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縁魔  作者: 鹿角深泥
会縁起縁
3/8

第二章

 彼女に出会ったのは件の《首》が消えて一週間経ってからの事だった。

 その日は久方ぶりに本家に帰っていた縁は、離れの小屋で一人横たわっていた。

 ちょうど屋敷の裏にある森の木々が陰になり、小屋を覆っているためいついかなる時でも非常に暗い。そのため、(ゆかり)はこの離れの小屋を気に入っていた。

 ごろんと畳の上を転がる。畳は新しいのだろうイ草の香りがなんとも心地よい。

 母屋の方を向いて開け広げられた戸の方を向く。彼女の居る場所からであれば、母屋の南側の廊下を見てとることが出来るのだが、そこにはせわしなく廊下を行き交う使用人の姿があった。

 今日は屋敷に一族の人間が集められているのだ。

 屋敷に一族の人間が集められた理由は既に母より聞かされていた。

 なんでも(えにし)家に伝わる《縁魔(えんま)の首》が消えたのだという。

 (ゆかり)はそれを見たことが無かったが、存在することは以前より聞かされていた。

 なんでも、自分たちの一族の始祖にあたる(えん)()という人物の首なのだそうで、非常に強力な呪術師であったらしく、(えにし)家の姓から取って《縁魔(えんま)》と呼ばれていたらしい。

 幼い時分に聞いたことだが、祖母曰く、龍主山の龍を倒したのは縁左その人なのだとかなんとか。

 その祖先のせいか、あるいはそれ以前からなのかは知らないが、この縁家には代々隔世的に奇妙な力を持つ人間が現れる。

 どうにもその奇妙な力というやつが本当に存在するならば、私はその力を持っているという事になるらしい。

 だが、今のところそのような兆しは現れていない。

 いや。私が気づいていないだけかもしれない。

 能力を持っていた祖母もあまり良いものではないと嫌っていたし、正直、あらわれなくてもいいかな。

 (ゆかり)は退屈そうに天井を見上げていた。

 幾つもの四角に区切られた木目の天井はどこか不気味で気味が悪いから嫌いだ。

 そう思い、頬を膨らませて天井の木目を見る。口をすぼめて天井に向かって口内に詰まっている空気を吹き付けると、大きくため息をついた。

 日ごろから一人でいるという事には慣れっこであったが、どうにも今日は群を抜いて退屈で仕様が無い。

 それというのも、この自由が限られているというところに問題があるのだ。

 これから数時間後に一族仲良く一部屋に集まって会議をするのだという。

 それはそうだろう。家宝が紛失したのだ。一族会議は正しい。だが、この上ないくらい退屈である。

 特に私に対する一族の人々の眼は非常に気にくわない。

 (ゆかり)(えにし)家の次期頭首である。

 金持ちの家といえばそうだろう。昔ほどではないが、裕福な部類だ。もっとも、まともに金を稼いでいるのは本家である(えにし)家の経営する(えにし)工業と、分家の鹿()(えん)家が経営する鹿()(えん)製薬くらいであり、その他の分家が経営していた鉄工業分野などは、すでに潰れてしまっている。最近で特にひどいのは縁三(えんぞう)家であり、二年ほど前に新しい事業を起こそうと多額の借金を四方八方からして、破産してしまったのだ。そう言った経緯で縁三家は、すでに一族から抹消されている。

 ともかく、いろいろな事情を抱えた親戚も今日はここに訪れているだろう。

 だから、怨み辛みだけならともかく妬みやら嫉妬も今日は入り混じった最悪の空気だ。

 この縁家は、大和朝廷以前の女神信仰の流れを汲んだ女系一族であり、頭首は代々本家の長女の役目となっている。

 そのため、(ゆかり)は嫌われていた。

 (ゆかり)が次期頭首になるということを拒んでいたからである。

 しかし、半ば強引な形で父と母に次期頭首を押し付けられた。結果として縁家の頭首候補として名が上がっていた分家の親戚たちは落胆したわけだ。

 そのためだろう。親戚の眼が嫌いだ。

 (ゆかり)は自由に生きていたいという考えを持っている。そもそも、縁は家を守るという性質ではないのだ。故に、当然ながらそのように振舞う事はできるはずもなく、今回の会議も出席する気は無かったのだが、母の雇った黒ずくめの大男二人に拉致される形で、こうして屋敷に連れてこられた次第である。

