第221話 【兇呑吐獣 ベルべムラン】
『ゴラァァァァァッ』
殺意と共に放たれる裂帛の咆哮は大地を抉り、行く手を阻む障害を薙ぎ倒す。直撃を喰らえば無事では済まない威力を秘めた一撃を、レンジは黒魔法『アイアンウォール』で塞ぐ。
強固なれどたった一枚の鉄の壁で防げるほどこの咆哮が秘める威力は安くない。鉄の壁は僅かな時間も稼げず、一瞬で拉げ吹き飛ばされる。
だがレンジの狙いは咆哮を防ぐことではなく鉄の壁を目隠しに自分の姿を眩ませること。
黒魔法『幻惑』を使用して自分の影を囮として上空に浮かび上がらせる。上空に浮かべた影に赤い光線が幾重にも突き刺さり影は一瞬で霧散した。正確に影を撃ち抜く光線を見てもレンジに驚きはない。この魔物は異常に感覚が鋭く厄介な感知能力を持っている。ここまでの攻防で理解していた。
故に感覚が及ばぬよう『シャドウダイブ』で自分の影に潜り込み相手の影に転移。獲物である自分を探して周囲を見回している巨獣の影より奇襲を仕掛けるべく動き出す。
この時のレンジの思考を端的に現すとこうなる。「何でこうなった? 俺は何でこんな強敵と戦ってんの?」・・・・・と。
レンジが対峙している巨獣の名前は【兇呑吐獣 ベルべムラン】。【幻想級】ユニークモンスターである。何故レンジがユニークモンスターと戦闘を行っているのか? その理由を順を追って説明していこう。
◆
二体の戦闘を観察し終えたレンジは、一つ前の階層———<龍機界>47層に戻ると颯爽とレベリングを開始した。出現する魔物は種族ランクは最大でもB+・・・・・ランクも6~7が大半で稀に8が混ざっている程度だった。
これまでの教訓を生かし、初見の魔物には≪看破≫でステータスを確認してから挑むという慎重な対応を心がけレベリングをしていた。『インペリアルデュラハン』『ドルムキマイラ』『グラッジレイス』『霊喰鳥』『ソウルイーター』など。ソロで戦闘するなど自殺行為の魔物たちと戦闘を繰り広げていた。強くはあったが弱点を的確に突く事で危なげなく戦う事が出来ていた。
最初の内は順調に進んでいた・・・・・新たなスキルも幾つか習得し、レンジ自身も「順調すぎるな~」と暢気に考えるほどに。
だがAランクダンジョンの下層は例えトップジョブ持ちであろうと、レベルカンストが百人単位で捜索していようと決して侮っていい物では無い。順調に探索をしていた実力者が僅かな判断ミスで帰らぬ人となった例は枚挙に暇がないほどだ。未踏のダンジョンで全く情報が無い<龍機界>でも同じことが言えるだろう。
流石と言うべきか<龍機界>に限らず、Aランクダンジョンの下層には通常のダンジョンとまったく異なる悪質な仕掛けや罠が多数設置されている事がある。今回レンジが運悪く嵌ったのは俗に致死トラップとでもいうべき悪意の伴う、いや殺意しか伴わぬ転移罠だった。
47層に存在する魔物の総数が当初より半分以下になった時、その階層にいる生命体をランダムでまったく別の場所へ転移させる。粗方探索を終わらせトレジャーや採取を終わらせたレンジが広範囲の殲滅魔法を連発した事で魔物の総数が一気に減少したため選ばれる確率が一気に上がってしまった。
ある意味ではレベリング作業が順調すぎたために起きた不運といえる。
視界が暗転し、視界が良好になりと真っ先に周囲を確認する。きょろきょろと周囲を見渡すと、頭上よりけたたましい喧騒が耳に響いてくる。
転移トラップで飛ばされた場所は古の闘技場のような場所だった。地球にもかつてあったローマ帝国で奴隷を時に猛獣と、時に奴隷同士で戦わせた悪趣味な娯楽施設を思わせる。ご丁寧にも観客代わりにゾンビやレイスのような怨念が客席に存在して生贄を囃したてている。
「なるほどね・・・・・・俺は見世物って訳か。死者の無聊を慰める憐れなスケープゴートですってか? 舐めやがって!」
レンジは自分に向けられる感情、特に悪意には敏感だ。
周囲のゾンビが自分を舐め切っているのはずっと鳴りっぱなしの≪悪意感知≫からも明らか。≪看破≫で確認してもランク2の雑魚ばかりに舐められて気分が良いはずが無い。連中にとってレンジは自分たちを楽しませる生贄であり玩具。そういった悪感情が伝わってくるのだ。
個人的に勝ち筋の見えない強制的なゲームは好きではないレンジは、周囲から野次を送る観客と思わしきゾンビや怨念を睨み付ける。それ以前に安全圏から偉そうに命令する輩、囃し立てる輩をレンジは嫌っているのだ。
そういった者に対して取る行動も極めてシンプル。
「死ね」
野次を送ってくるゾンビに腹が立ったので黒魔法『迅雷』で観客席を薙ぎ払う。
荒れ狂う雷が観客席を蹂躙せんと迫るが、観客席の一歩手前で見えない壁にぶつかった様に停止してしまう。少しの間、壁を貫かんと抵抗していた迅雷もやがて効果時間が切れたのか霧散してしまう。
するとゾンビ達が「無駄な事をしたな!」とでも言わんばかりに闘技場が震えるほどの失笑が巻き起こる。
「安全圏から小馬鹿にしたように野次を飛ばすか・・・・・・増々気に喰わねぇな」
むかっ腹を立てつつも、頭と心は冷静に脱出方法を考える。
(考えるべきはここからの脱出法だ。闘技場って事は何かと戦うんだろうが、少なくとも観客ゾンビどもじゃない。本命はこれから現れるってとこか?)
