解答編第三話
叔父さんの口から放たれた内容を、瞬時に理解できた人はいたのだろうか? 取り敢えず、私は無理だった。
「……は? あんた、そんなこと本気で言ってるわけ? オリジナルのハティが実は生きてたなんて、あり得るわけないじゃない!」
呆れたような顔で、スケイルが言う。他の人たちの反応もだいたい似たような物で、みな胡散臭い物を見るような視線を彼に送っていた。
例により、アトキンスとグランマは別だったが。
「何故、そう思うのです?」
「いやなんでって、ハティは死んだからこそ、クローンとして蘇ったのよ? なのに実はまだ生きてたなんて、それこそ『何故?』よ」
「なるほど、仰るとおりですね。
しかし、事実彼は生き延びていたはずなんです。そもそも、フローズヴィトニルソンさんは事件に巻き込まれた時、左手しか残らなかったんですよね?」
そういえば、確かスケイルもそんなことを言っていたか。けど、それがいったい何になるのだろう?
と、思いかけた時、ようやく私は叔父さんの言わんとしていることがわかった。
(三年前の事件の時、フローズヴィトニルソンは左手しか残らず、全身に火傷を負った狩人だけが生き延びた。つまり──)
「つまり、三年前の事件の際唯一生還したのは、本当はカリトさんではなくフローズヴィトニルソンさんだった、ということでしょうか?」
抑揚の乏しい声で、アトキンスが尋ねる。彼も私と同じ答えに至ったらしい。
「そうそう」
頷いた彼は、まるで生徒の成長を喜ぶ教師のようであった。
「ち、ちょっと待ってくれ。さっきから話について行けないのだが……その、できれば根拠を示してくれないか? どうしてそう考えたのか、私たちにもわかるように教えてもらいたい」
「はい、もちろん。
根拠は主に二つあります。まず一つ目は、フローズヴィトニルソンさんが今回クローンの申請をキャンセルしていたことです。彼は毎回童話に参加する度にクローンの申請をしていました。それなのに今回に限って、しかも土壇場になって取り止めている。
では、この違和感は何なのかと考えた時、クローンをキャンセルしたのは実は本人ではなかったのではないか、と思ったのです」
「じゃあ、それも犯人の仕業だったと言いたいのか? だが、キャンセルには必ず本人確認の為の暗証番号が必要なはずだ。どうして犯人がその番号を」
言いかけたワイルドボアだったが、すぐに気づいたらしい。
「……本人だからなのか? だからこそ、登録していた番号も知っていたと?」
「ええ。そう考えれば、不自然なことはなくなります。彼が童話保険のVIPコースに加入したのは、三年前の『おとぎの森』の事件よりも前ですから、オリジナルが番号を知っていて当然です」
「うーむ、確かに……いや、しかしそれでもまだ信じられん」
「まあ、ですよね。
しかし、根拠はまだありますよ。第二に、パッサーさんに成りすましていた人物は、左手が義手だったということ」
「義手⁉︎」
これまた予想外の発言である。どうしてそなるのか、と考えた時、私はついさっきの叔父さんの言葉を思い出した。
「はい。彼は三年前に左手を失っているのだから、生きているのなら当然義手でしょう。そして、パッサーさんに成りすましていた男は、全く左手を使っていなかった。メモ張に文字を書く時もテーブルに置いていましたし、その後それを掲げて内容を見せるのにも、わざわざ一度ペンを置いて右手で持ち直していたんです。これはいささか不自然ですね。
それに、極めつけは彼の遺体」
彼は説明しながら、両手で自分の首筋を引っ掻くようなポーズをする。
「彼は毒によって命を落としました。その際、こんな風に自分の喉を抑えて苦しんだはずです。現に彼の右手はこう、爪を立てるように曲がっていた。しかし、左手はどうだったかと言うと」
「全く曲がっていませんでした。まるで、元からその形で固定されているかのように」
アトキンスが叔父さんの言葉を継ぐ。どうやら、彼も死体を見た時に気づいていたらしい。
「パッサーさんだと思われていた男性の遺体を観察した時、僕は何か違和感を覚えました。しかし、まさかその答えが彼の左手の形だったとは」
「そう。なら、その時にもっとよく調べてみるべきだったね。そしたら、こんなこと簡単にわかっただろうに」
「……はい。以後、気をつけます」
やや厳しめな口調で言った先生に対し、彼は素直に頭を下げる。どうやら、アトキンスは叔父さんのことを相当リスペクトしているようだ。
「と、まあ、以上の理由から私はオリジナルのフローズヴィトニルソンさんが実は生きており、パッサーさんのフリをしていたのではないかと考えました。
もちろん、元々狩人役として『新約赤ずきんちゃん』に参加することとなっていたのはマタギ・カリト──ということになっていた彼です。そして、彼は本物のパッサーさんを襲い、服やマスクを奪って入れ替わったのでしょう」
「あの覆面男が、ハティ……」
スケイルが青ざめた顔で呟いた。元カノである彼女ですら、全く気づいていなかったのだ。いや、彼は死んだことになっていた上に顔を隠していたのだから、わからなくて当然か。
