第201話 義理立て
『どうやら冒険者ギルド本部というのは無能の巣窟のようですね‥‥…ハッキリ言わせて貰うが、くだらない妄言に付き合ってるほど俺は暇じゃない。時間が勿体ないんで帰らせて貰ってもいいですかね?』
レンジの放ったその言葉に大会議室全体が凍り付いたように静まり返る。
ジョニーボー一派の発言は言い掛かりに等しい。それを差し引いても余りにも傲岸不遜なレンジの言葉に我に返ったジョニーボーは激高した。
「その言いぐさは何だぁっ!! 自分の行いでどれだけの人間に迷惑を掛けたのか理解しとらんのかぁっ!!」
冷静さをかなぐり捨て、飛び掛からんばかりに立ち上がったせいで椅子が倒れ耳障りな音が会場に響くが誰も気にしない。会議室中がレンジを注視し、ジョニーボーとのやり取りを見守っている。
レンジは嘲笑を浮かべてジョニーボーを見やると呆れ果てたように口火を切った。
「そもそもどれだけの人間に迷惑? 笑わせてくれるなよ」
「先ほどからギルドの人間に対してその態度……貴様は一体何様のつもりだ?」
「逆に聞かせて貰うが、アンタらが一体どんだけ偉いってんだ? 俺はアンタの部下じゃないし、何らかの利を享受した覚えがない。ましてや下らない言い掛かりをつける輩に謙る必要がないんだ」
レンジの言い分は正しい。冒険者ギルドは冒険者に仕事を仲介・斡旋するが支配者ではない。恩義があれば兎も角、面識のない相手に上から目線で非難され黙っている必要性を認めていない。
「それにどれだけの人間に迷惑? アンタの派閥の思惑通りにいかなかった、の間違いだろ?」
「貴様ぁっ!! 儂を侮辱するのかぁっ!!」
顔を真っ赤にしてバンバンと机を叩く姿にレンジは呆れを隠そうともしない。
「スタンピードが早急に収束したのは誰にとっても喜ばしい事だ。被害を受けるであろう一般市民にとっては特にな。何で俺が責められにゃあならん。ひょっとしてアンタにとってはスタンピードで被害が出た方が都合が良かったのか?」
レンジの続く言葉に会場中の視線がジョニーボーに集中した。
「そ、そんなはずが無かろうっ! ひ、被害が出たとして儂に一体何の利益があるっ!?」
「こういった大規模な混乱の後にあるのは復興需要だ。金のある連中に取っちゃ他人の不幸は絶好の稼ぎ時。そういった連中が上手く手を組めばうまい汁が吸える。物資の買い占めによる独占でもすれば需要と供給の問題‥‥…値段など幾らでも操作できるしな」
ジョニーボーはレンジを甘く見過ぎている。英雄と持ち上げられても所詮は無学の冒険者と侮ったのが運の尽き。動揺するジョニーボーへレンジは口撃を緩めない。
「スタンピード収束後の復興物資やポーションの取引で錬金術ギルドや商人ギルドと癒着でもしてたのか? スタンピードで被害が出ればそれらの需要は爆発的に上がる。少し値段を操作すれば巨万の富を得られるからなぁ」
「ひゃ? え?」
キョロキョロと挙動不審の様子を見れば、それが事実と肯定しているも同然だ。
周囲からジョニーボーに対して氷柱のように鋭く冷たい視線が突き刺さる。あからさまな態度を除いても、誰もが『ジョニーボーならやりかねない』そう思っているのだ。
そんなジョニーボーを冷徹な眼差しで見詰める男がいた。ガイラを筆頭とするSランク冒険者達だ。
(自分の思い通りにいかなかったら餓鬼のように喚き散らす。挙句の果てに有能な冒険者を敵に回す。ギルドの上層部の質も堕ちた物ねぇ~)
【飛翔王】エレオノーラが肩を竦め‥‥…。
(錬金ギルドも商人ギルドも金に対する執着は人一倍だ‥‥…ジョニーボーが囁けば乗ってくるに違いない‥‥…確かに組織運営は綺麗ごとで回っていかぬ。
だが民の不幸を見越して金を集めるなど論外よっ! これまでは運営面では有能だったため見逃してきたが、今回だけは決して許せぬっ!!)
