第二十話
「いやぁ、どうしてって、そんなの決まってるじゃないっすかー。修行っすよ修行」
ユズは何故か胸を張って、誇らしげに答えた。
「修行? いったい何の」
「ふふん、コレっす」
彼女は窓の横の壁に立てかけてあったらしい物を、引っ張って来る。それは、私たち鬼の異伝子を持つ者にはお馴染みのアイテム──金棒だった。
「実は今、金棒野球の秘密特訓中なんすよ!」
「……ああ、なるほど」
そういえば、高校の時から熱心にやってたっけ。
ちなみに、金棒野球とは強い異伝子を持つ者にのみ許されたスポーツであり、投手の投げた金棒を金棒で打ち返すという、とてつもなく豪快物である。うちの高校にも部が存在し、一応私も在籍していた。もちろん、万年補欠だったけど。
「一応これでも、本気でプロを目指してるっすからね」
臆面もなく、言ってのける。彼女のこういうところも、今に始まったことではない。ユズは高校の頃から、プロの金棒野球選手になると豪語しており、実際それを目指す為の努力を惜しまなかった。
卒業後も大学で続けていると聞いたが、やはりまだ夢は変わっていないようだ。
「相変わらずだね」
「何がっすか?」
「別に、こっちの話。
──って、ちょっと待って。じゃあ、あんたいつからここにいるの?」
「え、四日前っすけど」
「そんなに? ていうか何その『当たり前のこと聞かないでよ』みたいな顔」
「そりゃあ、修行と言えば山籠りが鉄板っすからね。そんでもって、必殺技を編み出す的な?」
「いや必殺技て」
呆れた私だったが、すぐにあることが頭をよぎりった。
(四日前からこの森にいるってことは、あれについて何か知ってるかも)
少なくとも聞いてみる価値はある。私はまた、窓の中の彼女に質問を投げかけた。
「ねえ、ここから塔がある方へ続く道があるでしょ? そのうちの一つ、近道の方が岩で塞がれていたと思うんだけど、どうしてそうなってるのか心当たりはない?」
「岩っすか? もちろん知ってるっすよ。ていうか、たぶんそれウチがやった奴っす」
「え?」
こいつ、今何と?
「特訓の一つっすよー。向こうの岩場から岩を持って来て、背負ったままこう、ぐるうっと森を一周してあの道の真ん中に置くっていう。あそこにある岩でっかいのばっかなんで、鬼のウチでも結構キツくて鍛錬になるんすよ」
言ってから、ユズは右腕を曲げてポーズを取った。
「お陰でほら、またパワーアップしちゃいました」
なるほど確かに、Tシャツの内側にある筋肉の膨らみが、はっきりとわかる。一見すると細身なのに、さすがは鬼というか、私と違って純血なだけあるな。
──いや、今気にするべきはそんなことじゃない。
「あんたの仕業、だったのね……」
私は思わずがくりと肩を落とした。あの謎の岩山の正体が、こんなしょうもない物だったなんて。
「ん? 先輩どーしたんすか?」
「……なんでもない」
「はぁ、ならいいっすけど。
つうか、先輩も中入ってくださいよ。ちょうど今晩御飯の準備してたんで、よかったら一緒にどうっすか?」
「え、でも、私あんまりお腹空いてないし……」
とは言え、少し休憩して行きたくはある。どのみち結界がある以上、逃げると言っても限度があるし、それにすぐには追っ手も来なさそうだから。
四日前からこの森に篭っていると言うユズに話を聞きつつ、休憩を取るのも悪くないかも知れない。
「まあ、でも、ちょっと疲れたからお邪魔していこうかな。別にあんたの家じゃないけど」
というわけで、私は何時間か振りにお婆さんの家に寄ることとなった。
部屋の中は以前とあまり変わらず、違いがあるとすれば割れたぶどう酒の破片が片付けられていることくらいか。童話警察の人がやってくれたらしく、床も一応拭いた形跡があった。後始末を押しつけたみたいで、なんだか申し訳ない。
そんなことを思いながら、私は部屋の隅に置かれているベッドへ腰下ろした。ソファはユズの為に空けておく。
そのまま倒れ込んで寝てしまいたくなるのを堪え、私はさっさと本題に入ることにした。
「いくつか質問したいことがあるんだけど、いいかな?」
「もちろんオッケーっすよ。ウチと先輩の仲ですし。なんでも聞いちゃってください!」
どんな仲かはわからないが、とにかく質問を始める。
「ありがとう。
じゃあさっそく聞くけと、今日の十四時半頃、誰か怪しい人とか見かけなかった?」
「うーん、怪しい人っすかぁ……まあ、見たっちゃあ見たっすね」
「え、本当に⁉︎」
まさか、こんなに早く当たりが出るなんて。
身を乗り出す私に若干驚きながら、ユズは頷いた。
「はい。けど、十四時ではなかったっす。だいたい、十五時すぎくらいだった気がするっす」
「そっかぁ、じゃあ違うのかな……?
