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縁魔  作者: 鹿角深泥
会縁起縁
2/8

第一章

 約束の日は明日だ。

 どうやってアメリカはハワイにいた私に手紙をよこせたのか。それは甚だ疑問ではあるが、この際どうでもいい。

 久方ぶりの日本だ。

 冴島琴音はカーキ色のブルゾンのポケットからガムを取り出すと口に含んだ。

 車窓を流れる景色に得も言われぬ安心感を覚えつつ、冴島は送られてきた手紙に目を通す。

 助けてくれ……か。

 手紙の内容は大まかに言えばそう言う話。

 手紙は嫌いだ。

 形に嵌められた文字ほど胸糞悪くて仕様がない。

 冴島がその手紙を焼かずに残しているのはそこに住所と地図が書かれていたからである。

 もちろん。普通に書かれていればそれを覚えていればいいだけの事だが、この文字の厄介なところは忘却文字であるという事だ。

 この手紙にしか情報を結び付けられていないのだろう。故に、燃やしてしまえば記憶からも消えてなくなる。それが『忘却文字』という魔術だ。

 アナウンスが『叉奈(はさな)()』の名を繰り返す。どうも、目的の駅に付いたようだ。

 羊皮紙の手紙を四つ折りにしてカーキのブルゾンの内ポケットにしまう。

 座り心地の良い席を忘れ物が無いかを確認する動作に合わせて名残惜しげに眺め、小型の旅行鞄を手に通路を進む。

 がたんと箱は揺れ、体とつり革が斜めにされる。

 空気の抜ける音と共に扉は開いた。ふわりと乾燥した風が、暑すぎるともいえる車内の暖房の所為で涼しく彼女の赤髪を靡かせる。

 電車を降り、駅のホームで佇み、電車が動き出すのを確認してから冴島はホームの階段を下る。

 駅の改札をくぐり、タクシーやバスで混雑する駅前に歩みを進める。人の波はやはり日本の方が小さいが、どの人も忙しそうだ。落ち着きが感じられない。

 もっとも、平日の朝方だ。当然と言えばそうだろう。

 ふと、入り口の駅弁売りの恰幅の良い女性の隣に設置されていた掲示板に眼がいく。

 こういうのも久しぶりだなぁ。

 一番上には最近の物だろう『叉奈木コン』とけばけばしいピンク色で記されたプリント。

 これはこれで独り身の私には少し気がいかないこともないが、それはいいとして、最初に気になったのはその下に溢れんばかりに──実際溢れている──張られた張り紙の数である。

 モノクロの写真に笑顔で映る子供や老人。微笑ましい家族の写真。だが、写真に写る幸福をそのまま感じることが冴島にはできなかった。

 その全てに共通する不穏でこの上なく不気味な単語。

「行方不明者……」

 ぼそりと口に出す。

 その全てが『行方不明者』の紙なのだ。

「あの、これ全部行方不明者なの?」

 隣にいた駅弁売りの女性に尋ねる。

「うん? ああ、そうよ。まあ、珍しくもないのよ。最近景気悪いでしょ? それでほら、ここってベッドタウンだったから、会社無くなってどうしようもなくなった人とかは逃げちゃうのよ」

「逃げるって?」

「そりゃ取り立てから」

「ああ。なるほど」

 これはまた至極現実的な事で……。

 奇怪な話を求めていた冴島は少しがっかりしてお礼を言うと、踵を返して歩き出した。

 叉奈木。

(さび)れた町》とは話を聞いていた。だが、見たところそこまででは無いようである。

 栄えた町に挟まれるようにしてあるからか、あるいはここが盆地だからだろう。

いいや。違う。冴島は辺りを見回し、行き交う人々の割合を見る。

明らかに老人が多い。それはここが《かつて》は鉄鋼業で栄えていため。それが《(さび)れた町》ではなく《(さび)れた町》と呼ばれる所以だろう。

 見上げても天辺の見られないほどのビルは無いが、見上げて首が痛くなりそうなビルはそこそこにある。もっとも、駅周辺だけだろうが、まあ、栄えていないというのはいささか誇張した表現なのだろう。

