第十九話
「どうした? 今度は何だ?」
エクゥスに近づきつつ、彼は尋ねる。
「実は、先ほ村の交番から連絡がありまして……」
「交番? ああ、調査協力を頼んでいた」
どうやら本当に忘れていたらしく、ポンっと手を叩いた。
「で、有力な情報は出て来たのか?」
「そうですねぇ、一応その、気になる物は」
なんとも歯切れ悪く答えてから、彼はさっそく報告の内容を伝える。
「そもそも、交番に寄せられた情報のほとんどが、『キャストの人をどこそこで見かけた》という類の物ばかりでした。普段から森を舞台として提供しているとは言え、他所者は珍しかったんでしょう」
「ふむ。まあ、彼らの証言を確認するという意味では、悪くはないかもな。
で、具体的にはどういった物なんだ?」
「えっと、まず十四時半頃に、フェザーズの姿が薬局で目撃されています。店主の証言によると、市販の胃薬を買って出て行ったそうですね」
「薬局か……。別に変わったところはなかったのか?」
「そのようですね。会計の時に、二、三世間話をしたらしいのですが、その時も普通だったみたいです」
エクゥスが答えると、今度はアトキンスが彼に尋ねた。
「その村から森までの距離なのですが、左右の道それぞれでどれくらいかかるのでしょうか?」
「ああ、交番の方に教えてもらいました。なんでも、どちらの道もだいたい同じくらいの長さで、歩いて十五分ほどらしいです」
「そうでしたか。では、どちらを使ってもあまり変わらないのですね」
抑揚の乏しい声だが、一応納得したように言う。
「それから、グランマとケープと思われる二人組が、村の小さなレストランに来店しています。店に入ったのは十四時前らしいのですが、そこから三十分ほど食事をしていたそうです。経営者夫婦の証言によると、老人と子供の食事とは思えないような量の料理を注文して、軽々と平らげていたのだとか」
「ほう、あの二人が。意外だな」
言いながら、グランマの方はそうでもないか、とワイルドボアは考え直した。
「あと、今度は少し飛んで十五時頃、村の入り口にあるバス停付近でイナバの姿が目撃されています。イナバはかなり急いでいたらしく、不注意で通行人とぶつかってしまったようですね。
で、そのぶつかった人が情報を提供してくれたそうです」
「ああ、そういえば寝坊したとか言っていたか」
呟いてから、彼は今まで聞いて来た内容を関係者たちの証言と照らし合わせる。今のところ、彼らの言っていたことをなぞるような目撃情報ばかりだ。
「あとはですね、実はここからが気になる証言なんですが、スケイルの姿も目撃されていました。ただ、その際彼女は一人ではなかったみたいなんですよ」
「なに? 誰と一緒だったんだ?」
刑事は若干声を潜めつつ、それに答えた。
「それが、どうも高そうなスーツを着た、獣の異伝子を持つ亜人だとか」
「ふむ、そいつはいったい……」
「誰なんだ」と続けようとして、ワイルドボアはある人物に思い当たる。
「まさか、ハティ・フローズヴィトニルソンか⁉︎」
「ええ、おそらく。
しかも、二人は何やら口論していたらしいんです。なんでも、彼らは森の入り口──赤ずきん役がスタートする方です──に続く道に立っていたそうで、目撃者によれば、スケイルと見られる女性が一方的に喚いている感じだったと。で、しばらくすると彼女が道を引き返して行ったそうです」
「それは、だいたいいつ頃なのでしょうか?」
「ええっと、確か十五時前、おそらく十四時四十分頃だった、と言っていましたね」
「なるほど。しかし、スケイルと被害者が口論か……」
自らの顎の肉を手で摘みながら、彼は唸った。
「確か、彼女はフローズヴィトニルソンの元カノだと言っていたか。もしかしたら、まだ彼との間にしこりがあるのかも知れん……。
他はどうだ? 例えば、あの鬼のハーフについては何か入って来ているのか?」
「ええ、まあ一応。ただ、村人が何人か見かけた程度ですね。特におかしな様子もなく、強いて言えば機嫌がよさそうだった、くらいだそうです」
あまりにも簡単な情報に、ワイルドボアは肩透かしを食らったような気分になる。
