その四 「小銃授与」
軍隊の朝は早い。朝の五時三十分。娑婆では人が最も寝ていたいと思う時間に、起床ラッパと班長の怒声で叩き起こされる。
「コラァーっ! クズ共起きろ!」
起床して真っ先にやることは軍服に着替え、寝台の毛布と敷布を、一本の皺もなくピッシリと畳むことである。言うは容易いが、やるのは難しい。正確に言えば、班長の雷が落ちないうちに短時間で済ませるのが難しい。
「いつまで寝てるんだ! ベッドごと敷地から放り出すぞボケども!」
いそいそと着替え、寝台の整理をする初年兵の尻を叩くように、班長が怒鳴る。
他の国の軍隊はどうかわからないが、
「眼を瞑ってでもできるようになれ」
と言われるものが帝國陸軍には三つある。縫い物と銃の分解結合、そして朝の寝具の整理と軍服着用である。
いつ支給されるかわからない被服類の修繕は、初年兵の場合一切の苦役から開放され完全にヒマになる夜の就寝時間しか行う時間がない。従って、消灯下の暗闇の中で針と糸を操る器用さが自然と身につくようになるのだ。銃の話はまた後に譲るとして、寝台の整理整頓は帝國陸軍ではイヤと言うほど叩き込まれる。
この寝台に関しては、「金魚」と「台風」という無茶苦茶な罰直がある。
例えば、班長はたいてい課業や実習で班の初年兵が外に出払っている頃を狙って営舎の点検を行う。もし寝台の敷布に汚れているものを目ざとく見つけると、そこに水性ペンで金魚の絵を描くのだ。
やがて外から帰ってきた当人が自分の敷布に金魚の絵を見つけたところに、班長はこう嘯くのである。
「おい、貴様の敷布に金魚が住み着いたようだぞ。貴様、金魚に水をやらんでよいのか?」
要するに、「お前の敷布は汚いから洗え」ということだ。したがって、金魚に住み着かれた初年兵は外から帰って来たところを慌てて洗いに行くハメになる。生来の無精者であったらしいヒッピー君は、教育期間中何度も金魚に住み着かれてはベソをかいていたものだ。
「台風」はさらにハードだ。前述と同じく、お忍びで抜き打ちの検査に訪れた班長はそれこそいろいろなところを徹底的に調べ上げる。掃除が行き届いているか、シーツの皺をきちんと伸ばしているか。ご禁制の品物を隠してはいないか……等々だ。もしそこに一つでも不備があれば……「台風」がやってくる。
やがて疲れた身体を引き摺って外から帰って来たぼくらは、「何者か」に散々荒され、散かされた営舎を眼にして呆然とするわけだ。その荒された様子が、まるで台風でも通過した跡のように見えることから「台風」という渾名がついたのだった。
ここまで読んでいただければ分かると思うが、陸軍では罰直はその当事者自身に苦役を課すというパターンが多い。戦前戦中までは、すでに「体罰禁止令」が出ていたのにも拘らずバンバン殴っていたらしいが、戦後の「民主化」がその傾向に歯止めをかけた。従って、上級者が兵士に加える体罰は自ずと限られてくる。もしくは一目で体罰を加えられたと分からないように顔以外の部位に暴行を加えるというパターンも生まれた。つまり旧来の悪習が消えた一方で、兵隊苛めの方法は一面ではより巧妙で陰湿になったということだ。
「点呼用意!」
週番上等兵の声が営舎中に響き渡る頃には、整頓を終えていなければならない。脱兎の如く舎前営庭に駆け出し、整列して週番士官の到着を待つのである。
週番士官は少尉か中尉。それも叩き上げで、これ以上昇進しようにも年齢制限で退役を迎えざるを得ないような老士官や、士官学校を出たばかりの若い士官が多い。特に後者は憧れの現場に初めて出て張り切っているから夜間の非常呼集とか点呼のやり直しとかバンバンやらせる。従って、立場上新兵には最も嫌われやすい。
「第三内務班、総員三〇名、営倉一名、現在員二九名。番号っ!」
「いーちっ」「にっ」「さん」「しぃーっ」……たかが番号でも、気が抜けない。少しでも詰まったり、やり直しを命ぜられると、あとで班長直々の罰直が待っている。
その日は無事に点呼が終了し、営舎に戻る途中で誰かが話す声がした。
「あいつ、どうなったのかな?」
「あいつって、誰だよ」
「入営初日に、革命がどうのうこうのとか言って連れてかれた奴いただろ」
「あああいつか……知りたくもねえよ」
そうか……あれから一週間経つんだ。
入営初日で反政府活動という大罪を犯し、営倉に入れられたハカセの顔をぼくはすでに思い出せなくなっていた。
この一週間ぼくらが体験したことと言えば、結論から言えば「何も知らずに軍隊に行けばこんな目に遭うよ」ということだ。一通りのしごきも体験したし、こういうときはどう振舞えばいいのかパターンも掴めて来た。ただ、頭の中で考えるだけならまだしも、実際の行動がどうしてもまだ伴わない。それが初年兵特有のぎこちなさとして教官の目には映るのだろう。
