夜と雪と花の墓場
テーマ:雪
雪が降っていた。
この地方は、何故だか数年に一回、この気候にしては珍しく雪が降る。その時は決まって、家の前で三〇センチくらい積もってる。玄関を開けて白銀の世界に変貌していた時は、久しぶりだなって思った。
玄関から離れ、雪を蹴って無理やり道を造る。少し歩いたところで、
「さぶっ」
と誰に言うわけでもなく声を上げた。
口の端から漏れ出した白いもわもわを視線で追って、空を見上げる。
「静かだな」
ポケットから手を出して、頬に手を当てる。思ってた以上に冷たくて、目を瞑ってしまった。
風がぴゅうっと吹いてきて、目をかっと開く。
「暗っ……」
携帯を取り出して灯りにする。
光は薄ぼんやりとしていて、照らす先も全然見えない。もうすぐ大学も卒業しちゃうのに、全然実感ないし。
また目を閉じる。ドアが、もう遥か後ろにあるように思える。もう一つ、何かを挟んでいるような、そんな感覚。
そのドアが少し開いて、ママが寂しそうにあたしを見ていた。
「花」
呼ばれて振り返ると、姉がいた。
光の少ない風景の中に、ぼんやりと立ってた。
名前は灯。あんまり背は高くない。栗色のボブショートでゆるふわ系みたいに見えるけれど、気は強いし短気。みんなそれに騙されて、告白したりそわそわしたりしてる。
今は、毛先をお気に入りのマフラーで隠して、新しいダウンに手を突っ込んでいる。
……あたしとは、全然似てない。
「当たり前か」
「何が?」
「何でも?」
横目で灯を見る。灯は私の造った道を踏み、追いかけてくる。
こいつは、いつもそう。あたしの後を、追っかけてくる。
姉のくせに。
名前だって、「灯」なのに。
あたしより、「花」って名前が似合うのに。
いつもそう思う。だけど、言わない。あたしだって、いい子だから。
少し楽しそうに、灯があたしを見た。
「小さい頃、思い出すね」
「…………」
「おーい?」
「今、思い出してる。なんだっけ」
「ひどい!」
頬を膨らませる。それ、男子には効くかもしれないけれど、あたしには効かない。
振り返って睨みつける。手をポケットから抜き出す。
すごく、寒い。
その手を、灯の頬にぱしっと当てた。
「ぶ」
灯の口が、蛸みたいに潰れた。
「へんな顔すんなよな!」
目つきが、おもちゃを取り上げられた子供のそれになる。
「はなはひてんれしょー!」
「るっせ」
乱暴に手を離すと、灯に睨みつけられた。
「昔は、あーんなに優しかったのになー。いつからこんな乱暴さんになったの?」
後ろでママが灯を呼ぶ声がする。
「呼んでるけど?」
灯を睨み返す。
「いいよ、別に」
至極つまらなそうに、灯は視線を逸らした。
「それより、思い出した? ねーえー」
灯がダウンから手を出し、あたしの頬にぴとっと当てる。
ぷっくりした指の腹から伝わって来る熱が、ひんやりしたあたしの肌を侵食していくようで、ぶるるっと身震いする。
それを見て、灯が面白そうに、くくっと笑った。
「あの時は楽しかったよねぇ」
「そう?」
「花がさ、珍しく雪が降ったからって、外に飛び出しちゃって」
「……そんなこともあったかな」
「雪を掻き分けてどんどん先に行っちゃって、さ……私が必死に追いかけても、ぜーんぜん追いつかなくて。あ、やばいって思ったときに、花ってば転んでさ!」
自分で話していて面白かったのか、灯が吹き出す。
灯の話し方が妙に昔を思い出させ、あの頃の自分を頭に浮かべると、恥ずかしさで耳まで紅潮する感覚がした。
「あはは、顔真っ赤だよ、花!」
「うるさい、ばか。しね。何年前の話だよ!」
「えーっと、十年くらい?」
向かい合い、灯の顔をまじまじと見てしまう。並行眉に、ぱっちりした二重。すうっとした鼻。
あたしは並行眉じゃないし、二重だって右目だけだ。鼻は、似てるかもしれないけれど、性格だって口調だって全く違う。
誰にだって、見分けはつく。こんな風に向かい合っても、鏡を見てるような気になったことはない。
「さっさと戻れよ」
「えぇ、やだよ。花が戻るなら、私も戻る」
「あたしはまだ雪見てるから。ほら、ママが」
闇の中から染み出した白のように、しっとりとした雪が舞う。その中をぬって開いたドアから、ママの顔が覗いていた。
ママの口がぱくぱくと開閉している。
しっかり見なくてもわかる、三文字のリズム。呼んでいるのは、灯の方。
あたしじゃなくて、ママのお気に入り。血を分けた双子の姉の、灯の方。
全然似てない、なのにあたしが大好きで仕方ない。可愛らしい、灯の方。
「ママが、呼んでる」
「……」
灯が黙った。
強い風に揺られて、消えた蝋燭みたいだった。
曇った表情のまま、頬に当たった灯の指に力が入る。
「私は花とがいい」
「我が儘」
「そう。私は我が儘。高校生になってもまだ、妹と一緒にいたがる、追いかけてばっかりの我が儘」
あたしの言葉を、灯が反復する。
「そんな本物の私を知ってる、唯一人の、妹」
二人きりになってお互いの顔を見合う度に、灯はこう言う。
その声があまりにも頼りなくて、いつも、負けたような気分になる。
灯の頬に手を伸ばして、ぴっとりとくっつける。
「花。ねぇ、花……私の片割れ」
心地よさそうに目を閉じて、灯が呟く。
「どこにもいかないでね、どこにも……」
ぐいっと指の力が増して、灯のおでことあたしのおでこが、ごつんとぶつかった。
頭の何処かが、じんわりと温かくなる。
上目で灯を見ると、同じタイミングで灯の目が開いて、ばっちり目が合った。
「ふふ」
擽ったい顔をして灯が笑い、眠そうに瞼を落とした。
つられてあたしも目を閉じる。
「やっぱり似てるよ、私たち」
「……」
「ママが本当の私を知らなくてもいい」
「……」
「花がいてくれればいい」
「……ん」
「花も、そう思ってくれる? 私がいればいいって。ママが見てくれなくても、いいって」
「ん」
「えへへ」
灯はぱっと手を離して、小柄な体であたしをぎゅっと抱きしめた。
「約束だよ、約束。花は、私とずっと一緒にいるんだよ」
「うん、灯」
灯はいつも、あたしの狭い世界のにある、小さい小さい居城を照らす。
そこにはあたしと灯しかいない。灯は終わらない御伽噺をしていて、あたしはそれに耳を傾けたまま動かない。
「約束だからね、花……」
いつの間にかママはいなくなっていて、ドアは閉まっていた。
「あたしたちは、一緒に、生まれた」
「うん」
「だから、死ぬときも、一緒」
「私はずっと、花と一緒にいるよ」
間を開けずに灯が答える。
「灯ぃ……」
あたしはどこからか湧き上がる孤独感に怯えて、甘えるように、姉の肩にもたれ掛かった。