 そして、その経緯を一族の方々はご存知であるという状態なので、いつもの三割増し程度に皆さん機嫌が悪いようなのである。

 だからこそ、この離れの小屋が落ち着くのだが、非情にも箪笥の上に居座る時計は会議の時間を示そうとゆっくりとじらすようにその数字に近づいていた。

 一度大きく深呼吸をし、やおら上体を起こした。

 常に暗いこの小屋のせいで、どうにも時間の感覚が麻痺する。

 縁は立ち上がると、ジャージの上下を脱ぎ捨て下着姿になる。

 彼女の体の肉付きはあまりよろしくないように見える。貧相と言えばその通りではあるが、決して肉がないというわけではない。彼女の場合、無駄な肉が存在していないだけなのだ。

 だが、皮の下のことなど開けてみなければわからない。皮肉の話である。

 襖の淵の僅かな窪みにかけられている二年前の制服を手に取り、目に視える範囲の皺を張った。

 着替え終ると、彼女は足早に小屋を出て、綺麗に手入れされている──本来入るべきではない──庭を駆け抜け、母屋の玄関に急いだ。

 結構な距離を走ったが、息も切らさずに縁は玄関の前でもう一度制服を整える。

「ここのお嬢さん?」

 不意に声をかけられ、振り向くとそこには赤毛の女性が佇んでいた。

「は……ハロー」

 焦ってそう答える。

「日本人よ」

 そう言われてみればどことなく日本人のような顔立ちだ。

 それでも、やはり外人と言われれば信じてしまいそうなほど綺麗な二重瞼。

 髪の毛は一見したところ赤いだけの様に見えるが、毛先の辺りが僅かに白みがかっているというか、灰色というか、色が違う事に気づいた。

 ファッションなのかもしれない。

 そういうのには非常に疎いのだけれども。

「髪の毛が赤いからてっきり……」

「よく言われるわ。それより、ここ(えにし)家で合ってる?」

 見ると彼女の手には皺くちゃになった紙があり、そこには地図が描かれていた。

「ええ。どちら様?」

「やや、申し遅れた。私、灰色魔術師の冴島琴音と言います」

 そう言って丁寧にお辞儀をしてみせる。

 再び顔を上げた彼女の顔は心なしか非常に不機嫌なように見えたが、きっと気のせいだろう。

「ああ……」

 縁はそう返した。

「ふうん」

 どこか含んだもの言いで、まじまじと(ゆかり)の顔を凝視した。

「何か?」

「まあ、いいや」

 彼女は人差し指をピンと立てると、自身の顔の横に持って行き、

「とりあえず中入って良いかな?」

 と、ウインクしてみせた。

「ええ。どうぞ」

 何だこの人。

 変なの。

 ま、私が言えたことではないんだけどね。

 縁は玄関を開け、冴島と名乗った魔術師を家の中に招き入れた。

 玄関から入ると、向かって左に進路をとり、しばらく歩く。右手に見える庭はよく手入れされており、苔と岩。そして小さな池を泳ぐ色とりどりの鯉が風情を醸し出していた。

 庭が終わり、左手にずらりと並ぶ襖の白い壁。

 この奥の座敷に一族の皆さんが既に集まっているはずである。

 冴島を見ると、口だけを動かし「ここ?」と指をさしながら尋ねている。

 縁はこくりと頷くと、襖の前に正座した。

 冴島も焦りその場で正座する。

 障子一枚挟んだ向こうからはあれやこれやと大人たちが声を荒げて言い合っている。

 その気迫に押されてからか、かすかに縁の腕は震えていた。

「冴島様がお見えになられましたのでお連れいたしました」

「様だなんて……照れるなぁ」

 小声でそう言う。

 形式上だっての。

 心の中で小さく縁はそう愚痴った。

「お入りください」

 母の声である。