食事当番によって調理室から営内に運ばれ、配膳された朝食―――に限らず、軍隊で出されるメシ―――は例外なく不味い。だが、不平を言う者はもはやいない。徹底的に一切の社会性が排除された軍隊では食事こそが唯一の娯楽だし、第一食べなければここでは体力的にやっていけないのだ。それにメシそのものの時間はわずか一〇分。不平をぶー垂れている間に、食えるものも食えなくなってしまう。
この日、入営して一週間目というのは、多くの初年兵にとって特別な意味を持っていた。武器の授与。要するに自分用の小銃を貰えるのである。
「銃番号、○○○○○号!」
改まった声で製造番号を読み上げると同時に、班長は両手でぐっと小銃をぼくの前に突き出した。ひっつかむようにして銃を受取り、ぼくも製造番号を復唱する。
「銃番号、○○○○○号!」
製造番号と同じく、黒光りする銃身に刻まれた菊の御門の刻印。これこそが栄誉ある帝國陸軍兵士の使う銃の証だった。
両手でぐっと掴むと同時に圧し掛かってくる銃身と責任の重みに、ぼくはぐっと耐えた。「銃の重みは責任の重み」とはよく言ったものだ。
制式名称六四式小銃。文字通り西暦一九六四年から支給が始まった帝國陸軍制式小銃である。四七式小銃の後継として開発されたそれは、7.62ミリの弾丸をセミオート(単射)、フルオート(連射)と選択して射撃することができた。
ちなみに前任の四七式小銃とはどういうものかというと、それまでかの有名な三八式、九九式と、ボルトアクション式(要するに、一発射撃するごとに弾丸をレバー操作で銃身部までわざわざ装填しなければならない)の小銃で強大な連合国軍相手に苦闘を強いられた反省から、アメリカのM1ライフルを参考にして開発された帝國陸軍初の制式セミオートライフルである。でも、「日本の地勢と日本人の体格に合わせて」弾丸の装薬量を減らしたこと以外は外見、性能ともにほとんどM1といっしょ……というかまったくのパクリ。
この四七式は後にぼくが陸軍武器学校に出向したとき、まだ評価試験用に現役だったものを扱わせてもらったが、頑丈でとても扱いやすいのに驚いたことを今でも覚えている。それに比べて六四式は……それについては後述する。
名前の通り四七式は西暦一九四七年から支給が始まったわけだが、この年はソ連でかの名銃カラシニコフAK―47が開発された年でもある。要するに、こうした歩兵用装備に関して、我等が帝國陸軍はWWⅡで最も味方に対して非人道的だったソ連軍にも劣っていたわけだ。
AK―47も朝鮮戦争時に共産軍から鹵獲したものを扱ったことがあるが、これは「M1の連射もできるバージョン」と言ったほうがしっくりくる。命中率の悪さを除けば歩兵用ライフルとしてはそれほど素晴らしい! 実際、四七式小銃の後継に、AK-47をコピーした試作銃が提示されたことがあったらしいが、「敵の銃を採用するなど、帝國陸軍の面子にかかわる」いう意見が出て沙汰止みになったらしい……よく考えて見れば、四七式も元々は敵の銃なのに。
兵役経験者で、どんなに軍隊生活が嫌だった人でも、このときだけはなぜか言い知れぬ感動を覚えたらしい。除隊後の元同年兵の集まりでも、小銃の授与はよく話題に上る話である。あとに述べる小銃にまつわる苦労話と同じく……全員に銃の授与を終えると、班長は言った。
「聞け……! この六四式小銃は、畏れ多くも大元帥陛下より賜った大事なものである。いやしくも畏れ多くも大元帥陛下より賜った銃を破損することはもとより、入念なる手入れを怠ることはいやしくも畏れ多くも大元帥陛下に対し不忠を為すことと同義である! 銃の整備、管理には十分細心なる注意を払うようにせよ、この六四式小銃は畏れ多くも大元帥陛下の名代であると思い、お前たちはそのように取り扱わねばならない!」
訓示の端々に、「大元帥陛下」の名が出てくるたびに、ぼくらは不動の姿勢を取った。
ちなみに、兵士から将官に至るまで、帝國陸軍の軍人は「天皇陛下」という言葉に事の外弱い。というよりそういう風に反応するように教育されてしまう。
訓示等で「天皇陛下」「大元帥陛下」の固有名詞が出てくるたびにこのように不動の姿勢を取らされるし、演習や行事の度に「宮城遥拝」といって遠く離れた東京の皇居の方向へ捧げ筒をやることになっている。そうして、天皇陛下と皇室に対する絶対的な畏敬の念をその精神の根本から刷り込まれるのである。