【獣王】ガイラは静かな怒りと共に今後を見据え‥‥…。
(ジョニーボーみたいなああいった毒虫を放っておくと若い子らが育たなくなるしね。これを機に膿を吐き出そうよ? スタンピードが終わったし、当分は大規模な動きは無いだろうし)
【蠱毒王】マダラは愉快そうに囃し立てた。
彼らは正確に意思疎通をしているが、テレパシーではない。
彼ら三人の耳元には【蠱毒王】マダラがスキルで創り出し使役する蟲。張り付いた生物の思考を読み取り、範囲内の同種に伝える『響心蟲』が張り付いていた。彼等はギルドの一部がレンジを糾弾すると読んでいたため何かあった際には擁護に回るべく備えていた。
(今回の一件でジョニーボーを始めとしたギルドを腐らせる寄生虫共を一掃する)
これまでガイラたちが動かなかったのはジョニーボーたちが狡猾に立ち回っていたから。悪事といえど大事になるような振る舞いをしなかったから。それにジョニーボー派はギルドの運営面に深く食い込んでいた。一度に引き抜けば組織の屋台骨を揺るがすのを避けたかったから。
(放置していた僕らにも責はあるけど、ギルドの自浄作用を期待するのは無理だしね。何よりも一気に屋台骨を壊せば割を食うのは民衆だから)
(ここ最近は良い意味で平和だったからね。これといった面倒事が無かったのもギルドが腐敗した理由よね)
(あのな、ここ最近っていっても天族のお前にとってだろうが? あの【黒蝗帝】の悲劇から三十年は経つんだぞ?)
ガイラが苦々しい顔で口にするのは誰もが知りながら口を塞ぐ痛ましい事件。
(あれでギルドの次代を担う有能な人材が失われたからね。それと入れ替わりでパッとしなかったジョニーボー派が台頭してきたんだし‥‥…世の中上手くいかないね?)
各ギルドの次世代を担う若手を一度に失ったここ最近では一番大きな事件。
(冒険者ギルドは総長が目を掛けていた【希望王】・【海帝】に【審判王】・【灰塵王】・【斬鬼王】。商人ギルドは【流通王】・【商王】・【鑑定王】・【大棟梁】。錬金ギルドは【錬金王】・【付与王】・【人形王】・【魔石王】を失った事件だっけ? 当時は大騒ぎだった気がするわね?)
冒険者・錬金・商人ギルドの中を深める筈だった交流会が、三者に未だに癒えぬ亀裂を刻んだ悪夢に転じた悲劇。
(気がするではなく、あの時は殺し合い寸前の騒動に発展するところだったんだ。‥‥…組織の後釜を一度に失ったんだ‥‥…無理もないがな)
(アレが無かったら総長はとっくに引退してたよ? 死んだトップジョブ持ちは全員が優秀だったけど、総長の息子でもあった【希望王】ホープ・ギアは誰もが認める優秀な後継者だったしね)
(世の中思い通りにいかない見本のような出来事だったわね)
(他人事みたいに言うんじゃない。俺はまだBランクで後になって知った口だが、お前は当時からSランクだっただろうが?)
その自分は関係ありません。といった口調を崩さないエレオノーラにガイラがツッコんだが悪手だ。エレオノーラは年齢不詳でもれっきとした女性。年齢を指摘されて気分が良かろうはずがない。
(あん? 私が年寄りって暗にいってる?)