 ビルの谷間で加速をつけた風が一気に吹き抜ける。

 もうすぐ春だというのに、その風はいやに冷たく、痛い。

 冴島は味の無くなったガムを舌で平たく伸ばし、唇に挟んで息を吹き込む。

 丸く黄緑色の風船が冴島の眼前に浮かび、萎れた。

 下唇に垂れたガムを舌先ですくい上げ、口内に引き込む。

 飽くまで冴島の持論ではあるが、味の無くなったガムを空気にあてがってから噛むとなんとなく味が復活した……ような気がする。そんな小学生が考えそうな理由で彼女はこうしてよくガムを膨らませるのだ。

 もどしたガムを再び噛む。外気に当てられたガムはひんやりと冷たく味を口内に染み渡らせる……気がする。

 血色の良い唇に残る湿り気とライムの香りをわずかに出した舌で絡め取り、冴島は大きく背伸びをした。

 ビルの隙間から見える龍山(たつやま)連山(れんざん)

 この叉奈木を囲む山々である。

 一番高い(りゅう)()(やま)はおおよそ標高1300m程度とそこまでの高さではない。

 だが、霊山としては有名である。冴島も聞いたことはあった。有名なのはきっと、この龍主山にはかつて龍が住み着いていたという伝説の所為だろう。

 冴島はこくりと頷く。

 確かにここは魔素が濃い。

 あの霊山を中心にこの町を蜘蛛の巣のように魔素(まそ)の流れが覆っているのを冴島は感じた。

 先ほどの異様に冷たい風もその影響を少なからず受けているのかもしれない。

 冴島は腕を組み、にたりと頬を緩めた。

 なかなか、楽しそうじゃない。

 

  1

 

 ともかく。お腹が空いていた。

 機内食はとりあえず鶏肉にケチャップをぶっかけたようなお世辞にも美味しいとは言えない代物であったため美味しい日本食に口が飢えていたのだ。

 辺りを見回すとまばらに飲食店はある。

 さて、どれにするべきか。

 八時間の時差ボケ効果の眠気眼を擦り、飲食店を探る。

 右手の交差点にはラーメン屋。駄目だ。ありきたりすぎる。それに、今はラーメンという気分ではない。

 だとすれば……中華? あり得ない。

 今は日本食だ。それ以外の食べ物を私の胃袋に収めるつもりはない。

 冴島はそう決め込みしばらく歩いた。

 日本食とは何ぞやと、思案を繰り返した結果。彼女が行き着いたのは洋食屋であった。考えすぎたあまり、ものの数分で彼女の中で和食というものがゲシュタルト崩壊してしまったのだ。

 とはいえ、なかなかにこの店はお洒落であった。

 レトロな昭和のかおりが漂う『テムズ』という店だ。

 いいね。『テムズ』とは、なかなかお洒落だ。

 冴島はガラスの大窓から店内を覗く。

 朝も早いからだろうが、人は全くいないようである。

 ……開いているのかな。

 そう思ったが、入り口の扉にははっきりと『OPEN』の文字が記された木の板が吊るされている。

 遠くに駅が見える。見通しの良い交差点の一角。場所としてはいい場所だ。

 とりあえず店に入ろう。

 漆で艶やかに磨かれた取っ手を掴み、両開きの扉を押し、中に入る。

 からんとベルが鳴る。扉に付けられているのだろう。

「いらっしゃい」

 低くくぐもった声が奥から聞こえた。

 厨房はクリーム色のカーテンで隔てられている。そのカーテンを捲り、老人が現れた。

 短く切り揃えられた白髪に、同じ程度の長さで整えられた口ひげ。さながら日本版『ザ・ロック』のショーン・コネリーか、『スターウォーズ』のアレックス・ギネスといったところか。

 うん? 日本版『スターウォーズ』ならば、三船敏郎になるのか?