「民主化」のお題目の下、憲法に規定された守るべき対象をいわゆる天皇制としての「国体」から「国土及び、日本国民の生命及び財産」へと変えられた帝國陸海空軍だが、それでも「国体護持」にその精神の根本では固執しているのだ。かくいうぼくも除隊後しばらくは「天皇陛下」という固有名詞が日常の端々に出てくる度に、過度に反応しては周囲の失笑を誘っていたものだ。
訓示の後、銃の操作に関する簡単な説明を経て射撃場に移動し、射撃訓練となった。
普段は周囲と隔絶され、厳重に封止された射撃場の門を初めて潜ったとき、緊張を促す冷たい空気がぼくの背中を駆け抜けたのをぼくは覚えている。だが……。
……その日は、とうとう射撃の機会は訪れなかった。「トッポ君」こと、あのお上りさんがおもむろに手を挙げ発言を求めたのである。
「班長ぉ……オイの鉄砲、ネジがナかとですけど」
その途端、班長の顔が蒼白になった、まるで信号機でも見るような鮮やかな変わりようだった。
「今日の射撃訓練は中止! 貴様らさっさとネジを探せぇっ!」
さすがに小銃は歩兵の死命を制するものだけあって、「天皇陛下の名代」という点を差し引いてもその取扱はやかましい。部品一点の紛失だけでも大事だ。
銃を受け取った場所から射撃場まで走って十分の距離だ。軍隊では移動はいかなる場合でも小走りであり、先程の移動でも銃を引っ提げての小走りだった。ということは小走りで銃をガチャガチャやっているさ中に部品を取り落としたことになる。さらに、部品を落したと思われる場所は広範囲に及ぶだろう……。
……それを考えて、ぼくも真っ青になった。皆も真っ青になった。ただ、班長の顔面蒼白とは明らかに意味が違う。
「貴様らなにボヤっとしてるんだ! さっさと散開だ。でなきゃ昼飯も晩飯も抜きだぞコラ!」
大変だァ!
当の「トッポ君」は、呆然とその場に突っ立っている。自分がどれほど重大な事態を引き起こしたのかまるで理解していないかのようだった。
普段からボーっとして、何をやらせても最低限の結果しか出せない。要するに「とっぽい」ことからこの仇名をつけられたトッポ君だが、なぜか苦笑しつつも許せてしまう愛嬌のようなものがあった。だが、班の皆はそれで許しても班長が見逃してくれるはずがない。
皆が散開して数秒の後、トッポ君本人もまた、
「このでぐのぼうがっ!……さっさと探せっ!」
と、後ろから頭を張られた上、尻を蹴っ飛ばされ追い出されるように捜索に加わるのだった。
皆と同じくぼくもまた、四つん這いになり、眼を皿のようにして部品を探していた。
「醇ちゃん、探してる振りしてサボってようぜ」
と、四つん這いの姿勢でおもむろに近付いてきたヒッピー君が囁いた。
「名案だけど、バレたらお仕舞いだぞ」
「バレやしないさ。それに、ネジなんて他の誰かが見つけてくれるだろうぜ」
そのとき、目の前に人の気配を感じて、ぼくらは頭を上げた。
スーちゃん……?
スーちゃんが、涼しい眼でぼくを見下ろしていた。その口元には、漣のような微笑が宿っていた。そのスーちゃんの周りを、まるで女王様の側に就き従う婢のように女性兵が囲んでいた。徴兵令において女性はその義務の対象外だが、志願すれば一定期間、後方部門に限り役務に就くことができる。当時のスーちゃんは、教育中隊長の補佐としてこうした女性兵らを指導監督する任務も負っていたようだ。
「うわぁ……女だぁ……」
思わず、ヒッピー君が呟いた。そういえば、ぼくらが女性を見たのは久しぶりだ。スーちゃんをはじめ、眼にする女性一人一人が飛びきりの美人に見えた。
軽く会釈すると、スーちゃんはぼくらから軽やかな歩調で離れて行った。ぼくとヒッピー君は、ポカアンと口を開けて、いつまでも彼女達を見送っていた。
結局、その日夕方までかかってぼくらは紛失したネジを探し出した。昼飯にありつくこともできず、道を行き交う他班の兵士たちの嘲笑と好奇の目に晒されながら、だ。
「あった! あったぞぉ!」
一人の班員が、ドブ塗れの側溝からネジを見つけ出した。まるで商店街の福引でハワイ旅行を引き当てたかのように、彼は喜んだ。ぼくらもホッとした。
だが……社会と同じく軍隊においても、何事もハッピーエンドで終わるとは限らない。部品、それも「畏くも畏れ多い天皇陛下より賜った」小銃の部品を落とし、その上ドブ塗れにしたのだから、班長の気がそれで済むわけがなかったのだ。
その晩……
「陛下より頂いた六四式小銃殿。申し訳ありません!」
その一言を連呼しながら、小銃を掴む両腕を頭上に伸ばした姿勢で、ぼくらは「生存者」を命ぜられた。それも五十回!
