第251話 求めるは救済、賭けるは我が命⑰
○【天帝】シレン
「おいおい、とんでもねぇなぁこりゃ」
そう形容するしかない圧倒的な光景が俺の眼の前で起こっている。このダンジョン特有とでも言うべき大気に漂う怨念や瘴気が、まるで星の引力に引き寄せられるかのように光り輝きながら吸い寄せられて行っている。そしてその中心にあるのは五メートルほどの漆黒の球体。
無限にも続くかと思われた時間。恐ろしい筈なのだが、まるで生命の揺り籠の中で寛いでいるような妙な高揚感も湧き上がってくる。あたかも星の誕生を目の前にしたような。
「圧倒的な光景を目の当たりにすると、形容する言葉も見つからねぇってのは本当らしいな」
自分の表現力のなさが嫌になる。悍ましく、恐ろしく、だが美しい光景がそこにはあった。
だがどんな時間も終わりが来る。ソレは突如として収まり、大気がはじけ飛ぶ。時間にすれば一分も経っていないだろう。だが時間が何倍、何十倍にも引き延ばされた気がした。
太陽が立ち昇るかのような光景を眺めながらポツリと呟く。
「神ってのはこういう姿をしてるかも知れねぇな」
漆黒の、いや暗黒の星とでもいうべき球体が俺の眼の前に顕現していた。怨念が銀河に取り巻く星屑のように煌めき、瘴気が怨念の光を吸収して星雲のように輝いて見える。
余りにも圧倒的な存在を目の当たりにして立ち尽くす俺に唐突に声が掛けられた。
『貴様は何かを守ろうとしている者の目をしている。ソレは信念やプライドではない。誰か、特定の人物を守ろうとしている者の目と見た————女か?』
アンデッドに看破されるとは思わなかったな。だが別に隠す事じゃねぇ。だが気恥ずかしさからか笑いがこぼれてくる。
「女ね。正解だが恋人とかじゃねぇな。俺を拾って育ててくれた大切な人さ。俺がここまで来たのはその人を救うためさ。それ以外はどうでもいい。俺は大勢を守ろうなんて大それた考えも持っちゃいないし、そんな心構えも無い」
俺がくたばれば母さんに待ってるのは死。それだけはさせない。そんな未来だけは決して許さない。そのためなら神にだって喧嘩を売る。
「俺は自己中だが守りたい者くらいは居るさ。笑うか? 軽蔑するか? 弱弱しく甘ったれた理由と感じたか? だが今の俺は存外そんな自分を悪くないと思っていてな」
ルデオプルーチの表情さえ無い球体から愉快気な、ニヤリと人間臭く笑ったような感情が伝わってくる。俺の考えを嗤ったのではなく、嬉々として受け入れてかのような感じがした。
『クックック。そういった者を最後の拠り所として一線におく者とは何度も交戦した覚えがある。誰もが強者だった。故に我は貴様を見縊りも侮りもせん。一層の強者と認識しよう。貴様こそ我の最後の闘争相手に相応しい』
今までの、死闘の最中であっても、どことなく他人事のように感じていた雰囲気は一切無い。声の端々から覇気を感じ取れる。こちとら手札もほぼねぇってのに。諦めんのは死んじまってからだ。勝率はさらに低下して限りなくゼロに近い一になっちまったが、足搔かせて貰おうじゃねぇか!!
俺の姿を見てルデオプルーチから更に楽し気な気配が伝わってくるが、それが急に消失した。
『シレンよ。もし我に勝ち生き残る事が出来たのなら、今の我が姿と伝える言葉を覚えておくといい』
厳かに、神託の託宣の如く俺へと告げてくる。これから語る内容はとても大切だと否が応でも理解させられるかのような口調だ。
『器の位階が上がる毎に生命に宿る生命力が上昇する。それはオーラとも呼ばれ人が生ある内に微量ながら垂れ流されるオーラを意志によって留める技術。かつてプロトタイプジョブの頃は当たり前に存在した。今は失われスキル欄からさえ抹消された技法。かつては≪闘技≫と呼ばれていた』
その技術には覚えがあった。チュートリアルダンジョンの、俺が最初に倒した階層主。オーガが使っていた技術の事だろう。俺も拙いながら使用している。
『オーラは全ての生命に宿る内なる力だ。アンデッドである我にさえも魂が滅びぬ限りオーラは宿るのだ。ああ、高位竜種や一部の異形種にはこの技術がスキルとして残されている。スキル欄から抹消されたのは人間種だけよ』
何故人間種だけ? そう思ったが口を挟むのは止めておく。下手に腰を折って話が途切れるのが嫌だったんでな。
『クククク、スキルとは対価や代償を供物に、セカイに直接事象の発現と改変を願うもの。だがスキルを介さずとも奇跡は起こせるのだよ』
楽しげに話してるとこ悪いんだけど。聞くからにトンデモナイ秘密っぽいが、これ聞いたからって俺『運営』に消されないよね?