(失言だった……謝罪する)
危険な雰囲気を漂わせるエレオノーラにガイラは即座に白旗を上げた。
(お前は引退・現役のSランク含めて最年長だろうが)とは言わない。千年単位の寿命を持つ希少種である天族。その中で分かっているだけでも五百年以上生きている女怪を怒らせる度胸は、流石のガイラでもなかった。
(まったく……これでSランクってんだから。もうちょっと大人になって欲しいよ)
そんな二人をマダラは情けなさそうに見るしか出来なかった。
◆
三人がわき道に逸れている間にも会議は進んでいる。
「俺は探偵じゃないんで罪を暴くのが仕事でもない。それで……アンタは俺に何を望むんだ? 従う理由は無いが、要望くらいは聞いてやろうじゃないか?」
「今後はギルドの指示に従って貰う。ギルド付きの冒険者としてギルドが塩漬けにしている厄介な依頼などを片付けて貰う。罰則といえど、ギルド直属になれるのだ。これは名誉な事なのだぞ?」
名誉かどうかは人によって違う。少なくともギルド直属などレンジにとっては鬱陶しいだけで何の名誉でもない。故に返答は一つしかない。
「断る。俺は人に命令されるのが嫌いなんでな。それに俺の価値観では名誉でもない」
「な、何だとッ! ギルドを侮辱して責任逃れをする気かっ?」
「論点を変えるのを止めろ。まず責任、責任とさっきからピーチクパーチク喧しいが、スタンピードで俺に責任など無い。何故ならば俺は依頼を受けていないからだ」
「む・・・・・・・・」
「確かに魔物の大軍に勝手に仕掛けたのは問題かもしれんが、そもそもダンジョンに籠っていた俺はスタンピードなど知らなかった。ダンジョン探索からファーチェスに帰還する道すがら魔物の気配を感じたので気になって確認に向かい、魔物の大軍がいたので対応しただけのこと。しかもその魔物の大軍は殲滅した」
もしスタンピードに対してギルドの要請を受諾し、依頼を受けて勝手な行動をしたなら責任問題も発生する。だがソレを見越してレンジはいち早くファーチェスを抜け出している。自分の実力を知るフギンなら必ずスタンピード防衛に参加するよう依頼を回してくると確信していたからだ。レンジが家を出て直ぐにギルド職員が自宅にやってきたので間違ってはいない。
「俺が魔物の取り逃しを行い被害を出していたなら責められるのも納得しよう。『お前が勝手な行いをしたせいで被害が出た、どうしてくれるんだ?』と言われれば返す言葉もない」
一旦言葉を切り、だがねぇ~、と厭味ったらしく挑発するように言葉を繰り出す。
「俺が独断で対応に当たった地域は何一つ被害らしい被害はない。褒められこそすれ犯罪でも犯した者のように扱われるのは納得がいかない」
「儂が問いたいのは、勝手な行動をしてギルドの当初の予定を崩すなという事だっ」
「ますますわからない。消耗品の無駄も出ずに冒険者にも被害は出なかった。俺は討伐した魔物の素材は全て渡したはずだ? ユニークモンスターの討伐に当たりユニーク武具獲得者は報酬を辞退するのが慣例と記憶しているので慣例に従い素材はギルドに譲った。その素材はギルドが回収したのではずだろ? ギルドに一体何の損を与えたのか教えてくれ?」
「ぐっ・・・・・・・」
ジョニーボーの反論はこの場の大多数に響かない。冒険者にとっては結果が全て。万全の計画を立てようが、失敗すれば何の意味もない。結果を出した無鉄砲は、結果を出せない緻密な計画よりも上。少なくとも鉄火場に身を置く冒険者にとっては常識ともいえる思考だ。
結果的にギルドを無視しようが、最上といえる結果を叩きだしたレンジを責めるのはお門違いだろう。
攻守は逆転し、レンジが反撃に回った事でジョニーボーは言葉に詰まる。この場の冒険者達はレンジがこの論法を持ち出すことが分かっていたので何も言わない。
冒険者達からしてみればスタンピードなど厄介ごとでしかない。消耗品の消費や戦闘によって損耗した武具の修繕など出費が嵩むだけの面倒ごと。損失も出さずに報酬を貰っているのでレンジを責める必要もない。
そしてレンジの言う通り、今回のスタンピードでギルドにも何の損失も無い。ポーションなどの消耗品を大量に使用する程の激戦は無かった。正確にはユニークモンスターだけを討伐した北側はそれなりに被害はあったが、被害を受けたのはエルスティア・マギノマキナの合同部隊であってギルド側は被害を受けていない。それどころか『ギルドがスタンピードの矢面に立ち終息に導いた』と喧伝している。要はレンジの功績を横取りした形だ。