「生存者」とは中高校の運動部でもよくやる運動で、いわゆる「ヒンズースクワット」のことだ。それを重量六kgの小銃を掲げながらやるのである。陸軍の罰直で最もきついのはやはり小銃がらみの罰で、あの有名な「捧げ筒」の他には小銃を掲げた姿勢で兎跳びをさせたり、小銃を胸の高さまで突き出した状態で一時間も耐えさせるとか、小銃を頭上に掲げた状態でランニングをさせるというのもある。小銃の部品を亡くしたばっかりに、古参兵にひどい虐めを受けて自殺した兵士の話は、内務班はもとより巷間にも結構伝わっているはずだ……。
この日の経験は、軍隊の厳しさと同時に、イザとなったら自分の命を預けなければならないこの小銃が、いかに問題が多い銃であるかをぼくらに身を以て体験させることとなった。いとも簡単に部品が脱落する小銃って……。
疲れた身体を引き摺って帰り着いたぼくらは、内務班で語り合った。
「ナア、こんな銃で戦えるのか?」
「天皇陛下から貰った銃だから、使わざるを得ないだろ」
「もしこんな銃で戦って死んだら、オレ、天皇陛下に殺されたってことになるのかな?」
「バカッ……不敬罪だぞ」
そのとき、入り口の向こう側に人の気配をぼくらは感じた。一瞬にして、ぼくらは身構えるように入り口に視線を集中させた。
扉を開けたのは、ハカセだった、随分ヤツれてはいたが、肌色は良かった。ぼくらが注視する中を、トボトボと自分の寝台まで歩くと、手付かずの寝台に敷布を敷き始めた。
「オイコラッ! てめえよぉ、てめえが営倉で寝てた間に俺らがなにやらされてたかわかってんのかコラ!」
罵声の主は番長だった。丸めた紙屑をハカセに投げつけると、彼はさらに怒鳴りつけた。
「今日もなぁ、俺たちゃ銃担いでスクワットやらされたんだぞ! 『いままでサボってて申し訳御座いません』ぐらい言え馬鹿!」
ハカセは、キッと番長を睨み付けた。営倉を経ても、何かに浮かされたようなその眼光はまだ衰えていなかった。
「僕は僕なりに日本資本主義独占体制と闘争していたんだ。君のような権力の与える餌を悦んで食むような豚とは違う!」
「てめえまだそんなこと言ってやがんのか!」寝台から飛び上がるようにしてハカセに掴みかかった番長を、ぼくらは総出で止めた。
「喧嘩はダメだよ。班長に見つかったら罰直喰らうだろ!」
「コラァ離せてめえら!」
総出で取り押さえなければならないほど番長の力は凄い。さすがに入営前は周辺十の高校を仕切っていただけある。何でも、三回目の留年が決定したときにレッド‐ペッパーを受け取ったらしい。
当のハカセは、諤々震えて寝台の隅に蹲っている。その真意はともかく、かなりの強がりなことだけは確かだ。そして向こう見ず、ということも……。
どうにか番長を寝台まで引き戻したときに、班長がやってきた。両手に大きな段ボール箱を抱えて。
何事もなく整列するぼくらを一瞥して、彼は言った。
「明日は射撃訓練を行う。その前に今から、貴様らにこれを配っておく、これで小銃の結合部分を補強しておくように」
班長がくれたのはビニールテープだった。六四式小銃の支給以来、帝國陸軍の歩兵が作戦行動中に携行するようになった必需品の一つである。
その日、ぼくらが最後にさせられたのは自分の小銃にテープを巻いて脱落の可能性のある部分を補強することだった。
―――翌日、ぼくらは再び射撃に関する説明と注意を受けた後、駆け足で射撃場前に集合した。
「貴様ら、部品の脱落がないか確認しろ」
先日のことに懲りたのか、その日は部品の紛失はなかった。全員の申告に別段感銘を受けるわけでもなく、班長は入場を命じた。
射撃場にはすでに等身大の的が準備され、赤いヘルメットを被った射撃係が、初年兵が不注意なマネをしないか眼を光らせている。
射撃場に入って最初に配られるのが、排出された薬莢を回収するための袋だ。小銃の排出口に接続できるよう作られており、射撃終了時に、中の薬莢ごと袋を係に返却するようになっている。そうすれば、薬莢の紛失など起こり得ないというわけだ。
実弾(陸軍では実包という)は、射撃の直前に五十発配られる。勿論、これを射撃場の外に持ち出すことなど許されないし、紛失すれば先日のように延々と捜索をやらされることになる。
射撃訓練は、三組に分けて行われた。ぼくは二番目の第二列だ。
「第一列、配置に付け」
皆と同じく、ハカセも朝方に支給された小銃を構え、黙々と配置に付いている。営倉でよほど怖い目に遭ったのか、以後は班長の言うことには従順なまでに従っていた。
射撃は、初年兵の場合伏射、それも単射で行う。ここまで来ると本人達はもとより、側で見ている誰もが話をする者はいなくなり、場を重苦しい静寂が覆った。
