朝倉の滅亡と人材獲得
北近江 小谷城 万福丸
やっと、変な理屈で訳の分からぬことをほざく、祖父を放逐し、二年が経った。
これから甲斐武田の如く家中が一致団結する。
そんな中、祖父が考えていた従姉妹の若狭守護、武田への輿入れが決まっていたが、画餅してしまい、小谷に住んでいる。
猿の側室になった京極竜子だ。
うわ、母に匹敵する美人になるとは聞いたけど、片鱗が見えている。
父はしばらく養女として養うことを決めたようだ。
弟は、私と一緒に育てられることになった。
茶々が私が3歳、初が4歳、江は6歳の時に生まれた。
妹達が歩む過酷な運命から『さらば』になった感じがするが、まだまだ分からない。
第六天魔王と狸と共に、越前攻めを行なうことになった。
どうやら、朝倉はまだ、浅井が第六天魔王についたことを知らない。
私は父にそのことを言って金ヶ崎城を落とすことを献策した。
父は笑い、『そのことは既に、考えている。
だれに頼むか』
私は『田中吉政に頼み、城将を始末したら、開城させては』
侍従の一人がやってきて、第六天魔王と狸が来訪したことを告げた。
同上 第六天魔王
万福丸と備前守が話をしていたのを聞いたが、『その策で行け、備前守』
万福丸は顔色を変えていた。
『久しぶりだな、万福丸』
万福丸は平服し、『はい、叔父上』
儂は『朝倉、若狭を潰したら、若狭、越前は浅井に、備前守、三河守が東海道をお主には北陸道を頼むための越前若狭の領有だ。』
備前守は顔色を変えていた。
軍備は既に整えてあるため、明後日、出撃して行くことになった。
儂は万福丸を残し、話をした。
『全て、お主が考えた絵図面になった。
朝倉を潰せば、一向衆だが』
万福丸『既に彼らは僧侶ではありませぬ。
力づくで更生してやらねばなりません。
比叡山などは、特権を盾に武器を持ち、女を連れ込み、朝廷には強訴を行う。
山賊と言って良い。
既に宗教から逸脱している、将来の日の本のためにも、始末するしかない』
儂と同じ考えとは思わなんだわ。
別の場所で、狸と父が話をしていた。
狸『備前守殿、よくぞ考えて下された』
長政『万福丸に周りを固められたため、弟達もどうにもならなかった、と』
狸としては浅井が、朝倉についたら、狸が織田に振り回されることを恐れた。
京に上った時に、朝倉と距離をおけ、と。
狸『備前守殿、将来いやよそう。』
狸は離れて行った。
浅井勢が織田、徳川連合軍に加わったことと金ヶ崎城が落ちたことで朝倉義景は青くなった。
とりあえず、一族の朝倉景鏡に迎撃させたが、士気も上がらない軍と織田、徳川、浅井連合軍の物量により、大敗した。
一乗谷に義景は戻ったが、家臣達の殆どが領地に戻り、一乗谷に出仕しなかった。
鳥居景近、高橋景業らのみ残るくらいで、あった。
父は朝倉氏の家臣団を調略していた。
一族の朝倉景鏡が背くと鳥居らは景鏡を討ち取りに向かってしまい、行かなくても良いのに、討ち取りに行った。
一乗谷で前波吉継が謀叛し、義景を襲ったため、織田、徳川、浅井連合軍の手を汚すことなく、義景は追い詰められ、自害した。
朝倉氏は滅亡した。
その結果、鳥居、高橋は在野に下ったが、朝倉の旧家臣達は本領安堵。
朝倉から浅井に仕えることになった。
北近江 小谷城 万福丸
越前、若狭が浅井のものとなった。
問題は加賀だ。
あの一向衆が来るが、勝つには勝てるが、出来る限り、戦場で殺すのではない、彼らを農村に返し、彼らを利用して、騙している、一向衆を潰す必要がある。
彼らは他の宗派も攻撃対象にしているのならば、組む必要がある。
他の宗派にとっては、死活問題と言っていいだろう。
越前にやつらが来るのならば、他のところでも悪さをする可能性があるだろう。
第六天魔王に京へ上りやすくするには、浅井の領地がかかっている。
その領地の代わりはいずれ貰うとしようか。
それと金ヶ崎城を要塞化して一向衆が来ると想定しておくとしよう。
差し当たり、越前は朝倉の旧家臣団を使って統治するのも良い、ただ前波吉継と富田長繁の仲は険悪である、富田を若狭にやるようにしておくかな。
上手く三ヶ国に浅井、朝倉の家臣達を配置して、波風立たないように配置する必要がある。
それと、近江の猿や狸を支えた人材を登用せねばならない。
歴史の改変により、浅井が滅びてない。
猿が近江に領地を貰う可能性は低い。
配下に出来る可能性が高い。
阿閉のところにいたよ。
あれが、さっさと直臣にしようか。
後年、阿閉のところにいたあれを登用しようと考えていたのに、阿閉があれに暇を出してしまったことを聞いて、私は内心、激怒した。
阿閉に対し、失望を禁じ得なかった。
後に、私が欲しい人材の半分が備中の三村に仕官したと聞いて、ため息をついたのは別の話である。
しばらく考えて、ふと、思い出したことがある。
若狭の国には確かあの軍師がいた筈、若狭を追われ、諸国流浪しているか、近江にいるのなら、登用する必要がある。
条件としては旧領を回復と加増。
津軽などに仕えさせるよりは。
そう思って、越前から帰ってきた遠藤直経に命じて密かに探させると丁度、近江にいるらしい。
私は直経を伴い、口説いた。
若狭の旧領の回復が効いたのか、浅井と言うより私に仕えることになった。
私は彼から学ぶことが多かった。
同上 沼田 祐光
若狭から追われ、弟達と共に、近江にきた。
諸国を回る筈だったが、先頃、越前、若狭を得た浅井、そこの、浅井の若君が直々に私のところに尋ねてきた。
僅か10歳になるか、ならないかの子供と思ったら間違いだった。
恐ろしいくらいの才能のある人物だった。
浅井の久政殿を織田に送った絵図面を書いたのはこの子供らしい。
補佐と言うより、足りないところを補って欲しいと言う。
諸国流浪を考えていたが、止めよう。
この子供が何処まで行くのか、見てみるのも面白い。
弟達は若狭の旧領を回復と言う条件を聞いて、嬉しいらしい、浅井に仕えようと考えている。
私は『お受けしよう。』
若君は嬉しそうな表情をしていた。
若君は早速、尋ねてきた。
一向衆対策を。
『相手は民、百姓、いかにしたら良いかな、
単に税制を見直すのとら一向衆と仲の悪い寺社もいる。
彼らを利用するのと、戦場での対策は?』
私は『民、百姓を操る僧侶を討ち取る、僧侶に絞りながら、さすれば』
若君は『なるほど、僧侶の恐怖を煽るか』
私は頷き、『加賀は石山から派遣された坊官らしく、かなりの圧政らしい、坊官と民、百姓との間に離間の策を施してやれば、自壊するかもしれない』と。
若君は『加賀で噂をばら撒くにはやはり』
私は『甲賀の忍びを雇いなさいませ』
若君は頷き、『わかった』
その後、甲賀の忍びを雇い、加賀一向衆に楔を入れていくことになる。
猿に仕えた中村孫平次を獲得も平行して行われたと言う。