 でも……。

 眉毛は凛々しく、はっきりとした二重瞼の目は力強い。若いころはさぞモテたであろう顔つきだ。

 少なくとも、このおじいさんが若かった当時に私が出会っていたら、考えられる全てを使ってこの人を狙ったであろう。それぐらいこの人の顔つきは素晴らしい。

 ふうむ。そう考えれば三船敏郎に見えないこともないなぁ。

 男性として惹かれるという意味ではないが、私としては好意が持てる男性だ。

 ひとしお店内を見回して誰もいないことを確認する。

 人はいても構わないが、いないならいないで落ちつけてうれしい。

 まあ、店はもうからないだろうからうれしくはないんだろうけれどもね。

 冴島はとりあえずカウンターに座ることにした。

 座ると同時にテーブルに水が入ったコップが置かれる。

 冴島の頬が緩む。

 二カ月近くハワイに滞在していたため、この小さな親切が嬉しかったのだ。

「見かけない顔だな」

「ええ。初めて来ましたから」

「それは、この店にという事か? それとも、この町に?」

「後者です」

 それを聞くと、店主は「うむ」と頷いた。

「あれ、何かルールがあるんですか? このお店」

「いいや。ないよ。で、何にする?」

 じゃあ今の意味ありげな「うむ」はなんだったのか。

 冴島はどことなく分からないなぁと言った表情で店内を見回す。

 シックな木目の天井にはお洒落な換気扇が回っている。

 厨房から漂ってくる良い匂いは、デミグラスソースのようだ。

 だとすれば、ハンバーグかオムライスあたりがいいのかな。

 とりあえず、聞いてみようかな。

「おすすめは?」

「天丼」

「…………」

「…………どうする?」

 どうにも、冴島は何かしら不思議なものを持っていると、確信した。

 私はきっと『選ばれし者』なのだと思ったが、まあ、どうでもいい。

 とりあえず入り口に書いてある言葉は明らかに『洋食』だったので、私が日本を離れているうちに『洋食』という言葉の意味に『和食』も含まれることになっていない限り、この店はおかしいのだ。