「射撃開始!」
と言われて、すぐに射撃を始める初年兵は、まずいない。初めて人を殺す武器を使うのだという感情が、本人に抗いがたい緊張と逡巡を強いるのだ。射撃係も、班長もそのことを身を以て知っているので、あえて急かさない。
最初の一発は、乾いた銃声だった。だが、ぼくは見たのだ。撃った人の銃が大きく跳ね上がったのを。その直後、撃った初年兵は肩を押さえてその場でもがき出した。彼の銃座に近付いて事情を察した班長が、血相を変えて彼を怒鳴りつけた。
「バカヤローッ! だから銃床をきちんと肩で押さえて構えろと言っただろう!」
銃床と肩できちんと押さえていなかったばっかりに、発射の反動で後退した銃床が彼の肩を直撃したのだ。可哀相にも彼は、この後鎖骨に罅を入らしていることが判明し二週間の入室(入院)を命ぜられることになった。
誰かが一発撃てば、後を追うように一発、また一発と続く。やがて幾重にも重なった射撃音と、火薬の匂いが、聴覚と嗅覚の両面から見ているぼくらを苛んだ。
小銃を支給された兵士が最初にすることは、銃の照準を合わせ、前の使用者のクセを修正することだ。
方法はこうである、まず的に向って三発発射し、その着弾点を結んで三角形を作る。その中心点の座標に合わせて照門と照星を調節すればいいのだ。所謂本射はこの次に行われる。
第一列が全弾を撃ち尽すのを確認すると、直ちに第二列にお呼びがかかった。
銃座に着く前に、班長じきじきに実包の詰まった弾倉を受け取る。一本につき二十発の実弾が詰まった弾倉はズシリと重たく、これで人が殺せるのかァ……と不謹慎にも妙な感動に襲われる。
「実包装填!」
弾倉をカチリと差込み、装填レバーを引く。安全―単射―連射、通称「アタレ」と言う切替レバーは、きちんと安全の位置を指し示している。
全員が装填を終えたのを確認すると、射撃係が怒鳴った。
「射撃用――――意っ!」
銃身をしっかりと押さえつけるように構え、25メートル離れた的に目を凝らす。まるでゴルゴ13にでもなったような気分だ。不思議と、緊張なんて覚えなかった。
「射撃開始!」
と号令が掛かった時には、迷わず重い引鉄を引いていた。しまった……フライング?
……だが、咎める様子はない。
そう感じた次の瞬間には、二発目の引鉄を引いていた。続けて三発目を放つ頃には、同列の全員が射撃を始めていた。三発撃ち終え、修正のため的をこちらへ戻した。着弾点は全て人型のへそに当たる部分に集中していた。ぼくが狙ったのは心臓の部分だった。修正を終え、本射が始まった。先程と同じような感じで、的に眼を凝らし、撃った。撃つたびに高まる爽快感と高揚感に任せて、あっという間に弾倉の全弾を撃ち尽くした。
的を見ると、全て狙った心臓部に集中していた。
的を一目見るなり、班長は言った。
「貴様、銃を撃ったことはあるのか?」
当然、あるわけない。
「ありません」
「では、もう一回やってみろ」
ぼくは小銃を構えなおした。慣れたような手付きで新しい弾倉を叩き込み、今度は頭を狙いわずか二、三分の内に全弾を的に叩き込んだ。
……果たして、弾は全弾頭部に命中していた。あまりにも着弾点が集中しすぎていて、何発撃ち込んだのかわからないほどの大穴が頭部のど真ん中に集中していた。班長が肩を叩き、弾んだ声で叫んだ。
「鳴沢三等兵! 貴様の取り柄を見つけたぞ!」
うわあああああっ……オレ凄えぇ……!
ぼくは内心で、ガッツポーズをした。入営して初めて、班長に褒められたのだ。
「暗夜に霜が下りるが如く」
とは、帝國陸軍における射撃のコツを一言で言い表した名句(迷句?)だが、ぼくのような射撃動作を言い表していたのだろう。別の表現で言えば、明鏡止水の境地と言うやつだ。
この後、全弾撃ち尽くすまでぼくはこの快調なペースを維持した。もし射撃の神というものがいれば、間違いなくこのときのぼくの頭上に降臨していたのかもしれない。
……だが、ここでも終盤に一波乱が待っていた……というより波乱の種はこの射撃訓練中に捲かれていたといってもいい。
波乱の出所は、番長である。全弾を撃ち尽すまで二、三発を残したとき、彼はいくら引鉄を引いても弾が発射されないことに気付いた。この時点で彼の小銃は実は薬室閉塞……つまりジャムを起こしていたのだが、銃のことなどまだそれほど理解していない彼は、「射撃終了」の号令がかかったときに異常を申告しようと、軽い気持ちで号令を待った。
そして、「射撃終了」の号令は掛かった。列の一員と同じく、彼も小銃を上に向けてすっくと立ち上がり、何気なく引鉄を引いた―――――
ドン! ドン! ドンッ!
