朽木谷の戦いと
北近江 小谷城 浅井 信政
甲斐の武田が史実通り兵を動かした。
どうやら二条城の将軍家が策動したのは間違いない、毛利からの援護はないに等しいが、
石山本願寺が密かに援護しているのだろうか。
石山本願寺は密かに加賀の一向衆を動かし、父を足止めしている。
将軍家や石山本願寺は毛利を当てにしているようだが、上手くいってない。
史実なら、村上水軍を動かし、兵糧を運び込んでいるが、逆に三村から火縄を借りていることを聞いて、石山本願寺の蠢動は少ない。
ただ、将軍家が若狭に武田元明らを派遣して、国人領主達に反乱を企てていることは分かっている。
背後を突こうとしている。
朽木谷を通るらしいとの一氏から聴いた。
私は祐光と謀り、密かに宮部継潤を呼んだ。
継潤『武田元明が密かに若狭に入るとか』
私は頷き、『継潤には彼らの背後を突いて貰う』
継潤は『湖西の細い道を上手く使う訳ですな』
私は『時間はかけられない、若狭の西の一色や波多野がどのように動くかもわからない。
攻めてきたら各個撃破していくつもりだ。
武田元明には悪いが、攻めて来る以上は壊滅させる。
一人足りとも、京には生きて帰すな。
時間も惜しいから、首を取ることは考えるな。』
次に渡辺了や可児才蔵らを呼び、同じことを言った。
『出陣するに当たり言っておく。
大将の首級をあげたい気持ちはわかるが、時間がかかりすぎるため、効率が悪い。
攻めて来る敵を殺すことだけを考えて欲しい
。』
了が『なるほど、時間重視ですか。
しかし、恩賞は』
私は『土地や金銭となろう、それと、最近では取った首級の取り合いによる殺し合いもあるらしいな』
才蔵『はい』
私『それを無くすために、だ。』
効率を求めていることに気づいた。
そして先鋒は可児才蔵
副将には渡辺了
軍師には沼田祐光
大将は私が務めることになり、火縄は千梃。
私は密かにある武器を完成させていた。
祐光『あれを使いまするか』
私は頷き、持って来させた。
連弩だった。
一度に十本の矢が出る作りになっている。
才蔵や了も驚いていた。
さらに弓矢ではなく、普通の弩も準備していた。
破壊力は凄まじいものにしていた。
私は彼らに『いずれ、連射式の火縄がいずれ出来る、だが、今は不可能だし、作れないだろう、だから連弩を準備した。
防御の兵器ではあるが、使いようによっては、攻撃に使える。
了『高い場所におけば、そうか、だから』
私は『朽木谷で潰す』
朽木谷で準備をし、武田元明らの軍を密かに待ち受けた。
北近江 朽木谷
武田元明らの軍、五千が進んでいた。
朝倉、六角などの残党や波多野勢が一部加わり、進んでいた。
武田元明は自身が若狭に入れば、味方になる者も現れよう。
そして、浅井の背後を脅かす。
兵の少ない小谷城を落として、長政の妻女である市や自身に嫁ぐ筈だった竜子らを強奪してくれると考えていたが、淺慮であったと後悔する時間はなかった。
朽木谷を通りすぎようとしたら逆茂木があり、進めなくなったところに、火縄と連弩が雨あられと降り注ぎ、背後に回った、宮部継潤の軍に襲われ、狭いところに六千の兵が密集してまった。
逆茂木を乗り越えた僅かな兵は渡辺了や可児才蔵らの隊に皆殺しにされた。
武田元明も全身を火縄に貫かれ、訳も分からない内に戦死を遂げていた。
信政は自軍の死者はほとんどなく、負傷者は僅かな数だったことを安堵し、戦死者の武器や鎧を剥ぎ取り、小谷に送った。
大きな穴を掘り、戦死した兵や将を穴の中で焼き、灰になったのを確認してから土を被せ、塚を作ってから小谷に帰還した。
継潤に湖西の準備を任せてから
北近江 小谷城
伯父の政之が出迎えていた。
信政は勝利に浮かれることなく、政之に若狭のことを尋ねた。
『一色が動き、政元伯父が迎撃中、地の利を生かした防御を展開しているが、苦戦している、か。
丹波勢が入っている』
私は政之伯父に『丹波勢を引かせます。
丹波に攻めるフリをし、噂を流します。』
一か月もしない内に丹波勢は丹波に引き上げ、丹波の一色勢のみとなり、政元は攻勢に転じ、若狭から一色勢を追い払った。
その頃、長篠で、織田勢は五千挺に及ぶ火縄を駆使して武田を撃破していた。
若狭や北近江でのことを聴いた第六天魔王は、信政を褒め、『見事じゃ、信政。
阿呆の公方は血の気が引いたであろう。』
第六天魔王は信政に丹後への侵攻を許可したと言う。
それと同時に毛利が第六天魔王に付いたことで、第六天魔王に逆らう者が減り続けることになった。
北近江に帰ってきた信政は、小谷城に帰還し、母の市や妻の督、妹の茶々、初、江と会ったが、竜子とその弟がいないことに気づいた。
どうやら、私がいない時に細川幽斎と長篠で火縄を第六天魔王に貸した備中の三村元親が小谷を訪ねたらしい。
その際、竜子が『浅井に居づらいため、どうにかして欲しい』と言ったらしい。
茶々との確執が酷いものになっていたと、市や督が私に言ってきた。
督『元親殿に竜子様は興味を持っていたらしいから』とも。
私はため息をついて、『確かに興味を持っていたのは知っている。
側室になるのは難しいかもしれない、なぜなら、毛利の側室を持たない、元就公以来の伝統がある。
第六天魔王や義父は側室を持たれているが』
督『まあ、変な方に嫁ぐよりは良いかと思いますが』
とりあえず、父、長政にその経緯を手紙に書いて報告せざるを得なかった。
そのあと、『他には何か』
市『朽木谷で貴方が使った、連弩を見て、よく再現出来た、と。
弩については、弓矢よりは疲労が少ないが、
機械ゆえ、壊れたら大変だと』
私は弩の弱点を悟った三村元親殿に深いため息をついていた。
私は丹後、但馬への侵攻を考えていたが、兵数が少ないこともあり、断念せざるを得なかった。
その頃、二条城の将軍家にやっと、朽木谷での壊滅と丹波、丹後勢の敗退が知らされ、将軍家は顔色を変え、武田元明が装備していた遺品とも言える刀が浅井から送られ、将軍家はそれを見て震えていたと言う。