素敵なスーツ
2007年に書いた3冊目の7番目の作品です。
「そろそろ新しいスーツが欲しいな・・・。」
建築作業中の現場で、背中を丸めて座り込み、昼食の弁当を食べながら新聞を見ていたエス氏は、見開き全面に掲載された広告を見つめて、独りつぶやいた。
そこには、最新の流行のスーツが紹介されていた。
高級ブランド品として申し分の無い美しいフォルム、鮮やかでありながら落ち着いた色合い、一流の品物のみが醸し出す風格・・・。
そして、何といっても、現代の最先端技術がつぎ込まれた最新機能が素敵だ。
十万馬力のパワー、一回の充電で一週間継続使用可能な超長寿命バッテリー、ネットから最新のアプリケーションソフトが常時供給されるのは勿論、状況を判断し、最適動作パターンを瞬時にダウンロードできる遠隔光通信ネット対応機能・・・。
エス氏は、羨ましくて、ため息をつき、そこに小さな文字で記載されている値段を見て、・・・もっと大きなため息をついた。
弁当を食べ終わったエス氏は、座ったまま傍らの薄汚れた自分のスーツを手繰り寄せ、のろのろとそれを着ると、突然しゃんと背筋を伸ばして立ち上がった。
そして、鉄骨の一つを軽々と肩に担いで、地面から二階の足場までジャンプした。
「このスーツもまだまだ使えるかな・・・」
エス氏は満更でもないという顔をして、仕事に取りかかった。
すると、突然背後に風を切る鋭い音を感じた。
「お先に失礼しま~す♡」
見上げると、エス氏のすぐ後ろを、もっと大きな鉄骨を数本担いだ小柄な女の子が一気に五階まで飛び上がったところだった。
性能の違いを見せつけられたエス氏は、また気分が滅入ってしまった。
スーツ・・・かつては、「パワードスーツ」とか、「ロボットスーツ」とか呼ばれていたものだ。
簡単に言うと、人間の体に装着して、モーターなどの力で人間の筋力を補う機械である。
開発当初は、介護老人を入浴のため抱えるなど介護の現場で使うことが想定されていたが、技術の進歩により、土木建築業や農作業、機械工作事業など多くの産業分野に活用され、登山やヨットなどのレジャー・スポーツにも利用されるようになった。
もちろん医療・福祉の現場でも、筋力の弱ったお年寄りに装着することで、以前なら寝たきりになっていたような老人でも街中を闊歩できるくらい活発に動けるようになったし、義肢の代わりに装着して身体機能を補うことも可能となった。
また、宇宙開発が進んだ現在では、火星や月の宇宙基地建設で、重機を持ち込む代わりに、スーツを装着した人間が手作業で土木建設作業を行うのに用いられている。
月面上でこのスーツを使えば、巨大なクレーンや大型ダンプなど必要ないというものだ。
今日の仕事を終えたエス氏は、同僚に別れを告げて、スーツを着たまま帰宅の途についた。
もう何年になるだろうか、街中にスーツを着て出るようになったのは。
夕食の食材を買うため、デパートに入ろうとして、エス氏がドアを軽く押すと、ドアがバタンと勢い良く開いた。
ハッとして、エス氏は慌てて、スーツの出力調整ダイヤルを下げた。
「・・・危ないところだった。」と、エス氏は冷や汗をかいた。
仕事では大きなパワーが必要だが、日常生活では怪力になってしまうので、出力を調節しなければならなかったのを、うっかり忘れていた。
こんな怪力で人をつかんだりしたら、つかまれた人は骨が砕けてしまうであろう。
現に、怪力強盗などというケシカラン輩も多く出没しており、これに対抗する警察も、特殊なスーツを装着して捕り物を行うのであるから、まるでロボット対戦のような壮絶な有様になろうというものである。
戦っている当人たちも危険だが、一般市民も巻き添えを食らったら悲惨な目にあうこと請け合いだ。
だから、強大な出力を出せる特殊なスーツは、本来、所持するのにも許可が必要となっている。
エス氏のスーツも土木作業用として特別な許可を得たものである。
しかし、技術の進歩はめざましく、他人に危害を加えない機能とか、必要な場合以外出力が自動的にセーブされる機能などが装備されたものは許可が不要となり、現在では実際には誰でも高性能なスーツを所有できるのである。
また、近頃では、スーツが日用品として広く一般に普及しているので、エス氏が貸与されたスーツを社外に持ち出しても会社もうるさいことは言わないし、それに、かなり古くなっているので、既に減価償却されて資産価値がないため、実質的にはエス氏の所有物となっているのだ。
かなりごっつい形状であるが、世の中には様々なスーツがあるので、こんなスーツを着て街を歩いても、誰も不審に思ったりはしない。
そんな訳で、いつの間にか、日常生活においてもスーツを常に着用するようになっていた。
このデパートでも、スーツ売り場に行けば実にいろいろな種類のスーツが売られており、機能も価格もピンからキリまである。
ファッション性を重視するものでは、よく見ないとスーツを着ていることが分からないようなものもあるが、スーツを着ている人は、姿勢が良く、歩き方が寸分の狂いもなく一様であり、動作が軽快で颯爽としているので、よく見ればスーツを着ているかどうか見分けはつく。