突然の銃声、反動に跳ね上がった小銃は彼の手を離れ、足元に跳ね飛んだ。
「…………」
持主の手を離れた銃を呆然と見下ろす番長。その場の皆が異常に気付いて番長の銃座に注目した。そして肩を怒らせ、番長の銃座に突進してくる班長。ものすごい勢いで番長に飛び蹴りを食らわせると、班長はいまだ衝撃から抜け切れない番長の襟首を掴み上げた。
「このボケ! 何やってんだ!?」
「…………?」
「死にてぇのか! バカがっ!」
小銃から放たれた銃弾は、見事に射撃場の天井にめり込んでいた。それも二発。運の悪い番長はその場で、指揮棒でメッタメタに殴られた挙句、夕食の時間まで地獄の「銃付き生存者」を命ぜられた。
射撃と同時に初年兵が習得する(させられる)のが、銃の分解結合である。
六四式は他の小銃に比べ部品点数が遥かに多く、その面でも初年兵泣かせだった。その総部品点数約150。プラモデルじゃああるまいし、この部品点数の多さはどう考えても軍縮や武器輸出規制法で儲けの減った銃器メーカーに仕事を与えるためとしか思えない。こういう皺寄せは、最前線で実際に銃を使う兵士に降りかかってくる。というか訓練期間中の初年兵の段階で降りかかる。
兵士は、自分の相棒である小銃の性能、構造を十分に理解しておく必要がある。そこから自分の小銃に対する愛着と信頼感が生まれる……はずなのだが、こと帝國陸軍において小銃は戦場で使う武器であると同時に、兵士泣かせの厄介者でもある。
座学の武器取扱の講義では、班長が見せる手本どおりに小銃の分解、結合を行うのだが、やがてはそれを一人でできるようにならねばならないことはもちろん、こまごまとした部品の名前一つ一つに至るまで暗記しておかねばならない。座学中唐突に降りかかる「この部品の名は何というか?」という種の質問に答えられなければ、大抵腕立て伏せが待っている。
「貴様ら、本気で憶えんと実戦部隊に配属されたときに困るぞ」
と、分解結合をこなせなかったり、部品名を答えられない者が出る度に班長は注意した……当然、腕立て伏せつきで。小銃部品の暗記は、軍人勅諭の暗記と同じく、実戦部隊でも古参兵による新兵への格好の苛めの道具になるからだ。
だが、人間というものはよくできたものでハッパをかけられているうちに教育期間を脱する頃には分解結合までは何の卒なくこなせるようになってしまう。すごい人は、目隠しの状態で分解結合をやってのける。ぼく自身も、卒業一週間前には分解結合、部品の暗誦を大体こなせるようになっていた……とは言ってもこんなの憶えたところで社会では何の役にも立たないのだが。
手榴弾―――――それは小銃と並び、歩兵の重要な武器の一つである。その投擲訓練は小銃による射撃訓練が始まるのとほぼ機を一にして行われる。
帝國陸軍制式の六〇式手榴弾は、市販のパイナップル(缶詰ではない)を五分の一スケールに縮小したような楕円形の上に、安全レバーと安全ピンを組み合わせた栓が組み合わさっている。その威力は凄まじく、田舎に良く見られる木造平屋建ての家屋なら一発中に投げ込むだけで木っ端微塵に全壊させられるほどだ。
「まず安全レバーを握りピンを抜く。三つ数えて投擲だ。安全レバーが剥離して五秒後に爆発する。取扱には十分注意するように」
一般社会なら眠気を誘うような昼食後の昼下がり、ぼくらが練兵場で学んでいたのはそんな眠気さえも吹き飛ばしてしまうほどの威力も持つ手榴弾の使用法だった。
「見てろ」
班長は「爆発物 危険」と焼印で銘打たれた木箱から一発の手榴弾を取り出すと、慣れた手付きでピンを抜き、少しの間を置いて投擲訓練用の堀へ手榴弾を放った。
ボォォォーーーーーーーン!!!
轟音とともに吹き上がる水飛沫は、50メートルほど離れたこちらまで届いて来た。爆弾の威力に呆気に取られているぼくらを前に、班長は得意気に言ったものだ。
「こいつを五個纏めて投げれば、露助の戦車など一巻の終りだ」
班長は皆に質問した。
「この中で野球をしたことのある者は?」
ぼくらの中からは、数名が手を上げた。その中の一人を選ぶと。前に呼んで手榴弾を握らせる。
「貴様、ポジションは?」
「センターでありました!」
「ようし、貴様、あすこへ向って投げるんだ」
「仕損じるなよ」と念を押して、班長は彼の肩を叩いた。数刻の後、意を決したかのように彼は安全ピンを抜き、大振りに放り投げた。空中で放物線を描く手榴弾から安全レバーが脱落するのが見えた。手榴弾が堀の中に吸い込まれるようにして消えた次の瞬間、再びさっきのような轟音を伴った水柱が吹き上がる。
「すげえ……」
「ようし、次は貴様だ」
と指されたのはぼくだった。簡単なことだ、さっきのようにピンを抜いて、レバーをしっかりと握って投げればいいのだ。
色気づいたぼくは、安全ピンを抜くと、ちょうど「巨人の星」の主人公、星 飛雄馬が大リーグボールを投げる様に、足を大きく振り上げて手榴弾を振りかぶった。しかも手榴弾を握る腕はフォークボールを投げるような握り方。
だが、軍隊では、いかなる場合も気を抜くことは許されない。
何の拍子か、手榴弾はぼくの指の間をすり抜けて地面にボトリと落ちたのである。しかも、ぼくは腕を振りかぶり終えるまでそのことに気付かなかった。
あれ? 手榴弾は?