『そして魔力とは精神エネルギー。それだけではなんら意味をなさぬが、MP、供物にして万能に変化する力と掛け合わせることにより万象を引き起こす』
確かにMPは魔法や戦術機の動力と無限に応用が利く万能エネルギーだ。今は碌な研究も出来て無いが、数十年後には既存のエネルギーに取って代わられるかもしれない。
『生命力と精神力。これら二つは相反し一つに合わせるのは至難の業よ。だが絶え間なき研鑽と修練を積めば人であろうと可能だ。それを成した時、自らの力は最大限に高まり事象改変の代償や負荷さえ減少させる。我はこの技法、セカイに働きかける権限を高める術を≪顕現≫と名付けた』
今のルデオプルーチの状態はソレか? だが違うような気がする。
『ここまでが先ほど貴様との闘争に使用していた形態だ。我の纏っていた可視化されたオーラがそれよ』
やっぱそうですか。今はそれより更に上って訳ね。ご丁寧にも説明してくれるような雰囲気なので聞いてやるよ。年寄りは話しを遮ると不快になるしな。
『ユニークモンスターとは、セカイより認められた概念を獲得した魔物。元来は来るべき猛威にして脅威の前に秀でし者、英雄を選定するためであり、最後の抑止力となるべき存在を生み出すシステムだった。今では既存の役割は形骸化した……このセカイにおいては理から逸脱した存在を生み出すだけに終わっているがな』
これはほぼ知ってる内容だった。はよ本題に入れやとも思うが頷いておく。
『今の我が姿。我が秘奥にして最終奥義は精神・肉体・概念を複合させる事で成し得る。決して混ぜり合わぬ三つの力。意思によってオーラは形を成し、自らの本質によって望むセカイを創り出す。これぞ我が秘奥≪神葬真理≫』
凄すぎて言葉も出ねぇよ。ってかネーミングがそのまんま過ぎね? だが名称は置いといて、ヤバいのは分かる。
今も得体の知れない圧倒的な、それこそ星でも前にしたような。敵わねぇって認めざる得ない膝を屈したくなるような力がビシビシと肌を刺している。
逃げられねぇなら戦うが、その前に俺を詰って負けを認めさせてぇのか? どっかの魔王みたいに『クククク、これぞ我が真の姿だっ!!』とかやって今までの戦いが遊びだったとでも言いてぇのか。ざけてんじゃねぇぞっ!!
内心で激昂する俺の心情を読み取ったのか、ルデオプルーチの話しには続きがあった。
『そして、貴様の半身たる神の現身も我らと本質は同じである。神の現身は宿主の心象を読み取り、セカイの根源たる概念に適合させることで形を得るのだ。成り立ちこそ違うが、それ即ち我らと同一なり』
「それって……つまり?」
『貴様も我が術を修得する可能性があるということだな』
「だがめっちゃ難しいんだろ?」
簡単にできるなら苦労はしない。現実でも虚構でも、超高等技術の修得には膨大な時間と弛まぬ鍛錬、研鑽が必要だしな。タチのわりぃ事に、その術はスキル欄にも無いんだろ?スキルにも載らない技術なら一から手探りでやるしかない。一朝一夕の研鑽では不可能だ。
『当然だ。スキル欄にさえ載らぬ極致。一つの深奥だぞ?』
(言葉を借りるなら≪闘技≫さえ未だに上手く使えない。ここんとこ鍛錬が疎かになってたしな)
「聞きたい事があるがちょっといいか?」
『何だ?』
「【神話級】ってのは皆々がアンタみたいな化け物なのか?ってかアンタは【神話級】に至ったばかりだろ?」
つまり成り立ての【神話級】。【神話級】でも下位って事だろ?だったら上位はどうなるんだって話しだよ? コイツより強いなら会敵した瞬間に逃げるぞ?
だが俺の言葉は否定された。
『ふむ、誤解しているようなので幾つか訂正しておくが、先の戦い我は全力だった』
「嘘こけっ!! 大半の力をコアの障壁張るのに使ってたじゃねぇか? 攻撃に回せば俺を殺せたはずだろ?」
『それこそ誤りだ。確かに貴様の言う通り、我は攻撃に力を割く事は出来た』
ほら見ろっ! ある意味で手抜き、とは違うが余力があったんだろ?