それをレンジが追及しなかったのは気を窺っていたから。前もってフギンギルド長からギルドの一部から難癖を付けられる可能性を示唆されていた。そのため実力者が集うこの場でハッキリさせようと準備を整えてこの場に望んでいる。
それにレンジとしては、この手の言い掛かりや難癖を付けてくる輩は経験済みだ。
(こちとら大規模クエストなんざ腐るほどやり込んできたんだ。報酬やアイテムを巡って難癖付けられるのは慣れてんだよ)
ゲームでの集団クエストではクリア報酬を巡って言い掛かりに近い難癖を付けてくる奴は一定数存在していた。だがらギルド長から示唆される前にこの手の騒動が起こると確信があった。
レンジが素材を回収しなかったのは、この事を見越したからだ。スタンピードでのレンジの行動は限りなく黒に近いグレーゾーン。遺跡の盗掘は完全なクロなので割愛する。
ユニーク武具を掻っ攫い、素材などを全てせしめれば必ず各方面から難癖が付けられると予想したが故に惜しいが素材は譲る。利さえ提供すれば冒険者からの非難は躱せると判断したために。
「故に俺は最初に次回の参考にさせて頂きます。と述べたのですが? それともジョニーボー殿の個人的な思惑を崩してしまったので激昂されておられるのですかな?」
丁寧語を復活させ個人的なを強調して周囲に聞かせるように訊ねた。
「そ、そのような事はない。じゃ、邪推は止めたまえ」
「ハハハハ、冗談ですので本気に為さらずに。ギルドの高官ともあろう方が、そのような事をするなど思ってはおりません」
どもっている事からも動揺しているのが丸わかりだが、レンジはソレを指摘せずに流すことを選択する。
自分は圧倒的に不利。周囲から向けられた絶対零度の視線が何よりも雄弁に語っている。
(く、こうなったら……)
ジョニーボーはレンジの欲する物をチラつかせる強硬策に出る。それが自身の破滅を呼ぶとも知らずに‥‥…。
「そ、そういえば君はエリクサーを欲しているようだな?」
「それが何か?」
「ギルドの専属ともなれば入手次第エリクサーを渡せる。君の望みも適うのではないか?」
「‥‥…それはギルド専属になればエリクサーを用意する。そう解釈してもいいのかな?」
「そうだ‥‥…確かに希少なアイテムだが、ギルドは大陸中に根を張っている。もしギルドの専属になるなら入手次第、貴様に渡そうじゃないか?……貴様にとっても悪い話では無いはずだっ!!」
君といっていたのが貴様になっている点からジョニーボーが内心でレンジをどう思っているかがわかる。会場中が不安そうにレンジを見ているなか。レンジはゆっくりと口を開きハッキリと告げた。
「断る」
「な、何?」
「耳が悪いようだな。俺は断るといったんだ」
「ど、どうしてだ? ギルドに所属するのが最も確率が高いのだぞ?」
確かにジョニーボーの言葉は正しい。エリクサーの製法は失伝しており入手方法は高位ダンジョンのトレジャーくらいしか確認されていない。
ーただレンジに限っては……普通なら、と付くが。
レンジは会場を見回しながらハッキリと自分の意見を伝える。
「ギルドが信用できないからだ‥‥…」
その言葉に会場中が絶句した。大陸の最大組織『冒険者ギルドを信用できない』などと断言する人間はお目に掛った事が無いからだ。
「確かに俺はエリクサーを必要としている。信用の出来る相手なら下手にも出るし謙る。もし現物さえあれば俺はその取引を呑むだろう」
レンジはだがな……と続ける。
「エリクサーの入手確率は水物だ。数年に一度入手する事もあれば、十年以上手に入らない事もある。俺は一年以内に必要なんだ‥‥…それだったらダンジョンに潜って探索を続けた方が手っ取り早い。専属だなんだのといっていいように縛られるのは御免なんだよっ!!
ましてや人の手柄を掠め取っておきながら、粗を追及して人を良い様に使おうとする連中の下で働くのなんざ御免だねっ!!」
そういって会場中を鋭く睨み付ける。
レンジの全身から抑えつけてあった覇気が会場を押しつぶさんばかりに溢れ出る。会場中が阿鼻叫喚の喧騒に包まれる中。興味深そうに座ったままレンジを観察する者たちがいた。
(こ、これほどか‥‥…この男は一体どれだけの修羅場に身を投じてきた?)
ガイラはレンジの覇気を肌で感じ目を見開いて驚愕し‥‥…。
(クク、このところ小粒ばっかりだったけど、有望そうな若手が出てきたんじゃないの?)
