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第十五話

「うぅむ、それでぶどう酒の瓶だけが割れていたのか……。

 しかし、彼女は何故そんなことをしたんだ?」

「……証拠隠滅の為でしょう。

 赤ずきんさんは、凶器に関する痕跡がその場に残っていることに気づきました。そこで、一計を案じぶどう酒を割ることにした。正確に言えば、床を濡らしてしまうことにしたのです」


 俯いたまま、私は寒気を感じていた。


(やっぱり、わかってるんだ。私が使った凶器が、何なのか)


 そして、だからこそ彼は、私にあのこと(、、、、)を尋ねて来たのだろう。


「では、何故赤ずきんさんは床を濡らす必要があったのか。それは、おそらく床を拭く為の大義名分を得る為。つまり、犯行後床には水が溢れていたと考えられます。……ここまで来れば、彼女が使用した凶器がわかりますね」

「……もしかして、花瓶、ですか?」


 呟いたのはエクゥスだった。

 顔を上げずとも、アトキンスが頷いたのがわかる。


「そうです。花瓶から溢れてしまった水を誤魔化す為、赤ずきんさんはぶどう酒を割り、堂々と床を拭けるようにしたのです。

 ちなみに、浴槽にお湯を出した形跡があったのも、同じ理由からだと思われます。被害者に降りかかった水を、洗い流してしまおうと考えたのでしょう。苦肉の策ですね」


 彼の推理は、ほとんど正解だ。私に共犯者がいるという部分以外は。


「また、お婆さんの家にあった箒とちりとりが何者かに使われていたことからも、凶器が花瓶だと推測できます。言うまでもなく、割れてしまった破片を集めたのでしょう。

 ……以上が、僕が彼女を疑う理由です何か意見がありましたら、教えてください」


 アトキンスは初めにそうしたように、一向を見渡す。

 すぐに反論したのは、やはりケープだった。


「言いたいことならあるよー。お兄ちゃんのお話は確かた筋が通ってるけど、証拠はないんだよね? ぶどう酒のことにしたって、それだけでお姉ちゃんを犯人だと断定できる物じゃないし。私の言ってること、間違ってるかなぁ?」

「……いえ、仰るとおりです」


 意外なほどあっさりと、彼女の意見を肯定する。

 が、しかし、私が安堵するよりも先に、彼は自らの言葉を打ち消した。


「ですが、おそらく証拠は遺されているとはずです。……被害者の爪(、、、、、)に」


 瞬間、時が止まったような感覚を覚える。

 そして脳裏に浮かぶのは、お婆さんの部屋でのアトキンスの言葉と、こちらを見つめる無機的な瞳。


──ここ、破れてますよ?


(そうだ……あれが見つかってしまったら、どのみち言い逃れできない……)


 これ以上ないくらいの絶望に、またも視界が霞む。

 そんな私を見て何を思っているのかわからないが、彼は今までとなんら変わらぬ口調で続けた。


「フローズヴィトニルソンさんの爪には、引っかかっていることでしょう。赤ずきんさんの、破れたずきんの一部が」


 探偵が言うと、場がどよめいた。さっき大部屋に入って来た時のように、みんなの視線が私を突き刺す。

 終わった。

 ただそれだけを思い、自分の足元ですらぼやけて見えなくなる。


「……赤ずきんさん。僕のこの推理は、あなたが鬼──童話のゲッシュを跳ね除けるほど強力な種族──だという前提の上に、成り立っています。もし否定すると仰るのなら……ずきんを脱いでいただけますか?」


 アトキンスが、いや誰もが私の答えを待っている。

 やがて、私は震える声を辛うじて絞り出した。


「……ごめんなさい」

「……それは、肯定と受け取ってよろしいのですか?」

「……はい」


 頷いた私は、とうとうずきんに手をかける。


「待って! お姉ちゃん!」


 ケープが止めるのも構わずに、私は赤いずきんを取った。黒い髪が踊り、二本の角が衆目に晒される。


「ま、まさか本当に!」


 呻くように、ワイルドボアが声を上げた。


「やっぱり、あんただったのね! あんたがハティを殺したんだ!」


 ヒステリックに叫んだのはスケイルだ。


「何とか言いなさいよ! このっ」

「ちょっと、落ち着いてください!」


 掴みかかりそうな勢いでこちらに向かって来る彼女を、エクゥスが慌てて抑える。

 私は俯いたまま、再び「ごめんなさい」と零した。


「ごめんじゃないわよ! あんた、まさかレジスタンスなんじゃないでしょうね!」

「レジスタンス……もしかして、あの赤鬼(、、、、)の?」


 ぽつりと、イナバが呟く。彼の言葉に、誰もがはっとしたような表情になった。


「いや、しかしいくらなんでも年齢が違いすぎる。それに、見たところ彼女は鬼と人間のハーフのようですし」

「……血縁者、ということでしょうか?」


 探偵は、やはり私を観察しながら尋ねて来る。もう、ダメみたいだ。こうなってしまっては、誤魔化すことなんてできない。


「……母です」


 気づけば私は答えていた。


「その赤鬼は、たぶん私の母のことです」


 そう、私の母は若かれし頃レジスタンスに参加していたのである。そこで武闘派として名を上げたのだとか。

 活動の最中、父と出会うまでは……。


「ほ、ほら見なさい! やっぱりこいつが犯人なのよ! 早く逮捕してよ!」

「うむ……」


 警部は唸りながら部下に目配せした。頷いたエクゥスはスーツのジャケットの内側から手錠を取り出し、私に近づいて来る。


(何もかも、もう終わり。……やっぱり、もっと早く諦めるべきだったんだ。少なくとも、オオカミを殴り倒した時、素直に自分の罪を認めていたら……)