「あの……ここ、『洋食』屋ですよね?」

「うん? ああ、あれは女房がそうした方がお客が入って来るからってやったんだ。もともとうちは天丼屋だよ。ちなみに、女房がいればおすすめは『オムライス』だった……」

 ふむ。『だった』という事は……奥さんは亡くなったのだろう。

「お気の毒に……」

「ん? 勘違いしていないか? 女房は今買い出しに行っていていないだけだぞ。だから、『オムライス』はできないって言ったんだ」

「あ……なるほど」

 なんとも面倒なおじいさんだ事で……。

「じゃあ、天丼お願いします」

「あいよ」

 その掛け声はまさに天丼屋のそれだった。

 もっとも、天丼屋の掛け声なんて聞いた例はないのだけれども。

 おじいさんが厨房に消えてから水を口に運び、唇を湿らせる。

 壁には店の雰囲気に合った金縁の油絵が飾られている。

 店にテーブルは四つ。横に長い店だ。

 テーブルは窓に隣接する形であり、そこからは十字路がよく見える。

 町を行き交う人々は途切れることがなく、歩き続ける。

 不思議な感じだ。

 まるで、故郷に帰って来たかのような安心感を覚える。

 ぼそぼそとした響きが店内のスピーカーから響き渡る。冴島がその響きに反応すると同時に店内に音楽がかかった──だが、どうにも合っていない。

 雰囲気ぶち壊しだ。例えるならば、お好み焼きを天つゆで食すようなものだ。

「あの……」

「ああ、良い曲だろう?」

 奥から聞こえる嬉しそうに弾んだ声。

「ええ。良い曲ですけど……なんて言うか、合ってませんよね?」

「そうか? 俺は合ってると思うんだけどなぁ」

 流れているのは(エンニオ)・モリコーネの『続・夕陽のガンマン』のテーマであった。

「いやぁ。西部劇が好きなんだよ」

「まあ、私も嫌いではないですけど……」

 途端。がたがたと厨房からおじいさんは駆け寄って来た。

「本当か!?」

 すごくうれしそうにそう言う。飛んでくるあたり本当に好きなんだろう。

「ええ……」

 冴島は引き気味にそう答える。

「何が、何が好きなんだ?」

 子供の様に無邪気な瞳でそう尋ねてくる老人。

 笑みを浮かべて迫るその様はどことなく『シャイニング』のジャック・ニコルソンを冴島に想起させた。

「私は『続・荒野の用心棒』が好きなんですけど」

 おそらく彼女が一番見たであろう西部劇だ。加えて彼女は、何故だか主役のジャンゴよりも宿敵のジャクソン少佐の方が気に入っているという変わり者でもある。

「ジャンゴか……どこが好きなんだ? やっぱり、最後の十字架撃ちか?」

「いえ。馬を撃たれてジャクソン少佐が泥まみれになるところです」

「ははっ面白いな、あんた」

 老人は腕を組み、鹿爪らしい表情をする。

 何やら厨房の方で聞こえる油が跳ねる音は大丈夫なのだろうか。

 店主は嬉しそうにこちらを見ている……という事は私が「あなたは、何が好きなんですか?」とでも尋ねるのを待っているという事なのだろうか。

 冴島は一口水を口に含む。

「あなたは、何が好きなんですか?」

「俺か?」

 肩を弾ませてそう言う。

 よほどうれしいのだろう。

「俺はなぁ。『ウエスタン』だな。お尋ね者のシャイアンの最期がこれまた、格好良いんだ!」

 西部劇の最期はだいたい見せ場だと思うのだが……。まあ、言わないでおこう。

「あの……料理の方は大丈夫なんですか?」

「ああ、料理なんていいよ」

 それ私の天丼なんだけどなぁ……。

 どうしようか。

 明らかに熱が通り過ぎてるような気がするのだけれども……。

「ところで、ジャンゴが好きなら、他のネロの作品で好きな作品はあるか?」

 ネロ……ああ、フランコ・ネロの事か。

 他に好きな作品といえば『ガンマン大連合』? それとも『豹』かな? ……いや、やっぱり。

「『真昼の用心棒』とか好きですね」

「おお! それが出るとは思ってなかった」

 あ、この人笑うとショーン・コネリーそっくりだ。とくに、目元の小皺とか。

 冴島はそんなことを思う。

「アンタ結構残虐思考なんだな」

「あはは」

 それは当たらずとも遠からずなのがなんとも……。

 というより、明らかに時間がやばいのでは?

 気が付いたら焦げ臭いにおいがして、真黒焦げの天丼を出されるなんていう月並みな展開だけはごめんだ。

「天丼見てきてくださいよ。焦げてません?」

「ちょっと。店長。なんで天ぷら揚げてる、の……」

 そう言いながら現れたのは大学生くらいだろうか、綺麗な黒髪を後ろで結んだ少女であった。

「あ……お客さん」

 驚きの表情だ。

 というより、お客に驚くほどこの店は人が来ないのか? 大丈夫なのか?

