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血雨  作者: Mayu
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Ⅰ 出逢い

上を見上げると、黒い空。分厚い雲は、チラチラと輝く星の顔を見せることもなく、雨を降らせている。その雨に手を差し伸べてみると、毒々しい真っ赤な血の色をしていた。


また、人が死んだ。


川本晃一はそう呟くと、仕事用のYシャツが赤く染められていくのを気にせず、帰路についた。街を歩く人々は、傘を差して家路を急ぐ。自宅で待つ家族や恋人、または自分のささやかな趣味の時間の為に、彼らは速足で帰って行った。彼は、特に用事もないので、コンビニにすら入らず、真っ直ぐ赤い雨に打たれながら、一人暮らしのアパートへと足を向けた。


昔から、人の死には敏感だった。


人はいずれ死ぬ。そんな必然的な運命を、現実として受け入れている人間は、当たり前のように回っている世界に、一体どれだけいるんだろう。死ぬ直前にならなければ人は愚かなことに、明日が必ずあると思い込んでいる。

そんなことはないのだ。それを分かっている人間、そして、日々の生活で今日にありがたみを感じている人間

は少ない。そして晃一もそのうちの一人である。


明日死ぬかもしれない。

明日大地震が来るかもしれない。


矛盾しているが、そんなことを常に考えていては、人生つまらない。今日できなかったことを明日やろう。そんな思いが時には必要なのである。


晃一には身寄りがいない。両親も早くに亡くなった。弟も、祖父母も。そのせいだろうか、霊など、この世に実態を持たない存在の気配だけは感じ取れるようになってしまった。それは良い事かどうか分からないので、しまった、と表現しておく。

成長し、年を重ねるごとに、なんだかその霊力のようなものは強くなっているような気がするが、はっきりと霊体を視覚に捉えることはできなかった。しかし今、こうして赤い雨を見ていること自体、晃一が普通ではないことを証明している。

何故か、人が死んだ日、そんな日に雨が降ると、決まって赤い雫が雲から零れて来る。


今日も誰かが死に、誰かが涙を流したのだ。


両親や弟が死んだとき、枯れるほど涙を流した、自分のように。


家に着き、真っ赤になってしまったYシャツを脱ぐ。他人から見ればただびしょ濡れになっただけのシャツなのだが、晃一としては気分が悪い。傘をもっていかなかった自分が悪い、とそのYシャツはごみ箱に捨てる。こうしたことが時たまある晃一は、開き直りつつも、先週買ったばかりなのにと落胆していた。さすがに一緒に来ているスーツは捨てるとなると躊躇われるので、丁寧に手洗いしようと風呂場の小さな桶に投げ込む。


そうしてやっとリビングに入る。


ここで先ほどの説明に戻ろう。

晃一はあくまで、霊体の力は感じ取ることが出来るが、はっきり姿を見ることは出来ない。


そうだ。


出来ないはずなのだ。


なのになぜ、今彼の目には、白いワンピースを身に纏い、不気味な光を放った女性が写っているのだろうか。

不思議と動揺はしなかった。ついに見えるようになってしまったのか、と思っただけである。しかも彼は図太いことに、下着ではまずいと、最初に自分の身なりを気にし始めた。部屋着に着替えて女性(おそらく霊体)に近づいた。


「あの…」


何と声を掛ければ正解なのだろうか。


これは晃一の悪い癖で、彼はまず、正解を導き出そうとしてしまうのだ。そこに答えはないとしても、最適解を探して、そこで女性には優柔不断と判断されてしまう。今までそれが理由で付き合った女性にフラれてきた。何でも世の女性は選択肢に毎回悩む男性をストレスと感じてしまうようだ。と、如何にも恋愛景観豊富のような言い方をしているが、実際晃一は、なんだかんだ甘いルックスの持ち主で、女性の扱いも優しい。しかしフラれる原因その二として「ちゃんと自信をもって喋って欲しい」という欠点がある。いわゆる自信のないコミュ障である。


