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杏の思い出  作者: 神井
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彼方は驚いて口が利けなくなった。




「実のお母さんには私を育てる力がなくて、生まれてすぐ養護施設に預けられたの。そこで今のお父さんとお母さんが私を貰ってくれたのよ。」




「…………。」




黙り込んでいる彼方を見て美笛はクスリと笑った。




「やだ!なんでカナちゃんにこんな話をしたのかしら。するつもりなかったんだけど。……まあ、カナちゃんだからかな?他の友達には言ってないわ。」




「…………実の親を恨んでないの?」




彼方はやっと口が利けた。



もし自分が美笛だったら恨む。



つまり、捨てられたことになるではないか。




「恨んでないわ。確かに本当のことを知ったときはすごくショックだったけど。そんなときお父さんとお母さんが通っているこの教会に来たのよ。」




美笛は生き生きしていた。



「そしてあの司祭さまに相談したわ。」




美笛はいつも話を聞いてくれている司祭を手で示した。



司祭は他の聖歌隊員たちと話をしているところだった。



「司祭さまはね、キリスト教における『家族』は血縁ではないとおっしゃったの。

そして旧約聖書の『ルツ記』を聞かせて下さったわ。」




彼方はいつかの昼の礼拝の説教を思い出していた。



そういえば「ルツ記」の内容を聞かされた。




ナオミという女性がある日突然夫と息子二人を一度に失い、息子の妻たち(ルツ、オルパ)と残される。



そこでナオミは二人に実家へ帰れと促す。



オルパはそれに従うが、ルツはナオミと共にベツレヘムへ帰ることを選ぶ。




『あなたを見捨て、あなたに背を向けて帰れなどと言わないで下さい。


あなたの民は私の民。


あなたの神は私の神。


あなたが亡くなるところで私も死に、そこに葬られたいのです。』




印象的だったルツの言葉が蘇ってくる。




「家族はね、元々生れついて『家族』なのではなくて

『家族になる』、『家族をする』のだと司祭さまはおっしゃったわ。

ルツは姑のナオミと最期まで『家族をする』覚悟をしたのよ。」




聖書の上での「家族」は「血縁」を指すのではない。



赤の他人同士が共に力を合わせ築く家庭、



特に「夫婦」を指す。



のちにナオミは親戚のボアズとルツを結婚させたという。



そして二人の間にダビデの祖父オベデが生まれ、ルツはイエスの祖先の一人となった。




美笛の瞳は輝いていた。



彼方は美笛を今までと違った目で見ざるえなくなった。



今までのように「敬虔だな」と感心するだけでは済ませられない。



美笛の言葉は彼方の胸に響いた。



身につまされた。



彼方が美笛を見る目はもう「感心」ではなくて「尊敬」だった。




「そんなキリスト教の教えに惹かれて、私は受洗したのよ。」




美笛は胸に手を当てると彼方に微笑みかけた。




「だからね、実のお母さんを恨んでなんかいないの。彼女が私を産んでくれたから、キリスト教にも出会えたし、今のお父さん、お母さんやカナちゃんにも出会えた。」




美笛は彼方の手を握った。




二人の関係は逆転しつつあった。













続く。

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