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異世界の変わった従業員

異世界の変わった従業員 1

 朦朧もうろうとする意識の中で感じたものは、ひりひりと肌に感じる痛みと、砂を踏みしめる足音。

波の音が聞こえた気がしたが、それがどこであったのかは分からない。




 朝が来て、私はさっきまで別の世界にいたような感覚のままベッドを出る。

一人で住むには広めの、大人な雰囲気の内装や暗い色の家具が並ぶこの部屋は、私の趣味じゃない。

まだ外は薄暗い。静かな室内でごそごそと荷物から動きやすい着替えを取り出す。

壁に掛けた小さな鏡に映るのは、黒い髪と黒い瞳の少し陽に焼けた肌の、まだ若い男だった。


 二階にある部屋から出て階段を降りると、仕事仲間のトラットが待っていてくれる。

「おはようございます。ハートさん」

「おはようございます、トラット。やめてよ、さん付けは。そっちが先輩なのに」

私が住み込みで働いている店の仲間だ。

「あ、こらっ。しっぽは触るなっつってんだろ!」

うん、トラットには素敵なしっぽがある。そのフラフラする様を見てると。

「ごめん、つい、ね」

私には無いのでうらやましい限りだ。

「しょうがないなあ。ほら行くよ」

ぴこぴこと茶色の毛の生えた、頭の上の三角の耳を動かしている彼は犬っぽい獣人である。

 彼と、裏口から外へ出る。そこは、町の繁華街の裏手にある、馬車の溜まり場に使われる空き地だ。


 そこには、店の調理場をまかされている禿げ頭のおじさんが待っていた。

このおじさんの言うことを守らないと食事にありつけない。昔は兵士だったというさいのような獣人だ。服の中には硬い筋肉が詰まっている。物理的にも勝てないので、言うことを聞くしかない。

トラットと二人で挨拶をする。

「今日もよろしくお願いします、サイガ先生」

「ああ、よろしくな」

木剣を渡され、朝の鍛錬が素振りから始まる。




 ここは海岸と山に囲まれた港町だ。私はここへ来て二年になる。

正確な暦は分からないが、この町の名物だという年に一度のお祭りを二回見たから、多分そうだろう。

 

 私の名前はハート。でも、本当の名前は分からない。

私にはこの町へ来る前の記憶がほとんどない。年齢は分からない。まだ若いがおそらく成人だろうと思われる。

二年前、私はこの町の海岸で、瓦礫といっしょに打ち上げられていたところを漁師で、熊のような獣人のおじいさんに拾われた。その前日が酷い嵐だったそうだから、船が遭難したのかもしれない。

生死の境を彷徨い、ようやく意識が戻った私の口から出た言葉は、この辺りの言葉ではなく、周りのみんなの話している言葉も分からなかった。 私は誰とも話せず、誰の話も理解できず、ただ毎日ぼんやり海を眺めていた。

 そんな私に、命の恩人である漁師のおじいさんが名前を付けてくれた。

『ハート』

意味は分からないが、私は何だか、この名前が気に入っている。



 

 

