる。
規模こそ小さいが、デスやリバースの模倣犯的な行為をする者が現れる。
大国の中に小国が乱立する戦国時代さながらの様相を見せていた。世界の混迷はますます深くなっていく。
同時に日本でも後に『鬼哭事件』と称される地獄が徐々に顕在化しつつあったが、レンジは興味さえ湧かなかった。
志波蓮二が守るのは身内のみ。フェイスレスとして民衆を助けたのは、あくまでもクエストのついででしかないのだから。
そして‥‥…ついに運命の日が訪れた。
美しい満月の晩。何時ものように愛子を自宅へ招き、夕食を振る舞って庭で寛いでいた時にソレは起こった。
◆
庭にお菓子と冷たいお茶を置き、秋の夜を三人は思い思い楽しんでいた。
「本当にクレアちゃんの料理はおいしいわね。レンジもこんなお嫁さんがいて嬉しいでしょ?」
「ああ、クレアは理想の嫁だ。俺なんかと一緒にいてくれるんだかなら。母さんとも上手くやってくれてるし感謝してもしきれない」
「きゃ、れ、レンジさん」
横に座っていたクレアを抱き寄せ真顔でそう告げる。クレアは未だに耐性が薄く真っ赤になっているが、レンジとしては余裕綽々だ。こういった時に愛子の前で下手に照れるのは逆効果と学習している。
「そうよね~。アンタみたいなシケ面にこんな綺麗で性格も花丸の女性が靡いてくれるなんて……今でも夢じゃないかと思っちゃうわね~」
息子を貶し、義理の娘を褒め称える愛子にレンジは不満顔だ。しかし、愛子の発言は端から見れば納得のいく物なので口には出さない。
「まぁどうしてクレアが俺を受け入れてくれたのか未だに分からんしな」
クレアなら男など選り取り見取り。街に何度か行ったとき、男女問わずクレアに向けられている熱量の籠った視線をレンジは何度も感じている。横にいる自分への「釣り合ってない」という視線も一緒に‥…。
それに憤慨の表情を見せたのはクレアだ。彼女にとってレンジの自己評価の低さは常に不満に思っていた。
「私はレンジさんと一緒になれて嬉しいです。というよりも、私の方がレンジさんと釣り合っていなるか不安に思うのですけど」
「「そりゃあないない」」
即座に二人が否定するので可愛らしく頬を膨らませて抗議するが、二人は真に受けていないので内心で嘆息するしかない。
(この方の自己評価の低さだけは死ぬまで治らないかもしれませんね)
クレアは決して出鱈目を言っている訳では無い。確かに街に出た時に自分に対して向けられる視線もあるが、同時にレンジへの視線、悪意のある物だけでなく、好意的な視線も多数あるのだ。
若い女性はそうでもないが、あるていど成熟した。特に社会的なステータスの高そうな美女ほどその傾向が強い。それもそのはず志波蓮二は人外にして数多の艱難辛苦を乗り越えた存在。幾ら抑えようとも滲み出る強者、雄の魅力は隠せない。
外見などが判断基準の大半を占める若い世代はともかく。酸いも甘いも嚙み分けた女性には堪らなく魅力的な男性なのだ(レンジの外見はどれだけ高評価でも並という点は補足しておく)。
レンジは好意に鈍いのでそういった視線に気付かず、分かったとしてもクレア以外には興味さえ無い。だがクレアとしてが心中穏やかでいられない。近寄ってくる女性にクレアが殺気を伴う牽制で追い払った例も両手では足りないほどある。
(レンジ様は浮気をするタイプではないですが、私も女である以上は独占欲もあるんですよ?)