 現実から目を逸らし、逃げおおせようとした結果がこれだ。きっと今までもずっとそうだったから。だから、膨れ上がった利息と共に、神様が罰を与えようとしているんだろう。

 もう何度目になるかわからない自己嫌悪に苛まれ、私は瞼を閉じた。

 と、同時に──

 誰かが私の右手を握る。

 柔らかな感触に驚き、私はすぐに目を見開いた。


「逃げるよ、お姉ちゃん!」


 その声は、ケープの物だった。言うが早いか、彼女は私の手を引いて背中の方にあったドアへと向かう。


「お、おい、待ちなさい!」


 ワイルドボアが呼び止めたが、すぐに追いかけて来る気配はなかった。

 いったいどうしてなのか。

 肩越しに振り返ると、捜査陣の前に立ち塞がる老婆の姿が。


「グランマさん!」

「ふぉっふぉっふぉ、ここは私にお任せくだしゃい」


 追っ手を食い止めると言うのか、グランマは両手を広げていた。確かに、彼女はお婆さんにしては妙にガタイがいいが、だからと言って大の男を三人も相手にできるとは思えない。

 それに何より、今日出会ったばかりの人に迷惑はかけられなかった。

 私は体にブレーキをかけると、ケープの手を握ったまま立ち止まる。


「ちょっと、何してるのよ! 早く逃げないと」

「で、でも……」


 私はどうすることもできず、グランマの大きな背中を見つめた。

 すると、彼女は警部らに顔を向けたまま、私にこんなことを言って来る。


「さっき私が言ったこと、覚えてましゅか?」

「は、はい」

「なら、一つだけ訂正しましゅ。……きっと、あなたはもう出会ってるはずでしゅよ。舞台袖にいるあなたのことも、しっかり見てくれる人に」

「グランマさん……」

「でしゅから、安心して逃げてください。あなたがどこへ行こうとも、どうなってしまおうとも、その人はちゃんと見つけ出してくれましゅ。本当のあなたのことを」

「……ありがとうございます!」


 私はその場で頭を下げた。


「礼には及びましぇん。

 ……ところで、よろしければあなたの本当のお名前を教えてもらえましぇんか?」


 意外な要望に少々驚いたが、それでも私はすぐに名乗っていた。


「トウカです」

「ふぉっふぉ、いいお名前でしゅね」


 もう一度だけ頭を下げてから、私は木製のドアに向かって走り出した。

 ケープがそれを開け、私たちは大部屋を後にする。

 何もない空間に出ると、そのまま石の階段を駆け上がって行った。

 三階の廊下に着いたところで、私はケープに尋ねる。


「でも、どうやって塔から出るの? 下の階には警察かいるし、そもそも上に行ったら逃げ場がなくなっちゃうんじゃ」

「大丈夫。私に考えがあるから」


 どこか自信ありげな彼女の言葉に従い、私は廊下を進み、また階段を上った。

 四階に出ると、三階と同じような景色が広がっている。ケープは四つあるドアのうちの一つ──右手の一番奥にある部屋だ──を開いた。

 中に入ると、ここは全く家具がなく、がらんとしている。

 少女は迷わず大きな窓に向かって進むと、クレッセント錠を上げてそれを開けた。その向こうには小さなベランダがある。


「来て」

「う、うん」


 言われるがままに、私はベランダへ出る。すっかり日が暮れており、夜空の下に暗い木々のシルエットが見える。また、眼下には大きな湖が広がっており、不気味なほど静かに波打っていた。


「……え、どうすればいいの?」

「お姉ちゃん、この手すりの上に乗ってみて」


 どうしてそんなことをさせるのだろうかと思ったが、「早く!」と急かされた為、仕方なく言うとおりにする。

 手すりは十センチほどの幅しかなく、塔の四階という高さもあって、かなり怖い。私は手すりに両足を乗せたまま、さらに両手で掴んで落ちてしまわぬよう体を支えた。


「ケープちゃん、これ結構怖いんだけど……」

「大丈夫だって。お姉ちゃん鬼なんでしょ? だったら、私に突き落と(、、、、、、)されても(、、、、)死なない(、、、、)もんね(、、、)


 彼女が何を言ってているのか、そして、何をするつもりなのか、私が理解した時には遅かった。


「ち、ちょっと待って!」

「じゃあね、お姉ちゃん。ゲッシュの力に祈りなさいっ」


 振り返り様に、ケープの小さな手が私の背中を突き飛ばす。振り向きざまに彼女の笑顔を見た次の瞬間、私の体は空中へ投げ出されていた。


「い──いやぁぁぁぁぁ⁉︎」


 心の中で悲鳴を上げながら、私は湖面に向かって真っ逆さまに落ちて行った。

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