08
「ズッカール、湿地側の出口を塞いであと一回だけ炎を出せるか?
威力は最弱でもいい、そのかわり部屋全体を覆って欲しい!」
ザンジが魔石をズッカールに押し付けて言った。
「それくらいならなんとかやってみよう!」
「旦那!早くなんとかしてくれ!!」
比較的ダメージの少ないリザードマンは、手斧や長剣で足元の氷を砕くと襲い掛かってきた。
メッサーはギリギリ食い止めてはいるが、時間の問題という所であった。
「よし!準備出来たぞ!!」
部屋の出口は『氷壁』で塞ぎ、ズッカールは炎の詠唱を唱え終わる。
「じゃ、後は頼んだ」
「えっ?旦那!?置いてくなよ!!」
ザンジが部屋を出て扉を閉めるとほぼ同時に、紅蓮の炎が部屋を埋め尽くす……。
数分後。
「旦那……、これって何の魔法使ったの?」
「魔法というか、何て言ったらいいんだろ?」
「これは『冬の炭焼き』という故事にあるな。
途中で意図に気付いたが、死人になってまだホヤホヤでは少し怖い作戦じゃの」
「そうそう、それですよ」
室内にはリザードマンが外傷も無く倒れていた。
後はメッサーが少し焦げてるくらいで二人とも無事である。
『冬の炭焼き』の故事とは。
昔々、山に炭焼きが住んでいて、冬のある時に「寒いから部屋の中で炭を焼けるようにしてはどうだろうか?」と考えた炭焼きがいた。
当然酸欠になって死んでしまい。
『酸素』の概念は無くても、密室で物を燃やすと大変危険であるという教訓の話である。
ズッカールは威力を極力抑え、出来るだけ広範囲に炎の術式を組んだのだった。
その結果、密室の酸素は絶たれ死人以外は気絶してしまったわけである。
「あー俺達は呼吸しないもんね」
「そうじゃの、名案じゃー」
その後、リザードマンの後始末を付け終わると、ズッカールは湿地帯に足を踏み入れた。
「懐かしいの……」
大地の底の天秤よ
しばらくおめこぼしたまえ……
ズッカールが『浮遊』の詠唱を唱えると、湿地の湖に足を進める。
軽い綿毛のように水面の上に立つと、小さな浮島にまで歩いて渡った。
「爺さん、こんなのが目的なの?」
「おう、そうじゃ」
『迷宮都市』冒険者ギルド。
一階は受け付けと、待ち合わせも兼ねた食堂が併設されている。
昼下がり、通常ならあまり人がいない時間帯であったが、今回は少し冒険者とその関係者達で混み合っていた。
「ザンジ君!いやぁ素晴らしい!!
どうだね?これからは冒険者として一般の仕事も請け負ってみては?
もちろん私からパーティーメンバーの募集や補充も約束するよ?」
「は、はぁ。
ですが、生きてる人はちょっと……」
「そうか、君はまだあの事を……」
十五層から帰ったザンジは、湿地に埋葬されていた遺体を起き上がらさせ、今回は黒いリザードマンを素材として全部回収してきていた。
ズッカールが言うには、あの湿地帯のリザードマンは意外と騎士道精神あふれる種族らしくて、倒した人間を食べる事も無く、一定の敬意を払い埋葬すらしていたらしい。
そんなリザードマンを素材として売り払うのは外道のような気もするが、ザンジは自分をそうであると自覚していたので、持ち帰るのになんの躊躇も無い。
ギルドに到着する頃には、ちょっとした人垣が出来ていた。
何しろ湿地に埋葬され、半ば以上死蝋化(体内の脂肪が蝋化し、腐敗が止まった状態)した死人が、黒いリザードマンの死体を背負ってダンジョンから行列を作り這い出てきたのだから。
そうしてちょっとした騒ぎの後、ギルドでは貴重な黒いリザードマンの固有種を大量に持ち込まれたと言う事で、今度はギルドマスターにザンジが勧誘を受けていたと言う訳である。
「あ、あなた……」
「……クシェル」
誰かに聞いたのであろう、ズッカールの年老いた妻がズッカールに詰め寄った。
「すまんな……、私は死んでしまったよ」
「あなた?何をおっしゃっているの!?」
死人の声は聞こえない。
「あなた、どうしてこんな馬鹿な事を!?」
「すまん、すまん……」
雲を浮かべ
春を運ぶ
その手を少し
お貸しください……
ズッカールは『そよ風』を詠唱する。
すると肺に優しい風が入り込み、ズッカールは妻を優しい目で見つめて言った。
「誕生日おめでとう」
「えっ?」
湿地の浮島に生えた花を花束にして、ズッカールは妻に渡した。
「ええっ!!
もしかして、あなたこれのために危険なあの場所まで行ったの!?」
「君、好きだったろう?」
「……」
「……ええ、好きよ」
「喜んでくれて私もうれしいよ……」
ズッカールはボロボロと崩れ出した。
魔石は確かに魔力の充填を行えるが、いったん体へ取り込まねばならない。瞬間的な魔力の放出には無理がある。
多重詠唱は老体のズッカールの生身から魔力を奪い取り、もろく危うい物質に変換していた。
「……」
ズッカールは妻の耳元で何か最後に言い残すと、完全に崩れ去った。
「あー旦那、爺さんいっちまった」
「貴重な魔術師がー……もう今日は帰ろう」
「了解ー」
「ギルド長、ザンジさんを引き留めなくていいんですか?」
「いや、彼はまだ過去のトラウマを抱えているようだ。
彼はかつて三十層まで先代と死人達で潜り、彼だけが生還出来た」
「えっ?三十層!?しかも彼だけ!?」
「正確には先代が自ら死人となり、息子の彼を抱えて脱出した。
先代の死人はダンジョンの出口を出た瞬間に魔力を使い果たし塵すら残さず消え去ったという話だ……」