『レンジがモテるなんて有り得ない』とばかりに顔を見合わせてゲラゲラ笑っている親子を見て、コッソリと嘆息するしかないクレアであった。
「寒くなってきたし、そろそろ中に入ろうか?」
穏やかな時間は瞬く間に過ぎ去り。秋の夜風が体に障ると考え家に入ろう愛子を促す。だが愛子はゆっくりと首を振った。
「ありがとう、レンジ……」
「何のことだ?」
唐突にお礼を言われてもレンジには心当たりがない。
「昏睡状態だった私のために薬を手に入れて助けてくれたのはアンタなんでしょ?」
「っ!?」
思わぬ言葉にレンジは咄嗟に誤魔化そうとした。だが愛子の慈愛の籠った微笑みを見たら何故か言葉が出てこない。そんなレンジを見て愛子はクスリと笑う。
「クレアちゃんも気付いてるんでしょ? 私にはもう時間が残されていないって?」
「っ!! え? お、お母様っ!!」
自分の死期を悟っているような爆弾発言の威力に、何を言われても驚くまいと決めていた心の防壁が揺らぐ。クレアは普段からでは考えられないほど狼狽してしまう。
レンジも愛子の言葉に呑まれ何時もの態度からは考えられないほど取り乱してしまった。
「か、母さん、し、知ってたのか?」
「ええ、み~んな知ってるわ。レンジが私を助けるためにずっと頑張っていたのも……今も私の運命を変えようと必死で頑張ってるのも‥‥…ね」
自分の死を確定の物として平然と語っている姿はいっそ恐ろしくさえあった。だがそれ以上に恐ろしいのは愛子が全てを知っていた点。
愛子に余計な心配をかけさせまいと、ずっとレンジたちが隠し続けた秘密を知られていた事は驚愕などという言葉では到底現わせない。
そう、愛子には時間が無い。それをレンジたちが知ったのは、愛子が回復して直ぐ。ずっと文字化けしていた愛子の種族が判った時だった。
その種族の名は‥…『儚き奇跡』
聞いた事の無い種族であったため、≪ショップ≫で情報を購入し……そのフレーバーテキストを読み、絶望のため凍り付いた。
〇『儚き奇跡』
超が付くほどの希少種族。その身は奇跡の力を宿している。
その命は非常に短命で、早ければ一年ほどで寿命を迎える。
寿命が尽きる直前に、自分に愛を与えてくれた存在の記憶を夢の中で断片的に視聴する。
寿命が尽きる時、『愛情を与えてくれた存在の生に陰りが無いよう祝福を授ける』という伝説から、セカイ中が祝福を受けるために探し回ったが終ぞ発見できなかったという逸話が存在する。
この種族は進化や選択肢には決して顕れず、如何なる御業を以ってしても種族変更が出来ない。
誓ってレンジたちは祝福など求めていない。レンジたちに絶望を齎したのは『その命は非常に短命で、早ければ一年ほどで寿命を迎える』という一文。
フレーバーテキストはこれまで一度も嘘を付いていない。冗談や間違いならそれでいい、その方が遥かに良い。だがもし本当だったら?
——『この種族は進化や選択肢には決して顕れず、如何なる御業を以ってしても種族変更が出来ない』
だからどうした? それでもレンジは諦める訳にはいかなかった。どれだけ苦しくても立ち止まるという選択は存在しなかったのだ。
愛子は優しく微笑むと二人の子供。言葉を無くし絶望から俯いてしまったレンジとクレアの手を優しく握る。
自分の残された時間の全てを使い、これまでの感謝の気持ちを伝えるため言葉を紡ぐ。
「フフフ、良いのよ? 本当なら私の時間はとっくに終わっていた。あれからもう一年になるかしら? 今の時間は神様がくれた……違うわね。
レンジたちがプレゼントしてくれた、貴方たちが頑張ってくれた証。私にはそれで十分だもの。この一年、私は人生で最高に幸せだった……私たちの息子がお嫁さんを連れてきて、私の、私たちの家族になってくれたんだから。
あら? こんなこと巌さんが聞いたら『俺との結婚が一番幸せって言ってなかったか?』って拗ねられちゃうわね」
レンジはクスクスと笑いながら何でもないように話している愛子の顔が直視できない。
伝えたいことがある。感謝の気持ちがある。自分を育ててくれた恩義と愛情がある。その全てを伝えたいが、言葉が全く出てこない。
言葉の代わりに涙だけが堰を切った様に零れ落ちていく。クレアは口を手で押冴え、嗚咽が零れないように必死で耐えていた。記憶が無く、身寄りさえないクレアにとっても愛子は母親同然。この一年間、ずっと実の娘以上に良くして貰って来た……その想いが溢れて止まらない。
クレアもレンジ同様、感謝を伝えたくとも言葉が全く出てこない。顔は涙がぽろぽろと零れ取り繕う気も余裕さえ無い。二人とも人前で涙を見せる性分ではないが、この時ばかりは我慢を止めていた。
「ああ!? もう、二人とも泣かないでちょうだいっ!」
愛子は慌てて子供にするように二人を宥めた。自分のためを想って泣いてくれているのは分かるが、悲しいお別れがしたい訳では無いのだ。
二人を抱き寄せ、その体を力一杯抱きしめた。