『だが、それこそが生前の我が確立したスタイルよ。絶えず余力を持ち、安全を確保した上で攻勢を掛け、いざという時は逃走する。弱肉強食の野生に置いて敗北は死だ。仮にボロボロにされても命さえあれば負けではない。貴様が我を追い詰めたのは紛れもなく事実だ』
ルデオプルーチの言葉は真理だ。死合は試合と違い審判などいない。生きてりゃどれだけ劣勢でもドローってのは正しい。
そんで価値観や戦術はここによって違う。多少の納得はいかんが俺も矛を収めた。
『そして【神話級】が我が秘奥を使えるか?という答えは否だ。何故ならそんな必要が無かったからだ』
「はぁ?」
意味不明だが、俺の疑問を汲み取ったかのようルデオプルーチっは答えてくれた。
『最初に言ったはずだ。我は脆弱だった、と。今でこそこうだが、生を受けたばかりの我は生態系の下から数えた方が早いほど貧弱だった。目の前の死に怯え腐肉を漁る矮小な小竜に過ぎなかったのだよ。当時はセカイの変革期と呼べるほど環境は入り乱れ、既存の生態系の序列さえ狂っていた。我のような弱者が生き延びたくば強者から逃げつつも、自らの力を探究し必死で研鑽するしかなかったのだ。だからこそ≪神葬真理≫に到達できた』
その言葉で大まかにだが理解できた。
「他の【神話級】は強すぎるから自分の力を磨く必要は無いって訳だな?」
『然り。自らが得た固有スキル等を研鑽する事はしても、我のように根源の探求までは行わぬはずだ。そうせずとも固有スキルだけで十分決着が着くのでな。力を得た者、強者とは得てして驕り易い物よ。自らを脅かす存在がおらぬのに地道で面倒な鍛錬などせぬだろうさ。それ以前に【神話級】自体が希少なのだぞ?』
「アンタほどじゃなくても、それに近いのが千体も居たらこの大陸で人間種なんざ滅んでるだろうしな」
『だからこそ【神話級】以上は制約で縛るのであろうさ』
ごもっともで……。これクラスの力を持った悪意がある魔物が人界に侵攻を掛けたら、最低でも十万から数百万単位の死者が出るだろうしな。人を滅ぼさぬための判断なら英断だろう。
『さて、少々長々と語りすぎた。これで我が話は終わりよ。残り僅かな時間を耐え切れば貴様の勝ちだ』
いや、悔しいが耐えるどころかアンタを倒す手段が思い浮かばねぇんだよ。万全であっても勝率はゼロに近いの。身体こそ無事だが、今の俺の手持ちの武器は激竜剣だけ。兵装はみなぶっ壊れたしな。
だがよぉっ!!
「ここまで来て諦めるなんざできるかボケがっ!! どれだけ見苦しかろうが、最後の足掻きってヤツを見せてやるよっ!!」
気勢を上げろ。心に火を注ぎ闘志を燃え上がらせろっ!! これで最後だっ!!
『クククク、良き啖呵だ。我の積み重ねてきた時間は間もなく終わる。我が最後の敵として貴様が現れたのは幸運だったよ』
こっちは全然嬉しかねぇっての。逃げ場もねぇ逃がしてくれる気もねぇ。勝機もねぇ戦闘なんざクソ中のクソだっ!! だが笑えるくらい理不尽過ぎて逆に燃えてきたんだよぉっ!!
星屑が俺を包囲するよう動き出し、今まさに滅さんと輝きを放つ。
俺を取り囲む星屑が弾け飛び、上級職の奥義クラスの爆発が一斉に巻き起こる。完全な回避は不可能は即座に判断。結界で全身を覆い、急所を隠すようにガードして正面の爆発に飛び込む。
威力と衝撃によって結界が即座に割れ、爆風で吹き飛ばされそうになる。俺は逆らわず、敢えて爆風に吹き飛ばされると、俺の踏ん張っていた場所にドリルのような怨念が撃ち込まれ地面を掘削する。
休む間など与えてくれない。空中に退避した俺に怨念の爆発が襲い掛かってくる。小規模な爆発だが、威力が弱い訳じゃねぇ。怨念を極限まで圧縮して触れた物を消し飛ばす威力まで高めてる。現に爆発の範囲だった地面は鏡のように滑らかだ。威力が分散してない証左だ。
「ザケンなっ!」
骨や機械の残骸が集結、結束し千変の武装と化し俺の進路を阻んでやがるっ!?
断頭台、家ほどある戦輪、極太の柱のような槍。様々な形状の刃、大鎚、斧、銃火器まである。全て呪われた波動を纏った呪具だ。
眼のゲージはとっくに尽きている。連戦と激戦によって集中力も限界なのか、視界も霞んできやがるっ! ここが根性の見せどころだろうがっ!!
