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第十話

 塔の四階、疑惑の角部屋の中は酷く殺風景だった。

 グランマが閉じ込められていた部屋同様、机や椅子、そしてベッドといった一応の家具は置かれている。しかし、長らく使われていなかった為か、あちらよりもいっそう物寂しい印象を受けた。

 室内を見渡したワイルドボアは、ひとまず誰も隠れていないこと、また、それができるスペースがないことを知る。すんなりドアが開いた時点で、ある程度予想してはいたようだが。

 それから、あまりにも目を惹く物がなかった為、彼はすぐに前方の壁にある大きな窓──外側に狭いベランダがあり、そこに出られるようになっている──へ向かおうとした。

 が、そこで探偵の呟き声が聞こえ、ワイルドボアは足を止める。


「……妙ですね」


 アトキンスは、壁の前に置かれたベッドの脇に屈んでいた。


「何か見つけたのか?」

「ええ。

 このベッド、最近動かされたらしい形跡があります」

「なに?」


 意外な言葉を聞き後ろに近くと、少年はベッドの足元の床を指し示す。


「床に積もった埃が、ところどころなくなっています。最近人が出入りしていたと見て間違いないでしょう。そしてその中には、まるでベッドの足の軌道をなぞるような物まである」


 見ると彼の言ったとおり、今ベッドが置かれている場所からドア付近にかけて、埃が取り除かれてできた筋が走っている。ちょうど、引きずりながら動かした時のベッドの足とも合いそうだ。

 また、筋はドアの目の前に到達するより先に途切れている。だいたい、五、六十センチほど手前の位置だ。

 しかも、よく見るとその辺りの埃もなくなっていた。まるでドアの前だけを掃除でもしたかのように。


「つまり、何者かがベッドを動かした時についた跡、ということか」

「おそらく、そうでしょう。

 しかし、いったい何故……」

「さあな。まあ、たいした意味があるとも思えんが」


 あまり興味のなさそうな声で言ってから、ワイルドボアは改めて窓のそばに立つ。窓はすでに開けられており、ベランダにはエクゥスと、それから数人の妖精が飛び回り現場検証を行っていた。


「死体の落ちて来た場所はちょうどこのベランダの真下です。ここから落とされたと見て、間違いないでしょう」


 胸の高さくらいの手すりから下を見下ろしながら、刑事は言う。彼が肘を乗せている手すりは十センチほどの幅があった。


「ふむ。となると、犯人は狩人の死体と共にこの部屋に潜んでいた、と言うことか。

 問題は、いったいどこへ消えてしまったのか、だが……」

「ですね。

 塔から脱出するには、構造上必ず二階の大部屋を通らなければなりません。大部屋には十五時半以降誰かしら人がいましたから、誰にも目撃されずに逃げ出せるとは思えないですよ」

「しかし、塔から出ることができない、ということは、まだ三階か四階のどこかに潜んでいることになるな」


 ワイルドボアたちの会話に、アトキンスが無機的な声で参加する。


「あるいは、十五時半よりも前に塔から出ていたか……。ですが、当然今度はどうやって狩人さんの死体を突き落としたのか、という問題が出て来ます。

 また、なんらかの方法でそれが可能だったとして、何故そのようなことをする必要があったのでしょうか?」

「うーむ、森から遠ざかった後に死体を落とすことで、アリバイを確保しようとしたんじゃないのか?□実際には、結界に阻まれてロクに逃げられなかったんだろうが」


 顎の肉を摘みながら、警部が答えた。

 納得しているのかいないのか。よくわからないが、探偵はすぐに話題を変える。


「いずれにせよ、先ほどのロットさんの証言からして、キャストの方がこの塔へ着いた時にはすでにこの部屋に何らかの仕掛けがしてあったと考えられます。でなければ、鍵のないこの部屋を施錠することはできません」


