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三ヶ国の統治

北近江 小谷城



私の元に、再度、軍神が加賀に侵入の報が入った。

あの阿呆公方の要請ということは分かっている。

道は先に切り開いているため、手取川の北岸に現れるのは時間の問題だが、ここ数年、越前、若狭、丹後、北近江の国力は充実し、かなりの兵力を揃えられるようになった。

第六天魔王に援軍要請を行なった。

第六天魔王から思いもよらない方を派遣して貰った。



三村備中守元親殿だった。



兵力は少ないが、火縄の数だけの兵力で、かなり火縄を使った訓練を行なっているのが分かった。

秀親や秀元が初陣ということでの派遣だ。

彼も、軍神の天命を図っているように見受けられた。

そして背後を気にしてもいた。

北ノ庄から大聖寺城までの補給路を。

元親殿は初陣の秀元や秀親への引き締めを行ないながら。


数日後、軍神の軍が到着し、北岸に対陣した。

電光石火の用兵で押し寄せたが、手取川の南岸の陣城を攻めあぐね、冬が来る前に、越後へ引き揚げて行った。

越後に完全退却するまで、油断することなく、見守り、北ノ庄へ退却した。

《その頃には備中守殿は備中へ退却していたため、会えなかった。》

在陣中、父、長政には挨拶をしていたらしい。

秀親と秀元はしばらく滞在したが。

雪が降り出す前に、美濃に引き揚げて行った。


私は北ノ庄に中村一氏に頼み、甲賀の忍びを越後に入れ、軍神の動きを探らせた。

結果は北条が動いてくれたようだ。

そのため、越後に引き揚げた、と。

関東遠征出来るかは分からないが。


しばらくして、越後の軍神が亡くなった報が入ってきた。

私は父に「不識庵が亡くなりました。

加賀、能登、越中に兵を入れましょう、後継者争いに乗じて。」

父は「しかし」

私「我が家にも不幸はありましたが、不識庵は攻めてきました。」

父は頷き、「分かった。」


かくて、私は2万の兵を率いて、加賀へ侵入した。

さすがに一向衆や上杉に降った国人領主も隙を突かれたことや軍神の病死で士気は低下、わすが三カ月で大小の城砦をあっという間に落とされ、加賀、能登を浅井が占領、最後に能登の七尾城が残ったが、あえて、無視。

越中に侵入した、噂を流し、七尾城の兵が私の軍を追撃するように仕向けた。

全軍で追撃したため、七尾城は空になり、父、長政の軍が入城、父は七尾城に兵を残した。

追撃した軍が七尾城に戻ることは出来なかった。

私の軍と父の軍に包囲され、壊滅した。

その際、上杉に降った畠山氏の重臣達はこの戦いで潰され、畠山氏は滅亡した。


兵に休息を与えながら、越中への侵入を開始した。

そこでも、上杉に降った国人領主を悉く壊滅させ、ついには魚津城を残し、越中を浅井の領地にした。

魚津城を包囲し、越後の様子を伺いながら、

城兵達に降伏と越後への帰還を約束した。


ようやく、越後の後継者争いが終息した頃には、魚津城は開城、約束通り、越後へ降伏した将兵を越後に帰還させた。


一年で加賀、能登、越中は浅井の領地となり、魚津城に磯部員昌を、富山城には伯父の一人、浅井政之を入れ、上杉の再侵攻に備えさせた。

七尾城には赤尾清綱、遠藤直経を入れて、越中、能登、加賀の内政は私が行うことになった。

私は内心、身体がもたないと思い、父に進言した。

父も「北近江、若狭、丹後に加賀、能登、越中は難しいし、やりにくい、若狭、北近江は万寿丸と伯父、浅井政元に任せよう、丹後は山名豊国殿が入ることになった。

丹後は織田様の要請だ、どうやら、猿が変な後始末をしたらしいからと。

それと山名の娘を預かった、側室にするように、歳は変わらないから大丈夫だろう」

私は仕方なく、頷き、退出した。


私は加賀、能登、越中の統治はかなり難しい、約100年前に守護の富樫氏が一向衆に滅ぼされ、百姓が持ちたる国となった。

加賀、越前、能登、越中では一向衆の影響力は計り知れない、それらの守護大名の衰退にも一役買っている。

何とか潰そうとしたが、失敗、特に軍神の父、長尾為景は敗死している。


内政で彼らを抑えるのは難しい、第六天魔王がやった比叡山や長島は不味い。

まず最初に百姓を田畑に戻す。

次に刀狩りを行ない、刀を鍬など農器具に変える。

田畑を整備しながら、新田開発。

検地を行なう。

稲作だけでなく、畑作や大豆、麦、蕎麦など救荒作物を植える。

冬は平成の今でも、類を見ない豪雪地帯、寒さや雪の重みに耐えられる家を作って、冬の寒さで民、百姓達が死なないようにする。


大聖寺城の近くには鉱物資源がある、現代でも伝わる陶石と焼き物の産地がある、史実ではかなり先、明治維新に近い年代に発見された。

そう、あの焼き物だ。

発掘して利用するとしようか。

能登には漆器、平安時代から行われたようだ。

京の都や堺、敦賀で交易を行なう産物には持っこいだろう。

京の都から織物を作る技術者を呼び、現代でも伝わる物を作っていく、下地を作っていくとしよう。

次に越中だ。

何と言ってもチューリップ、違った。

薬売りだ。

室町時代からやっていたらしく、上手く使えるし、薬売りを使い、情報を得ることも可能だ。

加賀、能登、越中に関連して言えることは日本海の水産資源は魅力的だ。

交通路や港を整備して行こう、日本海交易は大事だ。

特に越中は変わっている、取りすぎないように注意しながら漁を行なうか。

それと、日本海にある無人島を速く領地にしておこう。

水軍を編成して無人島を探すように手配しよう。


民、百姓の生活を豊かにすれば、一向衆に誑かされることはない。

何年かかるかは分からない、拠点だが、金沢、七尾、富山、高岡が挙げられるが、三ヶ国が交わる戦略上の拠点、末森城を政治を行なう上で命令を出しやすい。



上手くやっていこう、三ヶ国統治出来たら、優に百万石は越えるだろう。

休む暇はないが、開発しがいがある、楽しめるだろう。


















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