一月八日
1月8日
起きました。
また、新しい日が始まるようです。
僕にとっては何も変わらない日々ですが。
そろそろ、僕も限界のようです。
昔、外に出られていたことが嘘のように全ての窓が扉が閉じられています。もう、僕は死ぬまでこれを開けることはないのではないでしょうか。今はもう、近づくのすら億劫です。
鏡を見たら、知らない顔がありました。
僕でした。本当に最初見た時自分すら分からないほど窶れていました。
頭に変なブツブツが出来て、痛いです。ニキビみたいなものなのでしょうか。
風呂には入ってません。母の血を洗った浴室で体を洗う気になれません。
ベトベトしてて気持ち悪いです。嫌です。汚いです。身も心も。
ストーブが切れて閉まったので、ずっと毛布に包まっています。寒いです。
昨日の続きを書きましょう。これだけが今、僕が僕を保てる時間ですから。
父が家を出たあと、母は少しずつ変わりました。
母は家事をあまりしなくなりました。毎晩、ちゃんと作っていた料理も、お茶漬けだとか、カップ麺だけで済ますことが多くなり、掃除も、あんなに綺麗好きだった母なのに殆どしなくなりました。
今まで、父によって押さえ付けられていたことへの反動とここ最近のストレスが重なって、おそらくこうなったのでしょう。
僕は少しの間、母を楽にしなければと思い。料理や掃除をなるべくするようにしました。
それが、一時的なものなら良かったのですがどうやらそうはなりませんでした。
昔は仕事が終わるとすぐに家に帰って来た母ですが、この頃からだんだん帰りが遅くなり、たまに朝帰りの時もありました。
母は「会社の飲み会」と言っていましたが、僕は疑ってました。
昔の母からは想像できない、遊び癖が、母にはついたようでした。
でも、これはいいことなのかもしれない。母も少しは遊んだほうがいいのかもしれない。今まで家に奉仕して来た分、母には自由にやる権利がある。僕は、そう思って母には何も言いませんでした。
だけど、本当は母を少し信用できなくなっていました。あの真面目で、お固い、だけど優しい母が。僕のなかで少しずつ、壊れていきました。
母は僕も邪魔なのではないだろうか。父がいなくなった今、母が邪魔に感じるのは僕なのではないだろうか。
そんな恐怖が日常にまとわり付くようになりました。
僕が家事をするようになったのも、実はそれが本当の原因だったかもしれません。母を楽にしてやりたかった、僕はまだ、そんな嘘を書くのですね。
その影響もあってアルバイトを本格的にするようになりました。
もともと裕福ではないわが家でしたが、父の引越や僕の学費などが重なり生活が苦しくなってきたと母に言われたのです。
僕は夜勤のコンビニのバイトを初め、昼は学校に行きました。寝るのはほとんど学校でした。母と顔を合わせることも少なくなりました。
12月の中頃、風邪を引いたのでコンビニのバイトを休み、母も珍しく早く帰って来ていて、久しぶりに二人で長くすごせる時間が出来ました。
いい年して馬鹿みたいですが、僕は少し嬉しかったです。久しぶりに母とちゃんと話したい、そう思いました。
だけど、どうしても、どうあがいても僕と母の会話はどこか形式的で、昔のようにはなりませんでした。
母はどこか他人行儀で白々しい感じがしました。
母から見れば僕もそうだったのかもしれませんが。
僕達はぎこちない会話を続けました。僕は不安でした。めんどくさがられてはいないかと。そして、イラついていました。
どこかに逃げ出したい、この感情を気どられるのも恐ろしかったです。
僕は母を喜ばせたくなって、ふと思い付いたことを言いました。
「最近、使うお金減ったから、もう少し家にいれられるよ」
「いくら」と母が言いました。
「2万円くらい」
母は喜びました。
この日、始めて僕は母が素直に喜ぶ顔を見た気がしました。
でも僕はその時急に空しくなりました。
お金の話で母を喜ばせようとした自分も嫌だったし、それに喜ぶ母も嫌だった。
そしてこの時、僕のなかで一つ疑念が浮かびました。
母にとっての僕の存在価値は金なんじゃないかと。
気付いたのか母はすぐに「でも、あなたのお金だから、そんなに無理しなくてもいいから」と付け足しました。その後も似たような事を何回も言いました。
だけど、全てが言い訳じみてて嫌でした。
母を信用できなくなりました。
あまり、喋らなくなりました。
辛いのは、金の話なんかで母を避けたことです。
辛いのは、馬鹿にしていた金に抗えなかったことです。
辛いのは、誰も信じられなかったことです。
辛いのは、すべて疑ったことです。
辛いのは、今更後悔しても無意味なことです。
辛いのは、金のことなんかで母を殺したことです。
12月25日はバイトを休んで家にいました。
僕もそうですが、母もこの日一人でいるのは寂しいだろうから。
ケーキを買って待ってました。ずっと。
だけど、結局母は帰ってきませんでした。
僕のなかでの母への疑いが確信に変わりました。
アイツは父と別れて他の男といる。僕に隠して。
孤独になったのは、僕だけ。
そんな考えがまた頭に貼り付くようになって抜け出せなくなりました。
そして、新年。
プライドの高い両親は世間体を気にして友人はもちろん、親戚にまで別居の事実を隠していました。だから離婚という選択肢を、二人はとらなかったのです。
でも、よくご近所さんに「最近、お父さんどうしたの?」と聞かれるようになりました。それまではそんなこと聞かれたことなかったのに。
僕は「最近忙しいみたいで」と答えるのですが、その度この人達は全てを知っていて僕らを馬鹿にしているのではないかと感じました。
母とご近所さんが話している時も僕はそんな気持ちになります。
母さんとご近所さんは笑いながら、楽しそうに話しているけど、ご近所さんの目は、口元は、口調は明らかに蔑みを表していました。
馬鹿にしてるなら笑うなよ。
軽蔑してるなら声なんかかけるなよ。
いい人面して人の心をえぐるなよ。
人の汚い顔が、人間の本性がやけに目につくようになりました。
汚い。
汚い
誰が。本当は誰が汚い。
人を殺した僕が、何を言えるのだろうか
汚いのはお前の目だろう。お前が汚いから、全てが汚く見えるんだろう。
今、急に電話がかかってきた。
父から。
「お金、工面できたからやっぱり返す」と。
僕は母を殺したことを話した。
父は、今からくるそうです。
恐い。
父も殺そうかという思いが一瞬頭によぎった。
恐い。恐い。
来ないでくれ