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母を殺した経緯  作者: ?
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一月九日

 朝起きたらリビングに父がいた。

 父は「おはよう」と言って、朝食を出してくれた。

 父は僕のこと憎くないのだろうか。殺したくないのだろうか。

 

 父は優しくしてくれる。


 誰かいる。それだけで、何かが違う。胸が熱くなって、パンが喉を通らなかった。

 食べるのが辛かった。だけど、一生懸命食べた。

 一生懸命食べるってなんだか馬鹿みたいだけど。


 時間を見たら11時だった。

 久しぶりに僕は長く眠っていたらしい。


「外に出ないか」

 父がそう言ったので、僕はついていくことにした。


 久しぶりに見る景色。風の香り、人の笑い声。コンクリートの歩道、太陽の光の白、温もり。

 父と散歩する風景の中にはどれも母との思い出が宿っていた。

 ベンチにもスーパーにも学校にも交差点にも駐輪場にも。

 公園のベンチに座ると、僕と父は泣いた。驚くほど涙は自然に流れた。人前で泣くなんていつ以来だろうか。

 どういうわけか昔のことばかり思い出されて、胸が苦しかった。


 過去の全てに謝りたいと思った。

 ここで遊ぶ幼い日の自分にも、母にも父にも。

 

 全部、僕が壊した。ごめんなさい。謝ったところで何一つ戻らないが。

 もし時が戻せるなら、そんなこと思った。

 でも、そんなこと考えてはいけないだろう。


 回転寿司で昼食を食べた。ここは家族でよく来たところだから、やっぱりちょっと悲しくなった。

 その後も、街を見てまわった。

 父とこうして散歩していると、なんだか小学生の頃に戻ったようだった。

 大切な時間はいつまでも続くようで、あっという間だ。

 気付けば、日が暮れていた。


 家に帰り、夕飯に寄せ鍋を食べた。

 ただの鍋なのに、父が作るものは、母が作るのとはやっぱりちょっと味が違う。

 他愛のないことを話し、僕は風呂に入った。

 風呂場にはまだ血の染みが残っていた。

 流しても流れないのだろうきっと。


 明日、警察に行く時間等を話し、父は寝室にいった。

「おやすみ」と僕は言った。


 僕はしばらくテーブルの前に座って、考え事をした。

 暗闇のキッチンに母の後ろ姿が見えるような気がした。


 これが、最後になるだろうからあの日の事を書きたい。

 僕が母を殺してしまった日の事を。



 1月3日は毎年親戚が集まり、新年会をやる日だった。

 僕等は久しぶりに家族に戻って、そこに参加した。

 親戚の人達は皆面白い人達だから、食事をして話すだけでも、僕はすごく楽しかった。

 父と母も嬉しそうに見えた。

 周りから家族のように扱われ、僕たちは本当に家族に戻ったみたいだった。

 父と母も仲の良さそうに話していた。

 こっちが本当なんじゃないかと思った。

 現実が嘘で、こっちが本当なんじゃないかと思った。

 ただの願望だったのかもしれないけど。


 お祭り騒ぎが落ち着いて、皆が少しづつ片付けを始めた頃。

 父は話があると言って僕を呼んだ。

 僕たちは二人で外に出た。


 父の話は単純だった。

「金を貸してほしい。1月が終わればすぐ返せるから」


 別に驚かなかった。

 この時代に父のような職種の自営業が今まで通りやって行ける訳がなかった。不快感もなかった。しょうがないことだと、そう思っていたし、なにより父の力になりたかった。

 僕はもらったばかりのお年玉と、コンビニで少しお金をおろして父に貸した。

 父は申し訳なさそうに受け取った。

 少し、可哀相だった。


 帰り。

 父とは駅で別れた。

 母と地元に着いたときには、もう夜だった。

 静かで、どこか懐かしかった。

 

