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第十三話

 私は彼女の視線につられ、まだ紅茶の残っているカップを見下ろした。


(まさか、この中にその薬が入ってるってこと⁉︎)


 そんな考えがよぎり、思わず頭のずきんを手で抑える。ケープの言っていたことが本当なら、私は正真正銘「鬼」に変わってしまうかも知れない。

 そして、もし鬼の血が流れていることがバレたら、きっと一気に最有力犯人候補だろう。

 それどころか、そのまま有無を言わさず逮捕されてしまう可能性だってある。


(初主演の童話で逮捕されるなんて、そんなの嫌!)


 いつの間にか私は再び泣きそうになっていた──の、だが。


「ぷっ」


 突然、ケープが噴き出した。

 で、我慢できないといった感じで声を出して笑い始めるのを、私は茫然と見つめる。


「あははっ! お姉ちゃん、もしかして信じたぁ?」

「……はい?」

「いやいや、あるわけないじゃん。そんな戻し薬」


 苦しそうにお腹を抱え、身をよじる少女。私が彼女の言葉を理解できたのは、彼女がひとしきり笑い終えた後だった。


「……え、じゃあ今言ってたのは」

「うん、嘘。お姉ちゃんが本当のこと言ってくれないからぁ、ちょっとカマかけてみようと思ったの」


 よほどおかしかったのか、ケープは目元を拭いながら答える。

 むしろ、泣きたいのはこっちの方だ。というか、もうすでに視界が霞んでる。


「あれれ? もしかして泣いてるのぉ? 二十三歳なのに?」

「し、仕方ないでしょ! ていうか歳関係ないし!

 ぐすっ、あなた、本当になんなの? 私を追い詰めて、何がそんなに楽しいの?」


 鼻をすすりながら、私はやっとそれだけ尋ねた。


「ごめんごめん。ちょっとやりすぎちゃったねー。

 けど、お姉ちゃんが隠しごとしてるのはよくわかったよ。だから、私たちにだけ教えてほしいなぁ。あなたの本当の種族を」

「で、でも……」


 そう言われても、簡単に打ち明けられるわけがない。というか、今までの必死で隠して来た意味がなくなってしまう。


(けど、本当のことを言うまで解放してくれなさそうな勢いだし、どうしよう……)


 私はずきんに手をかけたまま、困り果てていた。

 すると、グラランマが優しげな笑みを浮かべる。


「大丈夫でしゅよ。ケープしゃんは、あなたの正体を言いふらすようなことはしましぇんし、それだけで犯人だと決めつけることもありましぇん。口は悪いでしゅが、根はいい子でしゅから」

「ちょっと、余計なこと言わないでよ」

「はいはい、ごめんなしゃいね。

 けど、私たちは本当に事件を解決することだけを考えていましゅ。もちろん、無理にとは言いましぇんが、協力してくれましぇんか?」


 事件を解決する。彼女は確かにそう言った。いったい、この二人は何者なんだろう? 新たな疑問が頭に浮かぶ。

 けどそれと同時に、グラランマの言葉なら信用してもいいように思えて来た。きっと、彼女の言ったことは嘘ではない。それに、ある意味、ここまで怪しまれてたらもうバレてるのと変わらないし。


「……わかり、ました」


 少しだけ悩んだ後、私は絞り出すような声で答える。

 これに対し、一番驚いているのはケープだった。


「なんで⁉︎ 私があれだけやってもダメだっあのに!」

「ふぉっふぉっ、まるで『北風と太陽』でしゅね」


 確かに、グランマの言うとおりだ。悔しそうなケープの顔がおかしくて、私は小さく笑う。

 それから、意を決してずきんを脱いだ。

 頭の上に生えた二本の角が、ついに露わとなる。


「……へえ、お姉ちゃんって鬼だったんだぁ。最強生物じゃん」

「せ、正確にはハーフだし」

「ハーフ? 鬼と人間の?」

「う、うん」


 ずきんを膝の上に乗せたまま頷くと、彼女は何かを思い出したように手を打った。


「ああー、そういえば聞いたことあるかも。赤鬼の異伝子を持つ女と人間キャラの男が結婚したって。つまり、あなたがその二人の子供ってわけか」

「まあ、そうなるかな」


 不本意だけど。


「ふうん、まさかこんなところで出会うとはね。ていうか、鬼の血が流れてる割には、あんまり強そうじゃないよねー」

「……だったら、よかったんだけどね」


 残念ながら、見た目相応のか弱さなど持ち合わせていなかった。むしろ、腕力だけが唯一の取り柄と言っても過言ではない。

 そう思うと、いっそう辛い気持ちになって来る。


「……やっぱり、私にはヒロイン役なんて無理だったみたい。鬼と人間のハーフのくせに赤ずきんとか、図々しすぎますよね?」

「いえいえ、しょんなことは」

「いいんです。さっきも言ったみたいに、今までもずっとうまくいかなかったんです。だから、どうせ今日も失敗するだろうって、自分でもわかってましたから」


 私はまた目線を落とし、自嘲するように言った。やっぱりあれから、オオカミを殴り倒してしまってから、思考がネガティヴになっている。


(自分がヒロインに向いてないことくらい、ずっと前から気づいていた。気づいていながら、今まで騙し騙しやって来たんだ)


 改めてそのことに思い当たり、よりいっそう後悔が強くなる。もっと早く諦めていれば、こんな事件に巻き込まれることも、間接的に犯行に協力してしまうこともなかったのだと。


