第二章 白夜の夜に月はなく
第二章 白夜の夜に月はなく
千輝の部屋は二階にある。
一人部屋だ。ベッドと机とパソコンが一台。そしてやたら大きな本棚が一つ置いてあるだけのシンプルな部屋だった。本棚には、現在発行されているすべての麻雀戦術書があるのではないか? と思わせるほど大量の戦術書が作者名順に並んでおり、机の方は、勉強机と四角い作りの机が一つずつ、それぞれ部屋の隅と中央を陣取る形で置かれている。四角い机には常時麻雀マットがしかれており、いつでも麻雀ができるよう、手入れの行き届いた新品同様に輝く麻雀牌が几帳面に並べられている。
パソコンは言うまでもなくネット麻雀専用で、千輝専用の機体である。デスクトップではなくノートパソコンだ。
この日の夜、千輝はいつものように、自分用のパソコンでネット麻雀に興じていた。
雀荘などで麻雀を打つこともあるが、千輝は基本的にネットの住人だ。ネット麻雀を一種のネットゲームと捉えた場合、千輝は高校生にしてネトゲ廃人だったと言えるだろう。
高校に通いながらにして一日二十半荘を欠かさない千輝の廃人ぶりは、一日十二時間以上をネット麻雀に費やす廃人たちと何の遜色もない。基本的に千輝は学校をさぼりがちな不良生徒なので、高校に通いながら、とは言えないかもしれないが。
【何切る】
一三五六六七m 四七九s 二p 西西西 ツモ二p
【場況】
7順目 ドラ九s
「(中級――いや、初級クラスの人は、この手で一mとか打つんだろうな)」
千輝は六萬を打った。
一萬切りは良形を見た手筋だが、それだとシャンテン戻しになってしまう。一、三のカンチャンを嫌うくらいなら孤立牌の四索を切った方がまだマシで、しかし四萬切りより六萬を切りの方が有効牌は多い。したがって、六萬切りが正解である。
ある程度打てる人間なら無意識に打てる手筋だろう。ネット麻雀狂である千輝にとっては朝飯前だ。
ネット麻雀――と一括りに言っているが、実際、ネット麻雀には様々な種類が存在する。雀荘に種類があるのと同じだ。ある雀荘では食いタンを採用しているが、別の雀荘ではそれを禁止している場合もある。ネット麻雀にも、そのような違いがあるのだ。
ネット麻雀の場合、ルールの違いと言うよりは、グラフィックや操作性、もしくはゲーム性にそれぞれの違いがある。
そして、現在人気を博しているネット麻雀は全部で三つ。
基本無料でありながら有料顔負けのグラフィックと、初心者でもある程度戦える低いレベルのメンツが集まる麻雀サイト【黄麻】。
海外の企業が運営することで、ネットを使った合法賭け麻雀を可能にした日本人向け麻雀サイト【龍桜】。
ネット麻雀最難関と言われ、プロでも上位に行くのは難しいと言われる【皇牌】。
千輝はこの中で、【皇牌】をプレイしている。千輝のID【カズシロー】は、皇牌プレイヤーの間では結構な有名人だった。
皇牌は段位制を採用していない、珍しいタイプのネット麻雀だ。段位の代わりにレーティング(略してR)で各々の成績を競わせるシステムになっている。
千輝のRは二五〇〇台。皇牌の中でも、かなりの上位に位置していた。
「(ま、上には上がいるんだけどな)」
対局終了。
トップ【カズシロー】。
今月の平均順位は二.二九。まずまずだなと、ホクホク顔で呟いた。
皇牌において、R二五〇〇という数字は簡単に出せるものではない。むしろ、数年前までは『不可能レート』と言われていたほどで、絶対に到達し得ない領域とまで言われていた。どれだけ打てても安定二二〇〇が限界。たまに短期的なものとして、二四〇〇台に到達する者も現れたが、二五〇〇台まで安定する者はいなかった。
