次男の獲得と北條征伐準備
加賀 末森城
武田征伐が終わり、功績のあった家臣への論功行賞と新たに登用した武田の遺臣の育成と登用、武田一族達を近習としました。
北條征伐まで時間があるので内政を行ないながら、軍需物資や兵糧の集積に時間を割いています。
正家から『あのまま、北條攻めになだれ込むことになっていたら、悲惨なことになっていた』と報告を受けました。
私『それを考えて反対したのだ、一から準備しておいてくれ。』
長盛『なかなか集まりにくいです、各大名も集めていますし、最近では商人達が米などの値段を釣り上げている話も』
私はため息をつき、『時間がかかるか、二年では難しい、五年、時間をかければ、上手くいくのだがな。
新田開発の結果と収穫量の安定が図れるものを』
私は集まりが悪いのなら少数精鋭にし、集めた分にあった兵力にすることにした。
主だった家臣達にそのことを告げた。
勘兵衛『いたしかたない』
才蔵も頷き、『兵力は圧倒的ゆえ、優位がある以上、少数精鋭で良いかと』
私は五千の兵力にし、火縄の数を多く、準備することにした。
しばらくして、三河の石川数正が、密かに信康殿の密命でやってきていた。
数正『信政様、お方様、お久しゅうごさる』
私『数正殿、どうかされたか。』
督もあえて、同席させた。
数正は信康の書状を差し出した。
『これは、於義丸といえば、たしか』
督『私の弟ですが、父は自身の子として認めていないようで』
数正『はい、信康様は弟として認めていますが、家臣の中には殿と同じく、徳川家の次男として認めていない方も少なからず、います。このままではあまりに不憫な結果になりかねません』
私『しかし、私が徳川家の問題に介入するのはどうかと、手紙には私に於義丸を預かって貰いたいとある。』
数正『信康様としては、波風立てたくないのと、築山殿のことも』
私はため息をついてから『分かった、だが、於義丸の家臣やお付きの者もいないようだが』
数正『殿は必要ないと、私の身内の何人かを貸してはいるが、目立たない数なので』
私は最近側に仕えている武田信清を呼んだ。
私『信清、頼みがあるのだが、岸教明とその子の孫四郎嘉明を呼んできてくれ。』
数正の顔色が少し変わった。
しばらくして、教明父子が入ってきた。
『若殿、お呼びで、うっ、数正殿か』
数正『教明殿、お久しゅうごさる。』
私は『数正殿、於義丸殿の件、当家が預かろう、家臣も教明父子を貸す形にする。
それと、三河一向一揆に参加した徳川家臣も預かろう。
渡辺守綱殿も当家で預かろう。』
数正『信政様、やはり気づいて』
私『微妙な亀裂があるのは分かっていた、いくら三河守様が帰参を許しても、やはり主君と戦った事実は変わらぬし、他の家臣も良く思わないだろう。』
数正『はい、微妙な亀裂というか白眼視している者も』
信政は深いため息をついていた。
数正が帰り、しばらくしてから狸の次男、於次丸と渡辺守綱らがやってきた。
私は『これからはここがお主の家だ。
お主の兄上から預かった以上、しっかり、朝は学問や武芸に励め、そして昼からは、政治や領地の統治についても実践で学ぶようにな。
それと三河からやってきた家臣の他に、この者も家臣に加えよ』
守綱は教明父子を見て、目を瞠っていた。
遠江 浜松城
狸は不機嫌さを感じていた。
於義丸を信康が勝手に加賀の督、信政の元に送ってしまい、何処ぞの家の養子に送ることが不可能になってしまったからだ。
しかもかつて三河一向一揆に参加した家臣を連れ出したことにも拍車をかけた。
人材の流出と言っていい。
爪を噛みながら、三河を去った人材を思う。
本多正信、正重兄弟は中国地方、毛利の東の防壁、第六天魔王が一目を置く、名将であり、内政の達人、三村備中守元親に仕え、家宰としても内政家としても重用されている。
正重は一軍の将として重用されている。
正信の息子達も非凡な能力を持って、元親の息子、秀親の家臣として仕えている。
また、水野忠重の子、勝成も三村に仕えている噂もある。
三村の次男、荘信祐に仕えているし、元親が彼の能力を評価して妹を嫁がせたらしい。
さらにまた、三河一向一揆に参加して他国を放浪していた、岸教明父子が浅井に仕えたと言う。
今回の件で儂の次男の家臣として仕えることが決まった。
三河一向一揆で帰参を許した者達もまた、次男の家臣として、加賀に行ってしまった。
儂がいる時、いない時で家臣が割れていたと言うことだ。
不明と言うしかない。
また、娘婿殿の元には武田の一族や旧臣も仕えている。
あの信玄の御伽衆も加えつつある。
婿殿にしてやられたわ。
次の北條征伐は婿殿にやられないように人材を得なければなるまい。
過日、北條征伐後、家臣達は三村、浅井にめぼしい者は引き抜かれたと言うのは別の話である。
狸は爪を噛み破り、吐き捨てた。




