ガラスが鳴る
鏡の前に立つと、胸の奥で小さなガラスの破片が触れ合うような音がする。
――うらやましい。
その言葉は、口から吐き出せば粘り気のある黒い泥のように自分を汚す気がして、いつも喉の奥で押し潰していた。
人はそれを「嫉妬」と呼ぶ。
自分に足りないものを他人が持っているとき、胸の肋骨の隙間から、すうすうと吹き込む冷たい風。自分が何ひとつ持っていない無力な存在に思え、そんな感情を抱く自分そのものがひどく醜く、浅ましいものに思えて仕方がなかった。
相手は何も悪くない。
それが、一番厄介だった。
もし相手が傲慢だったなら。
努力を怠っていたなら。
たまたま運に恵まれただけだったなら。
私はもう少し簡単に、自分の心を守れたのかもしれない。
あんなものは大したことがない、と言い切れたなら。
あの人にはあの人の事情があるのだと、どこかに欠点を見つけられたなら。
けれど、相手はちゃんと考えている。
丁寧に手を動かし、何度も試行錯誤を重ね、私には思いつかなかった方法で、私が欲しいと思っていたものを形にしていた。
そのことが、どうしようもなく羨ましかった。
私は何度も、相手の作ったものを見返した。
最初はただ、すごいと思った。
何度も何度も見ているうちに、変わってきた。
構造を追い、細部を眺め、なぜここでこの方法を選んだのか。なぜこの順番なのか。どんな考えを積み重ねれば、こんなにも自然で、こんなにも美しい形にたどり着けるのか。
少しずつ理解できることが増えていった。
理解すればするほど、悔しさは薄れるどころか、かえって輪郭を濃くしていった。
知らなければ、ただの才能だと思えたかもしれない。自分とは違う世界の人なのだと、諦めることもできただろう。
そこには、私にも考えられることがあった。私にも試せることがあった。
遠い場所にある魔法ではなく、選び取られた手段と、積み重ねられた工夫があった。
だからこそ、苦しかった。
自分にもできるかもしれないと思うことと、今の自分にはできていないと認めることは、よく似た痛みを持っている。
私は、羨ましいと思う自分が嫌いだった。
誰かの成功を見て、心から祝福できない。誰かの持っているものを見て、自分にはないものを数えてしまう。誰かが輝いていると、自分の影の濃さを確かめてしまう。
そういう自分を見つけるたびに、私は心の中で自分を叱った。
人と比べるな。
他人のことは他人のことだ。
自分には自分の歩幅がある。
どれも正しい。
しかし、正しい言葉は、時としてひどく冷たい。
こちらの事情など聞きもせず、正論という名前の蓋をして、感情を暗いところへ押し込めてしまう。
羨ましいと思わなくなればいい。
そうすれば、もっと穏やかに生きられる。
そう考えて、私は何度もその感情を押し殺そうとした。けれど、蓋をするたび、胸の奥でガラスの破片は音を立てた。
他人の幸せを、自分の不幸のように感じてしまう。
誰かが手に入れたものを見て、祝福より先に欠落を数えてしまう。
どれほど蓋をしても、その感情は消えなかった。
むしろ消そうとするたびに、自分の中の見たくない部分だけが育っていく。そんな自分が嫌でたまらなかった。
自分が醜い人間のようにしか思えなかった。
あるとき、私はその恥部を告白するように、打ち明けた。
羨ましいという気持ちが大きすぎるのだ、と。
嫉妬という言葉を口にすると、少しだけ声が小さくなった。まるで、口にしただけで自分の品性が疑われるような気がしたからだ。
話を聞いた相手は、しばらく考えてから言った。
「羨ましいって、案外、正直な感情なんじゃないか」
私はすぐには返事ができなかった。
「だって、自分が何を欲しいと思っているか、はっきり教えてくれるだろう。どうでもいいものに、人はそんなに嫉妬しない」
欲しいもの。
その言葉を、自分のために使うことに、私は慣れていなかった。
