第193話 スタンピードが終わって(side:マギノマキナ)
〇<マギノマキナ>
マギノマキナの都市長グスタフは、遺跡の遺物奪取のために密かに動かしていた手勢から報告を受けていた。前には執事であり護衛も兼任している【暗殺王】ウォンが後ろで手を組み瞑目した状態で控えている。
「‥‥…以上が任務失敗の経緯になります」
グスタフ直属の裏部隊『シュバルツ』の長【傀儡王】テオドールは如何なる裁きも受けるといった神妙な顔で報告を終えたが返ってきたのは意外な言葉だった。
「承知した。ご苦労だったなテオドール。下がっていいぞ」
「え? あの、何かお咎めはないので?」
間の抜けた顔でテオドールは訊ねるが、グスタフは頷くのみである。
グスタフは才ある者を愛でる一方で、怠惰な者や失敗する者には容赦なき罰を与えるのが常である。
テオドールたちは任務を達成できなかった。それもテオドールの勘という理由で逃げかえって来たような形。責任を取るため如何なる罰も覚悟していたテオドールが拍子抜けするのも無理はない。
「エルスティアに忍び込ませた草から連絡があった。ユニークモンスターが討伐され遺跡内部に侵入した者がいたのは確かなようだ」
「‥…ッ!?」
グスタフの言葉にテオドールは息を吞む。
「俺の命を達成できなかったのは問題かもしれんが、侵入者とかち合いエルスティアに我が都市の介入を知られるという最悪の事態は逃れた……咎め立てする理由はない」
「あ、ありがとうございます」
寛大な処置に頭を下げるテオドールにグスタフは鷹揚に頷くと退出を促した。
「ウォン……遺跡の侵入者についてどう見る?」
テオドールが退出すると普段の怜悧な印象はなりを潜め。西のアルトリウス、北のグスタフと称される紅髪の貴公子がそこにいた。
「分かりませぬな……余りにも情報が少なすぎます。間者の情報によればかなり高度な偽装を施されているようでスキルにも引っかからない様です」
相手の痕跡から正体を特定する【探偵】や足取りを追う【追跡者】のスキルを無効化するほどの魔道具なりスキルを保有している。
その時点で只の盗掘者ではない。本人の実力もさることながら。ある程度の力を持った組織が背後にいる可能性が高いという事だ。
「ふん、簡単に足取りが割れるならソイツは馬鹿だろうがな」
口を皮肉気に歪めグスタフは嘲弄する。
仮に盗掘が成功しても遺跡の中身。神代の遺物を有効活用できて初めて成功だ。足取りがバレれば追手が差し向けられる。その程度も考えずに衝動的に盗掘を行うなど軽挙どころではない。
「情報では遺跡の遺物はほとんど手つかずで残されていたようだ……それも解せん」
「私もそう感じました。神代の魔導機械の理論などに手を付けぬなら分かりますが、魔道具や装飾を放置するのは理解できません」
理論はそれだけでは机上の空論だ。仮に理解できても実証まで漕ぎ着けられるのは長い年月が必要になる。このセカイですぐに活用できるのはマギノマキナだけだろう。
それほどまでに他都市とは魔導機械に関しての土壌に差がある。
だが現物の魔道具や装飾は違う‥…。直ぐにでも活用できる物を放置する理由が分からない。
結論の出ない推測を幾らしても無意味とグスタフは話しを実務的な物に切り替えた。
「既にエルスティアに手勢は入り込んでいるな?」
「は、家族ぐるみでの移住といった形であの日から……グスタフ様が都市長になられる僅か前に送り込んであります。こちらの手勢と定期的に情報をやり取りする様になっておりますので問題ありません」
手勢とは【高位技師】や【考古学者】といったジョブに就いたマギノマキナの暗部を担うグスタフの手駒。