「あはは。なんか、すいません」

 彼女はそう言うとぺこりと頭を下げた。

「いやいや。別にいいですよ」

「よお」

 店長と呼ばれた老人は気さくに手を挙げて挨拶をする。

「よお。じゃないよ。天ぷら見てきてよ。焦げちゃうよっ」

「おお。そうだそうだ」

 少し驚き、急ぎ足で厨房に駆けこんでいく。

「また、西部劇の話をしてたんでしょ? いつもあれなんですよ」

 大きな瞳だなぁ。

 どことなく、『マーズ・アタック!』の頃のナタリー・ポートマンに似てるかも。

 冴島はぼんやりと彼女の顔を眺めながらそう思う。

「不愉快じゃありませんでした?」

「いや。私も西部劇は好きですし」

「そうなんですかっ」

 あれ? 何だ、この反応……。

 彼女の眼はきらきらと光り輝いているように見える。

 それこそ『スターウォーズ』ではないが、嫌な予感がする。

 その時の冴島の顔は、ミレニアムファルコンで逃げ込んだ穴倉が宇宙ナメクジの腹の中であると予感したときのハン・ソロのような顔であった。

「私はですねっ。父の影響で西部劇をよく見てたんですけどねっ。好きな作品はですねっ『殺しが静かにやって来る』なんですよっ!」

 ああ、やっぱりだ。

 なるほど、この子も……そういう子なのか。

 いっそのことこの店の内装をウエスタンな内装にしてしまえばいいのに。

 それにしても『殺しが静かにやって来る』は最期がなぁ。

 ま、嫌いじゃないんだけれどもね。

 しばらく彼女の西部劇好きを聞かされていると、厨房から天丼を乗せたお盆を持って彼が現れた。

「おまちどう」

 そう言って出されたのは、溢れんばかりに天ぷらの乗る天丼だった。

「おいしそう!」

 冴島心からの叫びだった。

 白い湯気がふんわりと宙を漂う。その湯気に乗ってタレのほのかな香りが鼻孔を擽る。

「いただきます」

「どうぞ召し上がれ」

 店長はそう言って腕を組んだ。

「あ、そうだ。アイツが買いだし行ってるんだけどよ。ちょっと荷物持ちに行ってくれねえか?」

「ふふっ。見てないところでは優しいんだからっ」

「う、うるさい! 早く行って来い」

「はーい」

 少女は敬礼をすると、入り口から出て行ってしまった。

 不思議な子だなぁ。


  2


 見た目に反して意外に量が多く、食べきれないかと思っていたが、ぎりぎり胃に収めることが出来た。

 とはいえ、決してまずかったとかではなく、とてもおいしくて驚いた。

 特に、エビなんかの弾力は素晴らしいもので何とも食べごたえがあった。

 満腹になったお腹をさすり、水を口に含む。

 そうして、一息ついてから「ごちそう様でした」と手を合わせた。

「どうも」

 彼はカウンターの端に腰を下ろして新聞を読んでいた。

 店内の曲は相も変わらずウエスタンである。

「聞いてもいいかい?」

 彼は新聞を折りたたむとそう尋ねてきた。

「ええ」

「ここにはどんな仕事で?」

「どうして仕事だと?」

「そりゃ、ここに旅行に来る客なんていないからな」

「なるほど」

「で、なんだい?」

「ちょっとした調査を頼まれまして」

「調査?」

「ええ」

「誰から頼まれたんだ?」

「それは……」

「言えねえか。そりゃそうだ」

「いや、別にそういう訳ではないんですけど」

「良いのか、言っても?」

「特に、そういうことに関しては何も言われていませんし」

「誰なんだ? 俺でも知ってるような人か?」

 興味はあるのだろう。前のめりになって尋ねる。

(えにし)家って知ってます?」

 途端。彼は目を大きく見開き、こちらを凝視した。

「お前さん……こりゃ、たまげたな。なんでまた」

「ご存知で?」

「そりゃ、知ってるも何も……この町で知らない奴なんていねえさ」

 ふむ。お金持ちとは聞いてたけど……予想以上みたい。

「お金持ちなんですか?」

「いや、どうなのかな。最近、事業があんまりうまくいってないらしいし、それに……」

「それに?」

「いや。別になんでもない」