私はこれまで、欲しいものを欲しいと言う代わりに、それがなくても困らない理由を探してきた。
自分には向いていないとか、そこまでの価値はないとか、別の道だってあるとか。
諦めるための言葉なら、いくらでも知っていた。
それでも、誰かが私の欲しかったものを手にしていると、心が動いてしまう。
その動きを、私はずっと、あってはならないものだと思っていた。
「でも、嫉妬って醜いでしょう」
私の言葉に友人は少し首を傾げた。
「嫉妬そのものが醜いというより、それを理由に相手を傷つけたり、相手の価値を下げようとしたりすることが、醜いんじゃないかな」
私は黙っていた。
「君は誰かが作ったものを見たとき、ただ羨むだけじゃない。構造を追い、細部を眺め、『こういうアプローチもあるのか』と一度自分の中に受け止めている。そしてその上で『じゃあ自分はどうするべきか』と考えているだろう。そうして自分のことを考えている。相手のものを壊して、自分を慰めようとしているわけじゃない」
その言葉は、すぐに私を救ってくれたわけではなかった。
それでも、相手は最後に、こう言った。
「君の凄いところはね。嫉妬という猛毒を抱えたまま、逃げずに正々堂々と向き合っているということだ」
猛毒。
たしかに、そうかもしれない。
その感情を理由に相手を貶めるのか。それとも、その感情が指し示すものを見つめるのか。
私はまだ、どちらを選ぶことも簡単にはできない。
それでも、選ぶ余地があるのだと知った。
それ以来、胸の中の冷たい風は、少しだけ性質を変えた。
だが、人間の心は決意したくらいできれいに整列してはくれない。
ある日、他者の見事な仕事に触れた。完璧な構造、洗練された技法、そして自分が喉から手が出るほど欲しかった輝き。胸の奥で、再びあのガラスの破片がカチリと音を立てた。苦しさがこみ上げる。
その価値を、自分の劣等感の尺度で測らない。
心がそれを受け入れるには時間がかかった。
同じ道を歩けば同じ場所にたどり着けるわけではない。私には私の得意不得意があり、相手には相手の積み重ねがある。
そこには遠い場所にある魔法ではなく、選び取られた手段と、積み重ねられた工夫がある。
自分にも試せることがある。
自分なりに考えられることがある。
嫉妬は、なくなったわけではない。
誰かの作品を見て苦しくなることがある。自分より先へ進んでいる人を見て、どうして自分はまだここにいるのだろうと思うこともある。
比べないと決めた翌日に、また比べている。
自分の歩幅で歩こうと決めた翌日に、誰かの背中を追いかけている。
人間の心は、決意したくらいでは、きれいに整列してくれない。
ただ、私は以前ほど、自分を責めなくなった。
相手の何に惹かれたのか。自分は何を欲しているのか。何を諦めたつもりでいて、何をまだ諦めきれていないのか。
ただ苦しいだけで、何の役にも立たない夜もある。
無理にこの感情に意味を与える必要はないのだと思う。嫉妬を成長の糧にしようなどと、立派なことを考えなくてもいい。醜いと思った自分を、すぐさま美しいものに言い換えなくてもいい。
誰かの素晴らしさを認めることと、自分の足りなさで苦しむことは、同じ胸の中にあっていいのだ。
心から祝福できるか、醜く嫉妬するか——二者撰一にする必要なんてなかったのだ。
けれど、羨望は、私が誰かになれなかった証拠ではない。
私が、まだ自分のなりたいものを諦めきれていないということなのだ。
嫉妬は消えていない。相変わらず熱く、少しだけ痛む。
胸の中に生まれるたびに、できることなら追い出したいと思う。もっと寛大な人間だったらよかったのに、と考える。
それでも、ひとつだけ、はっきりしたことがあった。
……ただ、それを認めるのは、少し怖かった。
ただ、今は、自分の手元にも小さな明かりを灯せるかどうか。
私は嫉妬を抱きしめたまま、静かに最初のラインを引き始めた。
・終・