いざという時のために、他都市で神代の遺跡が発掘された時のため。エルスティアを始めとした都市国家に潜り込ませていた訓練を受けた間者の技能を持つ者達を指す。
マギノマキナのスラムにいた食うにも事欠く者たちをグスタフは密かに援助し、ウォンを始めとする直属の暗部に患者としての技能を叩き込ませた精鋭。
生きる糧と術を与えてくれたグスタフに忠誠を誓った猛者たちだ。
「エルスティアには魔導機械の基礎さえない。例え怪しかろうと彼らを使わざるを得ないはず。彼等なら遺跡の理論を理解できる。貴重な人員が無駄にならなかったのは喜ぶべきだろうさ」
時間はかかるだろうが、これでエルスティアの遺跡の情報を抜き取る事が出来る。後発だろうとエルスティアとマギノマキナでは技術力に雲泥の差がある。直ぐに競り勝つのは火を見るよりも明らか。勝負は有ったも同然といえる。
「潜り込んだ者たちには手を抜く必要は無いと伝えておけ。露骨に手を抜いたり研究が進まなければ不審に思う者が出てくるはず。
出世してエルスティア中枢に入り込むくらいの気概で仕事をするように伝えよ」
「畏まりました」
間者を使い捨てにするのではなく、先を見据えて指示を出す判断力にウォンは恭しく腰を折り返礼する。
(この方はここまで見通されていた……やはりこの方を都市長に推したのは間違っていなかった)
ウォンは心に感慨深い思いが込み上げてくるのを抑えられなかった。
先代の都市長であるグスタフの父ゼクスは優れた都市長だった。しかし腹違いの異母兄たちはゼクスの子とは思えぬほどの愚物であった。
それなりの能力こそあったが、誰もが強欲で傲慢。素行も悪く都市での評判は疎か家人でさえ眉を顰める者たちが後を絶たなかった。そんな時に生まれたのがグスタフである。
グスタフは幼少より聡明で礼儀正しく、誰とでも分け隔てなく接していた。何よりも十代半ばで【機械王】のジョブを獲得し、後半には【操機王】という【操縦士】系統のトップジョブを獲得した傑物。
誰もが兄たちではなく「次期都市長にはグスタフ様を……」とゼクスに求めていた。
そうなってくると面白くないのは異母兄たちだ。彼等は自分こそが次期都市長と信じてやまなかったからだ。前妻の一族も彼らの味方をグスタフを貶めようと動き出す。
それらの全てをグスタフは退けた。
しかし、それこそが悲劇に繋がってしまった。
グスタフを排除できないと悟った異母兄たちは、標的をグスタフの母ミレーヌと姉であるアナスタシアに移したのだ。
グスタフが心を許す二人を排除し、グスタフを精神的に追い詰めようと画策したのだ。とある暗殺集団に依頼し入手した【猛毒王】謹製の毒により少しずつ弱らせ、自然死したように見える猛毒を料理に混入した。
結果的にそれは成功した。
食事に混ぜられた無味無臭の猛毒によりミレーヌとアナスタシアは少しずつ弱り出し、日常生活さえ送れなくなってしまう。最終的にミレーヌは死に至り。
アナスタシアは一命を取り留めたが、生命維持装置なしでは生きられない身体になってしまう。
最愛の母と姉を襲った悲劇はグスタフを打ちのめした。
それによりグスタフは部屋に閉じこもりふさぎ込んでしまう。異母兄たちの目論見通りグスタフに精神的なダメージを与える計画は成功したといえるだろう。
だが、異母兄たちの命運はここまでだった……。彼等はやったらやり返されるという至極当然な考えも。自分たちが異母弟から憎まれている。その程度の事にさえ思い至らなかった。
グスタフは部屋でふさぎ込んでいたのではなく、母たちが倒れた経緯をウォン率いる部下に命じて徹底的に調べ上げていた。部屋に閉じこもっていたのはその方が相手も油断すると考えたから。