マダラは面白い若手が台頭してきたと驚喜し‥‥…。
(フフ、面白いわね‥‥…この子の雰囲気‥‥…あの化け物に似ているわ)
エレオノーラは自分が知る最強の存在を思い起こし微笑んだ。
「俺を使うなら一年以内にエリクサーが入手できなければ死を以て償う。そう誓約を交わした時だけだ」
「な、何を勝手な……」
「もし一年以内に手に入るなら俺は一生ギルドのために働いてやるよ? どんな理不尽な扱いであっても我慢しようじゃねぇか? そんだけの覚悟で言ってんだ。そっちも腹ぁ見せてみろやっ!!」
レンジの傲岸な物言いに抗議しようとしたが、レンジは先んじて一喝で黙らせる。暗に告げたのだ‥‥…俺を使いたいならお前らも覚悟を見せてみろと。
「俺にしてみりゃ一年以内に入手するエリクサーが重要であって、それを過ぎりゃ何の値打ちも無い」
レンジは自分の要求が無茶ぶりと理解している。こんな無茶苦茶な要求を突き付けたのは絶対に呑ませない為。専属になってエリクサー入手する確率より、クエスト報酬として確実に入手する、ユニークモンスターを討伐する勝算の方が遥かに高いと見積もっている。
だがクエストのシステムなど知らない人間にとっては、レンジが自分の納得できる手段を求めていると感じるのだ。
「今回のスタンピードで被害は出てない、素材を売却して利益が入った、誰も損してない。ギルドは十分だろうがよっ!! 俺には時間が無い。一刻も早くダンジョンに潜りたいんだ‥‥…下らない政治ごっこは俺を巻き込まず余所でやってくれやっ!!
最後に言っとくが、俺はこの場に謝罪に来たわけでも釈明に来たわけでもねぇ。一応ギルドに所属する者として最後の義理を果たしに来ただけだ」
レンジは懐からカード、ギルドカードを取り出して総長に向けて放り投げる。カードの縁が議長席にカッと澄んだ音を立てて突き刺さった。
「正直に言わなくとも今回の一件で俺はギルドに失望している。何もしてない分際で利益と手柄を掠め取っておきながら人を追及し、明かに理不尽な暴論を振りかざす連中から功労者を守ろうともしない。‥‥…呆れて物が言えない。冒険者は実力至上主義。きちんと働いた者には報いるって聞いてたんだがな? 失望するには十分だろ? 俺は冒険者を辞めさせて貰う」
以上だっ!! そう言ってレンジは乱暴に椅子に座る。
そもそもレンジに冒険者を続けるメリットはもう無いのだ。素材はショップやガイアに取り込ませればいい。このセカイの通貨も既に十分といっていいほど所有している。
そしてこのセカイはレンジにとって異世界。自分の住む場所ではないのだ。
クエストさえ達成できればこのセカイへの価値は激減する。自分に悪意を向けてくる冒険者ギルドに必要以上に譲歩する気は失せていた。
「き、き、き、貴様ぁ~っ!! 黙って聞いておればぁ~っ!! 貴様はこの大陸最大の組織を敵に回したんだぞっ!!」
喧しく喚き散らすジョニーボーに構わず、レンジは無言で手元の水晶のような透明な球体を操作する。すると上空に映像が浮かび上がった。
『き、き、き、貴様ぁ~っ!! 黙って聞いておればぁ~っ!! 貴様はこの大陸最大の組織を敵に回したんだぞっ!!』
「な、え、そ、その映像はっ!?」
取り乱すジョニーボーに拳大の水晶球を見せつけるように手元で転がす。
「この会場に入った時から録画してある。これが都市中にばら撒かれたらどうなるんだろうな? ああ、俺に何かした場合は形振り構わないぞ? 俺を拘束しても無駄だ。この映像は既に子機に転送してあるからな‥‥…俺に手を出した瞬間に大陸の各都市で一斉に映しだすように設定されている。別に俺を無事に帰せばいいだけだ‥‥…なにもしなけりゃ‥‥…なぁ」
クククと悪役っぽく嗤うレンジに手を出せる猛者は居なかった。レンジの言葉が真実かは分からない。もし真実なら? ジョニーボー一派の醜態が晒されればギルドの威信は地に堕ちる。
『厄災から無償で民を守った英雄を非難し、使い潰そうとしている』そう思われかねない。
この場には都市の重鎮もいるがギルドと都市は密接な関係がある。ギルドの凋落は望む物では無い。もはや勝敗は完全に決まったといっていい。
「お互いのためにも是非とも誓約書を交わしたいんですが? 断りませんよね?」
そう悪魔のように微笑むレンジに刃向かえる人間は居なかった。
◆
ジョニーボーを含む数名は何故か倒れ強制的に退出させられたが、レンジとギルドの間で無事に誓約書は交わされた。
内容はレンジにとってもギルドにとっても満足のいく結果だったとだけ伝えておこう。
レンジはニコニコと黒く胡散臭い笑みを浮かべながら総長に訊ねた。
「では俺への詰問はこれでお終いでよろしいか? 後になってから難癖を付けられるより一度で終わらせて頂けると助かるが?」
何度も呼び出されるなど時間の浪費でしかない。今のレンジはやるべき事が山のようにある。時間は魔法を使っても戻せないのだから、無駄な浪費だけは勘弁願いたいのだ。
これまでレンジとジョニーボーのやり取りを一言も口を挟まずに静観していた総長。アーク・ギアが静かに口を開いた。
「私も君に幾つか聞きたいことはあるが、この場で聞くような事でもない。だがもう少しだけこの場に留まって欲しい」
その言葉は穏やかなモノだったが、逆らい難い、言葉では言い表せない何かが含まれているのか。この場の人間の心にスルリと入り込んだ。
「了解した」
誓約は満足のいく物が結べた。下手に突っ張って必要以上に関係を悪化させる必要は無いとレンジは素直に頷くと同時にアークの態度に内心で感心する。
(このカリスマともいえる威厳。これほどの威厳を持った人物はちょっとお目にかかった事が無いな。だがそんな人物がジョニーボーを放置してたのか気になるな?
