その二 「可愛いあの娘と泣き別れ……」
――――とにかく休みが明け、試験期間が過ぎた後で、ぼくは休学届けを出すために大学の学務係に足を運んだ。
「徴兵だって? そりゃあお気の毒に」
所定の用紙に記入するぼくをじっと見詰めながら、学務係のおじさんは言った。
「君は今年で幾つになるね?」
「二十歳です」
おじさんは、溜めていた息を吐き出した。
「若いねえ……この年で学生から引っ張られるなんて聞いたこと無いが……まあ、お国のために三年間だっけ?……頑張って来ることだね」
……他人事である。
確かに、ぼく自身有り得ない事だと思っていた。
多くの成人男子は二十歳から二七歳まで必ず一度は徴兵検査を受ける運命にある。本籍地の軍施設で所定の徴兵検査を受け、その中で体格、体力ともに規定の要件を満たした者が入営し、三年の間軍務に就くのだ。言い換えれば全員が徴兵されるとは限らない。選抜されても規定の数値を満たせずに兵役免除となる人もいるわけだ。
だが、規定の数値を満たした中でも例外はある。
結婚し、なおかつ子供もいる人は適性を満たしても兵役が免除される場合があるのだ。ぼくの兄はまさにそのケースだった。または当人がいわゆる「一人息子」だったり、特定の技術関係の職に就いている人も兵役免除の対象となる。ただ、「志願」すればその限りではない。
……とはいっても、兄は八年前にかのビートルズが初来日公演を行ったとき、親に無断で一人で東京に行って補導されたり、かの「羽田闘争」にも、面白半分で友人と参加して、警官隊が発射したガス弾を投げ返した(その光景がしっかりとテレビに映っていて、これが決定的な参加の証拠となり、当時高校生だった兄は三ヶ月の停学を喰らった)ほどの起伏に激しい人生経験の持主だから、軍隊に入ったとしてもちゃんとやっていけたかどうか……
ぼくは入営することになった。
ぼくもいずれホット‐ペッパーを受け取る日が来るとは思っていたが、まさか二十歳。若者が最も娑婆にいたいと思う年齢になった途端に出頭を命ぜられるとまでは考えていなかった。
後に満期除隊し、兵役経験者の集りがある度、決まって出てくる話に、「兵役は、自分が一番青春を謳歌している頃、絶頂にある頃に降りかかってくる。」というものがある。ホット‐ペッパーは、それが自分の許にやってくるまでに、自分が築き上げてきたもの全てをぶち壊し、全てを無に帰してしまう。というわけだ。
思い返せば、確かにぼくがホット‐ペッパーを貰った頃は、青春の絶頂期だった……と言えないことはない。
以前に聞いた噂話に、学生、特に大学生は、就学期間中は社会人になるまで注意して選抜から除外されるというものがあったが、それはあくまで噂だったようだ。かろうじての救いは、徴兵がらみでの休学期間中は学費の支払いが一切免除されるということと、大学の教養課程に組み込まれている軍事教練で単位を取得していれば、三ヶ月ほど兵役期間が短縮されるということぐらい……。
思えば、その軍事教練も結構きつかった。
当年五四歳。予科練出で、かの「大東亜戦争」では爆撃機の航法士(当時は「偵察員」といっていたらしい)をしていたという筋骨隆々たる体育教官が、ぼくらの担当だった。柔道剣道銃剣道合わせて十段という彼は年甲斐にも似合わず、「軍人精神注入棒」と銘打たれたバットを振り上げては、ぼくらを叱咤したものだ。
「キサマらぁーーーー! そんなザマでどうするか! それでも皇国の将来を担う日本男児かぁ!」