 アトキンスの言うとおり、この部屋──というかこの塔の全ての部屋だ──の鍵はどこにもなかった。鍵穴自体はあるのだが、童話には不必要な為誰にも渡されていないらしい。


「ああ、その鍵なんですが、現在のこの塔の持ち主が自宅で管理しているそうです」

「塔の持ち主? 誰だ、それは」

「えっと、近くにある村の村長という人ですね。そもそもこの森自体がその村の持ち物らしく、普段からちょくちょく童話の舞台として貸し出していたようです。

 で、念の為確認してもらったら、鍵束がなくなっていた、なんてことはなくちゃんと保管されていると」

「つまり、余計に謎が増えたわけか」


 ワイルドボアは頭痛がするとばかりに額に手を当てる。

 鍵のかかるはずのない部屋のドアが、開かなかった。いったいこの不可解な状況は事件とどう関係があるのか。


「五里霧中だな……」


 上司がため息混じりに呟くのを見て、エクゥスは苦笑した。

 するとその時、ベランダの辺りを飛んでいた鑑識の一人が、ミニチュアのようなスマートフォンを取り出す。


「もしもし? 何かわかったのか?」


 おそらく仲間からの報告を聞いているらしい彼の様子を、三人は黙って見守っていた。


「……そうか、俺から伝えておくよ」


 通話を終えた妖精はスマートフォンをしまい、ワイルドボアたちの方へ向き直る。


「たった今、狩人の検死結果が出ました」

「そうか。

 それで、結果は?」

「死体から、毒物が検出されたそうです」

「毒物、つまり毒殺だったわけか」

「はい。おそらく注射器のような物で注入されたのでしょう」


 検死結果を聞いた彼は、顎に手を当てて黙り込む。

 鑑識は忙しなく羽を動かし宙に浮いたまま、報告を続けた。


「それともう一つ、いや正確には二つ、気になることが」

「なんだ?」

「被害者は、どうやら“縮み薬”を摂取していたようなんです」

「なに?」


 ワイルドボアだけではなく、エクゥスも意外そうな顔をする。

 アトキンスだけはその薬を知らないのか、全く表情を変えなかった。


「なんです? その薬は」

「ああ、童話で割とよく使われる小道具、というか演出装置ですよ。その名のとおり、飲んだ者を小人みたいに小さくさせる効果があります。まあ、大人の男性とかなら、だいたい手のひらに収まるくらいの大きさになりますね」

「なるほど。

 しかし、どうしてそんな物が……犯人が被害者に飲ませたのでしょうか」

「さあ、わかりません。

 ただ、縮み薬は被害者の体内と全身からも検出されました。何者かが振りかけた、もしくは自分から被ったのかも知れませんね」

「振りかけた? いったいどうして……?」


 アトキンスの疑問に、鑑識は数拍置いてから納得したように答えた。


「縮み薬は、飲む以外にも直接体にかけて使うこともできるんですよ。むしろ、ただ飲んだだけだと体しか小さくならないので、童話で使う時は大抵振りかけますね」

「そうなのですか。

 しかし、それですと、例えば床などに付着した分はどうなるのでしょう? 建物その物が小さくなってしまうということは……」

「ありませんね。というのも、どういうわけか縮み薬は人間や、その人の身につけている物にしか効果がないんです。ですから、舞台となる場所まで縮んでしまうことはないですし、そもそも薬を入れている容器に影響がないのも、この為です。

 もちろん、これも全て過去の文明の技術だそうで、どういう仕組みなのかは一般に開示されていません」


 妖精はそこで一息つき、乾いた唇を舐めてから話を再開する。


「それと、被害者の体からはもう一つ別の薬品も検出されたそうでして」

「もう一つの薬?

「ええ、“戻し薬”です。縮み薬だけではなく、戻し薬も全身にかけられていたようなんですよ」


 またもアトキンスの知らない単語が飛び出したが、今度はニュアンスで理解できた。


「つまり、縮んた体を元の大きさに戻す為の薬品、ですか」

「そのとおりです。これも童話の小道具としてはポピュラーな物ですね。

 縮み薬自体も時間が経てば効果が切れますが、すぐに元の大きさに戻りたい時はこれを飲む、もしくは誰かにかけてもらいます」

「……縮み薬の効力は、どれくらいで切れるのでしょうか?」

「そうですねぇ……一般的な物ではだいたい四十分くらいじゃないですかね。いろいろ種類が出回っているので、一概には言えませんけど」

「四十分……」


 少年は考えをまとめているのか、自身の足元に目を落とす。黙り込んでしまった彼の代わりに、今度はエクゥスが妖精に話しかけた。


「どちらの薬もどこにでもある物ですし、そこから足がつくってことは……」

「まずないでしょうね」


 困ったとばかりに、彼は帽子を被った頭を掻くジェスチャーをする。

 鑑識と部下のやり取りを聞きながら、ワイルドボアはベランダの向こうに広がる景色に目を向けた。

 傾きかけた日の光が眩しく、彼は目を細める。

 背の低い木々が鬱蒼と生える森の空には、少しずつ夕闇が近づいていた。


「……と、そう言えば例の件はどうなったんだ? もう済んだのか?」

「ああ、はい。一応近くの村の交番に協力を依頼しておきました」


 妖精との会話を切り上げ、エクゥスが答える。


「一応村の住人たちからも情報を募ってもらえるらしいです」

「うむ、それは何よりだ。いい知らせがあるといいがな」


 あまり期待はしていなさそうに、彼は言った。


「その村というのは、先ほど話にあったこの森を管理しているという……」

「ええ、そうです。ここから一番近い人里でして、どうやらこの森に来るには必ずそこを経由しなければならないみたいですね。僕たちもそうでしたけど」

「それは、どちらの入り口から入るにしても、同じなのでしょうか?」

「そうです。村の左右から道が伸びていまして、外界と村を繋ぐ橋の方から見ると、ちょうどYの字の形になってるんですね。で、それぞれ森の両方の入り口に続いてるわけです」

「なるほど……でしたら、キャストの方々もそこを通って来たんですね」


 相手に確認する、というよりも独白のようにアトキンスは呟く。

 その声を聞いたワイルドボアは、「いずれにせよ」と話をまとめようとした。


「交番からの報告を待つとして、こっちはこっちで捜査を進めなくてはならん。念の為、他の部屋も見に行くぞ」


 彼の一言で、三人な廊下に出る。それから四階と三階の各部屋を一通り見て回ったが、手がかりになる物は発見できず──

 ひとまず、第三者が塔に潜んでいるようなことはない、ということを確認しただけで、彼らは一度関係者たちの元へ戻ることとなった。


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