ちなみに、その人はどんな感じだったの?」
「ええっと、あんまりはっきりとは見てないんすけど、全体的に汚い格好してて、あとマフラーとか帽子で顔を隠したっすね。でもって、なんか銃みたいなの担いでたっす」
「銃? それって、もしかして猟銃みたいな?」
「さあ? たぶん、そんな感じだったと思うっすけど」
あまり記憶に自信がないのか、少し語気が弱まる。それでも、この証言は重要だ。もし本当にその人物が猟銃を持っていたのだとすれば、犯人である可能性がぐんと高くなる。
「どこでその怪しい人を見たの?」
「ウチの拠点っす。ほら、塔のある方へ行く近道の真ん中の。こっちから見ると、岩山の向こう側ってことになるっすね」
「ああー。そんなところにいたんだ」
「そうっす。
で、その人ってば道の途中まで入ってから、ウチがいることに気づいたみたいで、慌ててUターンして逃げてったんすよ」
「うーん」
彼女の話を私なりに咀嚼してみた。が、やっぱりすごい怪しい人が実際にいた、ということしかわからない。
「……ていうか、気になるんだけど、どうしてそんなに正確な時間覚えてるの? 時計見たんだよね?」
「え、いや、太陽がそれくらいの位置だったので」
「はい?」
「もうウチくらいになると、空見ただけでだいたいの時間がわかるんすよー。これでも山籠りは初めてじゃないんで」
「そうなんだ……」
そのうち野生に帰りそうで心配だ。
「えっと、じゃあ、他には? 何か気になったこととかある?」
「そうっすねぇ、そう言えば、昨日からちょくちょく気配はあったっす」
「気配?」
「はい。なんていうか、すごいイヤ〜な感じの。特に、昨日の奴はヤバかったっすね。あんな殺気放てる奴、鬼ヶ島にもそうおなかったっすよ」
なんだか、またさらに野生的な話になって来た。
しかし、ユズがそこまで恐れる存在とは何者なのか。それに、「昨日」という部分が引っかかる。
「今日じゃなくて? 今日は何も感じなかったの?」
「あ、いや、そうでもないっすよ。今日も今日で殺気ビンビンだったっす。それも一回じゃなく、波が来るみたいに一際強くなる時が何度かあったっすね」
「だから昨日から怖かったんすよー」と、彼女は顔を髪と同じ色にして言った。どうやら割と本気で怯えていたらしい。
「……ちなみに、人の気配がするようになったのは、何時頃から? 特に今日のことが知りたいんだけど」
「あ、たぶんあれは……十四時二十分くらいっすかね。その直前にどっかで強い殺気が放たれて、それから誰かが森に入って来たっぽかったっす」
「ふむふむ」
となると、やはりアトキンスの推理どおり、犯人はその時間に狩人を襲い塔に運び込んでいたのだろうか? それとも、「昨日すごい殺気を放っていた」という謎の存在が実は森の中に潜んでいて、そいつが凶行に及んだとか?