「俺が海軍に居た頃はなぁ、こんなもんじゃなかったぞ! 俺らと英霊が命を賭けて作り上げてきた繁栄の上に安穏としやがって!」
ぼくらがヘマをやったり、虫の居所が悪いと決まって「俺が海軍に居た頃はなぁ……」「俺がラバウルに居た頃はなぁ……」を連発。その後にさらにお決まりのように全員その場で「前支へ」をやらされたものだ。
「前支へ」とは、両手両脚を地面に突っ張り、そのままの姿勢で一五分、二十分も耐える体操である。腕立て伏せの親戚のようなもので、後に入営した小倉の連隊でも散々やらされることになった。ちなみにこの「前支へ」の亜種に「急降下」とか「頭支へ」というものがあるが、これについての話は後に譲ることとして、年も押し迫ったある日のこと、ぼくは単位取得証明に署名を貰うために当の教官の部屋へ向うこととなった。
「鳴沢醇二回生。守山教官殿に用事!」
「入れ……!」
ここだけは、ノックの方法は軍隊式だった。
体育館の奥まった一角に、軍事教練の教官室はあった。
そこには守山教官と似たりよったりの「軍歴」を持つ教官連中がとぐろを巻いていて、大抵の人はよほどの用がない限りこの部屋には近付かない。
「そうか、鳴沢君は入営するのか?」
用紙に署名しながら、通称「ゴリ山」こと守山教官は言った。
その周囲では彼と同じく眼つきと身体つきの険しい方々が、ぼくらの遣り取りを無言で見守っていた。換気のため天井で首を振る扇風機が、彼らの吹かす煙草の濃い煙をかき回しては、煙たい空気をあちこちに振り撒いていた。
「お国のために是非頑張って来なさい。日本男児ならば、誰もが一度は潜らねばならぬ途だ」
「…………」
「どうした? 返事をせんか」
「ハイッ! 行ってくるでありますデス!」
周りから漏れる失笑に、ぼくは顔から血の気がゆっくりと引いていくのを感じた。それも意に介することなく、ゴリ山は続けた。
「どうだ? 海軍に行ける様、俺が推薦状を書いてやろうか?」
「海軍……ですか?」
「泥臭い陸軍より、海軍の方がいいだろ? それに今じゃ海軍では毎週金曜日にはカレーが食えるそうだからな。俺は十年海軍にいたが、一度も食ったことないというのに……とにかく、陸軍に行って毎日地べたを這い回るより海軍でカッターでも漕いでいたほうがいくらかマシだ。な、そうしろ」
大きな咳払いに、ぼくの緊張の糸が震えた。咳の主が、陸軍出身であることは確かだ。
ぼくは断ることにした。それで話は済んだ。教官は再び机に目を移すと、何事も無かったかのように書類の決裁に取り掛かった。話は終わった。帰ってよし。というわけだ。早足で部屋を出ようとするぼくを、一人の教官が呼び止めた。
「おいお前。入営するんだって?」
ゴリ山よりずっと若い男だった。剃りのきつい角刈りの頭と鋭い目つきが、事務椅子にどっかと腰を下ろしたままぼくを見据えていた。
「はい」
「お前、本籍地は?」
「福岡です」
彼は、椅子に座り直した。
「いいか、古参兵に同じ質問をされたときは、地名から番地まで正確に余すところ無く答えるんだ。でなきゃあ、難癖を付けられる。『貴様の住所は福岡県全域か? ふざけたこと言いやがって』てな感じになる」
「はい……」
「それと、学歴はあまりひけらかさない方がいい。少なくとも兵隊の間じゃあ学歴は尊敬の対象にはならん。むしろやっかみの対象になる。特にこの大学の名前なんかそうだ。学校の話は、あまりするな。わかったか?」
「はい!」
この忠告は役に立った。それが何故かは後述するが、軍隊に留まらず結構根の深い問題なのだ。
その教官は、笑いかけた。日焼けした肌から除く不揃いな歯は、やや黄ばんでいた。