 家に着いて、僕と母は自然と同じ所にいた。

 今日なら自然と話せる、そんな気がした。


 日をまたいで、僕と母は話した。

 楽しかった。嬉しかった。

 そして、お年玉の話になった。

 確か、「二十歳なのに、今年ももらえてよかったね」とそんなようなことだったと思う。そんなことを母は言った。

「ポケットにいれたまま洗濯しないでよ」

 母は笑った。


 ずっと昔、僕が間違ってそれやってから母は毎年これを言う。母の中でいつまでも僕は幼かったのだろう。

「今年は大丈夫だよ」と僕は言った。でも、言い方が悪かったかもしれない。”今年は”という言葉で母は何か察した。


 母の顔が真剣になった。

「どこにあるの?」と母は僕に問い詰めた。

 これは嘘をつけないと思った。いや、つきたくなかった。

 今の母なら真実を話しても大丈夫なはずだと思った。

 母を確かめたかった。

 金を、父に貸した事を話した。


 そして、期待は虚しく弾けた。

 母は人が変わったように怒鳴った。

「どうして、あんな人に貸すの。」

「あんた馬鹿じゃないの。お金戻ってこないわよ」

 そんなことを言った。

 僕は分からなくなってしまった。感情が高ぶって、押さえらつけられなくなった。

 ただ、許せなかった。


 母の顔が気が違っているように見えた。醜悪に見えた。

 この人は、全てが嘘で、全て自分の欲望のために利用している。

 ただ、血のつながりがあるだけで、そんなものに自分はずっと


 その時の感情は整理できない。

 こんなことは始めてだった。ただ強く、許せないと思った。


 僕は母に怒鳴り返した。

 口論になった。


 そこから先は、あまり覚えていない

 母が何を言ったか、僕が何を言ったか、あまり覚えていない。

 ただ、最後に僕が言ってしまったことははっきり覚えている。

 忘れたいのに、覚えている。


「卑怯だ」

 僕は言った。

「お前は父のせいにして別れて、本当はお前が他の男と付き合いたかっただけだ。父の世話するのがめんどくさくなっただけだ」

 僕は言った。


 

その瞬間、時間は止まったように固まった。あの時の母の顔。

やがて、母は泣いた。唇を噛み締めて堪えようとしたけど、我慢仕切れず鳴咽を漏らした。母は崩れ落ちて、糸のない操り人形のように座った。

 僕は激しく後悔した。人を壊した。人を壊した。


 家を出た。

 公園の木の影にずっと座っていた。


 何分間そうしてたんだろう。何時間そうしてたんだろう。

 時間の感覚はない。


 体が異様に冷たくなって、

 母に謝ろうと思い家に帰った。


 母は同じ椅子にボケっと座っていた。

 僕が部屋に戻っても何も言わなかった。

 僕は母に謝った。

 母は頷いた。感情なく、こちらを見ることもなく。

 僕はまた謝った。でも、今度母は頷きも、しなかった。

 その瞬間、僕はなんとなく悟った。僕と母の関係はもう壊れたのだと。二度と戻ることはないのだと。僕らはもう上辺だけの血縁関係で本当の親子でなくなった。


 台所に水を取りにいった。

 水に沈められた食器のなかに包丁が倒れている。


 僕は包丁を持って母のほうへ歩く。母は振り返り、突然いすから転がり落ちて地面にへたりこんだ。

 母を見た。母は今まで見たことのない顔で僕を見た。

 母は背を向けて、這いつくばって、逃げようとした。

 その瞬間、僕は飛びかかって母の背中を刺した。


 包丁は簡単に刺さった。

 感触なんてほとんどなかった。


 母が悲鳴をあげた。僕は反射的にもう一度刺した。

 あまりに軽すぎる。自分が何をしているのか分からない。

 なんで?

 わからないまま、また刺した。

 母を三回刺した。


 母はだんだん柔らかくなっていった。

 僕は母の口を押さえていた。

 母の体が地面に落ちても、僕は母の口を押さえていた。包丁と母の口を。


 死んだ。死んだ?

