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俺が尋問から解放されたのは8時間ほど経ってからだった。最初は優しく色々質問されたが、俺が「知らない」の一点張りを貫くと、最終的に自白剤を飲まされた。それで、俺が本当に何も「知らない」のだと分かると、彼らは急速に俺から興味を失った。俺は、自分のアオイという名前以外知らなかった。
独房の中で俺は色々と喋りたい気持ちを必死に押さえていた。自白剤の効果がまだ残っているらしい。自白剤は南方の貴重な花から作られるらしい。尋問者たちに自白剤がいかに甘く美味しいかを何回も自白すると、彼らはうんざりした顔をしていた。彼らがいかにうんざりしていたかについても語りたいが、今はやめておこう。
ひんやりとした石の床が気持ちいい。この気持ちよさを味わえない奴らは不幸だ。しばらくはこの独房にいても良いかもしれない。それに、俺には行く当てなどないのだ。変な部屋で起きて、そこから出たら女の子が悲鳴を上げて、不審者の俺を兵士たちが捕まえた。それだけしか俺の記憶は存在しない。
それから、恐らくだがここは城のようだった。かなりの広さを誇っている。城が広いなどの知識はあるため、俺がなくしたのは記憶だけなのだろう。戦いの知識もあった。体もそれを覚えている。
カツカツと歩く音が聞こえ、顔を上げる。誰かが近づいてきている。どうするべきか。少し悩んだが、俺は誰かと話したい欲求を抑えきれなかった。格子に近づく。
しばらくしてやってきたのはブロンドの髪を2つに結った女の子だ。俺に襲いかかってきた女の子。鎧はつけていない。だが、身につけている服はやはり見たことがないものだった。
「どうしたんだ?」
笑顔で話しかける俺を見て、少女は眉間に皺を寄せた。
「様子を見に来ました」
「そうか。暇だったんだよ。話し相手になってくれ」
「その着ている原始的な服は何なんです?」
少女は俺の声を無視して問いかける。いや、話し相手になってくれているのだろうか。どちらでも良い。
「トーガだよ。お前の着ている変な服こそ何なんだ?」
「変な……」
少女の目が鋭くなった。少女は次の質問をする。
「どうしてあそこにいたんですか?」
「あそこってどこだ? あの部屋か? あの廊下か? それともこの城みたいなところ?」
「あの廊下のこと」
「変な壁画だらけの部屋から出ただけさ。そうそう、あの何もない壁画の部屋は何なんだ? あの松明は何のために誰が点けてるんだ? 油の無駄だろ」
「あー……、そういえば自白剤を飲んだんですね。やけに饒舌だと思えば……」
「そうそう、あれ美味しいんだよ。甘くて。お前も飲んだら?」
「キリが無いですね。また明日来ます。その頃には薬も抜けていますから」
そう言うと少女は踵を返し去っていった。
「おーい!」
呼びかけるが無視される。俺も薬でハイになっている奴と話したいとは思わないが、あんまりじゃないか。俺の意思で飲んだんじゃないぞ。ちくしょう。
することもなくなった俺は簡単な運動をすることにした。体を動かさないと落ち着かない。
それにしても、俺はどうなるのだろうか。特に何もしていないし、すぐに解放されるだろう。あの女の子がまた来るらしいし、明日もここにいるのは確実なのだろうけれど。
***
翌朝、起きると同時に俺は憂鬱な気分に襲われた。独房で起きるというのは気分が良いものじゃない。薬も抜けたらしい。今の俺は自分を客観視出来ていた。
「これはまずいだろう……」
俺はお城らしき場所で捕まっている。つまり、権力者の手の中だ。間者だと思わしい奴を簡単に見逃すだろうか?