「……まあ、どうしたって駄目なときは殴られるさ。そのときはあきらめろ。軍隊は辛いだろうが……頑張れよ。後から思えば三年間なんて、あっという間だからな」
「ありがとう御座いますっ!」
「幸運を祈る。帰ってよし……!」
一礼して、ぼくは部屋を出た。こころなしか、胸に溜まっていた張り詰めた空気が何処かへ抜けていくような感触がした。
ふと、壁に貼られた黄ばんだポスターに眼が行った。その瞬間。ぼくは眼を曇らせた。
富士の裾野を飛行する陸軍ヘリコプターの大編隊を背景にした『陸軍少年飛行兵募集』のポスター。
海軍航空隊のファントム戦闘機の写真を背景に、『帝國海軍は君を求めている。海軍飛行予科練習生に志願しよう!』と銘打たれたポスター。
同じく、アメリカ製F―100戦闘機の編隊飛行を背景にした『空軍航空学生募集。』のポスター。
「まるで……地連みたいだな」
徴兵とは別に、一八歳に達した希望者は、誰でも相応の学力と適性を備えていれば軍に志願することができる。一般の兵科もそうだが、パイロット養成機関や陸海空軍の士官学校、技術学校はそうした進路の代表だった。ぼくの高校時代にも、早くから軍隊に進んだ人は少なからずいたのだ。
鷲見鈴子さん。通称「スーちゃん」も、そうした一人だった。
中学時代の同級生だった彼女は、中学生離れした気品ある風貌と物怖じせぬ口調で有名な存在だった。父が地元でも大きな建設会社の社長で、祖父も市議会議員をしていることもあってか、生まれながらに身についた風格が生来の美貌に一層磨きをかけている様だった。多くの男子はハキハキしたその性格ゆえかえって彼女のことを煙たがっているようだったが、少なくともぼくにとっては、彼女は憧れの存在だった。
「スーちゃん」とは、あまり話をしたことがない。
何かの行事で一緒になったときや教室で席が近くになった時、少し会釈を交わした程度だったか、それでもぼくには充分だった。ただ見ているだけで満足な、というよりそれ以上踏み込んではいけない女性に、少年は必ず出会うものなのだ。「スーちゃん」は、ぼくにとってまさにそれだった。
「スーちゃん」とは、高校で別れた。ぼくらがごく普通の高校に行った一方で、彼女は地元でも「お嬢様学校」として有名なミッション系の女子高に進んだのだ。それ以来、ぼくは彼女を見ていない。
彼女が陸軍に入ったと風の噂に聞いたのは、それからさらに三年後のことだった。当然、ぼくらは驚いた。「ただのお嬢様」で終わる人ではないと何となく思ってはいたが、意外すぎる結果に思われたのだ。
「在学中に徴兵される確率など、在学中に殺人事件に遭遇する確率よりずっと低い」
と、大学の皆は笑っていた。理学部の中には「在学中に徴兵される確率と在学中に交通事故に遭遇する確率の比較研究」という題目の卒論を書き、それで卒業してしまった者もいた(その人は卒業後一ヶ月も経たない内にホット‐ペッパーを受取り、しかも検診もパス。せっかく内定していた就職先を泣く泣く断念してお勤めを果たしたそうだ。彼の同級生はこれを「英霊の罰が当たったんだ」と言っていた。)。
さらには大学を卒業して徴兵されたくないばかりに留年と転学を繰り返す強者もいた。曰く、「いずれ徴兵制なんて無くなる。その時こそ、俺が卒業する時だ」なんだかなぁ……。
友人達は、当然驚いた。
「可哀相に、鳴沢が人生の墓場行き第一号かよ」
「後のことは安心しろ。骨は俺が拾ってやるから」
結局は、彼らも人事なのだ。