バリアが張られている以上は対戦相手はゾンビ出ないのは確かだろう。だが対戦相手がいるのは確実だ。
闘技場———古の闘技場は庶民の娯楽施設。娯楽の少なかった時代。奴隷という下層階級が無様に足掻くスリリングかつショッキングな光景を、安全圏から庶民や権力者に眺めさせ自身に優越感を与える施設だった。時と共に武芸や身体能力を競い合う場になったが、それは暦が定められてからの出来事だ。古の闘技場の本質は血生臭い殺し合い・・・・・この周囲の雰囲気からレンジは敏感に察していた。
あれだけ騒がしかった喧騒がピタリと止み、ゾンビ達が一斉に跪く。黄金の甲冑に身を包んだ威圧感を放つ金の骸骨騎士。白銀のローブに身を包み煌びやかな宝玉がはめ込まれた長杖を持つ魔術師風の銀骸骨。だが本命はこの二体ではない。
その二者を引き連れて現れたのは、煌びやかな王冠を被り豪奢な衣服に身を包んだ王のような井出達をした漆黒のスケルトン。
それなりに長い階段を上り、周囲を見下ろせる一際高い位置にある玉座のような豪奢なVIP席に漆黒のスケルトンが座る。すると階段の下に金と銀のスケルトンが臣下の様に直立不動で待機した。
素早く≪看破≫で敵の種族名とステータスを確認する。今のレンジでも戦慄するほど圧倒的なステータスが表示されていた。
「王が『デスロード・エクリプス』。金ぴか骸骨が『ソウルブレイカー』。銀の骸骨が『ノーライフ・アーチワイズマン』・・・・・・どれもAランク最強格のアンデッドだったか? ステータスもこれまで会敵した≪看破≫が通じる奴らの中じゃ文句なしの最強クラス。一体ならまだしも、同時に複数体はヤバいな」
実力をつけたレンジをして背筋に冷たい物が流れ落ちる気がする。ステータスもそうだが、以前ギルドで購入した魔物の情報を入念に思い返す。たった一体でも油断が即座に死に繋がる。それほどまでにヤバい魔物であった。
〇『デスロード・エクリプス』
種族ランクA+
ランク8上位モンスターであるデスロードの変異種。そのランク限りなく10に近い9といえる。デスロード自体が死霊魔法に特化しているが、更に死霊魔法に特化し、強力な暗黒魔法習得した事で単体の戦闘力も恐ろしいほどに強化されている。もし討伐に赴くなら即死魔法への対策は必須であろう。挑む者を返り討ちにし、屈強な冒険者や英雄を素体に、協力無比なアンデッドを作り出す性質から周到な準備を重ね一度の討伐に全てを賭ける事が望ましい。有象無象を率いる戦術や、戦力の出し惜しみは却って自軍を衰えさせ敵の戦力を増やす結果に終わるだろう。無数の死者の軍勢を率いて数多の国家を滅ぼした記録が残されている。
〇『ソウルブレイカー』
種族ランクA
黄金の骨格で形成された一見するとスケルトンナイトのような外見だが、その能力はスケルトンナイトとは別次元。その剣は一撃で生者の魂を刈取り冥府へと誘う。剣技だけでなく、暗黒魔法使用するので攻守に隙が無い。その進化の軌跡は一切が不明。デュラハンの高位種からの進化と学説もあればレイスやスケルトンの上位種からの進化という学説もあるが真実は不明。現世に未練を残したまま朽ち果てた英雄の骸が膨大な時間を掛けて進化するという説が最も有力である。遥かな昔に無数の骸骨騎士を率いて国家を蹂躙した記録がある。救世の聖女が浄化するまで数多の英雄を殺し、幾つもの国家を滅ぼした。
〇『ノーライフ・アーチワイズマン』
種族ランクA