現在、二五〇〇を超える者は千輝を入れて七人いる。
その中で千輝は、一番の下っ端である。
トップ四人に至っては、プログラムをいじってなんらかの不正でもしているのではないかと噂される程、馬鹿げた成績を出していた。
『対局ありがとうございました。やっぱり強いですねカズシローさん。全然かないませんでした』
ふと、pc画面に目を落とすと、チャット欄に書き込みがされているのに気付いた。皇牌には対局後、対局者同士でチャットができるようになっているのだ。
チャット内容はケンカ腰なものが多いのだが、今回はそうではないらしい。
千輝は慣れた手つきでキーを叩いた。
『いえ、今回はラッキーでした。悩む手もこなかったので。【やっさん】も、なんだかんだ言って二位じゃないですか』
やっさん。安定R二二五〇台。超防御型の打ち手で、皇牌屈指の強プレイヤーと称される打ち手である。
成績では千輝の方が上だが、やっさんの打つ麻雀には、千輝も一目置いていた。
『やー。そりゃ二位でも勝ちは勝ちですけどー。やっぱりトップが取りたかったっていうか。私の倍満を千点で流してんじゃねえよ死ねよとか、思ってないですよー』
ほう。そんな手を張っていたのか。
千輝はさっき打った半荘を思い出した。……南一局だろうか。適当に辺りを付けてから、『ザマーww』と打ち返した。
実はこの二人、リアルでのつながりがある。仲も悪くない――どころかものすごく仲が良いので、対局後はいつもこうしてチャットをしているのだ。
最後には大体煽り合いになるのだが。
『あー言ったなこの野郎! この引きこもり高校生が! ちょっとは家を出たらどうだ!』
『お生憎様、最近は結構外に出てるよ。昨日なんか久しぶりに学校に行ったくらいだぜ!』
『学校は毎日行くものでしょ!』
『じゃあ聞くが、やっさんは毎日学校に行っているのか?』
『…………』
行ってないのかよ。
それはいくらなんでも不味いだろ。
やっさんは『ところでさ、カズシローは知ってる?』と露骨に話題を逸らしてきた。そのことにはあまり触れてほしくはないらしい。とはいえ、知人が学校に行っていないと言う事実をそう簡単に流してもいい物だろうか。千輝はしばらく考え込んだ。
結局、「どうでもいいか」と冷めた結論に至り、やっさんの希望通り話を変えてやることにした。
『なんだ。言ってみろ』
千輝は興味なさげな顔をして文字を打った。
『無月さんについて、なんだけど』
『無月?』
急に千輝の目の色が変わった。
無月。その名前を千輝は知っていた。皇牌を、いやネット麻雀をプレイする者ならば、誰もが知っているだろう名だ。
百戦全敗、故に最弱。ただの一度も勝つことなく、ただの一度も引き分けることなく、ガチ打ちでR0にまで落ち込んだ唯一のID。
その打ち方は一切の間違いも一片の曇りもない、誰もが認める好プレイヤー。――なのだが、なぜか一回も勝てない絶望的な不運を持っていた。同卓するととてもうれしい(負けないから)が、牌譜を見ると、この人に勝ってしまったことがいたたまれなくなるという、稀有なプレイヤーである。
確か先日、連続五千ラスを達成したとかいう噂が流れていたはずだ。
千輝も無月の実力は認めていた。絶望的な不運を差し引いて、だが。
『無月さんがどうしたって? 五千ラスなら知ってるよ』
『ついにトップを取ったんだって』
「え?」
千輝は思わず声を漏らした。
トップ? あの無月が? 必ず負けるマイナスプログラムでも組んでるんじゃないかとまで噂されたあの無月が、トップだって?