「あの、どちら様ですか?」


悩んだ末に結局開口一番この一言だ。どっからどう見ても答えは明白だろう。幽霊さまだ。

その時初めて女性は、長い前髪の間から顔を覗かせた。驚いているようだった。普通死んだ人間にここまでシンプルに話しかける男もいないだろうから、当然と言えば当然だろう。


「私は……」


綺麗な、澄んだ声だった。晃一は女性の前に立ち、顎に手を当てた。何かを考え込んでいるようである。


「…あの……?」


逆に不審がられているが、晃一は持ち前の神経の図太さで女性に通常業務で声を掛ける。


「あ、いえ…この光どうやって消えるのかなって。幽霊、って感じがして…。」


晃一は手のひらを女性に向け、


「触ってみて下さい。」

「え…?」


女性も最初は戸惑っていたが、おとなしくその手のひらに指先を当てた。すると、体の中からぼやーっと放たれていた光が消えた。その風貌は生きている人間と変わらない。違うのは体温だ。


「あ。消えた。それで、あなたの名前は?」


どうやら、この世の人間と接触を図るとよく映画なんかで見るあの光は消えるらしい。なぜ自分から手を差し伸べたのかは分からないが、あまり深く考えないことにした。


「私は……一ノ瀬仁美、です…にんべんに漢数字の二に、美しいで仁美…」


彼女にぴったりな名前のような気がした。と、普通のコンパのような自己紹介をしている場合ではない。


「俺は川本晃一です。一ノ瀬さんは、どうしてここにいるんですか?」

「えっと…、その、私は、成仏……できなくて、それで…」


どうやら言葉がうまくまとまらないようだ。同類のにおいを感じたが何も言わないでおく。晃一はあまり焦らせるのもどうかと思ったので、まず自分が風呂に入って彼女の時間を作ることにした。こちらも赤い雨に打たれたり、幽霊が家にいたりと、リラックスしたいことはしたい。


「一ノ瀬さん。俺、風呂に入って来るんで、座って自分のことについてまとめておいてください。ゆっくれで良いですから、あなたの事を聞かせて下さい。」

「分かりました……」


仁美は和室にある卓袱台に手をついて、そのまま正座した。この世のものを触ることは可能なようだ。

三十分ほどかけて風呂に入り、タオルで髪を拭きながら再び和室に戻る。そういえば夕飯がまだだったので冷蔵庫を開ける。


「そういえば…一ノ瀬さん。」

「はい。」

「お腹って…すくんですか?」


失礼は承知で聞く。上手い食欲の聞き出し方を知ってるほど、晃一にはコミュニケーション能力が備わっていなかった。


「…もう、死んでますから。食べなくても大丈夫ですよ。」

「作ったら食べられますか?」

「えっ…いや、食べなくても大丈夫ですから…。それに、食材がもったいない、」

「一緒に食べましょうよ。」


食べなくても大丈夫でも、二人で食べることで料理のおいしさはきっと変わる。今まで、家族と共にご飯を食べるという経験をあまりしてこなかった晃一にとって、一人の食事に寂しさを感じることはままあった。昔からそういう生活をしていたせいで、晃一からはそういった、食卓を家族で囲む温もりとか、愛が欠如していた。仁美は戸惑いながらも頬を赤らめ、コクリと頷いた。


「すいません、それでは頂きます。」

「良かった。男の手料理なんてたかが知れてますけど。仁美さんは…料理は?」

「してました。シングルマザーだったものですから。」

「え?」


晃一は思わず聞き返し、今一度仁美の頭からつま先までを観察する。見た目は二十代前半と言ったところ。それでシングルマザーということは、既婚歴があるということだろうか。それとも、未婚の母?