そう言えば、偽パッサーは全く喋らなかった。本人はそのことを「ポリシー」と答えていたが、今思えば声で正体がバレるのを防ぎたかったのだろう。
「だ、だが、それならどうして彼はレジスタンスの一員なんかに……。自分だって被害に遭ったのに、どうして暗黒思想に傾倒したんだ?」
「さぁ、どうでしょうね。その辺りは、完全に想像するしかないですが、おそらく何か洗脳のようなことをされていたのでしょう。拷問によって恐怖と苦痛を刻み込み、人間の精神を蝕む。奴らは、そういった非道な行いが得意ですから」
叔父さんは若干声を低くした。フローズヴィトニルソンを気の毒に思うと同時に、「ワンダーランド」に対し嫌悪感を抱いているのか……。
といっても、それも束の間のことで、すぐにまた飄々とした笑顔を浮かべたのだけど。
「それと、オオカミ役として参加していたフローズヴィトニルソンさんを殺害したのも、おそらく彼でしょう。唯一はっきりもしたアリバイのない彼なら、充分犯行が可能ですね」
「け、けど、どうしてハティは自分のクローンを殺したりなんかしたの? あれだけ自己中だった彼が自分自身を殺す理由なんて、あるわけないわよ」
「そうでしょうか? 私が思うに動機は至って単純で、遺産相続に関係しているのはずです」
「遺産……それって、ハティの家の」
「そうです。
つまり、お父様が危篤状態だということを知ったオリジナルのフローズヴィトニルソンさんは、こう考えたのですよ。『本来自分の元に入り込むはずの財産を、クローンなんかに渡してなるものか』とね」
妙に説得力というか、蓋然性が高い気がする。
そして次第に、あの白いゴムマスクの向こうに見えた「黄色い瞳」は、殺されたオオカミと同じ物のように思えて来た。いや、間違いない。全く同じ目をしていたと、今ははっきり断言できる。
「きっと、彼らの計画ではクローンを殺害した後、実は三年前の事件の際生き延びていたのだと名乗り出る予定だったのでしょう」
「しかし、実際には彼も死んでしまったというわけか……。
ところで、確かオリジナルのオオカミくんは自ら毒を呷ったはずだ。そんな犯行を企てた者が、どうして自殺なんてしたのだろうか……」
フェザーズは腕組みをして、一人首を傾げた。もっともな疑問である。
「自らの罪を償う為、というわけでもないだろうな。遺書もなかったし、タイミングも不自然だ。となると、あとは逃れられないと悟ったか、あるいは組織に命じられて自殺したとか?」
「いえ、どちらも考え辛いでしょう」
叔父さんはすぐに、ワイルドボアの言葉を否定した。
「そこまで追い詰められていたわけではありませんし、第一遺産を手に入れる為に人を殺した人間がその程度で自殺するとは思えません。
また、同じような理由から、組織の命令というのもあり得ないでしょう。彼らはあくまでも、フローズヴィトニルソンさんの犯行に、表向きは協力していたはずですから」
「じゃあ、奴はどうして」
「先ほども言ったように、彼もまた利用されていたのですよ」
──ある意味では一番の被害者。彼はさっき、偽パッサーのことをそう評していた。
つまり、共犯者、というかフローズヴィトニルソンを利用した真犯人と呼べるべき人物が、他にいるのだ。
そして、今までの話から考えて、その何者かは「ワンダーランド」の一員である可能性が高い。
「要するに、協力するフリをしてフローズヴィトニルソンさんを殺すことが真犯人の計画の一部だったのです。
このことを踏まえ、次は彼の死体が発見したされた時の状況について考えていこうと思います」
「ああ、あれは二発の銃声が聞こえた直後、確かそこにいるお嬢さんが逃走したすく後だったか」
警部の視線をこめかみの辺りに感じる。彼の中ではまだ私への嫌疑が完全に晴れていないらしく、チクチクと刺されるようだった。
しかし、もうそんなことに気後れしている場合ではない。今の私には、確かめなければならないことがあるのだ。
意を決し、私は顔を上げた。
「……教えて、ほしいことがあります」
消え入りそうな自分の声が、広間の中に響き渡る。誰もがはっとしたように私を見るのがわかった。
「ケープちゃんは、どこにいるんですか? なんで、彼女だけ来ていないんです?」
尋ねてから、私はみんなの反応を窺った。すると、誰もが沈鬱な表情を浮かべ口を閉ざしている。
それだけで彼女の身に何かがあったことは明白だった。にも拘らず、私は祈るような気持ちで答えを待つ。
やがて、私の問いに答えたのは──
「殺されてしまったんでしゅよ。ケープしゃんも」
グランマだった。
彼女は壁にもたれかかりながら、うわ言のようにそう言ったのだ。
「嘘……」
グランマの嗄れ声を聞いた私は、思わずそんな言葉を零してしまう。瞬間、視界に映る景色が溶けてぐちゃぐちゃに混ざり合うような感覚に囚われた。強烈な眩暈に襲われたのだ。
ふらつき倒れそうになった私の体を、とっさに誰かが支えてくれる。しかしすぐには礼を言うことすらできず、私は途方もない喪失感に苛まれていた。




