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第一話

「うん、わかってる。大丈夫、緊張してないって」


 森の入り口の前に立ち、私は通話中だった。

 相手は父の弟──つまり私の叔父さんである。


「じゃあ、そろそろ始まるから、切るね。……うん、ありがとう。じゃあ、また」


 通話を終えた私はスマホを半ズボンのポケットにしまい、改めて薄暗い森に目を向ける。

 私はさっき嘘を吐いた。本当は、少しだけ緊張している。やっと念願の主人公役を与えられたのだから、当然だろう。

 それから、ふと左手首に視線を落とした。そこには銀色のブレスレットのような物が隙間なくぴたりと嵌められている。

 これは“タグ”と呼ばれるアイテムで、上を向いた小さな液晶画面には「No.1 赤ずきん」と表示されていた。

 夢ではない、ということを今更ながら確認し、私は視線を上げる。


「……よし、行こう」


 自分自身に向けて号令を出した私は、小道具であるバスケットを左腕にかけ、森の中へと出発した。

 時刻は十五時ちょうど。童話「新約赤ずきんちゃん」の始まりだ。


──森に入り、できるだけ楽しそうに鼻歌混じりで一本道を進むと、ほどなくしてわかれ道に差しかかる。

 と、二股の前にはチャラそうなの男が一人、私を待ち構えていた。見るからに高級そうなスーツに身を包み、遊び倒している茶髪から「ホスト崩れ」という言葉がよく似合う。

 普段ならこんな人とは関わりたくないが、童話のシナリオだから仕方ない。

 というわけで、そのまま軽快に歩を進めて行くと、向こうから先に声をかけて来た。


「『やあ、赤ずきんちゃん。どこへ行くんだい?』」


 見た目どおりの軽そうな口調で、カールした毛先をいじりながらオオカミは言う。「オオカミ」と言っても他の亜人同様ほとんど人間と変わらず、申し訳程度に耳が生えてたり鼻や口許が獣チックなくらいだけど。


「『こんにちは、オオカミさん。

 これからおばあさんの家にお見舞いに行くのよ。ちょっと体調を崩しちゃったようだから』」

「『へえ、それは偉いねぇ。

 ところで、そのバスケットには何が入ってるのかな?』」

「『ケーキとぶどう酒よ。おばあさんの好物なの』」

「『なるほどね……ねえ、赤ずきんちゃん』」


 オオカミは相変わらず自分の髪を触りながら、気障ったらしい笑みを浮かべた。


「『ババアなんて放っといて、俺とデートしない? 凄えオシャレな店とか知ってるよ、俺!』」


 今時こんなナンパの仕方があるのだろうか。疑問ではあるけど、取り敢えず彼の見た目とはよく合っている。


「『え、嫌ですけど。つうか、人ん()のおばあちゃんババア呼ばわりしないでよ』」

「『いやだってさぁ、お見舞いとか何も楽しくないべ? だったら俺と一緒にぶどう酒でパーリーした方がよくない?』」

「『よくない。

 私軽い男は無理だから、これで』」


 にべもなく答え脇を通り過ぎて行こうとするのを、オオカミは必死で引き止める。


「『じゃあじゃあ、せめて一緒に花を摘むくらいよくね? 花とかあった方がババ、おばあさんもきっとハッピーだって』」


 鋭い爪の生えた彼の指差す先には、確かに可愛らしいタンポポが何本か咲いていた。

 タンポポとオオカミの顔を交互に見て考えるような素振りをしてから、私は仕方なさそうに息を()く。


「『そうね、お土産にはいいかも知れないわ』」

「『だ、だろ?』」


 私は道の端にしゃがみ、タンポポを数本毟り取ると無造作に籠の中に放り込んだ。


「『いいや、こんなもんで』」

「『いやいやいや、おざなりすぎくね?』」

「『だって私花とか興味ないし。

 ていうか、これどっちの道行ったらいいわけ?』」


 彼のツッコミを受け流し、Y字路に顔を向けて尋ねる。


「『……いいや、もう。

 わかれ道は、左に行くといいよ』」

「『そう。ならそうしてみましょう。

 どうも、ありがとう』」

「『どう致しまして……』」


 がくひと肩を落とすオオカミを残し、私は左の道へと進んだ。

 それが、オオカミの仕組んだ罠だとと知らずに。

 ……もちろん、シナリオ上の話だけど。


 それから、似たような景色の中をしばらく歩く。事前に地図を配布をされていたからわかっていたけど、こちらの道は大きく曲がりながら伸びていて明らかに遠回りだ。

 加えて本当に辺りの景色に特徴がなく花すら生えていない為、歩いていてつまらない。

 実に退屈ではあったが役柄上軽やかな足取りを心がけていると、ようやくおばあさんの家が見えて来る。

 わかれ道からここまで、かかった時間は十五分ほどか。

 おばあさんの家はちょっとした庭を持つこじんまりとした家で、ありがちな赤い屋根をしていた。

 家に近づくと、木製のドアが開けっ放しになっていることがわかる。


(『どうしたんだろう? おばあさんにしては不用心ね。物騒な世の中なんだから気をつけてもらわないと』)


