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杏の思い出  作者: 神井
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やや残酷です。




彼方は家を出ていく用意を着々と進めていた。



亡き父は彼方に充分な遺産を残してくれた。



高校を出たらそれらを資金にして一人暮らしをすることを



ずっと前から決めていた。



最初は自分一人で出ていくつもりだったが、



こんな状況では和也も連れていかざるえない。







「お母さん。」




彼方は台所で湯を沸かしている義母に声をかけた。



彼方が義母に声を描けるのは約4年ぶりのこと。



すると義母は阿修羅のような形相で振り向いた。



「………………アンタに『お母さん』なんて呼ばれる筋合いはないわ。虫ずが走るのよ!」



憎しみいっぱいの凄みのある声だった。



しかし、彼方はびびる様子がない。




「僕、この家を出ていきます。」




彼方は毅然としていた。




義母は鼻で笑ってこう言った。



「あっそ。食いぶち減って助かるわ。ていうかそんなこといちいち宣言しなくたって、勝手に出ていけばいいのよ。アンタなんていなくなったって誰も困りゃあしないんだし。」



義母はしゃあしゃあと言ってのけた。



家のことをする人間がいなくなったら困るくせに。



しかし、彼方は冷静だった。



まるで何かを諦めたように。




「……和也も連れていきます。」




この言葉に義母は目の色を変えた。




「はあああ?」




彼女は馬鹿にしたような声でそう言うと、



台所の引き出しから出刃包丁を取り出した。



これには彼方も少し恐怖を感じた。



殺されるのだろうか。



義母は出刃包丁を彼方の喉元に突き付けると、



嘲笑を含んだ声でこう言った。




「何寝ぼけたことぼざくのよ。

なぜ実の母親の私が居候のアンタに和也を奪われなくちゃいけないのよ。

和也がちょっとアンタに懐いてるからって調子こかないでくんない?自惚れもほどほどにしなさいよね。」


出刃包丁の先が彼方の喉元から顎へと移動していき、


ツーッと彼方の薄い皮膚を裂いた。



彼方の細い首に真っ赤な血が伝う。



父はこの家と多額の生命保険を残した。



彼方は父が亡くなってからの4年間、学生ながらも家事を全てこなした。



なぜ「居候」などと呼ばれなければならないのだろう。



可愛いげがないからだろうか。



生意気だからだろうか。



全部自分の責任なのか。



彼方は胸が張り裂けそうになりながらもなんとか義母を直視した。




義母の瞳にはやや狂気が潜んでいた。




(正気じゃないのだろうか…。病院連れてった方がいいのか?)



真面目にそんなことを思いながらも彼方は突き刺すように言った。




「だって貴女、和也に暴力振るうじゃない。」




この言葉に義母は怒り狂った。



義母は顔を真っ赤にすると、




「この疫病神が!」




と叫び



彼方に出刃包丁を投げつけた。



そしてコンロにかかったやかんを手にもった。



「それ以上言いがかりをつけるとこの熱湯をぶっかけるわよ?」




もうその声も表情もこの世の者とは思えない。



彼女の黒い髪が逆立って見えた。



やかんはコンロから外してもまだシュンシュン、シュンシュンと煮えたぎっている。



さすがに彼方もおそれおののき、身を縮めた。






…次の瞬間、バシャッと音がした。






…しかし、湯がかかった感覚がない。





彼方は恐る恐る顔を上げた。










「和也!」





…なんと、熱湯を被ったのは和也だった。




彼方をかばったのだ。




彼の小さな体から白い湯気がたっていた。




これには義母も驚いて唖然としていた。




「馬鹿!僕なんてかばうんじゃない!」




彼方はまた和也の肩を掴んで揺すった。



相変わらず和也に表情はない。




「……行くの?和也。」




義母は力が入ってない声で言った。




和也は母の方を向くと、黙って頷いた。




義母は狂人のように目を光らせるとこう叫んだ。



「もういいわ。あんたなんて私の息子じゃない!もう二度と顔みせんな!」




果たして本当にこれは彼女の本心だったんだろうか?




彼方は真剣にそう思った。




「お世話になりました…。」



彼方は悲しげな声でそう言うと、




和也の手を引いて家をあとにした。











続く。


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