1-7
ミリアと別れた後、俺は騎士館の前にいた。ヴェーテに会うためだった。
ヴェーテという女戦士を知らないか。ミリアにそう尋ねると、彼女はヴェーテが有名な女騎士であることを教えてくれたのだ。騎士団長の娘らしい。可憐な外見とその剣の腕で知らないものはいないのだという。もちろん俺は知らなかったけど。
目の前の騎士館は無彩色の石造りで、長い歴史と威厳を感じさせた。正直、入るのが躊躇われた。一度捕まったせいで苦手意識がある。
「行くしかないか……」
門の横に立っている騎士にとりあえず話しかけよう。
「すみません。ヴェーテさんという方を探しているのですが、ここにいますか?」
騎士はきょとんとした顔をした。
「ヴェーテさんに? 何の用なんだ?」
「お聞きしたいことがあるんです」
騎士は首を横に振る。
「ヴェーテさんは今は出かけてる。それにそんな理由じゃ会うのは無理だ。どうしてもって言うなら俺が個人的に伝えても良いが……」
「イェールシェイルについて教えて欲しいと伝えてもらえませんか。変な服の男がそう尋ねてきたと伝えてください」
「イェールシェイル? 聞いたことあるような……」
騎士の男はそう言うと視線を空に向けた。この男が知ってるならそれにこしたことはない。俺はイェールシェイルについて知りたいだけなのだから。
「どこで聞いたんだっけなぁ。学院にいた頃に聞いたと思うんだが……」
それから、騎士は俺の服に目をやった。
「それにしても変な服だ。どこで買ったんだ?」
「多分イェールシェイルって所で」
騎士はしげしげと白いトーガを眺める。それから、その目の色が変わった。この服のセンスの良さがようやく分かったのか。そう思ったが、騎士の目は服ではなくその後ろに向けられていた。
「ヴェーテさん!」
騎士が背筋を伸ばして叫ぶ。思わず、俺はその視線の先へ体を向けた。
一人の女の子が立っている。透明感のあるブロンドの髪に目を奪われる。それはツインテールに結われ、垂れ落ちた髪が風でゆらゆらと揺れていた。青い目と、青いサーコートが髪色の見事さを際立てている。
見惚れてる俺に鋭い目を向けて、ヴェーテは口を開いた。
「どうしたんですか」
「この男がヴェーテさんに聞きたいことがあるって言うんですよ!」
何故か騎士は興奮気味に叫ぶ。無理もないか。
剣を奪った時、牢獄で話した時は無我夢中で気付かなかったが、ヴェーテはかなり美しい少女だった。まだ幼さの残る顔立ちだったが、数年も経てば美女になるは明白だった。
「あなた……何故戻ってきたんですか?」
ヴェーテは俺のことを覚えていたらしい。ただ、その顔には警戒の色が浮かんでいた。
「そこの騎士さんが言った通り、聞きたいことがあったんだ」
「ウィルです」
騎士が名乗る。多分、俺に向けての紹介ではなく、ヴェーテへ名前を売るための行動だろう。ウィルの言葉を無視するようにヴェーテは小首を傾げた。
「私にに聞きたいこと?」
「イェールシェイルについて聞きたい。誰も知らないんだ。俺もプロシアがどこにあるのか良く分かってない。ここからイェールシェイルまでどのぐらい距離がある?」
沈黙。ヴェーテは何かを考えているようだった。そんなに教えるのを躊躇うことなのだろうか。
ぽん、と間抜けな音。ウィルが手を合わせたらしい。その顔は喜びに満ちている。
「思い出した! イェールシェイルって歴史の講義で聞いたんだ」
ヴェーテが頭を抑える。ウィルはヴェーテの行動を見て口を噤んだ。
「歴史の授業? プロシアと戦争でもしたのか?」
不安になってくる。ヴェーテは諦めたように顔を上げる。
「イェールシェイルはもうないんです」
「ない?」
「イェールシェイルは既に滅びました」
ヴェーテは俺は憐れむように目を閉じた。
「え? ちょっと待って。どういうことだ? いつ滅んだ?」
「およそ400年前」
「はあ!?」
声が裏返る。ヴェーテはその声に驚いたらしく後ずさった。
「ちょ、ちょ、ちょ。400年前ってどういうことだよ。4年前とかじゃなく、400年前?」
「何をもってして国の滅亡とするかの解釈にもよりますが、およそ400年前で大体あっているはずです」
頭が真っ白になる。
「待った待った。じゃあ俺の服がそのイェールシェイルのものだってことはありえないよな?」
「そうですね。ありえません」
ヴェーテは首を振った。最悪だ。俺の出身に関する唯一の手掛かりが役立たずになった。
記憶の整合性が取れなくなっていく。俺は、この服がイェールシェイルのものだと知っていた。いや、知っていると思っていた。プロシアの城を見た時、俺はイェールシェイルの城を見たことがあると思っていた。俺はイェールシェイルから自分が来たのだと推測していた。
ヴェーテが何故それを黙っていたのかが分かった。記憶をなくした俺の唯一の手掛かりを否定したくなかったのだ。何故俺が釈放されたのかが分かった。俺は恐らく憐れな狂人だと思われていたのだ。
「大丈夫ですか?」
ヴェーテが心配そうな顔をしている。大丈夫ではなかったが、そう答える訳にもいかない。
「大丈夫だ。そのイェールシェイルがどこにあったのかは分かるか?」
ヴェーテは下を指差す。
「ここです」
「ここ?」
「当時のイェールシェイルは覇権を争った諸侯により、3つの国に分かれました。そのうちの一つがプロシアです。つまり、プロシア人はイェールシェイル人であるとも言えます。民族的には同じですから」
ヴェーテの言葉はもう耳に入らなかった。記憶を失う前の俺と今の俺は、全くの別物に違いない。もはや存在として連続していないのだ。役立たずの、この白い服でさえ何の手掛かりにもならない。
「いつか記憶が戻ると信じています。それではまた」
ヴェーテは思ってもいないだろう言葉を残して背を向けた。門が唸るような音を立てる。ウィルは無力な子どもを見るような、そんな表情で俺を見ながらその門を閉ざす。錠が合わさる音が響いた。