「……全部、私のせいなんです。私が、自分の正体を隠し通そうとしたから」

「みんな、(おんな)じでしゅよ」


 降って来た声に、私は顔を上げた。目の前に座るおばあさんは、のんびりとした口調のまま続ける。


「誰だって、人に知られたくない正体くらいありましゅ。みんな本当の姿を隠しながら、必死で『自分』という役を演じているんでしゅよ」


 寄越されたのは、意外な言葉だった。

 私は思わずグランマを見つめながら、頭の中で彼女が言ったことを反芻する。

 言われてみれば、当たり前のことだ。けど、そんな風に考えたこと、今まで一度もなかったかも知れない。


「だから、あなたが特別おかしいわけではありましぇん。そんなに自分を卑下する必要なんて、どこにもないでしゅよ」

「けど……」

「大丈夫でしゅ。いつかきっと、舞台袖にいるあなたのこともちゃあんと見てくれる人に、出会えましゅから」


 そこまで言うと、グランマはカップに口をつけた。その様子を見てから、私は頭を下げる。


「……はい。ありがとう、ございます」


 礼を言いながら、結局私は泣いてしまった。しかし、その涙は今までとは違う種類の物のように思える。

 服の袖で雫を拭いながら、胸の奥に温もりが広がって行くのを感じていた。


「わあー、さすがおばあさんっ! イイこと言うなぁー。私感動しちゃったぁ」


 胸の前で両手を組み、ケープがわざとらしく感心したように言う。彼女の方を見てみると、円な瞳を輝かせていた。が、到底心からそう思っているようには見えない。


「ふぉっふぉっふぉ、ケープしゃんだって同じでしゅものね」

「は? 何それどういう意味? だいたいあなたは──」


 何事か言いかけて、ケープは突然口を噤む。

 かと思うと、途端に彼女の顔から表情が消えた。それから何かに気づいたように、目だけを見開く。

 今度はいったいどうしたというのか?

 ケープはいきなり立ち上がると、勢いよくドアの方を振り返った。


「誰!」


 彼女が声をかけると、慌てて誰かが走り去るような音が聞こえて来る。つまり、それじゃあ──


(話、聞かれてたんだ!)


 一瞬にして、全身の血の気が引いて行くのを感じる。私の正体が、グランマたち以外の人間にもバレてしまったのかも知れない。


「くそっ、悪趣味な奴がいたみたいだね」


 ドアを睨みながら、彼女は吐き捨てるように言う。

 それからこちらに向き直ると、


「行くよ、お姉ちゃん。どこのどいつなのか、突き止めないと」

「う、うん」


 どうにか頷き返した私は、慌ててずきんを被り直した。

 グランマも、カップをテーブルに戻しつつ腰を上げる。


「私たちのせいでしゅね。ケープしゃん」

「わかってる。

 大丈夫だよお姉ちゃん。何かあっても、私たちが味方してあげるから」


 今度は私の返事を待つことなく、ケープはさっさと歩き出した。もうすっかりただの子供には見えなくなってるけど、その分なんだか頼もしい。

 私は答える代わり立ち上がり、彼女の後に続いた。


 *


 二階の大部屋に入った瞬間、その場にいた人々の視線が一気に集まった。

 部屋の中にはスケイルとイナバ、それからワイルドボアたち三人がおり、みな疑うような眼差しを私に向けて来る。やはり、誰かが盗み聞きをしており、他の人たちにその内容を伝えたのだろう。

 私は何も言い出せずに、俯き加減で視線を受け止めていた。

 まっさきに口を開いたのは、ワイルドボアだった。


「……赤ずきんさん。失礼ですが、あなたが鬼の異伝子を持っているというのは、本当なんですか?」


 誰もが、私の答えに注目しているのがわかる。


「ちょっと待ってよおまわりさん。そんな言い方したら、お姉ちゃんがかわいそーだよぉ」


 一歩前に出たケープが瞳を潤ませて、警部に訴えかけた。もうすでに無垢な子供の顔に切り替わってるのがすごい。


「いやいや、別に我々も彼女を苛めているわけではなくてだね」

「本当に? だったら、なんでお姉ちゃんを疑うのか教えてほしいなっ」

「ああ、それは……」


 気まずそうに言い淀んだ彼は、背後を振り返る。その視線の先にいたのは、青い顔をしたウサギだった。


「彼が、教えてくれたんだ。たまたま君たちの会話が聞こえて来たらしくい」

「ふうん、そうなんだぁ。

 お兄ちゃん、盗み聞きなんていけないんだよー?」


 彼女は笑顔ながら謎の威圧感を放つ。その瞬間イナバが小さく悲鳴を上げ、体を強張らせるのがわかった。


「ふぉっふぉ、私らのしていたお話は冗談でしゅからねぇ。この()はただの赤ずきんちゃんでしゅよ」

「だったら証拠を見せてよ! もし鬼じゃないって言うなら、今すぐこの場でずきんを脱ぎなさい!」


 グランマの語尾に被せるように、スケイルが噛みつく。


「ううっ、お魚のお姉ちゃん怖いよぉ。どーしてそんなに怒ってるのー?」

「うっさいわね! 本当はあんたらもグルなんじゃないの⁉︎ そうよ……きっと三人で協力して、ハティや狩人を殺したのよ!」

「うえ〜ん、犯人扱いされちゃったよー」


 今度はわざとらしく泣くフリをして、グランマの腰にすがりついた。これは見事にスケイルの神経を逆撫でたらしく、彼女の表情はよりいっそう忌々しげな物へと変わる。


「……あの、少しいいでしょうか」


 と、唐突に声を発したのはアトキンスだった。一触即発──主にミニずきんちゃんと魚が──の状況の中だけで、彼だけは相変わらず無表情である。


「なんだこんな時に」

「……実は、わかったんです」


 私立探偵は静かな声で応じると、一向を見渡した。水色の不思議な瞳が、最後に私に止まる。


「この事件の真相が」

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