上野への侵攻
越後の国 春日山城
私は父、長政と共に関東征伐の軍の北陸道方面軍を指揮し、越後の上杉軍と合流した。
冬になる前に三国峠を越える予定だ。
行軍の際、越中と越後の境の親不知、子不知の要所を通った。
私は上杉と和睦がなった上は、この要所の交通の便を良いものにする必要があると感じざるを得なかった。
父が上杉との縁組を考える必要があると言っていたが、私は『確かに良い考えではありますが、変に疑う御仁が信長様の側にいます。
讒言する者も』
父は私の心配に対し、思案にくれたが、『義兄上に相談してからにしよう。
義兄上の家臣達の目の前で決めよう。』と。
私は頷いた。
その中、兼続が尋ねてきた。
兼続『景勝様より、直江家の門地を、弟は小国家の門地継ぐことになりました。』
私は頷き、『越後の開発は進んでいますか?』
兼続は頷き、『当初、越後平野の開発に反対する者がいましたが、少しずつ進んでいます。
あの湿地帯を埋め、田畑にするまでには時間はかかるのは覚悟しています。』
私は『長期的に物事を見て行く必要があることも大事です、浅井と上杉が和睦した以上、もう一つの懸案がある。
親不知、子不知の要所の道の整備です。』
兼続『かなりの難所ですが』
私は『やらなければならない。
関東征伐が終わったらの話です、兼続、頭に入れておくように』
兼続は頷き、『早めに片付けたいですが、戦後処理も大変ですが』
私は『信長様の裁定次第でしょうし、我々が攻める、上野の城砦で手こずる可能性や武蔵の忍城、鉢形城、川越城も難攻不落であるとか』
兼続『我が不識庵謙信公も苦労しました』
私は『恐らく、苦労するでしょうから中山道方面軍と合流してからになるが、問題は補給となるでしょう、ある物を密かに作りました。』
私は家臣の一人に密かに作ったものを兼続に見せた。
兼続『これは』
私は『猫車とも、蜀の諸葛亮が考案したとも言われている物です、補給物資は馬車やこれを用いるとしましょう。
やはり、兵糧の数が集まりにくいことが問題となってますので少数精鋭で行くとしましょう。』
かくして浅井、上杉の北陸道方面軍は合わせて3万の大軍は三国峠を越えて上野の国に侵入した。
上野の国 名胡桃城
僅か3日の攻城戦で落城した。
上杉勢の猛攻は凄まじく、アッと言う間に。
何回か関東へ攻め下っているため、又は、城の弱点を知っているためだろう。
沼田、厩橋城をもアッと言う間に陥落し、厩橋城の城下にて今、あの表裏比興と評されている真田昌幸と面会している。
さすがは信玄の眼というだけあって油断出来ぬ存在だ。
北信濃を安堵されているが、今回の関東征伐の理由の一つに挙げられているため、参戦している。
昌幸『遅くなりました。』
私は『よい。兵糧の集まりにくい状態ゆえ、速く押し寄せた、北條の体勢が整わない内にな。
お主の恩師の用兵を真似てみた』
昌幸『大丈夫です、北條に敵対してきた大名、佐竹や里見などが駆けつけてくるため、兵力は整いましょう』
兼続『確かに兵数はな、混成部隊で精鋭とは言えない』
昌幸『ですが、浅井、上杉は少数精鋭ですが』
昌幸は既に弱味に気づいたようだ。
『補給物資ですな、中山道方面軍が合流してきたらかなり厳しくなる。
忍城、鉢形城、川越城は難攻不落、逆に兵糧攻めになる。
ならば無視しましょう。
補給部隊を守りながら、小田原を目指します』
私は『速さを奪われるが、仕方ない』
私と兼続、昌幸は頷いた。
さらに私は『長駆、川越城を囲み、鉢形などの後方撹乱し、川越城の周りに麦藁など置き、火を放つ』
昌幸『なるほど、川越城が落城したと思わせ、救援に向かって貰った隙にですか』
私『やはり失敗するだろうから、無駄に兵力をすり減らすだけだ、やめておこう』
長政が『合流してから、軍議を開く』と宣言してから3日後、中山道方面軍が合流してきた。
ここで信孝様と今後の予定で揉めることになった。




