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杏の思い出  作者: 神井
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卒業記念コンサートも大成功のうちに終わり、



あとは定期考査と卒業式を残すのみとなった。



皆の話題は当然のことながら彼方で持ち切りで



美笛のことなんて誰も覚えてなかった。



しかし、美笛はそれで満足だった。



コンサートに出場できただけでも素晴らしいこと。



それに大親友の彼方が褒められることは、美笛にとっても喜びだった。






杏の教会でゲストとして歌う日もこれで最後。




美笛は他の聖歌隊メンバーより1時間早く教会に来ていた。




「神様、これから行われる礼拝にあなたの霊を豊かに注いで下さい。

私たち聖歌隊を祝し、会衆とともにあなたの御名を賛美させて下さい。

主イエス・キリストの御名において祈ります。

アーメン。」




いつものようにひざまづいて祈りを捧げる美笛に



司祭は声をかけた。




「貴女が音大付属校の聖歌隊のメンバーとして歌うのも今日が最後ですね、アグネス美笛。」




「司祭さま。」




美笛は立ち上がり、司祭の方を向いた。




司祭は温かく微笑んで続けた。



「卒業したらどうするつもりなのですか。」




司祭の問いに美笛はやや寂しげな笑みを浮かべた。



そして朝の光の差し込む窓際へ歩み寄ると、



明るい空を見上げた。




「司祭さま、私……














ウィーンへ行きます。」





美笛はそう言うとまた祈るように指を組んだ。





「!?………………本気なのですか?」




司祭も驚きを隠せない。




「はい。



専攻も声楽からオルガンに切り替えます。」




その声にはかなり強い意志が見受けられた。



いつも引っ込み思案でもじもじしている彼女には珍しいこと。




美笛は司祭の方へ向き直って続けた。




「私が声楽を始めたのは、イエスさまへの信仰を、言葉だけでなくて全身を使って表現したかったからなんです。

受洗して、聖歌隊に入って…。

そのために歌が上手くなれたら、と思ったんです。」



美笛は皆で輪になって歌ったときのことを思い出していた。



普段は指揮者だけを見ているから



他のメンバーの歌っているときの表情をあんなにまともに見たのは初めてだった。



そのとき、美笛は隣人と共に神を賛美する喜びに



改めて気づいたのだった。



歌が上手くなくても、上手い表現ができなくても神は私達の「心」を見ているではないか。



たとえ間違えても、能力がなくても神は平等に愛して下さっている、と。



聖歌隊の歌声は神父や牧師の説教と同じ役割を持つと言われている。



あの日歌った「Joyful,joyful」にも




「love divine is regning o'er us binding all with in it span

(神の愛が私たちを治め、その愛の下ですべてのものが結び付いている)」



とあった。




「…しかし、私に声楽は駄目でした。やはり向き不向きがあるのです。

カナちゃんや先生、聖歌隊の皆にも迷惑をかけてばかりで。

これでは神様を賛美するどころではなくなってしまいます。」




美笛は俯いた。



そして、2階のギャラリーにあるパイプオルガンを見上げた。



「教会にはずっと昔からあんなに素晴らしいものがあったんです。

古くからキリスト教音楽にはかかせないパイプオルガンが。

自分の声を使うことだけが神様を賛美することじゃないと思うんです。

神様は私たちの心を見てらっしゃるから…。」




美笛の副科はオルガンだったが、そちらの成績はまあまあ良かった。




やりたいことよりできることを探しなさい、というのがキリスト教の教えだ。




「それにしても、なぜウィーンなんて、遠いところに…!」




司祭は少し咎めるように言った。




「自立したいのです。言葉も文化も、今までとは全く違う環境に入って強くなりたいんです。」



実はウィーンの大学へ行くことは自身の彼方への想いに気づいたときからちらりと考えていたことだった。


そのときは罪悪感のあまり彼方から「逃げる」ことを考えていたのだ。



しかし、今はちがう。



美笛は彼方の強さに憧れ、弱さを愛しいと思えるようになっていた。



自分も強くなって、彼方に追いつきたい。




「…アグネス美笛……『彼女』にはそのことを告げたのですか。」




司祭は難しそうに顔を歪めた。




「いいえ…まだなんです…。」




美笛は首を横にふると



深くため息をついた。














続く。

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