千輝は躍るようなキータッチで文字を打ち込んだ。
『そうか。やったな無月さん。とうとう勝ったのか』
『うん。実際あの人、デジタル雀士にとっては目の上のタンコブだったもんね。統計が確立を裏切るとかありえないよ』
そう。無月と呼ばれるプレイヤーの成績は尋常ではない。いい意味ではないし、悪い意味というわけでも決してない。無月の麻雀は、絶対にありえないと言い切ってしまって差し支えがないほどの、連続的で永続的な、異常現象のような麻雀だったのだ。
具体的に言うと、
和了率のようなダブリー率。
副露率のような放銃率。
ぶっとび率はなんと十割を記録し、
ダブリー時放銃率は驚異の七〇パーセント。
立直後放銃時平均失点は親倍満。
半荘中必ず一度は役満をテンパイし、
半荘中必ず一度は役満に放銃する。
つまり一半荘に必ず一度は役満が出現するのだが、
無月本人の役満和了は未だに確認されていない。
海底放縦は当たり前で、
嶺上開花で親をかぶり、
国士無双を槍槓で上がられる。
あげるとキリがないほどの伝説を持った雀士だ。ちなみに、皇牌プレイヤー内での合言葉は、「同卓した合掌しろ」である。
そんな無月がトップを取ったという知らせは、勝手に無月をネタキャラにして遊んでいる一部プレイヤーを除き、非常に喜ばしい報告だったことだろう。
それは千輝も例外ではない。
リアルの知り合いでこそないが、いつかトップを取って欲しいと、応援していたプレイヤーだったからだ。
『なんか、嬉しくなってきた。おめでとうって言いたいけど、あの人ブログとかツイッターとか、やってないからなー』
『ふっふっふ。カズシローさん。私、無月さんの初トップの牌譜を持ってますよ』
『え、マジで? どうやって手に入れたんだお前』
『2chに落ちてました。もうお祭り騒ぎですよ。どうせだから一緒に見ませんか?』
『URLを張れ。勝手に見る』
『えー、イケズー。そんなんだからモテないんだよー』
『お前には関係ないだろ』
『あるよー。実は私、カズシローのことが好きなんだから』
『え? なんだって?』
『チャットで聞き間違いなんてあるか!』
『俺は巨乳派なんだ』
『初耳だー! あんな脂肪のどこがいいんじゃ畜生ー!』
pcの前でニヤニヤする千輝の様子をもしも第三者の誰かが見ていたら、きっと気持ち悪がったことだろう。
『師匠命令だ。URLを張れ』
『急に師匠面し始めたよ! そしてそんなの初耳だよ! カズシローに教わったことなんて、別にカズシローに教えて貰わなくても自然に身に付く内容ばっかりだったじゃん!』
馬鹿な。俺が今までやっさんに教えてきたあの高度で高尚な技術を自然に身に付く技術とは。なんて傲慢な奴だ。恩を仇で返すどころか恩の上に泥を塗って投げつけられた気分だ。
一より二の方が大事とか、カンチャンより両面とか、いろいろ教えてあげたじゃないか。
『と、言うわけで、カズシローは私と一緒に牌譜を見る義務があるのです。とりあえず、私はお布団の準備をしておくので、カズシローは体の隅々までキレイにしてきてください』
『なんで牌譜を見るのにそんな準備がいるんだよ』
パソコンが一台あればいいだろ。
『私の処理速度はベッドの上で初めて覚醒するんです!』
『お前自身に処理速度なんて求めてねえよ』
タカが知れてるだろそんなもん。
『じゃ、じゃあさ』
じゃあさ?
『私のパソコンはベッドの上にくくりつけられていて、起動するにはカズシローと二人で起動ボタンを押さなきゃいけない、ってのはどうかな?』
『随分不便なんだな、お前のパソコン』
軽く同情したくなるな、と、同情も何も感じていない冷めた目つきでそう口付いた。
『ではでは、私は家でカズシローがくるのを今か今かと甲斐甲斐しく待っておりますので、忠犬ハチ公の飼い主の如く威風堂々と参上してください』
『え、なに? お前んチに行くのは確定なの? あとハチ公の飼い主って結局こないよね? 威風堂々って、なにをどう堂々としてればいいんだよ』
『態度とか?』
『ならもう合格だろ』
『首席卒業です。おめでとうございます』
ありがとうございます。
……なにが?