 と、心の中でも(、、、、、)セリフを言い、私は不思議そうに首を傾げるジェスチャーをした。

 それから、恐る恐るといった感じで家の中に入る。

 玄関が直接リビングと繋がっており、テーブルや座椅子、そして小さなキッチンが備えつけられていた。部屋の奥にはまたドアがあるのだが、今はそちらも開いており、さらに廊下が伸びているのが見える。

 そして、何よりも私の目を惹いたのは、こちらに背を向ける形で部屋の真ん中に立っているスーツ姿の男だった。

 細長い花瓶に活けてある紫色の花に指を触れていた彼は、もったいつけながはこちらを振り返る。

 丸いテーブルの側に立っていたのは、先ほど別れたばかりのオオカミだった。


「やあ、赤ずきんちゃん」


 わかれ道の前で出逢った時と同じように、彼はひらりと手を挙げる。

 しかし、明らかにさっきとは違うことが一つ。今のこの人の言葉は、セリフじゃない。


「……ちょっと、シナリオと違うことするのやめてもらえませんか。あなた、確かベッドに潜ってるはずですよね?」


 部屋の隅っこに置かれた、老人の一人暮らしにしてはやたら広いベッドを指差しながら言ってやると、オオカミは犬歯を見せて不快な笑みを浮かべた。


「くく、まあ、そうだね。けど、どうだっていいじゃんよ。

 それより、俺といっしょに楽しいことしない?」

「え、嫌ですけど。

 とにかく、さっさとやり直してくれませんか? 勝手なことされると、正直迷惑です」

「ふうん、ツレないなぁ。……ま、普通そうなんだろうけどさ」


 いじけるような口調で言った彼は、やはり自分の髪の毛を触る。どうやら、役柄だけでなく実際にチャラい人らしい。


「けど、ぶっちゃけ言うと、俺童話とかどーでもいいんだよね」

「え? “童話人”なのに?」

「なのに。

 俺はねぇ、もう面白おかしく生きてければなんだっていいんだよ。他人がどうなろうと知ったこっちゃないし」


 と、いきなりのクズ発言に若干引いていると、手の動きを止めたオオカミは黄色い瞳を歪めた。嫌な視線を受け、全身の肌が粟立つを感じる。


「だからさぁ、今から俺といいこと(、、、、)しちゃおうぜぇ」

「いや、だからしませんって」

「そう言うなって〜。俺ガチで凄えから。テクってるから」


 両手の指を気色悪い動きでうねらせながら、彼はじりじりとにじり寄って来る。


「ちょ、無理。なんかもう生理的に無理だから……」


 予想外の展開に、私は後退った。

 しかし、オオカミの大きな手は構わず私の頭へと伸びる。


「さあ、俺にお前の──お前のその、綺麗な黒髪をなでなでさせるんだぁ!」

「思ってた以上にキモい!」


 思わず大声でそう言ってから、私は真横に避けた。オオカミの横を通り抜けるような形で、部屋の奥、ベッドのある方へと逃げる。

 が、これは失敗だった。出入り口であるドアと遠くなってしまう。


「おいおい逃げるなよぉ。俺本当アレだよ? なでなでのテク半端ないよ」

「知りませんよそんなこと。つうか、『なでなで』ってワードが異常なまでにキモい」

「ぐふふふふふ」


 私の罵声などもはや耳に入っていないのか、オオカミはくるりと体の向きを変える。文字通りケダモノだ。


「ほら、ずきんなんてさっさと取っちゃいなって。せっかくいい髪してるんだから」


 彼の言葉を聞いた私は、思わず左手で頭を抑える。必然的に持っていたバスケットが床に落ちることになるが、幸いぶどう酒の瓶が割れるようなことはなかった。


(このずきんだけは取られるわけにはいかない。そしたら、私の正体(、、)がバレちゃう。それだけはなんとしてでも避けないと!)


 オオカミを上目遣いに睨みながらさらに後退ると、お尻が何かにぶつかる。ただテーブルに当たっただけなのだが、びっくりして一瞬固まってしまった。

 そして、その隙をオオカミは見逃さない。


「安心しろよ。事件になったとしても、俺親の七光りで揉消せっからさぁ」


 本当に最低な言葉と共に、彼の手が私のずきんに触れる。


(嫌だ、バレたくない!)


 心の中で叫んだ私は無意識のうちに右手を後ろに伸ばし、ある物を掴んでいた。

 抵抗することに必死な私は、気づけばそれを振り上げている。


「え、なん──」


 オオカミが何か言いかけた気がしたが、結局何を言おうとしたのかはわからない。

 突如ガラスのような物が割れるような音が聞こえた、かと思えば、次の瞬間彼がこちらに倒れ込んで来た。


「ひっ」


 とっさにそれを避けると、オオカミは肩をテーブルにぶつけてから、そのまま抗うことなく床の上に沈む。彼の茶髪が少しずつ赤く濡れて行く様子を、私はただ呆然と見つめているしかなかった。

 が、それも長い間ではなく、ほどなくして私は自らの右手に視線を向ける。

 そこには、たった今オオカミを殴り倒したであろう、凶器が。


(うそ……私……)


 もう一度、床に伏す男に目をやった。


(人を、殺したの……?)


 ようやくそのことに思い至った時、私は凶器を放り捨ててその場にへたり込んでしまう。

 そして、茫然自失としながら、彼の死体を目の当たりにした私は考えざるを得なかった。

──どうしてこうなったのか、と。


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