「これから貴方たちがどんな選択をするのか分からない。私はああしろ、こうしろと指図する気も無い。でも‥‥…どんな選択をしようと、私たちは貴方たちの味方。何があっても、どれだけ変わったとしても味方でいるわ‥…それだけは決して忘れないでね」
夢の断片でレンジたちの力を知った愛子は大まかであるが、二人が大勢の人を助けられる力を持つことを知っている。人様の役に立てる力を持つ事も知っている。
でも、だからこそ愛子は道を示さない。
自らの意思で選択した道にしか想いは宿らない。真に覚悟を決めたのなら、如何なる苦難が待ち受けようと決して後悔などしないと実践してきたから。
血の繋がりは無くとも、レンジを立派に育てて見せると自分自身に誓ったあの時の様に……。
「……っう、くぅっ」
「えぐ、‥…っぅ」
自分のために気丈な子供たちが涙を流してくれる。自分の人生は幸せだった……愛子はそう確信できた。
最後に……この想いだけは伝えなくてはいけない。少し前に現れた自分だけに見える時間はもうわずかしか残されていない。決意して美しい満月を背に優しく語り掛ける。
「レンジ……クレア……私たちの何よりも大切な自慢の子供に、私から最後の言葉を贈るわ……」
時間が無い……見れば徐々に足元が光の粒子になって消え始めている。それでも決して慌てない。この言葉は無様な姿で伝えていい物では無いのだ。
息子たちには最後まで強い姿の自分を遺しておきたかった。
「あなたたちを‥……愛しているわ」
その言葉を最後に‥‥…愛子の全身は光に包まれ消失した。
「ああっ!!!!」
レンジは慌てて愛子がいた場所に手を伸ばし飛びつく。だが伸ばした手は空を切るばかり。それでも狂ったように手を動かすが、何も掴めない。
「~~~~っ~~、くぅ~っ!!」
悔し気に地面を叩き続ける。気休めにもならないが、ジッとしていると気が狂ってしまう。何にもならないと理解しても、それでも叩き続けた……。
「‥‥………」
クレアは呆然自失と空を見上げていた。愛子の消失。そのショックに脳内の処理が追い付かず、現実を受け入れられない。
脳裏には『どうしてこうなったの?』『どうしてレンジ様からお母様を奪うの?』『どうして私からお母様を奪うの?』『どうして私たちの家族を奪うの?』
そんな言葉がずっと繰り返し反芻されていく。
「どうして……セカイは……この人を放っておいてくれないのよっ!!!」
クレアの絶叫が秋の夜空に木霊し、吹き抜けていった。
◆
『祝福により『志波蓮二』の存在強度を強化。各条件を達成‥‥…六道スキル≪人間道≫を獲得。マスクステータスの一部が閲覧可能になります』
『志波クレアの固有スキル『約束の二人』の進化条件を達成。≪永遠の二人・死が二人を別つ迄≫に進化しました』
『ユーザー:『志波蓮二』『志波クレア』の心意が極点への到達を確認‥……適合。【混沌源創 カオス】の心淵級への進化を開始します』
『ユーザー:『志波クレア』の心意が極点への到達を確認‥……適合。【超魔母胎 ガイア】の心淵級への進化を開始します』
『【混沌源創 カオス】起源スキルの保有を確認‥……深淵スキルの条件を達成‥‥…≪我は始原にして終焉を齎す≫を獲得』
『【超魔母胎 ガイア】起源スキルの保有を確認‥……深淵スキルの条件を達成‥‥…≪覇獣創造≫を獲得』
◆
志波愛子の死。マクロな視点で見ればどこにでもいる中年の女性が死んだに過ぎない。だがミクロな視点で見れば全く異なる。
志波蓮二の……怪物を抑え付けていた枷が完全に外れてしまった。これまでのレンジには帰るべき場所が、帰りを望み待っていてくれる人がいた。それがレンジに最後の一線を越えさせなかった。
それを完全に失ってしまった。
惜しむらくは時間。志波愛子の死があと数年後ならば、例え死しても感情に折り合いが付けられたかもしれない。クレアの存在が愛子と同じほど大きくなっていれば、愛子が他界してもクレアが代わりにレンジの枷となっていたはず。
時間が決定的に足りなかった‥‥…。
もしそうなっていたら、レンジは愛子の死後も大人しくしていたはず。
しかし、現実はそうならなかった‥‥…まるで誰かがそう望んだ様に‥……。怪物は生まれ落ち、産声を上げた。
◆
どれだけそうしていただろう? 空が白みはじめ、陽が差しても二人は動かなかった。
いつまでもこうしている訳にもいかない。レンジは立ち上がり、クレアの支えて立ち上がらせる。
お互いに何も言わない。だが‥‥…その心だけは通じ合っていた。これから何をするか?どうしればいいか? 言葉に出さずともお互いに把握している。
二人は手を握り歩み出す‥‥…玄関を出て一度振り返ると、家に向かって一礼する。当分この場所には戻らないだろうから。
これより二人は表舞台から完全に姿を消す。
彼らはもう絶望の底を味わった……これ以上の苦しみなど無いと分かっていた……。
彼らの望みを達成するためには力が必要。彼らは神に等しい存在に喧嘩を売る。その為の力を得るため歩み出した‥‥…その道がどれほど辛かろうと、決して諦めない。
神に挑む覚悟を定めた怪物は伴侶と共に歩み出す。その歩みは目的を果たすまで決して止まる事はない。