 殺した、母を。

 そうして、母を殺した。


何故、よく分からなかった。

何故、何故。

動かなくなった母を見下ろしながら、頭の中でずっとグルグル回っていた。何故?何故。何故、何故、こうなった?こんなことをした?何故、何故。


 母さん、今見えないそのキッチンの影にあなたがいれば。

 その襖の向こうにいつもどうり眠っていたら。

 ここの風景は変わらない。

 母さんがいた時も、今も。


 ただ、襖を開けてもあなたはいない。

 キッチンの影から顔を出すこともない、二度と。


 それでも、ここの風景は変わらない。母さんがいても、いなくても。

 だから、僕は待っていたのかもしれない、

 いや、これも嘘なのかな。


 殺した時も、3回も刺した時も、確かに僕は僕だった。

 そして、今も。母の面影を探しているのも。

 

 じゃあ、僕は誰なのだろう。

 同じ人間なのだろうか?


 もう考えない方がいいかもしれない。

 考えると、また、何も分からなくなる。




 最後に。

 僕は、母を殺しました。そして、殺した母を隠して自分だけ生き抜こうとしました。

 

 何故、僕は母を殺したのでしょう。今まで母が繋いで来てくれたこと、母との思い出。それがわずか数十秒のうちに全てただ悲しいものに変わりました。包丁に少し力を押し込めただけで、僕と母はこの世から消えました。


 今になって、何故か母との思い出が溢れてきます。


 母の料理をする姿を眺めていたら、笑って味見させてくれたこと。

 誕生日に百円の指輪を買ってあげたら、母が泣いて喜んだこと。運動会で父が肉離れを起こして一緒に保健室で看病したこと。

 韓国ドラマにはまっているのを父とからかったら拗ねて夕飯を作ってくれなかったこと。

 小さいとき、家族で野球したこと

 食べるのが遅い僕を眺めているいつもの風景。


 ほんの些細なこと、大切なことを、どうしてあの瞬間に思い出せなかったのだろう。僕は一瞬の激情で全て壊してしまった。


 今日、公園でおばあさんと、車椅子を押す男の人が楽しそうに話している風景を見ました。

 僕らにもあんな未来はあったのでしょうか。


 母を殺してから、僕は何も見えなくなりました。混乱し、混乱し。


 そんななか僕はこの文章を書き出しました。何故書くのかも分からないのに、誰かに聞いてもらわずにはいられなかった。

 訳もわからずひたすら書いて、自分の汚さをただただ晒して。

 でも、父が来てくれたときに気づきました。


 僕は自分の汚さをさらすことで、助かろうとしていたのです。

 僕は自分を貶めることで、周りに罪をあてつけていたのです。

 自分が汚い、自分が汚い。そう言うことで、自分を守っていたのです。


 僕は助けてもらいたくて、必死に自分のしたことに対する言い訳をしていたのです。ずっと。


 父が来て、泣いて僕に謝ってくれた時。僕は初めて自分が犯した罪に気づきました。自分の弱さこそが母を殺したのだと知りました。それまでは、分かってるふりをしていただけなのです。


 そして、父のおかげで母を思い出すことが出来ました。だけど、それは悲しくもあります。

 

 美しい思い出を見る時。母を思い出す時。幸せな未来を想像した時

 僕は僕の罪をまた味わいます。自分の犯したことをまた知ります。

 思い出が僕を刺します、それは多分いつまでも、きっと。


 何をしても、罪が償われることはないでしょう。

 罪はいつまでも罪でしかない。

 何故なら何をしても、結局殺してしまった人は戻らない。

 決して取り返しはつかないのです。

 

僕は死にます。

 紐を結ぶ手が震えてなかなか動きませんでした。死ぬのはとても恐いです。

 だけどもうそれ以上に生きるのが恐いのです。


 皆さんは、僕のようにはならないでください。周りにある些細な幸せを忘れないでください。一瞬の過ちが全てを無くすこと忘れないでください。

 

 人殺しの僕がこんなことを言う資格はないのは分かっています。でも、言わせてください。これだけが僕の命の言葉です。生きて得た言葉です。


 そして、それが僕が書いたこの文の意味になってほしいのです。


 父さん、ごめんなさい。母さん、ごめんなさい。


 さよなら。

 おやすみなさい。


 どうか、お幸せに。

 そして、ごめんなさい。



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