「総員、退避っ!」
ぼくの眼前で、血相を欠いた面々があたふたとぼくから離れて行く。班長に至っては近くの側溝に飛び込んだきり出てこない。
背筋が凍る思いに襲われたぼくは、恐る恐る下へと目を転じた。
手榴弾は、僕の足元にあった……しかも、安全レバーが分離した状態で。
うわあぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーー!!
反射的に、ぼくは脱兎の如く駆けた。恐らくあの「8マン」とタメをはれるほど、ぼくは全速で走ったに違いない。
最初に光が生まれ、次に烈しい風圧がぼくを背後から押し倒した。間を置いて、爆風に流された土が一気にぼくの上から覆いかぶさるようにして落ちてきた。
「鳴沢ぁっ! てめえ何やってんだ! 俺たちを殺す気か!」
その日、土塗れになったぼくは夕食の時間まで完全装備で練兵場を走らされた。
小銃の受領はまた、軍人としてのぼくらの教育が、新たな段階に進むということを意味していた。本格的な戦闘訓練である。
「突撃用意ぃーッ! 前へーっ!」
班長の号令一下、演習場のなだらかな丘陵の頂上へ、ぼくらは着剣した小銃を突き出して駆け上っていった。突撃の時は雄叫びを上げながら駆け抜けていくのが突撃のお約束だ。
「突撃ぃーっ!」
ありったけの声を振り絞って敵陣へ走ると、頭の中が真っ白になり、突撃して前の敵を倒すことだけしか考えられなくなる。そこでもなお恐怖や不安を感じるような感受性の強すぎる人間など、軍隊にとって邪魔な存在以外の何物でもないのである。従って、単細胞で無神経なやつほど軍隊、それも陸軍に集まりやすい。なぜなら突撃要員に必要だからだ。
演習場を見渡せる高台からは、据え付けられた機関銃が軽快な射撃音とともに火を噴いている。当然、空砲である。
臨場感を出し、訓練を受ける兵士に戦場の緊張を強いるための演出の一環だ。演習場の各所に据え付けられたスピーカーからは、録音した迫撃砲や野砲の炸裂音を引っ切り無しに流し初年兵達の緊張をいやが上に高める。本当なら炸薬を実際に爆発させたいところだろうが、たかが初年兵―――それも訓練期間中の―――ごときに、そんな大盤振る舞いをするはずがない。
目指す頂上への道を遮るように林立する等身大藁人形を縛り付けた丸太。それがぼくらの最初の目標だった。
突き出された銃剣が人形を貫いた。えぐる様に引き抜き、再び突き出す。何度もそれを繰り返し、ぼくらは再び丘を駆け上った。前方を遮るように広がる塀を乗り越え、再び林立する藁人形の林に銃剣を突き刺す。そこに班長のトラメガで怒鳴る声が響き渡る。
「総員伏せぇーっ!」
ドリフのコントでズッコケるように、皆は草の匂い漂う地面に頭から伏せた。すかさず、班長の指示が飛ぶ。遥か目の前には有刺鉄線を巻き付けた柵が張り巡らされ、侵入者の突撃を待ち構えていた。
「第一匍匐ぅーっ、始め!」
見た目は楽そうだが、匍匐ははっきり言って楽じゃない。勾配、それも長距離を登るのだから同じ姿勢の動作を続けるのには自ずと限界がある。しかも、匍匐にはその状況にあわせて第一から第五まで様々なバージョンがあるのだ。
じりじりと進むにつれ、有刺鉄線の壁が近付いてくる。歯を食いしばって、ぼくは進んだ。これ以上は無理というほど、頭を下げ、肩を下げてヤモリのように勾配を登る。
ジープの駆け上ってくる音が、こちらに近付いてきた。班長が追及して来たのだ。ジープから降り、匍匐がなっていない者を指揮棒でぶっ叩いては、そいつを怒鳴りつける。
「バカヤロウ! そんな匍匐があるか、てめえは戦死だ!」
「頭を下げろ! 狙撃兵に狙われるぞ!」
「テメー、死にてえのか!」
ぼくのところに来ません様に!……祈りつつ、ぼくは有刺鉄線の下を潜った。ここを越えれば、頂上までもうすぐなのだ。
有刺鉄線を抜けるや否や、ぼくは立ち上がり脱兎の如く丘陵を駆け上がった。頂上に足を踏み入れた瞬間、野球のスライディングのようにぼくは頭から頂上に倒れこんだ。ぼくは疲れと息苦しさから激しく咳き込み、背を丸めてのた打ち回った。
やった……! おれが一番乗りだ……と思ったが、それは違った。先着が何人かいたのだ。一番乗りは番長だった。二番のぼくにやや遅れて、ヒッピー君が滑り込んできた。
「キツいけど、結構面白いな」
