進路と昼食
「さてと」
昼食の準備を終えた石井さんも丸テーブルに座る。板間にカーペットを敷いただけで、長時間座るには向かない。
「そっちの椅子を使いなよ」
「別にいいわよ。離れちゃうじゃない」
そんなに傍にいたいのかと惚気かけたら、石井さんはテーブルに何枚かの紙を置いた。
「来年のゼミをどうするか決めておこうと思ってね」
「なるほど」
来年は大学も三回生となり、ゼミへ参加することができるようになる。
実際の卒業に必要なレポートは、四回生になってからでも間に合うが、三回生のうちにゼミに所属しておくと、何かと便宜を図ってもらえるのだ。
「前にちらっと言ってた行動心理学。そのものは無いみたいだけど、心理学自体のゼミはいくつかあるみたい」
石井さんは事前に色々と調べてくれていたみたいだ。俺は何もしてなくて駄目だなぁ。
用意してくれていた各ゼミの要項をプリントアウトした紙を眺める。
心理学といっても哲学的な深層心理の解明から、市場の動向を探る群集心理など幅は広い。
その中で目に止まったのは、人工知能における心理変化だった。
「まずはそこに目が行くよね」
「これってメイやウィステリアに通じる部分かなって」
「プログラムに魂は宿るのか、そんな感じからアプローチしてたり、人の心を再現するために心理を分析したり。意外と総合学問みたい」
「ALFのNPCはほとんどプレイヤーと変わらない気がするよね。そうなったら、心も当然ありそうだし」
「その辺、ルカさんも調べようとして、メイちゃんとかに話しかけてるしね」
まさか変な知恵を吹き込んでないだろうな。
「知識を与えて妙に変化しないように、聞くだけにしてるみたいだけど……それでも影響はあるのかな?」
「う〜ん、メイの健全な育生には知識も必要だね」
「もちろん、他の分野のゼミもあるし、三回生のうちに色々と見て回るのがいいと思うけど」
「まずはここを見てみようかな」
「うん、私も興味あるし」
既に俺と同じゼミを取ることを決めているみたいだ。傍によく知った人がいてくれるのはありがたい。
「けど無理に合わせてくれる必要はないよ。俺も深く考えて行動心理学って言ったわけじゃないし」
「何か一緒だと困る事情でもあるのかしら?」
「そ、そんなのはないけど、俺のせいで石井さんがやりたいことをやれないのは嫌だし」
「その辺は私も考えてるから、心配しないで」
計画性のない俺が、段取り力の高い彼女を心配するほうが、失礼だったか。
実際、ルカに影響されて心理学に興味を持ったが、本当にそれでいいのか。特になりたい職業があるわけでもない。
「石井さんは将来、何になるか決めてる?」
「それは……お嫁さん?」
「ゔ?」
「流石にその反応はないと思うんだけど……私、嫌われてる?」
もちろん石井さんの事は好きなんだけど、たまに重く感じる事もある。俺はどうしたいんだ。
「まあ冗談はさておき、まだ現時点で何をしたいかとかわからないわね。ゼミとかに入って、先輩の意見とか聞いたりしながら、探すのだと思うわ」
「やっぱりそんな感じなのかなぁ」
身近な社会人というと、ルカかマーカスしか出てこない辺りが限界を下げている。
もっと良識ある人脈を作らないとな。
「さてと、そろそろ昼食を作りましょうか」
サラダを食べてから小一時間。まだ空腹とは言えないが、サラダで腹いっぱいになった訳でもない。
「何か手伝える?」
「手伝うより、自分で作れるようになる方がいいわよ。私が押しかけると迷惑でしょ?」
「そ、そんな事はないよ!」
「まあ、どっちにせよ頼り切られても困るしね。手順は覚えてみてよ」
セイラとして町民に料理を教えたからだろうか、料理の知識のない俺でも一通りの手順が覚えられた。
昼食として用意されたのは、鳥の唐揚げと味噌汁。後はサラダにご飯と、学食の定食とメニューは変わらない。
「揚げ物なんかは、どれもあんまり変わらないわ。コロッケでもトンカツでも。一人暮らしなら衣まで付いてるのを買ってきて、自分で揚げるだけで、味は全く変わるわよ」
近所のスーパーにもそうしたものは売っていたのを思い出す。どうしても揚げてあるのを買ってきて、レンジで温める程度だが、今度試してみようかな。
「!?」
しかし、石井さんの唐揚げは口に入れた途端、既製品と違うのが分かる。
衣はサクサクで軽く、ほどよい歯ごたえ。中は下味がしっかりとついていてジューシー、味はしっかりとしているのにしつこさはない。
味噌汁も粉末のダシと合わせ味噌というありふれたモノだが、食堂で食べるのとは全く違う。
「味噌汁は風味が大事だからね。作りたてが美味しいのよ」
「なるほど」
田舎から送られてきて放置していたはずの米でさえ、味が違っている。
「水の分量と洗い方かしら? あまり力を入れすぎず、熱が伝わらないように流水で洗うのがいいわね。氷水なんかも使う人がいるみたい」
「そ、そうなんだ」
洗うだけでも色々あるみたいだ。
昼食をすっかり堪能して、腹いっぱいまで食べてしまった。
「ALFでも凄いと思ったけど、リアルだとより美味しさが分かるんだね」
「そうみたいね。有名店もALFに出店してたけど、現実の味は完全には再現できなかったみたいだし」
日本は味覚に特化して、グルメなサーバーとして有名だったが、それでも現実には及ばないらしい。
満腹になって動く気力もなくなったので、やることは限られる。
「そこでヘッドギアなんだ……」
「石井さんも持ってきてるんでしょ?」
「まあ、そうなんだけどさ」
正直、彼女と二人きりでどう過ごせばいいのか分からない。ALF内なら、やる事は山積みで悩む必要もなかった。
「石井さんがベッドを使いなよ。俺は床でいいから」
ヘッドギアを被る時は、寝ている姿勢が望ましい。一応、体への動きは抑制されるが、血液の巡りなどを鑑みて、横になっていた方がいいらしい。
「詰めれば一緒に寝られるじゃない」
「いや、でもそれは……」
「ALFに入っちゃったら、何もできないんだし、一緒でしょ。床でログインしてたら、終わったとき大変よ?」
シングルベッドの端に石井さんが横たわる。並んで寝られない訳じゃないが、いいのだろうか。
「ほら早く」
手を引かれてそのままベッドに誘われる。そうだ、ALFに行くだけ。やましいことは何一つ無い。
俺は意を決して、ヘッドギアを被ると、横たわるなりログインした。
「うう、本当にゲーム始めちゃうし。もうちょっとこう、無いのかしら……」
石井さんのつぶやきが耳元で聞こえたが、意識はゲームの中へと落ち込んでいった。