「失礼いたします」

 襖を開けると、なんとも言えない臭いが漂っている。

 そうして、やはり好きになれない目線。

「おお。これはこれは、縁さんではありませんか、次期頭首様はいつお見えになられるのかと、首を長くしてお待ちしておりましたよ」

 嫌味ったらしくそう言い、どこか得意げに綺麗に整えたオールバックの髪を撫でたのは、鹿()(えん)昌也(しょうや)であった。

 縁はその威圧的な目線に体が震え、

「えぇ……っと」

 と、今にも泣きだしそうな声ともつかない音が、縁の淡い桃色をした小さな唇の隙間からこぼれ出る。

「はいっ!」

 突然、隣の魔術師が手を挙げる。しかも、その手は人差し指がピンと立ち、反対の手は腰に手を当てている。

 一族全員きょとんとした顔でこの魔術師を見る。

「失礼なのは承知ですが。一ついいですか?」

 誰かが頷いたのだろう。彼女はにこりと微笑み、鹿縁昌也の方を向いた。

「あなた、ジョン・トラボルタに似てるって言われません?」

「…………」

 あ、それでさっきの手の挙げ方だったのか。

「…………」

 その場が凍った────ように見えたが、数人は必死に笑いをこらえているような顔だ。

 鹿縁昌也を嫌うものは多い。

 縁家の№2である鹿縁家の代表である彼は、もともと入り婿である。

 しかし、その天性の口のうまさとカリスマで今や妻の(かなえ)を差し置いてあれやこれやと縁家に口出しする存在となっている。

 それ故、嫌われている。

「いやね。その『パルプフィクション』の時のトラボルタ風の髪型に高級スーツを着ているせいかもしれないですけど、似てませんかね?」

 鹿縁昌也は眉間に皺を寄せて今にも爆発しそうな表情で魔術師を睨む。

 魔術師はそんな昌也には目もくれず、縁を見てウインクをしてみせた。

「冴島さん。お待ちしておりました」

 何事もなかったかのように母がそう言う。

「遅くなって申し訳ありません。何分道が分からなくて」

「ああ。ここは分からないようにされていますものね。分からなくて当然です」

「まさか、山の上にあるなんて思いもしませんでしたよ。あはっ」

「お手紙の方に地図は描いておいたはずですが……まあ、いいでしょう。それで、調査をして頂けるのでしょうか」

「それはもちろんです。ただ、その前に一つだけ伺いたいのですが。よろしいですか?」

「ええ。何なりと」

「例の《首》とやらは盗まれたのですか? それとも、自力で消失したのですか?」

 一瞬。部屋の人々の目線が異様な速さで飛び交うのを縁は見逃さなかった。

 否。視えてしまったのである。

 その目線の色が。

 不思議な感覚であった。光線のような赤色の目線が一族の人々を瞬時に結んだのである。

 縁は自分の視覚を信じられず、目を擦る。

 再び視た世界にはその線はもう存在していなかったが、それでも胸の高鳴りは大きくなる一方であった。

 何かの見間違いなのだろうと、母を見やる。

 (えにし)(かい)(ゆかり)の母である。

 肌に目立った皺は無く、色白。十八にもなろうかという子供がいるとは到底思えない若さだ。娘の私が思うのもまた変な物なのだけれども。

 縁は緊張の中でそう思う。

「アレは常日頃から封じられておりました。故に自力での消失は有り得ないかと」

「けれども、その《首》とやらの強さはあなた方が一番ご存知なのでしょう?」

「封は強力な物です」

「…………では、誰かが意図的に盗んだという事ですか。ふむ」

 そう言ってこくりと頷き一人で納得する。

「で、お嬢ちゃんはどう思う?」

「へ?」

 突然のふりに、どうしたらいいか分からなくなる。