そう言えば、誰かは忘れたけど有名な作家が人間は人生で三回、墓場に行くと言ってたっけ。ひとつは結婚。もう一つが兵役。そして最後の一つが死んでから行くホンモノの墓場……しかし、その当事者たるぼくにとってはそんなこと洒落になってない。
実家が市内で居酒屋をやっている友人が、ぼくに尋ねた。
「鳴沢、明日まで東京に居るんだろ?」
「うん?……ああ、居るけど?」
「じゃあ俺んとこで送別会やるから来いよ。仲間も呼ぶから。お前も、アケミちゃん連れて来い」
「ああ……」
友人は、怪訝そうにぼくの顔を覗き込んだ。
「ひょっとして……兵役のこと、アケミちゃんに言ってないのか?」
「…………」
ぼくは黙り込んだ。実はその通りなのだ。同じ大学の文学部一年生で、付き合って三ヶ月になるアケミには、まだ兵役のことを伝えていなかった。
その日の夕方。文学部の正門。
未だ日は高い。冬に入ってもなお、今年の太陽は結構しぶとかった。
射すような日の下、脱色した栗色の髪の毛が眩しいアケミは、先週のデートのときぼくが買ってやった赤いセーターを着てぼくを待っていた。
「御免、待った?」
「あたしさぁ、今からバイトあるんだけど」
「わかってる」
ふくれっ面の彼女の前で、ぼくは両手を合わせた。アケミはいつもそうだった。心にも無い不平を言っては、男の気を焦らすのだ。それでも、彼女の挙作はこの頃のぼくには不快ではなかった。細い体系に卵形の顔に尖った顎、明るい茶色の瞳がチャームポイントのアケミは、ぼくにとって自慢の彼女だった。
「話って、何?」
「少し……歩こうよ」
ぼくの抱える深刻さを察したのか、アケミは俯いた。
「どうしたのよ? 醇君」
「実はさ……実は俺さ……」
「ん?」
「ホット‐ペッパー貰っちゃった」
「ハァ?」
茶色の瞳を大きく見開いて、アケミは唖然とぼくを見返した。
「醇君。兵隊になるの?」
「……うん。なる」
「兵隊ってアレでしょ。突撃ィーっとかやるんでしょ? 重い銃持たされてさァ」
ぼくは、黙って頷いた。アケミは大仰に驚いて見せた。
「うあああー……醇君、何か悪いことした?」
「いやいや……懲役じゃないんだから」
「懲役と一緒じゃない。だって逃げたら捕まるんでしょ? 天罰があたったんだよ」
ぼくは内心でほっとしていた。アケミは、ぼくの未来を重く受け止めてはいないようだ。例え恋人同士でも、共有していい問題とそうでない問題がある。ぼくにとって兵役とは後者だった。
アケミとは、彼女のバイト先のパン屋の前で別れた。別れる直前。アケミはぼくの肩を何度か叩き笑いかけた。
「明日の送別会、来てやっから。気を落さずガンバレ」
作り笑いに口を歪めて、ぼくは頷いた。でも、彼女はぼくの作り笑いに気付いていたはずだ。アケミは、そういう女性だった。
アパートに戻り、大家さんに事の次第を話すと、かつて上等兵で大東亜戦争の終戦を迎えたという大家さんは目を細めてぼくに同情してくれた。
「いい班長に当たるといいねェ。クセの悪い奴に当たると、半年は地獄だからねェ」
小倉での基本教育課程は三ヶ月。以後は本人の適性、希望も交えた上で配属先が決定されるのだ。だが、大家さんが航空機整備兵として入営した頃は、兵科の違いからか半年ぐらいみっちり教育を受けて各地に配属されたらしい。大家さんは言った。
「なるべく楽な配置に就ければいいね。わしはずうっと内地の航空部隊にいたから良かったが、歩兵になった他の連中はいろいろ苦労したらしいから……」
「そうですね……」
「また、ここには戻ってくるんだろ?」
「そうしたいと思います」