‥‥…俺には関係ないか。それにしてもこの人も憐れだねぇ~)
幼少の頃の記憶だが、倖月家には各界の著名人が頻繁に訪れていた。その中でもグランドマスターほど威厳のある存在はいなかった。仮にも各界の重鎮でさえ眼前にいる偉人と比べれば木石同然。それほど他者が無条件に従いそうな威厳がある。
——だがそれだけに眼前の老人が憐れだった。
(この老体の後釜は相当に苦労するだろう。現にジョニーボー程度が次期総長などと言われているのが証拠だ。きっと比較されるのが嫌で誰も後釜に名乗り出ないんだろうな)
先ほどのやり取りだけでもジョニーボーに冒険者ギルドの頂点に立つ資質は全く感じられない。中間管理職なら兎も角、方針を定め決断するトップに立つ器とはお世辞にも全く思えなかった。
見ればエルフやドワーフなどの支部長はそれなりにいる。総長よりも長い年月を生きた者たちが在籍しているはずだ。人間種よりも遥かに長く生きている種族。その中で長命種でもない人間でありながらアークがギルドのトップに立ったのは見事の一言に尽きる。
だが自身のカリスマ性がありすぎるが故に後継者を名乗り上げる者がいないのは皮肉と言える。
(そうじゃないな。ちょっと物事を考える力があれば、誰だってこの老人の後に座るのは嫌に決まっている)
劣っていると比較されて気分のいい人間はいない。ましてある程度の実績の持ち自分に自信がある人間なら尚更だ。
マトモな神経をしていれば、この総長の後継者に名乗り出たいとは思わない。比較され惨めな思いをするのが火を見るよりも明らかだからだ。
(自分が原因で後継者がいないとは憐れの極みだ。老体に鞭を打ってギルドのトップに立ち続けるのは大変だね)
総長は年齢を感じさせない様に毅然と振舞っているが、どことなく無理をしている感覚からそう結論付ける。
瞑目して副総長リナレスの事後報告を聞いている総長をこっそり窺いながらレンジは憐れみの籠った目を向けるのであった。
◆
レンジは知らない。総長が後継者や将来のギルドを担う有望な若者たちを一度に失った事など。
今回の一件でジョニーボーの横暴を許したのは総長を始めとした本部の失態なのは否定のしようがない。だが総長だけを責めるのは酷かもしれない。
三十年前に何の兆候も無く出現した神話級ユニークモンスター【黒蝗帝 ヘイ・ホアンディー】によって各ギルドは後継者と側近たちを一度に失った。
特に冒険者ギルドに関しては次期総長への権限の委譲が始まっていたのだ。ギルド上層部は世代交代のため一度手放した権限をもう一から集める作業に追われた。
その隙に台頭してきたのがジョニーボーたち‥‥…。あの事件によって冒険者ギルドはジョニーボー程度の力を借りねばならぬほど屋台骨が揺らいでしまった。
タラレバの話など意味は無いが、もし【黒蝗帝】が出現しなければジョニーボーが幹部の座に就くなど有り得なかっただろう。
補足するならば風の様に現れ、嵐のように暴れ回った怪物【黒蝗帝】は‥‥…未だに討伐されていない。




