Ⅲ 死神
勤務終了後、晃一は帰りが遅くならないように走って駅に向かい、なるべく早く墓地に着くようにした。
墓参りに必要な道具を手に、灰色の墓石の間を歩く。その先には、父と母、それに弟の墓があった。祖父母のものは、二人の実家である静岡にある。そちらには年に一回行けるかいけないかくらいで、墓の掃除は寺の人に任せてある。それにしても、百歩譲って両親が自分より先に亡くなるのは分かる。だが、七つも年下の弟が事故で亡くなった時は、さすがに自分の存在を呪った。
両親が死んで、これから兄弟二人で生きて行かなきゃいけない、と言うとき、そんな矢先の出来事だった。
晃一にはもう絶望しか残されなかった。
自分は死神だ。
死神だから、周りの人間を殺している。
そう思うようになり、自己嫌悪と罪悪感に押しつぶされ、自殺を図ったことがある。一命はとりとめたが、病院に来た当時の担任の一言で、晃一は救われた。
『生きてて嬉しい。死ぬのは怖いだろ?死神は自分の事も簡単に殺せると思うぞ。』
そういって、担任は泣いてくれた。晃一の為に。
その担任は今も教師を続けているらしく、年賀状は必ず毎年届く。晃一にとっては、命の恩人だ。
自分が生きてて、喜んでくれる人がいることに気付けただけで、もう満足だった。
弟は、今生きていれば今年で二五歳。お酒も飲んで仕事もして、きっと結婚もしていただろう。晃一の分の社交的さを持って生まれた弟の圭一は、いつも笑顔でいるような明るい子だった。
だから会いたい。今でも何度もそう思い、そのたびに胸が締め付けられた。
それでも会えないのだ。死んでしまったら。
でももしかしたら、俺なら。
自分なら見ることが出来るかもしれないと期待した。そう思って、何度実家に帰ったか。
結局、父さんも母さんも、未だに会えていない。
「父さん、母さん。それに圭一。
会いたいよ。」
口から出ていたのかいないのか、よくわからなかった。
ただ本音が頭を駆け巡って、どこかに流れ出て行くのをかんじた。
どんなに、もう前を向いて生きようと思っても、寂しい。一人は寂しいんだ。
もう少しの間、家族の温かさに触れていたかった。
まずい。泣きそうだ。
こんなに晃一は寂しい思いをしているのに、世間は無情にも、時間と言う絶対的に抗えない流れの中で動いていく。周りは、景色も植物も、人間ですら変わって行くのに、自分はきっと、両親が死んでから変わっていない。
心は止まったままだ。
「…仁美さんの、力になりたいんだ。」
そうすれば、生きている自分に少しくらい自信が持てそうだから。
それに昔、父さんと母さんに言われた。
『人の為に何かをして、それで辛くなったら自分を助けてあげなさい。』
よくわからなかった。今でもイマイチ言葉の真意はつかめていないと思う。
けれど、なぜか大切な言葉のような気がして、ずっと心にしまっておいた。
あまり時間を潰せないので、晃一は立ち上がり、墓参りを早々に切り上げて帰宅した。
ドアの傍に立ってみると、中からカチャカチャと音がした。霊感のない人間からしてみれば、怖くて仕方がないだろう。
独り暮らしの男の外出中に部屋から食器を洗っているであろう音を聞いたら、そりゃあ怖いだろう。
「ただいま。」
「あ、おかえりなさい、晃一さん。」
新婚さんっぽい
透の見解はあながち間違っておらず、晃一自身も当然悪い気はしなかった。仁美は美人だし、背が低くて華奢な体つきで、料理が上手く礼儀正しいところも好感が持てる。
人間なのだから何かしら欠点はあるだろうが、今のところ奥さんとしても恋人としても満点だと思う。
「仁美さん。お弁当おいしかったよ。」
「あ…良かった…」
「また作って欲しい、と言うか…毎日お願いして良いかな?」
「私なんかの弁当で良ければ…ですけど」
「うん。休日は俺がご飯とか用意するから、平日は任せたいかな。」
「休日も作りますよ。」
「いや、仁美さんが成仏した後、料理できなくなってたら困るから。」
「あ~…それもそうですね。」
「それと、近いうちに仁美さんの息子さんに会いに行きたいんだけど、どうかな?」
「純に、ですか?」
純、という名前で、話によるとまだ五歳になったばかりだそうで、仁美が亡くなってからは塞ぎ込んでしまっているらしい。五歳といえど、人の死には何らかを感じる歳だろう。しかも、たった一人の肉親である母親を亡くしたのだ。十分すぎるほどつらい思いを味わっているに違いない。
「仁美さん。それで…その子についていろいろ聞きたい。」
それは、仁美のデリケートな部分に触れます、というあまり良くはない要望だった。シングルマザーと言うことは、一度離婚経験があるか、夫に先立たれたか、未婚の母かの三択である。もしかしたら辛いことがあったかもしれない。だが、成仏したいのならば、晃一は彼女の人生をある程度把握しておく必要があるのだ。生前、晃一と仁美は赤の他人で、交わることのなかった 人間だ。彼女の情報は、彼女自身から聞くしかない。
「分かりました。全部話します。」
「…ありがとう。」
仁美は躊躇いつつも、了承してくれた。
目は決して合わなかったが、晃一は何も触れなかった。