そう思って、周囲の人々を観察すれば、デパートの店員も、デパートの客も、皆スーツを着ているではないか。
何故だろう。
エス氏は時々考えるが、理由は良く分からない。
ただ何となくスーツを着ていたいのである。
そういえば、だいぶ昔ではあるが、スーツを着ないで一寸だけ街中に出たことがあった。
その時は、なんだか裸で町を歩いているような、とても心細い思いをしたような気がする。
デパートで夕食の買い物を終えたエス氏は、時速三十キロのスピードで歩いて家に帰った。
近頃のスーツは性能が良いので、もっとスピードを出せるが、一般の公道では原付バイクと同様の速度制限が課せられている。
もっとも、スーツの普及とともに、最近では、原付バイクを街で見かけることもなくなってきたが・・・。
家に着いたエス氏は、スーツを脱ぐと、とたんに背中を丸めて座り込んでしまった。
日常的にスーツを着ているので、筋力が弱ってしまっている・・・。
エス氏もそれは理解しているのだが、機械文明の発達で人間と機械が融合するのは時代の流れだとかなんとか、どこかの広告で見た言葉を借りながら適当に言い訳をして、毎日スーツを着続けているのである。
大体、人間なんてものは、昔から楽をしようと考えてばかりいるわけで、便利な道具が出来れば、その分、人間の能力が退化するのは、やむを得ないというものである。
原始人類は、遠方の敵を素早く発見するために、動物本能ともいえる鋭い嗅覚や聴覚、遠距離を見渡せる視力を持っていたが、道具の発明により、身を守る手段を会得すると、それらの能力は退化してしまったではないか。
それでも、文明の発達により、日常生活には困らなかったし、聴力や視力が衰えれば、補聴器や眼鏡を装着することにより、それを補うこともできるようになった。
今、スーツの装着で筋力が退化したとしても、これも人類の進化の過程でしかないのではないだろうか。
もっとも、中には筋力を鍛えるのが趣味という変人もいるが、スーツが日常的になった今では、いくら筋力があっても、所詮弱々しい人間の力などスーツの前では意味がないわけで、余分な筋力はスーツを壊しかねないこともあり、有害であるとも言えるのである。
例えば、人間の能力を飛躍的に拡大し、人々の生活を大きく変化させたインターネットや携帯電話などは、既に日常生活の一部に深く取り込まれて、それなしでは生活が成り立たないようになってしまった。
スーツも同様に、便利な道具は日常生活に取り込まれていくものなのだ。
エス氏も、食事や入浴、就寝などリラックスしたい時を除いて、日常生活でもスーツを着用することが多くなってきている。
エス氏は、重い自分の体とスーツを引きずりながら、やっとのことでスーツを充電器にセットした。
翌日、エス氏はいつものように建設現場に着くと、背筋を伸ばしてきびきびと作業に取りかかった。
ところが、しばらくすると、次第に皆がざわめきだした。
「なんだよ、この天気は」
誰かが空を見上げて叫んだ。
見上げると、太陽がいつもよりぎらぎらと眩しく、日差しが段々強くなってきているようであった。
次第に、空全体が妙に明るくなってきた。
「UFOの仕業じゃないか?」
「隕石が接近しているんだよ、きっと」
最初は、皆のんきにそんなことを言い合っていたが、次第に太陽がどんどん眩しさを増して、光の圧力を感じるほどになってきたので、流石にその異様さに皆押し黙ってしまった。
「ラジオのニュースを聞いてみよう。」
誰かが、そう言ってラジオのスイッチを入れたが、雑音しか聞こえなかった。
そして、その雑音は段々大きくなり、・・・突然何も聞こえなくなった。
太陽は、もう眩しくて、空を見上げていることが出来なくなった。
「うあぁぁぁぁぁ」
誰かが叫び声を上げて、どさりと建設用の足場から落下した。
続けて二人、三人と落下し、エス氏も急に体が動かなくなって、地面に落下し、気を失った。
その日、人類文明史上最大の太陽爆発が発生し、その強烈な高エネルギー放射線嵐によって、宇宙放射線を防ぐバンアレン帯が一時消失して、地球上の電子機器のほとんどが破壊される事態となった。
今や、電子機器を使用していない機器は皆無に等しい。
工場・商業設備、事務所やマンションの設備、金融、自動車を含む交通、物流、通信、水道、電気・ガスなどのエネルギー供給施設、医療機関、農業や漁業の設備、家電製品に至るまで、全ての電子機器はその機能を停止した。
もちろん、人類の技術の粋を集めたスーツも全て沈黙した。
そして、電子機器に生活の多くを頼り、自らの身体で生き延びる力を失っていた人類は、地球上における輝かしい繁栄の歴史の幕を閉じ、極く少数の生き延びた人々は、原始の姿に戻って自然に帰っていった。
また、バッドエンドになってしまっています。社会問題を題材にすることが多いので、ハッピーエンドはほとんどないかもしれません。もっとも、SFショートショートは、そういう作品の方が多いのではないかと思います。