1-8
イェールシェイルに行くことはもう叶わない。自分に残った知識も信用出来なくなっていた。400年前に滅びた国へ行こうと思ってたなんて、どうかしてる。
目的をなくした俺は料亭の仕事をやめた。半分、自暴自棄だったのかもしれない。突然の辞職願いにも関わらず、料亭の主人は嫌な顔一つせず承諾してくれた。その顔を見て後悔が湧き上がった。だが、元々イェールシェイルに行くまでの繋ぎとして働いていたのだ。もう料亭で働く意味はなかった。
「これからどうするの?」
都の中央にある広場のベンチ。横でミリアがしかめっ面をしていた。
「護衛の仕事で食っていこうと思ってる」
「というか今まで何で料亭で働いてたの?」
「……住み込みで働けるからだよ」
「え?」
「俺、家がないんだよ……」
「はぁ?」
「今まで黙ってたけど、記憶喪失みたいなんだ。自分がどこに住んでたのかも分からない」
口をぱくぱくさせるミリア。それから、顔が真っ赤になった。
「ばっかじゃじゃないの!? 何でそんな大事なこと最初に言わないのよ!」
「いや、だってあれじゃん。記憶がないとか言うと空気悪くなるじゃん。湿っぽいかわいそうな雰囲気になるじゃん」
「アホか!」
殴られた。地味に痛い。
「あんたね……、他に何か隠してることないの?」
「なんか修行してたとか昔のこと話しただろ。あれは適当にその場ででっちあげた」
快音が響く。頬のあざが二つになった。本気で痛い。
「じゃあ、何で仕事やめたのよ。家ないんでしょ?」
「帰るための手掛かりみたいなものが完全になくなったんだよ。このままプロシアで生きていこうと思って仕事やめた」
「意味分かんないわよ。住み込みで働き続ければ良いじゃない」
「うーん。色々考えたんだけど、俺が俺である証拠はこの剣の腕だけなんだよ。他には何も残ってないんだ。だからっていうか、それを使って生きていきたい。料亭のおじさんは良い人だったし、そのまま働き続けるのも良いかもしれない。でも、それだと俺がアオイっていう人間である必要性は全くないんだ。記憶をなくした誰かさんで良い。俺は記憶をなくしたアオイとして生きたいんだよ」
「言ってることが良く分からないわ」
「適当に言ったからな」
***
3人の男が廃屋に入っていく。頬の3つのあざをさすりながら、俺はそれを眺めていた。
「入っていった。間違いないぞ」
あの後、俺はミリアに土下座し、彼女の仕事に同行させてもらった。彼女は護衛以外にも色々やってるらしく、今回は盗賊退治の仕事だった。
「確定だろう? 行くか!」
立派なヒゲを生やしたおっさんが興奮したように立ちあがる。今回、盗賊退治にやってきた仲間の一人だ。このおっさん、どうも常に興奮していることで有名らしい。
「ゴードンさん、落ち着いてください」
ミリアがたしなめる。
「落ち着いているとも。戦いを前にすると、いつだって俺の心は穏やかな水面のように一つの揺らぎもなくなるんだ!」
駄目だこのおっさん。ゴードンはそう言いながら、武器である長柄斧を舐めまわしていた。
「まだ行かないのか?」
鈴を鳴らしたような声。生真面目な顔で女の子が尋ねる。今回のもう一人の仲間であるリセだ。
「もうちょっと待ってね」
「分かった」
こくんとリセが頷く。子犬を見ている気分だ。
「なあ、リセって何歳なんだ……?」
ずっと気になっていたことを聞いてしまった。
「12だ」
見た目通りだった。俺の腰より少し高いぐらいの身長しかない。腰に小さなナイフをぶらさげているが、あまり頼りにならなそうだ。
今回の討伐メンバーは4人。だが、リセを戦力外と考えると実質的に3人だ。
「まだか? もう良いんじゃないか?」
ゴードンが貧乏揺すりしながら急かす。ため息が漏れた。
「よし、行こう」
様子見していてもどうしようもない。俺は剣を鞘から抜き、立ちあがった。
「俺が先陣を切る。ゴードンは俺が殺し損ねた奴をやってくれ。ミリアはリセを守りながら……っておい!」
ゴードンが俺の話を無視して突っ込んでいく。意外と素早い。
「くそっ! 行くぞ!」
遅れるように俺達も駆けだした。轟音。ゴードンが扉をぶち破っていた。正々堂々にもほどがある。
「俺様登場!」
訳の分からないゴードンの叫びと、盗賊の悲鳴らしきものが聞こえる。廃屋の中には8人の盗賊がいた。その内の一人はゴードンの斧の餌食になっているところだった。
「敵だ敵だ!」
長剣を手にした盗賊三人がゴードンに襲いかかっていた。まずい。助けに向かおうとしたが、別の盗賊二人が俺の方へと走ってくる。
この盗賊は意外と慎重だった。二対一にも関わらず間合いを取っている。時間が惜しい。俺はさっさと距離を詰めた。予備動作無しで剣を胸に突きたてる。もう一人が右から迫ってくるが、蹴り飛ばした。盗賊の胸に刺さっていた剣を抜き、転倒したそいつの首を刎ねる。
ゴードンは長柄斧で三人の盗賊をけん制しながら戦っていた。リーチの差で盗賊は迂闊に近づけないみたいだ。
「もう一人来るぞ!」
盗賊の一人が俺に気付いて叫ぶ。それと同時にそいつを長柄斧が直撃した。骨と肉を粉砕する音が響く。よそ見するからこうなるんだ。
俺とゴードンに挟まれた二人はそのまま剣と斧の餌食になった。入口付近ではミリアが逃げようとしていた盗賊をトドメをさしている。これで終わりだ。あっけない。
「楽勝だったな! 一瞬で終わった!」
ゴードンは興奮覚めやらぬといった様子だった。
「今回は相手が少なかったから良かったけど、勝手に突っ込んだりしないでくれよ……」
「おう!」
威勢の良い返事だったが全く信用出来ない。
「わたし、何もしてない」
リセが無表情でつぶやいた。
「楽出来て良かったじゃない!」
ミリアが良く分からない励まし方をする。いや、多分本音なんだろう。
「わたし、役立たずじゃなかったか?」
「役立たずだったな!」
ゴードンが良い返事をする。おい。
「やっぱり役立たずだったんだ……」
うつむくリセ。黒い髪が顔を隠す。これはまずい。
「いやいや、俺はリセがいてくれて良かったよ。次も一緒に仕事したいなぁ」
「本当にか?」
「ああ、本当本当」
「じゃあ、次も一緒に仕事しよう」
リセは笑顔でそう言う。この生真面目そうな子の笑顔は初めて見た。逆に俺は引きつった顔をしていた。
「次も?」
「そう、次も」
リセの赤い瞳がまっすぐに俺を見ていて、今さら撤回するのは無理だった。
「俺も一緒にやってやるよ!」
「却下だ」
便乗してきたゴードンについては丁重にお断りした。