「ご飯食べながら、色々あなたの事聞いても良いですか?」


料理の最中に背中越しに聞いた。すると立ち上がる気配がしたので振り向くと、仁美が楽しそうに、しかしなんだか申し訳なさそうに肩をすくめながら隣に並んだ。


「本当にすみません…。本当に良いんですか?」

「良いですよ。一緒に食べましょう。」

「…すいません…。私もお手伝いしたいです。」


どうやら料理は本心から好きなようで、野菜を切ってと頼むと、かなりの手際の良さで作業に取り掛かった。綺麗に均等なサイズと厚さで、野菜ごとに分けられたボウルを覗いて晃一は感嘆の声を漏らした。


「きれいですね。」

「ほんとうですか?ありがとうございます。」


二人で協力したのでいつもより半分の時間で夕飯が出来、テレビのない今で食べる。


「テレビ、とか見ないんですか?」

「はい。嫌でも、人が亡くなった情報は入って来るんで。それに今の時代、スマホで何でも事足りますしね。」


人が亡くなると、空気が変わる。それは雨からでも、街の気配からでも。たまに聞こえる、声のような音も、嘆きのような叫び声も、体の調子によっては聞こえてくる。これは二十五を超えたあたりから感じるようになった。

晃一にとって、良い方は悪いが、これは少なからずストレスで、死んだ人間の声は様々だがほとんどが悲しみだ。他人の悲しみや悔しさが流れ込んでくるのはつらくて仕方がない。


「それで、仁美さんはどうしてここに?」

「私は、病気で三か月前に死にました。でもやり残したことがあって、成仏できないんです。」

「やり残したこと?」

「はい。それはよくわからなかったんですけど、なにか悔いが残ったままというのは気分があまりよくなくて…。息子とはたくさん出かけましたし、息子の事ではないとはおもうんですけど…。」


晃一は顎に手をかける。恐らく成仏されれば、こうして誰かと話すことはできなくなるだろうが、それが彼女の望みなら、そのために晃一を訪ねてきたのだとしたら、信頼を守るのが社会人の義務だ。それは、晃一の人間的にも彼女を放っておけなかった。


「分かりました。俺と一緒に探しましょう。でも、なんで俺を知っていたんですか?」

「あの世であった人に、あなたは気配が分かると聞いて…。」

「でも俺、姿は見えなかったはずなんですよ。どうして一ノ瀬さんは見えたんでしょう。」

「それは…分かりません。」


霊に会いたいと思われれば思われるほど、俺の力は強くなるのだろうか、とそれが一番有力な気がしたが、怖くなったのでかぶりを振った。


「一ノ瀬さんはおいくつなんですか?」

「今年で二十九になる予定でした。」

「え。俺の三つ下だ。もっと若いかと思ってました。」

「え?そんなことないです…。えっと、私はなんてお呼びすればいいですか?」

「晃一、とか川本とか。」

「じゃあ晃一さんって呼ぶので、仁美って呼んでください。」

「仁美、さん?」

「はい。」

「タメでいいですか?」

「はい、もちろんです。」

「じゃあ…仁美ちゃんの方が良いかな。仁美ちゃん…ちょっと待って、恥ずかしい。」


いい年して仁美ちゃん、と呼んでいる自分に赤面し、思わず手で隠す。仁美はそんな晃一を見てクスクス笑い、口を開いた。


「慣れてからでいいですよ。私もちゃん、は恥ずかしいです。」


本当に普通の人間にしか見えない。体温を除いては。先ほど触れた手はかなり冷たく、氷に触っているようだった。長い髪のせいで幽霊感はあるが、


「仁美さん、前髪ちょっとどかしてもらっていい?」

「え?こうですか?」

「うんそう。その方が顔見えて安心する。じゃあ、今日から成仏するまで、宜しくお願いします。」

「宜しくお願いします。」


この日から、俺と彼女の不自然な同居生活が始まった。



短い時間を二人で過ごした結果、いえることはただ一つだ。





俺は、彼女の事を心から愛していた。




もう、思い出せることもないのだけれど。







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