プロローグ
鏡の中の私が、私を見つめ返している。
長い睫を従えた切れ長の目。黒曜石のような静かな輝きを放つその瞳と、私は数十年近くもの間、向き合ってきた。重ねた年月は、宝石のようなそれをよりいっそう磨き上げたようだった。
視線を少し下げる。ツツと鼻梁を下っていくと、口紅をささなくとも赤い、小ぶりな唇にたどり着く。
しかし人の目を最も惹くのは、やはり長い黒髪だろう。艶やかで、枝毛一本もないそれは、蛍光灯の光を反射して、天使が持つような輪を浮かび上がらせている。黒い絹と形容されたこともあった。
いや。もうやめよう。自分の顔を見つめるのが、今更ながら気恥ずかしくなって、周りを見渡すことにした。
私が今居るのは、とある理髪店。バーバーチェアに座って、店員を待っている。彼はなにやら用事を思い出したらしく、私を席に案内してすぐに離れてしまった。小さな店だ。他に店員はいない。
鏡の手前に洗面台があって、その横の棚にはシャンプーやクリーム、カミソリが所狭しと並んでいる。そこに、何やらメモが貼ってあるのを見つけた。
『黒田様 15:00からご予約』
思わず苦笑する。確かに、電話で予約しただけだったけれども。客の目に付くところに貼るのは如何なものか。
と、やっと足音が聞こえてきた。宙ぶらりんの時間の締めくくりに、私はもう一度鏡の中の自分と目を合わせ、軽く微笑んで見せた。
「お待たせしてすみません、黒田さん」
理容師の男が戻ってきた。額には玉の汗。少し抜けたところがあるようだけれど、真面目そうな青年ではある。そもそも、腕前がどうであれ、今日は関係あるまい。注文は伝えてある。あとは任せるだけだ。
私は目を閉じた。十年前に想いを馳せる。病院での、二人だけの時間。まぶたの裏に、あの懐かしい日々の光景が、まるで昨日のことのように蘇ってくる。
鼓膜をくすぐるのは、いくつかの怪談話。