「じゃあ、君が戻ってくる頃には部屋を空けておいてやるよ」
「いいんですか?」
自分のことを気にかけてもらって、喜ばない住民などいない。大急ぎで荷物を纏め終わった頃には、すでに夕方の四時を回っていた。
七時を過ぎ、当時できたばっかりの銀座の歩行者天国で落ち合ったアケミを伴って居酒屋の暖簾を潜ったときには、すでに集まった友人達がぼくらの到着を待ち切れずに「おっぱじめていた」。要するに、飲む理由さえできれば、何であろうと皆にはお構い無しだったのだ。
「スマンな鳴沢。先に始めてるぜぇ」
友人の一人が、座敷の一隅を二人分空けてくれた。
腰を下ろした途端。焼酎の一升瓶がどっかとテーブルに置かれた。ストレートのままコップに並々と焼酎を注いでまわり、一座にそれが回ったところで、一人が音頭を取った。
「鳴沢醇君っ! ばんざぁーいっ!」
一気に飲み干した焼酎が、胸を灼いた……それにしても、万歳はないだろう。
「さあ、飲め飲め」
と、皆はしきりに酒を勧めてくる。
「兄ちゃん。お勤めに行くんだって?」
常連客らしきおっさんが、聞いてきた。
「そうです」
「やめとけやめとけ。兵隊行くなんて、人生の無駄ってもんだぜ。おれも経験者だが、何の得にもなんねえ」
他の客もすかさず言う。
「兄ちゃん。いい方法があるぞ。醤油を飲むんだ」
「醤油……すか?」
「俺のおじきはそれで徴兵を逃れた。飲み過ぎて肝臓壊したけどなァ」
つまりはこういうことだ。醤油を大量に飲んでその辺を走り回る。そうした状態でレントゲン検査を受ければ、肺に大きな影ができるのだ。
医者のほうではそれを勝手に結核と判断してくれる。従って、「めでたく」兵役免除になる。というわけだ。だが、下手をすれば肝機能に障害を起こして死ぬこともある諸刃の剣……でもある。
酒が進むにつれ、歌も出てくる。
ギターが得意な友人が、伴奏も巧みに流行の戯れ歌を歌った。ぼくらもコップを振り上げ、ドラムのように箸でテーブルを叩きながら、声を上げて歌ったものだ。
陸軍へ行こう
兵営じゃあ メシの心配をしなくてもいい
兵営じゃあ 毎日班長が可愛がってくれる
銃も撃てる 戦車にも乗れる
何よりも人殺しが 堂々とできる
さあ皆で一緒に 地連へ行こう
陸軍へ行こう
あまりにもドギツイ内容に、翌年発禁処分となってしまった歌だが、このような皮肉は抗えない権力に対するささやかな、ぼくらなりの抵抗だった。
この晩。ぼくは飲んだ。とにかく飲みまくった。限界が来れば、トイレにでも行って吐けばいいのだ。そしてまた飲み直す。
検査から入営が決定するまでの過去の記憶を忘れたいというより、いまからやってくる未来のことを想像したくなかったから、ぼくは飲んだ。文字通り、血反吐を吐くまで飲んだ。
見かねたアケミが、腕を掴んで止めたのを、おぼろげながらぼくは覚えている。
「醇君やめなよ。もう帰ろうよ……!」
――――眼を覚ましたのは、彼女の部屋だった。
古い毛布のごわごわした感触に、さらに目を開けてもなお渋どく残る眠気の中に、何となく不快さを感じたのだ。頭を上げようとした途端、脳幹を直撃する激痛に、一気にぼくの眼が覚めた。不覚にも二日酔い……未だ外は薄暗かった。新聞配達のカブの、軽快なエンジン音が、遠くから聞こえてきた。
ぼくの傍の一段高いベッドで、アケミは静かな寝息を立てていた。愛する人の寝顔は、誰でも天使の顔に見えるとはよく言ったものだ。救われる様な気分がする。
アケミのおでこにそっとキスをして、ぼくは部屋を出た。それがぼくの別れのあいさつだった。