白銀の骨格で形成された一見するとスケルトンメイジに見間違えるが、上位種のエルダーリッチをも上回る魔術師系アンデッドの最上位種。その進化の形跡は一切が不明。エルダーリッチが進化したという学説もあれば突然変異種という学説もあるが詳細は不明。高名な魔術師や賢者が魔法を極める為、禁術によって自らをアンデッドにしたという説が最も有力である。多種多様な魔法に精通し、この個体が敵集団にいるだけで敵戦術の幅は段違いになる。その魔法は一撃で軍を殲滅し、都市を滅ぼし国家さえも崩壊させた。正と負の付与魔法。暗黒魔法・黒魔法・神聖魔法・死霊魔法・古代魔法はいうに及ばず、召喚魔法さえ自在に操る。生命を蹂躙し、滅ぼした国家から人間を連れ去り禁術の実験のモルモットとして弄んだ。
戦うなら一体でも厳しい魔物が三体。その内の一体は今のレンジと同格。戦闘に突入すれば非常に厳しいと言わざるを得ないだろう。
レンジは思わずため息をついてしまう。
「平和にレベリングをしていたはずなのに、何でこんな鉄火場に放り込まれなくちゃならん」
訳も分からずに強制的に転移させられたと思ったら、何故か化け物共の見世物にされている状況だ。判りやすい罠に掛ったのならまだしも、理不尽過ぎる急な展開に文句も言いたくなるのも仕方がない。
だが救いはあるとレンジは予想している。エクリプスがVIP席に座り、護衛として金銀骸骨が居るという点だ。それはこの場で戦うのはこの三体ではない‥‥…そう解釈できる。
「だが対戦相手はあの連中じゃない・・・・・と思う。もし対戦相手なら闘技場に降りてきているはずだしな。わざわざ階段上って座ってから降りてくるはずないしな」
自分を見世物に高みの見物は気に喰わないが、あの三体を同時に戦うよりはまだマシだろう。と自分を無理やり納得させる。実際に遠近中距離に対応している魔物を同時に相手取るのはリスクが高いのは純然たる事実だ。
それにもし三体同時に戦うとしても勝算が無い訳ではない。
「こちとら切り札はあるんでな・・・・・」
いざとなれば決戦の時に使うはずだったユニーク武具を解禁する事も念頭に置く。
「クエストの攻略の目途が立った今、これ以上の時間の浪費は避けたいのが本心だが・・・・・ケチって死んだら全てが無駄になる・・・・・必要経費として割り切るしかない」
【超電外套 エンセリアボルト】は強力だが、一度使用すると再充電までに百時間・・・・・4日以上の時間が必要だが・・・・・死んでしまっては元も子もない。再入手困難な消耗品や制限やリスクの大きい切り札を切る事を惜しむのはゲームでも現実でも同じ事だ。だが切るべき時に切るからこそ切り札。そして切るべき時とは目的のためか、自らの命を護るべき時とレンジは重々承知していた。
デスロードが立ち上が両手を天に掲げると、レンジの反対側の盛大な金属音を立てながら分厚い大扉が開く。
「さて・・・・・鬼が出るか蛇が出るか。想定Aランク以上と見るべきだろうな」
どれほどの怪物が出て来るかレンジは身構え、初手全力で魔法を打ち込むべく魔法の構築を始める。
重々しい足音を鳴らしながら現れた巨体にレンジは驚愕に目を見開く。全長は十メートルほどで、先ほど怪獣決戦を眺めていたレンジにとって大きさ程度では今更驚かない。
ならば何に驚いたのか? 八つある眼球・・・・否。獣のシルエットでありながら六本ある脚?・・・・・それも否。胴体に無数にある鋭い牙の生えた口?・・・・それさえも否?
ならば何に驚愕したのか? それは頭上に表示されている個体名。
そこにはこう記してあった。【兇呑吐獣 ベルべムラン】・・・・・・と。
こうして激闘の火蓋は切って落とされた。
・・・・・もう一度レンジの心境を端的に述べよう。
「どうしてこうなった?」




