黒田さん
人面瘡を見たくはないかと、黒田さんは尋ねてきた。
僕は、見たいと答えた。退屈だったからだ。
2009年、夏。蝉の声が騒がしくなり始めた、7月の初旬頃。
N市立総合病院の小児科。そこの南病棟7階が、僕、玄田智紀の居場所だった。
誕生日を迎えたばかりの13歳で、中学1年生。僕は一足早い、中学最初の夏休みを噛みしめていたというわけだ。手すりにかけてある雑巾の味がするような、乾いた休暇を。
教室の窓から飛び降りて足を折った親不孝者には、当然の報いかもしれなかった。
「ねえ、少年」
そんな、一面の砂漠を彷徨っていたような僕の目の前に、蜃気楼のごとく、彼女は姿を現した。僕と同じく入院着を身に纏った女性。長い髪の人だ。それに、恐ろしいほど美人。
年は二十歳くらいだろうか。大人の、女の人。
僕は、大きく目を見開いた。どうして。そう訊こうとして、上下の唇を離した。舌の先で湿らせた唇が、吸い込まれた空気に触れてヒンヤリとした。
だけど、僕は疑問を口にすることはなかった。彼女の次の一言は、もっと衝撃的で――。
「人面瘡を、見たくはないかい?」
刺激的だった。
「人面瘡……」
知っている。傷が膿んで、人の顔のようになったモノ。醜い瘡。昔から怪談話の題材にされることも多い。
「そう。私の」
なんでもないようにお姉さんは言った。
「私、人面瘡で入院しているの」
得たいの知れない女の人。怪奇じみた誘い。どう考えても普通じゃない。そもそも、どうして小児科病棟に大人の人が。
彼女は僕の当然の疑問を察したらしい。うっすらと微笑を浮かべて、答えてくれた。
「今、一般病棟に空きがないらしくてね。それに、昔から、この病院にはお世話になっているの。そう、ちょうど智紀くらいの年の頃から」
彼女がここに居る理由の真偽も、どうしてか僕の名前を知っていたことも、正直言ってどうでもよかった。それらに関係なく、僕は彼女に惹かれ始めていたのだ。退屈だけじゃない何かが、僕にそうさせていた。
「私は黒田って言うの。字はこう」
そう言って、彼女は僕が解いていたクロスワード・パズルの雑誌に、名前を書いた。『黒田美月』と。彼女の、腰までもある漆黒の髪が、はらりと揺れた。
黒田さん。
「僕は……玄田智紀」
「うん」黒田さんは呟いた。「友達ね」
「あの、黒田さん」
なに。と彼女は目だけで、優しく続きを促した。
「僕は。代わりに何をしたらいいの」
その瞬間、神をも虜にするような妖艶さで、彼女は微笑んだ。
――僕らは奇妙な約束をした。
黒田さんに人面瘡を見せてもらう。代わりに、僕は彼女の怪談に付き合う。