調べていくうちに異母兄たちの派閥が【猛毒王】から毒を購入したこと。家人を買収してミレーヌとアナスタシアの食事に毒を混入したこと。更にはここ数年のゼクスの体調不良も長年に渡り毒を混入されていたことまで突き止める。
すべての証拠が揃った時、グスタフは動いた。
最初に父であるゼクスに異母兄たちと前妻の一族が結託し、母と姉に毒を盛った証拠を付きつけた。長年病床にあり、実務の大半を親族に譲っていたゼクスはもはやベッドから起き上がる事さえ出来ないほど弱っていた。
真実を知らされたゼクスは嘆き悲しみ、同時に息子の悪行に怒り狂ったが自分にはもう時間が残されていない事も悟っていた。
「マギノマキナを守るために父上の命を戴きたい」
病床のゼクスにグスタフは決意を込め涙ながらにそう訴えた。
このままではマギノマキナが近いうちに崩壊すると聡明なグスタフは見通していたからだ。
異母兄たちは都市長代理を務めている叔父を篭絡し。自分の意に反する者たち、グスタフを次期都市長に推薦していた者を次々と左遷し。自分たちの息の掛った者に挿げ替え始めていた。
独裁や権力の集中が完全に悪いとは思わないグスタフであったが、それは非常時だからこその話し。
「平時に特定の者に権力を集中させるのは、個を増長させ暴君を生み出します」
ゼクスもグスタフと同意見であった。一度甘い汁を吸い腐敗した者は、その味が忘れられなくなる。都市長を務めてきたゼクスはそれを誰よりも理解していた。
だからこそ息子たちにも事ある毎に己を律するべしと伝えてきたが、理解してくれたのはグスタフだけだったようだ。
グスタフの眼に宿る覚悟と決意を見取り。ゼクスも覚悟を定めた。己の息子に修羅の道を歩ませる覚悟を……。
ベッドから起き上がり。最後に残された力でグスタフを都市長にする遺言書をしたためウォンに託した。
そして最後にグスタフに微笑むと、直ぐに表情を真剣なものに変え、挑むような眼光を宿した瞳を重荷を背負わせる息子に向けこう告げた。
「修羅の道を歩む覚悟はあるのか?」、と。
それに対してグスタフは言葉ではなく重く頷いただけ。だが瞳にはゼクス以上の覚悟が宿っていた。
グスタフに少しでも躊躇いがあるならゼクスはマギノマキナを託す気はなかっただろう。まっとうな手段でグスタフが跡目を継ぐ方法は無いのだから。
しかし、グスタフには覚悟があった。己の手を血で染める覚悟、『身内殺し』の覚悟が。
ならばこれ以上の言葉は無粋とばかりにゼクスは最後の言葉を紡ぐ。
「私の死を利用し、愚かしき者どもを罰すると共に腐敗を正せ。そしてマギノマキナを正しき方向に導いてくれ」
ゼクスはそれだけ伝えると、グスタフが証拠として提出した猛毒を一気に煽り生涯を終えた。
血を吐いて絶命した父を見やり、暫し瞑目したグスタフだったが。そこからの行動は拙速と呼べるほど迅速だった。
遺言の開示があるとウォンに主だった親族を集めさせ。自分を後継者に指名した遺言を公開。当然だが異母兄たちのみならず、他の親族もグスタフが都市長の座に就任する遺言に反対を表明した。彼らは異母兄たちによって篭絡され、それなりのポストを約束されていたからだ。
この場の全ては自分たちの支持者。それに胡坐を搔き、遺言を無視してグスタフを武力で押さえつけようとしたが……悪手でしかない。
グスタフの生家。マキナ邸はマキナ家の祖でもある【機械王】と親友であり都市国家マギノマキナの原型を築き上げた【建築王】の合作。
外見こそ只の屋敷でしかないが、中身は要塞といえるほどの特殊なギミックや防衛設備が多数仕掛けられている。もし魔物に侵攻された際にも、最後の砦として民衆が避難しても安全なように設計されていた。
機械のスペシャリスト【機械王】であるグスタフは、マキナ邸のギミックを完全に把握・掌握しているため。自在に稼働させることが可能となっている。