いずれにしても、ユズの野生的な感覚を信じるとしたら、の話だけど。
「ありがとう、参考になったかも」
「そうなんすか? なんか、トウカ先輩探偵みたいっすね。『怪しい人を見なかったか?』とかまるで事情聴取だし」
「別に、そんなんじゃないよ」
というか、なんなら最有力犯人候補だし。
「ところで、それ、何を作ってたの?」
私はキッチンを指差して尋ねた。コンロには大きめの鍋がセットされており、他にも食材の乗ったトレイやボールなんかが傍に置かれている。
私の問いに、彼女は何故か満面の笑みで答えた。
「ああ、天ぷらっすよ! 今日の晩ご飯っす。森で摘んで来た野草をカラッと揚げるんすよー」
「へえ、そうなんだ。ていうか、人ん家でそんな油飛びそうな物作るとか……」
「平気っすよ、たぶん。
それに、拠点が使えなくなっちゃったんすもん。ちょっと留守にしてる間に、誰かが荒らしたみたいで」
ふてくされたような顔をして、ユズは言う。おそらく、「誰か」とはワイルドボアたちのことだろう。説明するのも面倒なので、私はひとまず事件や警察については黙っておくことにした。
「そんなわけで、今夜はこの家借りちゃおっかなぁ、っと。山籠りっぽくなくなるからあんまり気は進まないんすけどね。
つうか、本当に先輩いらないんすか? 意外とおいしいっすよ、野草」
「え、うん……でもそれ本当に大丈夫な奴なの? 毒とかない?」
「あるわけないじゃないっすかー。あったらウチすでにどうかなってますって」
「いや、あんたの基準で言われても……」
純血の鬼は大丈夫でも、混血には無理かも知れないし。
そんな風に思い取り敢えず辞退しようと考えを固めた、その時──
私は、脳天から足の裏までを電流が駆け抜けるような、強い衝撃を感じる。
もちろんこれは単なる比喩表現であり、実際に何か攻撃を受けたわけではない。しかし、それほど強烈な感覚が脳裏を掠めたのだ。
(……そう言えば、なんであの時、あの人は……)
明らかな違和感。そうだ、一人だけあり得ない発言をした人がいたではないか。
(けど、もしあの人が嘘を吐いているとして、いったいどうなるんだろう? この違和感は、何を……?)
手がかりになりそうなことに気づいたはいいけど、そこから先がわからない。
「先輩? どうしたんすか、ぼーっとして」
私は知らずキッチンの方を見つめたまま、固まっていたらしい。
心配そうな顔をしたユズに、私はどうにか答える。
「え、ううん、なんでもない」
「そうっすか? なら、いいっすけど……」
「とにかく、私そろそろ行くね」
言いながら、私はベッドから腰を上げた。
「あら、もうっすか? 何か用事でも?」
「うん、まあ、そんなところかな」
と、適当にはぐらかすつもりだったが気が変わり、本当のことを言ってみる。
「……実はね、私今殺人容疑をかけられて、逃走中なんだ」
「え、マジっすか? なんかちょっとカッコイイっすね」
「信じてないでしょ。まあ、普通そうだろうけど」
当たっているのか、彼女はわざとらしく頭を掻いた。
「いや〜、そう簡単には。
つうか、先輩が本当に逃走犯だとして、どこに逃げるんすか? なんかこの森、結界が作動してるっぽいっすよ?」
ユズの言うとおりである。
私は少しだけ考え込んでから、悪戯っぽく笑ってみせた。
「じゃあ、その結界をぶち破って、外に出るよ」
「おお、ハンパないっすね!
あ、でも、確かにトウカ先輩ならできるかも」
予想外の言葉が返って来て、私はきょとんとする。今度は、ユズが笑みを浮かべる番だった。
「だって、先輩ハーフじゃないっすか」
「いや、でも、それを言うなら純血の方が」
「きっと先輩なら結界ぐらいぶち壊せるっすよ。だって、最強の赤鬼と最強の人間の間に生まれたんすから」
こいつ、さらりと人のコンプレックスを……。
「そ、そんなことないよ。別にうちの親は、普通だし……」
「またまたぁ〜。ていうか、なんなら先輩だって、高校時代は校内最強って言われてたじゃないっすかー」
「と、とにかく! 私もう行くから!」
強引に会話を打ち切って、私は出入り口のドアへと向かう。
「じゃあね」
「はい、またいつか!」
元気よく手を振る彼女に見送られ、私は家の外に出た。やはり、今すぐ誰かが追って来るような感じはしない。
(今のうちに、行こう……)
自分自身に号令をかけ、私は近道の方へと歩き出した。




