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杏の思い出  作者: 神井
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やや残酷です。



「いつくしみふかき


友なるイエスは…」



土曜のレッスンを終えた彼方は賛美歌を口ずさみながら帰宅していた。



家の門をくぐり、ふと、庭を見ると…



義母の自転車が止まっていた。



(ん?もう帰ってるのか?)



大抵彼方の方が義母より早く帰るのだが、



こういうこともたまにある。



ドアに手をかけたが、何やら中が騒がしい。



そうっとドアを開けると…



ガンッ、ガンッと何かを打ち付け合うような音と






「死ね!死ね!死ねええ!」



義母の憎しみ一杯の叫びが聞こえる。



何事だろうか…?




彼方は気づかれないようにリビングをそっと覗いた。



そこには衝撃的な光景があった。



義母は、彼方が義母と和也のために作り置きしていた夕飯をごみ箱に捨てていたのだ。



父が亡くなってからというもの、炊事をはじめ、家事は全て彼方の仕事になった。



自分の帰りが遅くなるときはいつも夕飯を作り置きしていた。



義母は



あの和也の体操着事件以来、



力が強くて体も大きい彼方が恐ろしくなってきたのか、



直接的に厭味をいったり、罵声を浴びせたりするようなことはなくなった。



無視一点張りだった。



しかし、影でこんなことをしていたなんて…。



「死ね!死ね!」



義母は鬼のような顔で皿をごみ箱に打ち付けていた。



それはもう、皿が割れてしまいそうな勢いで。



リビングの隅っこでは、その光景を呆然と見つめる和也の姿があった。



思い詰めたような目をしているが、



どこか「もうこんなの見慣れてます」と語っているような目だった。



「何が声楽だ、何が特待生だ、あんな汚物以下が歌う歌なんざ誰も認めねーよ!」



義母は料理を全部投げ捨てると、



今度は皿を壁にぶつけ始めた。



「売女!盗っ人!一円女郎!男女!下衆!畜生!お前なんかどっかのヤクザにでも犯されて、殺されちまえばいいんだよぉ!」



一体どうしたらそこまで悪口が思い浮かんでくるのかと感心してしまうくらい



義母は彼方への罵詈雑言を並べ立て、



壁に皿を投げつけ続けた。



パリン、パリンと皿が割れる音が響く。



和也は身を縮めて耳をふさいでいた。



最近どうも皿が減ると思ったらこういうことだったのか。




…彼方にはもう、キレる気力もなかった。



主任に抗議したときのように、人のためにならキレる気にもなるが、もう自分のためにキレる気にはなれない。



あのときのような憎しみも込み上げてこなかった。



あるのはただ、悲しみばかり。



なぜ上手くやっていけないんだろうか。



自分に可愛いげがないからだろうか。



もっと義母を立てるべきだったのか?



そりゃあ、彼女を好きではないが、本当は上手くやっていきたいに決まっている。



親子になれたのも縁があってのもの。



こんな不和が嬉しいものか。



彼方は冷めていた。




これでは中に入るわけにもいかず、



再び外に出た。






彼方は庭先の薔薇の木の下にうずくまった。



この薔薇は彼方の実母が植えていったものだ。



彼方はどんなに忙しいときでも手入れをかかさなかった。



実母の消息はもうわからない。






…この後美笛のレッスンだ。



こんな気持ちで美笛に会うわけにはいかない。



けれど、あの教会で美笛が待っている。



美笛が…。



彼方は一人、制服のスカートを握りしめていた。








続く。

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