 それと同時に、先ほどの赤い光線が今度は(ゆかり)に結び付いた。

「わっ」

 小さく悲鳴を上げると、後方に倒れた。

 親戚一同が、再び縁を見る。

 縁の体を赤い光線が覆い込んでいく。

「わっ……いやっ! いやぁっ!」

 両手を振り回すがその光は一向に収まらない。それどころかひどくなる一方であった。

「ふうむ。なるほどねぇ……」

 冴島がそう言うのが聞こえた。

 この時、既に光で縁は目を開けられないでいた。

「とりあえず……寝かせましょう」

 額に何かふれる。

 暖かく。包み込まれるような安心感が湧いてきた。

 そうして、意識はまどろみの中に落ち込んでいった。


  1

 

 目が覚めた時、あの光は無く。代わりに眼前には冴島と名乗った魔術師が覗き込むように私の顔を見ていた。

「何か?」

「いや。大丈夫かなぁ、と」

「大丈夫」

 少し、むくれた様にそう返す。

「そう」

 それに対抗したかのように、短く切り返された。

「何が起こったの?」

 縁は重たい上体を起こしそう尋ねた。

 ここは離れの小屋のようだ。

 そして、ここには魔術師の彼女以外いないようである。

「それは倒れたあなたが一番詳しいのではないかしら?」

 光が……そうだ。溢れる様な光が視えて。

「光が視えた」

「私も見えるけど」

「本当!?」

 すると、冴島は携帯を開き、指を画面に向けた。

「ほら。光よ」

「そう言う光じゃない。もっとこう……気持ちの悪い光」

 両手でジェスチャーしてみせるが、あの光をどうにもうまく表現できない。

「そう言われてもなぁ……」

 彼女は立ち上がると、背伸びをした。

「そうそう。それはいいとして」

「良くない! 何がいいのよ」

「視えてないんでしょ、今は」

 それはそうなのだが。

 縁は煮え切らない気持ちで彼女を見た。

「そんな眼で視ないでよ。どうしようもないことだし。それより、私、しばらくあなたの家で厄介になることになったから」

 さらりとそのような事を言う。

「はあ? ちょっとまって。どういうこと?」

「どうもこうも、あなたの家にしばらく居候させてもらうことになったっていうことよ」

「……なんで」

「何でって……ああ、そうか話聞いてなかったのか」

 それはそうだろう。私は今の今まで気を失っていたのだから。

「どういう事か説明して」

「先に言っておくけど、あなたのお母様の了解は貰ってるから、嫌だったらお母様に文句を言えばいいんじゃないかしら」

 そんなことできよう筈も無いではないか。

 口をへの字にして、縁は冴島を見た。

「ま、兎に角。私は件の《首》を見つけるまであなたの家で厄介になるから」

 縁はこくりとも頷かず、顔を背けた。

「とりあえず改めて自己紹介しておくわね。私は、冴島琴音。よろしく」

(えにし)(ゆかり)。よろしく」

「つれないなぁ」

 それはそうだ。そもそもに私は人と接するのが苦手なのだ。

 ほぼ初対面に近い素性もろくに知らない他人と同棲なんて……。

 だが、縁は認めたくなかったが、心の隅では嬉しさに近い感情が生まれていた。


  2


 眼下の街並みの奥に見える山々に夕陽が沈みゆく。

 その様子を縁は母屋の縁側で眺めていた。

「どうしたのです?」

 縁がふりむくと、少しやつれた顔の縁会がこちらを見ていた。

 既に来客用の着物ではなくなっているところから見て、先ほどまでしぶとく他企業との併合の話を勧めていた鹿縁昌也は、諦めて帰ったという事なのだろう。きっと鬼瓦の如く憤怒の表情をしていたに違いない。