「ああ……!」
胸をすくような達成感にひたっているところに、班長をのせたジープが駆け上って来る。
「いい気なもんだぜ。あの野郎」と、番長が呟くように毒付く。が、彼は無表情のままジープから降りると、開口一番ぼくらに言い放った。
「貴様ら! あすこで苦しんでいる仲間を助けんでもいいのか?」
と、指揮棒で指されたその先には、いまだ有刺鉄線の壁でもがいているトッポ君をはじめ数名の姿があった。
「あいつらが駆け上がって来るまで、貴様らは腕立て伏せだ!」
ええぇぇぇぇぇぇぇ……! 奈落の底に突き落とされたかのような絶望感が、一辺にぼくらにも圧し掛かってくる。
絶望といえば、入営して三週間が経過した頃、ぼくの中隊から脱走兵が出た。日々厳しくなっていく訓練に、自分を待つ将来への絶望を感じたのだろう。
脱走兵が出たごく最初の段階で、脱走が表ざたになることはまずない。
脱走者が出たということが上級の司令部に表ざたになれば、脱走者を出した班の班長は勿論、中隊の先任下士官、果ては中隊長自身にまで「兵士の監督責任不行届き」として評定を下げる結果になるからだ。だから、大抵の場合こういう事態はまず中隊内部で処理しようとする。
具体的にどうするかというと、脱走兵本人の実家に電話をかけるなり、本人と特に親しかった兵隊に事情を聞いたりして本人の立ち寄りそうな場所、潜伏していそうな場所の目星をつける。そこへ「特別外出許可」を与えて捜索の兵隊を送り込み、運良く発見し部隊に連れ戻せれば、重営倉なり罰を与えて部隊内で揉消してしまうというわけだ。
だが、それでも見つけられないときはどうするか……事態を上級の司令部に報告し、MP――――憲兵隊―――――の出番となる。ぼくの中隊に属するある班から出た初年兵が、そのパターンだった。
戦争映画ではどちらかといえば悪者として扱われている憲兵隊だが、実際に軍内でも嫌われ、敬遠されている。憲兵になるような人はいかにも性格が暗そうに見え、実際ネクラが多い。彼らも自分たちが嫌われていることを自覚しているのか、ぼくら普通の兵隊に対しては威圧的、ハッキリ言って傲慢である。
事実憲兵は、他の一般兵と違い様々な特権を持っている。上官の確認を求めずに発砲できる権限。令状無しに基地に踏み込み、兵下士官を拘引できる権限を挙げただけで、彼らの力の大きさは想像できるだろう。
憲兵に事態が報告されたが最後、どこをどう探すのかはわからないが、彼らはわずか一日程度で脱走兵を発見し捕まえてしまう。
「憲兵に捕まったら、どうなるか知ってるか?」
その晩、ハカセが訳知り顔で切り出した。
「秘密の軍事裁判に掛けられて、すぐに軍の刑務所に送られるんだぞ」
ハカセが言うには、その軍事裁判は被告には弁護人も付かず、ほんの三〇分~一時間で終了する程度のものらしい。被告は弁明の機会も与えられず、一方的に罪状と実刑を押し付けられて軍刑務所に送られて行く。
「軍刑務所はそれはそれは……地獄のような処らしいぞ。入れられたら最後、まず一ヶ月と生きては居られないそうだ」
何故彼がそういう話に詳しいのかというと、彼の父親が戦後すぐの頃まで海軍の法務将校だったからだ。そういう父親を持ちながら、何故彼が学生運動に走ってしまったのかは、はなはだ疑問である。
ハカセの話を聞きながら、戦場では脱走は即死刑である。という話をぼくは思い出していた……ということは、戦時中ではなくとも、脱走すれば相応の扱いを受けるのだろう。とぼくは何気なく考えた。
班の皆は、脱走兵の方に同情的だった。
「可哀相に……こんなのやってられねえよな」
「できることなら、俺もさっさとここを出たいよ」
それから二日後、憲兵隊による捜索の結果、脱走兵は捕まったという報告が中隊に届いた。脱走兵は中隊へ戻されることなく、そのまま留置場へ連行される。だが、実はここからが「大東亜戦争」の戦前戦中とは違った。脱走兵は収監されず、「不名誉除隊」として軍を追われることになったのだ。後でそれを知った皆は地団駄踏んで悔しがった。
「何だよ! 脱走すればここからおさらばできるってことじゃないか!」
「畜生! オレも脱走しようかな」
だが、「不名誉除隊」は、刑法における「前科」として個人の経歴にカウントされるため、脱走などまずやりたくともできないのであった。