——つまりマキナ邸はグスタフの庭であり腹の中。一度入り込んだが最後、主に害意を抱く者は処分されるだけなのだ。
反抗した親族は……抵抗虚しく五分と経たず粛清され、物言わぬ骸となり果てた。
これがマキナ家の悲劇にしてマギノマキナの民衆において『血の粛清』と呼ばれている事件。
腐敗していたとはいえ血の繋がった身内さえ容赦なく処断したグスタフを【暴君】と呼ぶようになったきっかけである。
◆
〇<マキナ邸>
腹心と呼べるウォンさえも下がらせ、グスタフが向かった先はマキナ邸の心臓部とも呼べる地下空間。
機械で埋め尽くされた空間にある緑色の液体で満たされたカプセルまで足を進める。
中に入っているのは紅髪を腰のあたりまで伸ばした枯れ木の様に痩せこけた女性。だがこうなる前は絶世の美女だったことを誰よりもグスタフが知っていた。
今も無数の管に繋がれ生きているのかさえ分からない状態。このカプセルから出せば数分と持たず息絶えるほど儚き命がそこにはある。
それがグスタフの姉アナスタシアの現状である。
「ターシャ姉上……済まない。必ず貴女を治すから……もう少しだけ待っていてくれ」
カプセルの前に縋りつくように体を預け、グスタフは沈痛な面持ちで言葉を吐き出した。それは巷で暴君と呼ばれる男の漏らした、ここでしか吐かない弱音。
彼とて血の通った人間。親族を殺し民衆から疎まれ決して心が痛まぬ訳ではない。それでも重責を担っているのはマギノマキナを何を犠牲にしてでも守るという覚悟があるから。
それでも私情を挟む時もある。
「どうやら神代遺跡には俺が望んだ、姉上を治療できる技術はなさそうだ」
カプセルに寄り掛かる姿に普段の覇気に満ち溢れた男の面影はない。そこにいるのは年相応の青年でしかない。
グスタフが真の暴君であれば誰も付いてこない。しかしウォンやテオドールを始めとする強者たちが従い傅いているのは、情に厚く儚いながらも重責を決して投げ出さないグスタフの姿を知っているからだ。
エルスティアに出現した神代遺跡に刺客を送り込んだのはマギノマキナを発展させる目的もあった。だが真の狙いはアナスタシアを治療できる技術を求めたから。
神代文明はあらゆる病を克服した逸話が残されている。その技術が残されている可能性に縋ったが、芳しい結果にはならなかった。
「どれだけ手を汚そうが姉上を助けて見せる。その後なら如何なる裁きをも受ける。もう少しだけ待っていてくれ」
この装置に出来るのはあくまでも生命の維持。快復は見込めない。アナスタシアを救うには妖精の秘薬と称される『エリクサー』クラスの奇跡が必要。
方々に手を尽くしたが、エリクサーの入手は叶わなかった。だがグスタフに諦めるという選択肢は存在しない。
アナスタシアに別れを告げ立ち去ろうとした時、ふと頭の片隅に過ぎったのは先日のマギノマキナで行われた会議に上がっていた一人の冒険者。
「そういえば……スタンピードを収束した冒険者。シレンという名だったな。彼は何を望み心身をすり減らしているのだろう? 機会が在れば一度会ってみたいものだな」
会議ではシレンについて様々な議論がなされた。ある者は『自己顕示欲の強い目立ちたがり』。ある者は『自殺志願者』。またある者は『破滅思想を持つ危険人物』など。
散々な意見が多数を占めていたが、グスタフの見解は異なっている。
ファーチェスで間者から送られてくる情報を精査し、今回の一件と結びつけた結果。
『シレンという男には何が何でも成し遂げたい目的がある』そう思えてならないのだ。
【覇王】と【機械王】。異世界より来訪した異物とこの大陸が生み出した天才。彼等の邂逅はまだ少し先の話しである。