「いえ……別に」

 ぼそりとそう言い、縁は再び目線を陽に向けた。

 独りが楽だ。

 そう思うけれども、やっぱり、私はどうしようもなく寂しいのだと分かっている。

 もちろん。母も辛いのだ。

 私を独りで館に住まわせるのは、私の為だと知っている。

 それでも、こうしてなんでもない時に黙り込んで、連絡が取れないのは、私も母もきっと弱い人間だからだと思う。

 私は次期頭首として、母は現頭首としての重荷を背負い生きている。その重荷は、ある種呪いのような物で、外部からの力によって強くも弱くもなる。

 その締め付けで、伝えるべき話は詰まってしまい、届くことは無いのだ。

「あ。いたいた。すいませーん縁さん。ここのトイレってウォシュレット無いんですかね? その……お尻が弱いものでして。あんまりごしごししちゃうとすぐ切れちゃうんですよね、私」

 夕焼けの沈黙の中で、静寂を破りとんでもないことを言ってきたのは、他でもないあの魔術師だった。

 にこにことそんなことを言いながら少し申し訳なさそうに頭を掻いている。

「それでしたら、車庫のお手洗いに」

「ありがとうございます」

 そう言って、頭を下げる。頭を上げた瞬間、彼女と目が合ってしまった。彼女は何を思ったのか、頬を緩めた。その表情はあからさまに何かを企んでいるかのような表情であった。

「ところで、娘さんは学生さんですか?」

「いえ。高校は中退しております」

 母はさらりとそう言った。

 縁はその母の発言を少し俯きかげんに聞いていた。

 どこか鹿爪らしい表情を取っていた魔術師は、突然「そうだ」と手を打った。

「どうして私を雇おうと思ったんですか?」

「それでしたら、この町の監視員に尋ねまして。優秀な魔術師を紹介してもらったのです」

「誰です?」

「ジェイムズ・ホワイトという方です」

「ジェイムス……」

「白髪に白髪の男性ですが」

 頬をさすりながら彼女は首を傾げる。

「妙なパイプを銜えていましたよ」

「ああ! あの変人か!」

 分かったのか、すごく嬉しそうに手を叩いてみせた。だが……変人とはどういう事なのだろう。気になる。

「なんでも、あなたはすごい御方のお弟子なんだとか?」

「私の師匠? ええ。すごいと言えばすごいのかもしれないですね。もっとも、私からすればあの人はただの変人ですけどね」

 変人ばかりじゃない。

 縁は心の中でそう呟いた。

「先ほどのお話ですけれども」

「はい。なんです?」

「本当に構わないのですか?」

「ええ。もちろん。私としては構いません。けれども、ここは彼女の意見も聞いておくべきなのでは?」

 彼女はそう言うと、縁の方を向いた。

「縁の意見ですか」

 母は私に目を向けると、わずかに首を傾げて見せた。

 縁はすぐさま目線を魔術師の方に向ける。

「私は……別に」

「嫌なら嫌だと言うべきだよ?」

 魔術師はにこりと微笑むと、縁ではなく(えにし)(かい)の方を向いた。

「いいの。これは私の意見だから」

「ふうん」

「そういう事なので。どうぞ、よろしくお願いします」

 縁会はそう言うと、深々とお辞儀をする。

「はい……あ、私トイレに行かなきゃ! 了解の旨は縁ちゃんにしといてください」

 そう言って魔術師は駆け足で車庫の方に向かって行った。

 廊下の曲がり角に魔術師が消え、夕暮れの縁側に母と娘が残された。

「……縁」

 母は静かに娘の名を呼んだ。

 娘は無言で母を見る。

「勝手に決めたのだけど、あなたは良かったのですか?」

「少し、怖いです」

「でしたら……」

「良いんです。それでも……」

 娘は言葉尻を浮かせ、再び陽に目を向けた。陽は既に沈んでおり、わずかに残った光が名残惜しげに手を伸ばしている。

 母は何も言わなかった。

 娘も黙り込んでいた。

 それでも、この間に伝えるべき話は確実に伝わっているのだ。この家ではそれでいい。

 陽が完全に沈み込んだ藍色の連なりを二人は静かに眺めていた。

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