三ヶ国の内政と正室、側室の懐妊
加賀の国 末森城
私がこの城に入ることに、多くの家臣達や正室の督、新しく側室に入った茜が反対した。
あまりに見すぼらしい城で、辺境の城と言う感じだったためだ。
私は『この城は確かに、辺境の城だが、戦略上の拠点だ。
加賀、能登、越中を治める上でな。
いわば、三ヶ国の急所なのだ。
私はこの三ヶ国の統治を父、長政より、命じられた。
ただでさえ、治めにくい土地だから、私の命令が行き届きにくいだろう。
それを想定してのことだ。
例えば、松任や尾山などを本拠地にしたら、越中や能登に届くまで何ヶ月かかるか、分からない。
効率良く動くことが求められる。
統治して行く上で過ちは許されない土地なのだ。
誤れば、上杉や一向宗の残党が介入する。
だが、加賀、能登、越中が平和で豊かになれば、介入はない、介入はないとなれば、本拠地は移転する。
末森城は仮の本拠地とする。』
全員がやっと合点した。
私の三ヶ国統治が始まった。
増田長盛や長束正家、田中吉政、小堀、長連籠らを奉行とした。
小堀に大聖寺城へ派遣し、近くの山の鉱物資源を管理させ、産業開発の起点とした。
第六天魔王の茶頭、千宗易や今井宗久らを呼び、大聖寺城近くの鉱物資源を見せた。
鉱物を見て、千宗易は顔色を変えていた。
今井宗久は朝鮮や明の技術者や窯大将を派遣を約束し、しばらくして、技術者や窯大将達が陶石を利用した焼物、陶器が出来上がり、
京の都や堺で売り上げた。
かなりの利益を得た。
その利益と能登の名物の漆器を同じように、売り上げ、販路を拡大させた。
その利益と三ヶ国には山も多く、鉱物資源が眠っているのは間違いない。
探してみると、金山、銀山、銅山がかなりあった。
これらを上手く利用して、利益を得て、三ヶ国の内政を行なう資金にした。
伊吹山の石灰岩を使って交通路や港の整備に力を入れることも忘れなかった。
田畑の整備や開墾、新田開発、治水にも力を入れ、民生の充実を図り、領民の生活の向上に力を入れた。
これらを行なう上で十年間の再建計画を領民に説明をする布告は忘れることはなかった。
軍事も治安維持を重視し、再建に反対する国人領主の内乱を鎮めることも忘れなかった。
まあ、その前に部下たちがついてこないこともあり、内乱は尻すぼみに終わったが。
この頃には督や茜と同衾することも多く、懐妊した。
督は四男二女、茜は二男二女を産むのは別の話である。