「そうですか」

「けどよ。それよりもなによりも、やっぱりあの家にはかかわらない方が良いぞ」

 少し声のトーンを下げて彼はそう言った。

「というと?」

「あの家は、なんでもいろいろと不気味な術やらなにやら使う一族らしいから……」

 店主は俯きかげんにそう言う。

「術って言うと、こう……魔法的な?」

「らしい」

「ふうん。なるほど。確かにこの依頼は、御誂え向きみたいね」

「何言ってるんだアンタ」

「だって、私もそういう類の人間ですから」

 彼はきょとんとした顔で得意げに胸を張る冴島を見た。

「…………お前さん、魔法使いなのか?」

「ええ」

 堂々とそう言い切る。

 すると、彼は大きく笑い、サムズアップをしてみせた。

「面白い! いいね」

 それに合わせて冴島も笑う。

「じゃあ、私これで。お勘定お願いします」

「半額で良いよ」

「本当ですか?」

「その代り、また来てくれよ」

「ええ。もちろん」

 冴島は半額の代金を払うと、店を後にした。

 さて、どうするか。

 彼女は店の前で行き交う車を眺めながらそう考えた。

 特に急いでいるわけではないが、どうにも悪い癖で大事な約束なんかがあるとそわそわして仕様が無いのだ。

 要するに心配性なんだろう。

 冴島は縁家にもっとも近いビジネスホテルに予約をして、下見に行くことにした。

 

  3

 

 (えにし)家は龍主山の麓にその屋敷を構えるのだという。

 それを聞いて来てみたは良いものの、思ったよりも厄介な一族のようである。

 冴島は登山客用の山道から外れた森の中で片膝をつく姿勢でしゃがみこみ、宙をまじまじと睨んでいた。何も知らない人が視れば明らかな不審者である。

 山にはそもそも結界が張り巡らされており、一般人が登山用の山道から縁家の領地に入らないようにされてあった。

 無論。その程度の結界を解くのは冴島琴音にとってどうということは無いのだが、問題はそれをいかように戻すかという事であった。

 この結界の厄介なところは解くのは容易だが、元に再構築するのが非常に困難な代物なのである。

 実に日本らしい結界だ。九つの別々の(ことわり)が絡み合って結界を形成している。

 この九つの理に冴島は心当たりがあった。

 なるほど、ここの結界は『()()』で結ばれているのか。

 それが分かればこの結界を元に戻すのは可能だが、時間がかかる。

 冴島は右手の人差し指と中指を立て『刀印(とういん)』の形をとった。

 結界を紐解くや否や、すぐさま結界の内側に飛び込み『刀印』で網を描くようにして虚空をなぞった。

 何も異変は起こっていない。

 冴島は「ふう」と一息つく。

 いやはや、まさか私が『(はや)()()』をやるとは思いもしなかった。

 どうも、こういう繊細な魔術は苦手だ。

 まあ、洗練されたものっていうのは嫌いじゃないんだけど。

 しばらく歩みを進めると、大きな屋敷の塀が見えてきた。

 あまりの大きさに息をのむ。

 山窩(さんか)の家にしちゃデカすぎやしないか……まあ、いいけど。

 塀の向こう側は視えない。

 さて、あの塀にはどうにも嫌な物が練り込まれているようでならない。

 おそらく、触れることすら敵わないだろう。

────もっとも、それは並の魔術師の話だ。私は違う。

 冴島はホットパンツのコインポケットから橙色の石を取り出した。それを強く握りしめ、意識を自身の体に向ける。透過魔術である。ありとあらゆるエネルギーを透過させる魔術だ。本来ならば数分の時間を要して理式(コード)を馴染ませなければならないが、この瞬間、一瞬でそれが成立した。

 この土地が肥えているというのもあるだろうが、非常に効きが良い。冴島は少し浮かれ気味に頬を緩めると、腐葉土を踏みしめ、一気に壁を駆け上がった。壁から突き出す魔素──何かしらの術を施してあるのだろうが、今の冴島はエネルギーを透過させるため、術は彼女の体に反応できない──が、体を突きぬけて行くむず痒い感覚に軽く肌を粟立たせる。