『もしくは今度そちらのお宅に婚約届をお送りしますので、サインとハンコをお願いします』
『いや。流石の俺も、自分の人生を等価にしてまで他人の牌譜を見たいとは思わない』
『え? なになに? 僕の人生を棒にふってでも、お前と結婚したい? か、カズシローさん! それは本気で言ってるんですか!』
『言ってないよ! なに勝手に都合のいい改変を施してんだ! いやだよお前と結婚なんて、俺の人生終わるじゃん!』
などと楽しげなチャットに興じていた千輝だったが、この時間は一瞬にして終幕を迎えることとなる。千輝のケータイに電話がかかってきたからだ。チャットを一時取りやめて、机の上に置いていたケータイ電話を手に取った。
相手は例の化け物である。
「もしもし」
『もしもし? じゃねえぞコラクソガキぃぃぃいいいい』
なにやらご機嫌斜めのご様子だ。
こういう時は、懇切丁寧に対応することにしている。
「えっと、どうしたんですか店長」
『どうしたもこうしたもあるか。テメェ、なにうちの子チャット使って誘惑してやがんだ。お前に、小学生の娘から『ねえねえおとうちゃん。婚姻届ってどうやったらもらえるの?』……と聞かれた父親の気持ちが分かるかァ!』
…………やっさん。
こと、大塚束さん。
なにしてくれてんだテメェッ!
「お、落ち着け店長。まずは落ち着いて俺の話を聞こう。まずは深呼吸。はーい吸ってー」
『クォフぅォォォォオオオオオオッ』
ダイソンの如き吸引音が聞こえてきた。
「はーい吐いてー」
『クゥフゥァアアアアアアアアッ』
モンスターハ〇ターを思い出させる竜の息吹みたいな吐息が響いてきた。
「……落ち着いた?」
『落ち着いた。ちょっと待ってろ。今すぐテメェの家に乗り込んでやる』
それは落ち着いたとは言わない!
「待て、落ち着け。落ち着いて話を聞くんだ店長! いいか。俺と束は友達だ。友達以外の何物でもない。あのチャットは、友達同士の、遊びみたいなものなんだ」
『……遊び?』
「そう! 遊び! ほら、女の子はおままごとが大好きじゃん。お宅の子も好きなんだよおままごと。俺はただの夫役。ただのゴッコ遊びなんだ。店長は、ままごと内の結婚すら了承できないほど、器の小さい人間じゃないだろう?」
『……そうか、よく分かった』
「はぁ。分かってくれたか」
千輝はほっと胸を撫で下ろした。
『つまりお前にとって、束は遊びだったというんだな?』
ダメだ! 理解しようとしていない!
身の危険を感じた千輝は、咄嗟に接続ボタンを押した。そしてすぐさま電源を切る。これ以上会話していたら、あの店長、本当に家に乗り込んできかねない。そう思ったからだった。
実際、この時の千輝の予測は、半分ほど正解していた。『店長が家にくる』というのは正解だ。間違っているのは、『これ以上電話していたら』の部分である。
白夜家にチャイムが響いた。来客の存在を知らせる、悪魔の呼び声である。
まさか、と思った。いやまさか、いくら店長でもそれは――。
「千輝ー」
一階から母の声が響く。
「大塚さんとこのお父さんが、あんたに用があるって。なんかすごい形相で尋ねていらしたんだけど、あんたなにしたのー?」
千輝は窓から飛び降りた。
千輝の部屋は、二階にある。
◆
無月。百戦全敗の雀士。最善最高の手を打ち尽くしながら惨敗する男。
千輝はこの後、邪神すらも裸足で逃げだす魔王の如き形相をした大塚父に、約三時間追い回されることになる。家に帰りついたころにはもうボロボロで、一も二もなくベッドに飛び込んでしまった。
故に、千輝はまだ知らない。
最善手を打ち続ける無月が、まるで人が変わったようにありえない手を打っていたことも。無月がその一戦を境にネット麻雀を引退してしまったことも。その局、念願の役満をあがっていることも。
役満をあがった時の手筋が、
左から順番に切っていた、ということも。
◆
続く。
ストーリーってなんだっけ? 麻雀ってなんだっけ?
そんな感じの第2話です。
投稿ペースを上げて行こう! お、おれ、頑張る!(汗)