(回避だけじゃ捌けねぇ)
激竜剣・極。双剣を取り出すと、空中を蹴り上がり襲い来る刃を避け、払い除け、時に武具で受け止め致命傷を回避する。
全方位の高速連撃。集中力が途切れつつある俺じゃ躱すのに限界があった。均衡が一度崩れれば崩壊するのも一瞬だ。
呪いの魔剣が俺の腕を貫き、歯を食いしばって耐えるが、力が抜け激竜剣の一本を落としてしまった。次に魔槍が俺の右足を貫く、今度は堪えたが呪いを受けて力が碌に入らず、視界もさらにぼやけ。残された足、腕と呪具が突き刺さっていく。
「い、≪医食同源≫」
震える手で腕と足の刃を引き抜き。食納庫から素材を吸収して傷を癒す。アイテムボックスから『高位万能薬』を取り出し服用しようとするが、遅かった。
大地より突き出た骸で組み上げられた逆十字架に拘束されてしまう。骸が両手足を拘束するように、抱き着いてきやがるせいで逃れようにも全く力が入らねぇ。見れば視界の端には十を越す状態異常が示されていた。
「ええい、放せっ!! 死体に抱き着かれて喜ぶ趣味はねぇんだよっ!!」
万事休す? 冗談だろ? 劣勢だろうが最後まで不様でも何でも足掻きまくるのが華ってもんだろうがっ!! 虚勢でも何でも張り通す。
「ガハッ!!」
縫い付けるように両手足に魔剣が突き刺さり、深く抉るように食い込んできやがった。死に体に鞭打つんじゃねぇぞコラッ!!
心だけは絶対に折れねぇっ!! ゆっくりとこちらに向かってくる暗黒の星。ルデオプルーチを睨み付ける。
『この状況で心が折れぬかっ!! 見事だっ!!』
「知ってるか? 勝ち確って状況からひっくり返すのが戦闘の醍醐味なんだぜ?」
『嘗ての我なら見苦しいと感じる姿だ。だが今の我には賞賛と感嘆の念しか湧かぬっ!!』
「おしゃべりしてる暇が有ったらサッサと殺さねぇと喉笛を噛み切られっぞ?」
分かってる。コイツにそんな油断は無い。今も何が有っても対応できる距離を保ってやがる。
『さらばだっ!! 我が最後にして最高の好敵手よっ!!』
別れの言葉と共に球体から突き出された煙突のような砲身。球体より莫大な、数十万のMPが供給されたソレは‥‥…。
一撃で逆十字架ごと俺を吹き飛ばし身代わりの指輪を砕く。力が入らないため受け身さえ取れず、地面に打ち付けられた俺に。……容赦なく無慈悲な二撃目が撃ち込まれた。
その威力は既に守る物さえ無くなった俺を……消し飛ばした。
◆
○<志波家> レンジの自室
「ごほっ、ごほっ」
「お母様!? しっかりしてください。もうすぐ、もうすぐレンジ様がエリクサーを持って帰って来て下さいます。苦しいですけど頑張ってください」
レンジの自室に寝かされていた愛子が突如咳き込む。付き添っていたクレアは弾かれた様に立ち上がり、手を握って必死で励ました。それくらいしかできない自分の無力が恨めしかった。
「レンジ様、必ず戻って来て下さい。お母様も必死で耐えられています。貴方の帰りを待ち望んでいます」
神などに祈らない。クレアが祈り、頼むのはレンジだけだ。
カタリと何かが落ちる音がしたので目を向ける。レンジの机に飾ってあった写真立てが床に落ちていた。慌てた様にクレアは拾いに行く。
拾い上げ中に納められた写真を見る高校生くらいのレンジと愛子。クレアは知らぬだろうがレンジの養父である巌が写っていた。
写真の中の巌は厳かな顔をして、愛子は心底嬉しそうに。レンジは愛子に抱き着かれてどことなく恥ずかしそうにしている。
どこにでもありそうな。だが幸せそうな家族の記念写真だったが、クレアはふと気づく。
「あら?」
落ちた時の衝撃だろう。レンジの顔の部分に亀裂が走っていた。
「不吉な……でも」
余りにも縁起でもないタイミングにクレアの形の良い眉が顰められる。だが直ぐに真顔に戻った。
「レンジ様が望みを果たさずに止まる筈がありません。決まった運命だろうと、あの方なら覆してくれます」
虚空を見やり言葉を紡ぐ。
クレアの瞳にはレンジに対する深い愛情と絶対の信頼があった。志波蓮二が望みを果たさず死ぬはずが無い。愛子を助けずに死ぬはずが無い。そう確信しているような、それは慈愛に満ちた表情だった。




