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12.23 甘露会

今日は冬至だ。早朝新聞を広げると地方版に写真が出ている。

よく見るとどこか見覚えがある。山科の福祉協議会から表彰を受けたとのこと。


実はこの方私が学生部の頃何度も仏法対話をした方で

その後入信し今は山科の本部長!うれしい限りだ。すぐに祝電を送る。


この記事の下の欄にも写真がある。あ、あの地区幹事だ。

前の地区の拠点の主。日本写真展入賞とある。


これまたすごい。写真が趣味で前から拠点には写真が一杯掲げてあった。

一般の写真展では20数回入賞されてはいたがついに全国展で入賞!

うれしいなみんな知ってる人ばかりだ。


明日いよいよ40年ぶりの甘露会総会だ。当時の学生部第2部の同窓会。

あの時私は海外3年の旅から帰国し復学したばかりの嫁さん持ち。

入信し100日目に学内の新入生歓迎会で泥酔運転片目失明。

弘教拡大の戦いの中で友人が自殺。長女誕生。とんでもない2年間だった。


当時のことは「清水坂下物語ー山狩り」に詳しく書いてある。

甘露会の名付け親は私だ。諸法実相抄のなかに、


『現在の大難を思い続くるにも涙、未来の成仏を思うて喜ぶにも涙せきあえず、

鳥と虫とは泣けども涙落ちず、日蓮は泣かねども涙ひまなし、この涙世間のことにはあらず、

ただひとえに法華経の故なり、もししからば甘露の涙とも言いつべし』とある。


ここからいただいた甘露会!一応用意はしていったが発表する間はなかった。

今回の発起人は府立医大のYくん。このYくんと京大のSくんと私の3人には

共通のトラウマがある。自殺山狩り事件だ。一生抱え込んでいくんだろうな。


京大会には泥酔事故失明で多大の迷惑をかけた。当時私は先輩に食って掛かっていた、

「『行解すでに勤めぬれば三障四魔紛然として競い起こる』とありますが何も起こりません。

私の実践はまだまだなのでしょうか」生意気なもんだ。そして失明が起こった。


泥酔状態で帰りの車を運転直径30cmの真新しいコンクリートの電柱に激突大破。

後1㎝ずれていたら即死だったそうだ。血だらけのまま3日間気絶していた。

ブーンと言うお題目らしき音で目が覚めた。


あとでわかったことだが換気扇の音がお題目に聞こえ私は蘇生した。

その日スケート場で転倒し担ぎ込まれた学生がご両親の目の前で死亡した。

私は生かされた。転重軽受の法門。開目抄、


「身子が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼のバラモンの責めにたえざる故」

私は片目で済んだ。増上慢の私を完膚なきまでに打ち砕いてくれた。

一生これで行こうと腹が決まった一瞬でもあった。


甘露会の発足後卒業して友人と会社を興し何とかハワイ社員旅行するまで発展。

しかしバブルの終焉と共に倒産し経理担当の私が矢面に、やっと整理が済んだころ

あの阪神淡路大震災。そのさなか受け取った電話が、

「こちら映画村ですが店舗の空きが出ましたのでやりませんか?」


それから映画村で19年間、7坪の北山杉表札専門「きりもんじ」を展開。

最後の8年間は毎年上海へ。そして3年前円満撤退し撮影所俳優会館の管理人に。

倍率30倍の府営団地に当選引っ越し現在に至る。


43年ぶりの甘露会、それはタイムスリップした昔の儘の甘露会だった。

総勢50名ほど。ただ残念なことが一つ。一番世話になった松本さん、

インドで撮影班でお供した民男さん、先に行って場所取っといてください

そのうち霊山でお会いしましょう!


年の暮れ、毎年恒例の東京ディズニーランドに行ってきます!

皆様方、よいお年を!


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