それに、昨日来た少女にかなり失礼な態度を取ってしまった。一般人がこんな場所に入れる訳がない。少なくとも、兵士か何かだ。年齢的にありえないが、何らかの地位についていた場合は困ったことになる。
小さな窓にも格子がはめられている。かなり頑丈そうだ。
打つ手無しか。俺が厚さを測ろうと壁を叩いたりしていると、足音が聞こえてきた。俺は壁を叩くのをやめて大人しく待つ。しばらくすると、昨日の少女が再びやってきた。
「変な音がしていましたが、何をしてたのです?」
「何もしてませんよ」
俺は手を広げてアピールした。壁を叩いてたのがばれたらしい。
「薬は抜けたようですね」
「そうみたいです」
「私はヴェーテと申します。あなたは?」
「アオイです」
昨日みたいに余計なことを話すつもりはなかった。聞かれたことにだけ答える。
「アオイは記憶がないと聞きました。本当ですか?」
少女は俺より年下のはずだが、かなりしっかりとしている。俺は自分の年齢を知らないが、少なくとも彼女よりは上のはずだ。
「本当です。何も覚えていません」
「あの戦い方はどなたの元で学んだのです?」
「分かりません」
「かなり妙な動きでした。それに手加減していましたね。致命傷になるような攻撃をしていない」
「妙って言われても……」
「あなたにも師がいるはずです。ですが、国内にあのような戦い方をするものはいません。やはりあなたは国外から来たのでしょう?」
話が嫌な方向に向かい始めた。俺は焦る。
「待った! 俺は本当に何も知らないんだって! 大体お前が知らないだけで、こういう戦い方をする奴が国内にもいるかもしれないだろ!」
「それはありません」
「どうして!」
「あなたは私よりも強い。それより強い者が国内にいて無名な訳がありません」
大した自信だ。だが、このままだと俺が間者扱いされてしまう。
ヴェーテは俺にずいっと顔を近づけた。
「あなたは何者なんですか?」
答えられない。
「どこから来たんですか?」
「変な壁画だらけの部屋だよ……」
苦し紛れに答える。
「その前にはどこに?」
「分からないって。そうだ。俺が出ようとしたらあの部屋鍵がかかってたんだよ。あの部屋、中から鍵はかけられなかった。つまり、誰かが俺を閉じこめたんだ!」
「誰があなたを閉じこめるんです?」
「それは……」
ヴェーテは呆れたようにため息をついた。
「このままではアオイを解放出来ませんよ」
「だって、記憶がないんだ。どうしようもないだろう」
「あなたの服」
「え?」
「あなたのその服は何なんです?」
「トーガのことか?」
「見たことがありません。かなり原始的です。どこかの民族衣装だと思うのですが違いますか?」
衣服に関する知識は残っている。確かに一部の国や周辺国でしか着ていないと思うが、民族衣装かと言われると違う気もする。
「別に伝統的でも何でもない服だ」
「目立ちますね。普通の服を用意させましょうか?」
普通の服。俺は彼女の着ている服を見た。白と茶色の見たことがない変な服だ。変な飾りのようなものがついている。
「いや、良い。これは俺の服だ。手がかりになるかもしれない」
「そうですか。どこの国の服なのかは分かりますか?」
俺は知っている。だが、答えることで状況が悪化したりしないだろうか? 悩んだが、結局口にする。
「イェールシェイル周辺だよ」
「イェールシェイル?」
ヴェーテは首を傾げた。年相応の可愛らしさを感じる仕草だった。
「知っているのか?」
「ええ……でも、いや何でもありません。あなたはイェールシェイルの人間なのですか?」
「分からない。ただ、この服がイェールシェイル周辺で着られていることだけ知ってるんだ」
「なるほど。色々分かりました。それでは私はこれで失礼します」
そう言うとヴェーテは去っていった。イェールシェイル。その言葉で何かを掴んだのかもしれない。イェールシェイルは大陸で最大の国だ。人口も多い。そして、ここはイェールシェイルから遠い場所だろうと推測できた。彼女はトーガを変な服を評価した。恐らくトーガを着たイェールシェイル人に会ったことがないのだ。それから、彼女の言葉の訛りがイェールシェイルのそれとは違った。奇妙なアクセントと、聞きなれない表現。
ここはどこなのだろう? せめて、それを尋ねるべきだった。後悔する。少し慎重になりすぎていた。
それから、俺は自分がイェールシェイル人である可能性について考えた。少なくとも、その周辺の生まれだろう。ヴェーテに尋ねられるまで、何故俺がトーガを着ているかについて考えもしなかったが、少なくともトーガを着用する地域で生活していたに違いない。
少しだけ気が楽になった。自分が何者なのか分からないのは非常に不安だ。その日はまずい飯を食べ、寝て、食べ、寝ての独房生活を楽しんだ。