 今、私が働いているのは、繁華街の大通りからひとつ外れた道にある、一風変わった飲食店だ。 

今度はちゃんとした従業員用の服に着替えて、調理場の隅でサイガさんの作る朝食を食べる。

「いただきます」

私には食事の前と後に何かを唱える癖がある。

もうトラットもサイガさんも慣れたので何も言わないが、初めて見た時はやっぱり変に思われた。

「ハートのそれは、何かの魔法とかじゃないのか」

この店のみんなは、私が最初この辺りの言葉を理解出来なかったことを知っている。

「魔法?、そんなものあるんですか?、サイガさん」

「あ、あるよ、たしか」

トラットが答えてくれる。あまり一般的ではないが、確かに魔法を使えるという者はいるらしい。

「でも俺達にはあんまり関係ないよ」

魔法を使えるというだけで高給取りになれるのだそうだ。うらやましい話だ。

「トラット。口に物を入れたまましゃべるな」

毎日の食事も一応マナーの練習を兼ねているので、トラットは注意を受ける。

話のきっかけを作ったのは私なので、謝罪の意味も込めて、トラットの皿に好物のハムを半分乗せてあげる。にっこり笑ったトラットのしっぽがうれしそうに揺れていた。



 そう、この町の住人のほとんどが獣人である。

耳や、しっぽや、手や、羽や、いろんなものが私とは違う。

私には何もない。


 食事が終わると後片付けをトラットに任せる。

「いつもごめんね」 

「あー、構わないって、これは俺の仕事だから」

トラットはまだ未成年であるため、掃除や荷物運びなど、裏方の仕事が多い。

私もこの店に来たばかりの時は彼といっしょに下働きをしていたのだが、今は違う仕事に回されている。

 私は二階のオーナーの部屋へ向かう。

この店は二階建で、その中央に位置するオーナーの部屋には、秘書のフォルカさんという狐のような耳とふさふさしっぽの女性がいた。

「さっそくだが、これを頼む」

「はい、分かりました」

私はここで文字や言葉を教えてもらうついでに、簡単な計算や雑務を手伝っている。


 まだ下働きの頃、トラットと買い物に出た時に数字を教えてもらった。

その時、私が簡単に釣り銭や値段の計算をするのを見たトラットが大袈裟に騒いだせいで、秘書さんに目を付けられたのだ。

「言葉は分からなくても、これくらい出来るだろう」

と帳簿を見せられ、少しづつだが店の内情が見えてくる。

必要な文字だけを手早く覚え、積み上げられた伝票を片付けていると、目を丸くされた。

それから三日に一回ほど、朝食後から昼過ぎまでここに監禁状態である。

昼食はサイガさんが作ってくれたパンに総菜を挟んだものを片手に、書類を読む。

分からない文字や単語はすぐに秘書さんに教えてもらえる。 

お陰さまでこの店に来て約一年。まだ読み書きは完璧とはいかないが、会話に必要な言葉はしっかりと叩きこまれた。


 適当な時間に秘書さんの手から逃れて部屋に戻り、昼寝をする。

仕事は夕暮れからが忙しい。

「ハート、時間だよ」

トラットが部屋へ起こしに来てくれる。

「ありがとう、じゃ行くか」

接客担当の従業員は、開店前に必ず近くの湯屋へ行く。

戻って身支度を整えると、寝ぼけた頭がすっきりしてくる。



 私はこの店の、古風で西洋風な外観が好きだ。周りの雑多な飲食店とは少し違う。

高級過ぎず、低俗でもなく、落ち着いた雰囲気がある。馬車が走る石畳の町並みにも似合っている。

 一般的な店ではないのは入口の重厚な扉が示している。

観音開きの扉をあけると、すぐに吹き抜けのホールがある。広さは学校の教室くらいだ。

そのホールには丸い、二、三人用のテーブルが六つあり、立食用で椅子はない。

左側には仕切られたテーブル席が三つ。こっちは四人ほどがゆったり座われるソファである。

右側は、サイガさんの縄張りのカウンターで、壁の棚にはグラスや酒類の瓶が並んでいて、壁の裏には調理場。

二階は吹き抜けを囲むように、入口以外の三方、コの字型に手すり付きの廊下がある。

その二階の廊下の中央の大きな扉がオーナーの部屋。左右に三つづつの扉があり、その一つが私の部屋だ。


「さあ、そろそろお客様がいらっしゃるわ。お出迎えの用意をしてちょうだい」

羊のような、やわらかな巻き毛の女性のオーナーのウウルさんが、ホールの中央に立ち、パンパンと手を叩く。

二階の六つの部屋の扉が開く。


 一番人気の白い髪の狼っぽい青年は、何故か眼鏡をかけたインテリ風。

 その隣には鍛えられた体を見せつけるように上着の前をはだけた豹柄の服の青年。

 柔らかな物腰の黒い艶やかな肌の年長の青年は神秘的な銀色の瞳をしている。

 美しい青い色の羽を背中に折り畳んでいる青年は、美しい声を持つ。

 ひょうきんそうな眼差しで、長いしっぽを揺らす猿っぽい獣人の小柄な青年。

 そして、六番目が私だ。


「人型なんて珍しいよな」

「この辺りでは滅多に見られませんからね」

「ちょうど一部屋開いてたし」

私が接客に回されたのは、珍しい『人間』だったからだ。


 店の扉が開かれ、女性達が訪れる。

煌びやかな衣装でめかし込んでいるが、当然彼女達にも特徴的な耳やしっぽがあった。

入口には用心棒を兼任する獅子のタテガミを持つ獣人が目を光らせる。

接客係の私達六人を中心に、トラットを含め、給仕係の獣人達が動き出す。


 さあ、今日も私達は女性のお客様に夢を売る仕事に従事する。

「いらっしゃいませ、こんばんは。貴女にお会いできて光栄です」

先輩従業員達の接客を見ながら、私は何かを思い出す。

 こんな店は、えーっと、なんていうんだったかな、うーんうーん。

あ、そうだ、確か「ホストクラブ」っていうんじゃなかったっけ。

うん。どういう意味かはよく分からないけど、なんとなくそういう名前が浮かんだ。

 それに、この町で目覚めた時からずっと不思議に思ってることがある。

あのさ、私、なんで男になってるの?。……確か女性だったはずなのに。


         〜完〜

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