「それから、モーブ・パッサーを見かけたという人も何人かいましたね。まあ、あんな格好をしていたら当然でしょうけど」
「だろうな。
そういえば、狩人はどうなんだ? 誰か見たという者は?」
「さあ、今のところないみたいですねぇ。
あ、それと最後に一つ、妙な話がありまして」
「妙な話?」
頷いたエクゥスは、無意識のうちた首筋に手を当てていた。本人は気づいていないようだが、何か不安を感じ取っているのかも知れない。
「はい。それが、不気味な格好をした男が村に来ていたそうなんです。
その男は汚い作業着のような格好をしていて、さらにマフラーとサングラス、それから帽子を目深に被って素顔を隠していたのだとか。それから、何か大きな荷物を背負っていたらしいので、割と目立ったみたいですね」
「ふむ、絵に描いたような怪しいさだな。
ちなみに、その大きな荷物とはどんな物だったのか聞いているか?」
「さあ? なんだかよくわかりませんが、筒状の鞄のような感じで、一メートルほどの長さだったそうですよ」
部下の言葉を聞きながら、ワイルドボアは頭の中に謎の人物の姿を思い描く。素顔を隠し、筒状の荷物を背負った男は、いったい誰なのか……。
(いずれにせよ、今は本部からの応援を待つべきか。……しかし、いつになったら到着するのやら)
すでに応援は送ったとのことだったが、未だ到着する兆しがない。
苛立ちと心細さを覚えながら、彼はそれを掻き消す為にない首を振った。
「わかった。また何か連絡があったら教えてくれ」
「はい」
「頼んだぞ」
それから、ワイルドボアはアトキンスに顔を向ける。
「ところで、お前はどうなんだ? 今の報告を聞いて、何か考えついたことはないのか?」
「……全くなくはありません。ただ、まだ確証が持てませんので」
俯きながら、少年は答えた。彼の不思議な水色の瞳は、いったい何を映し出しているのだろうか……。
*
私は疲労の為か重くなった体を引きずって、森の中を歩いていた。
いや、さっきのダイブで服が水を吸ってしまっているから、実際重いのだ。
もう走ることもできなくなり、視線を落としながらとぼとぼと歩を進めた。体力的に、というよりは精神的に疲弊している。
追っ手はすぐにやって来るのだろうか、ケープとグランマはどうなったのか、そもそも真犯人は誰なのか……。そんな考えがぐるぐると頭の中に浮かんでは消えていった。
──やがて、そうしているうちに、少し開けた場所に出る。お婆さんの家の庭だ。言わずもがな、私は遠回りの方の道を歩いてここまで来たのである。
私は立ち止まり、目線を上げた。そして、すぐにあることに気づく。
(灯りが、点いてる……)
そう、お婆さんの家の窓からは、暖かそうな色の光が漏れているのだ。
もしかしたら、まだ警察が現場検証を行っているのかも。そんな風に考えながら、私は静かに窓の側に近寄った。
そして、中にいる人に見つかってしまわぬよう注意しながら、窓の向こうを覗き込む。
すると、予想に反し、そこには童話警察の人間など誰もいなかった。
その代り、家の中にはある意外な人物が。
「──え⁉︎」
台所に立っている彼女の後ろ姿を見て、私は思わず声を上げてしまった。
とっさに両手で口を抑えるも、中まで聞こえるほどのボリュームだったのか、向こうも私の存在に気づいたらしい。
動かしていた手を止めて、彼女は私のいる方を振り返る。
その顔を見て、私はまるで夢でも見ているような気分になった。こんなところにはいるはずのない人間が、そこにいたからだ。
今度は声も出せず、ただ茫然としていると、あちらも驚いたように目を丸くさせた。それから、すぐにパッと明るい笑みを浮かべ、こちらに近づいて来る。
家の中から窓を開けた彼女は、予期せぬ再会を喜んでいるらしく、弾んだ声で言った。
「トウカ先輩じゃないっすか! 何してるんですかー?」
青色のショートヘアーを揺らし、彼女は首を傾げる。その頭──額の少し上辺り──には、私の物よりも長い一本の角が生えており──
「あ、あんたこそ、なんでここにいるの……ユズ」
思いがけず出くわした高校時代の後輩に、私は尋ね返した。