 塀の上に置かれている瓦に片足を置き、もう片方の足を側に生える木に押し付けバランスを取る。

 大きな屋敷がある。《山》の形をした母屋。《山》の字の窪みに位置する場所には美しい庭園と池がある。

誰にも見られない様に己に術を行使しようと、ブルゾンのポケットから新たに石を取り出し、またも意識を体に集中させる。姿消しの魔術理式(コード)が行き渡ったところで、辺りを見回す。

冴島がいる塀のすぐ側に倉を改築したかのような建物があった。

 ふと、俯瞰にその小屋を眺めると、小屋の縁側に少女が座っているではないか。

 もしや視られたかとも考えたが、こちらを視ようとはしないので視られていないと判断した冴島はその少女を観察する。

 非常に黒い髪だ。冴島が第一に感じたのはその印象だった。

一種異様なほど黒い髪。《漆黒》という表現が適当かもしれない。件の『テムズ』で見たあの少女と同程度──いいや、明らかにそれ以上に黒い。その黒は只々、暗いのではなく輝いて見えるのだ。《明るく輝く漆黒》というのも妙な表現だが、それ以外では形容しがたい色合いの髪であった。

 目鼻顔立ちは非常にくっきりとした顔立ちだ。一目見れば忘れられないようなインパクトがある。外人といえば通じてしまいそうなほどだ。だが、どこか無愛想な顔だ。機嫌が悪いのか、体調が悪いのか……間違いなく前者だろうな、と冴島は思う。

 それにしても、不思議な気持ちになる。

 どこかで既に出会った様な……気がして仕方がない。

 その時、少女がこちらに顔を向けた。無論。彼女に冴島が視えているはずはないのである。それなのに、彼女と冴島は目が合ってしまった。

一方的なものではあるのだが。

 冴島は少し、焦り他に人がいないか辺りを見回す。

 車の音が聞こえる。人は結構いるようだ。

 いや、私みたく明日のために呼ばれたのかもしれないな。

 冴島はしゃがみこむと、少女に一瞥をくべて体を反転させ、塀を下った。腐葉土に着地をして地面に手をつく。

 やおら立ち上がると、手に付いた腐葉土を払い、一息つくと、ポケットに握っていた石を閉まった。

 ま、道は分かったし。良しとしますかな……。

 冴島は「よし」と、背筋を伸ばすと、踵を返して山を下った。

 

  4

 

 叉奈木の夜は都会に比べれば確かに寂れてはいるが、活気が無いわけではなかった。

 それに、自然との共生ができている辺り、都会よりよっぽど素晴らしい土地だ。

 特に、生命の素である魔素(まそ)を必要とする魔術師にとっては、この町は何かと都合が良い。

 この依頼は、受けるべきだね。

 冴島は橋の上で街灯に照らされながら川を眺めていた。

 橋の上では二人のホームレスが街灯の下に座り込んでいる。

 物乞いという訳ではないだろう。

 では、何のために?

 冴島は好奇心に唆され、橋の上にいた二人の男に声をかけた。

「ねえ、何してるの?」

 二人の男はきょとんとした顔で彼女を見る。

「いや……特に何もしてねえけど」

 冴島はその顔に嘘が無いと見てとるや、

「そう。じゃあ、お元気で」

 短くそう言うと彼女は二人にポケットに入っていたガムを渡した。

 一人がそれをガサガサにひび割れた手で受け取る。

 何とも反応に困ると言った顔で二人は顔を見合わせ「ありがとう」と返した。

「どういたしまして」

 彼女はにこりと微笑み、踵を返し歩き出した。

 疑問が解消するという事は何ともすがすがしいものだ。

 冴島琴音は明日が楽しみで仕様が無かった。

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