4.黒紫蝶
朝から土砂降りの雨が降っていた。
窓に当たる灰色の雨粒は、大量の火山灰を含んでいるからか、窓ガラスに縦縞模様を描いていた。
そんな外の景色を僕は、ゆっくりと朝食を食べながら眺めていた。
人里……じゃないな。人がいる場所までは戻ってくることはできたけれど、なんだか落ち着かない。
郷田さんは、一応理解というか、この僕の現状をそういうものだって捉えてくれたと思う。付き合いだって高校を卒業してからだから、もう五年かな。
月一くらいだけれど、ごはん食べたりしていたし。歳が二回り違うから、お父さんみたいな感覚だったんだと思う。
魔法のことを話さなかったのは、何となく。
「よう。篤輝。しっかり寝たみたいだな」
ここまで来る中で出会った人たちを、結構慎重に観察してきたんだけど、魔法の兆候なんて無かったんだよね。もっとも、自分が魔法を使う感覚基準で観察しただけだから、見落としがある可能性もあるけれど。
廃村でもそうだったけれど油断すると、普段の行動の中で自然に魔法を使っている。
「ありがとう。おかげで快適だったよ」
「そうか……って、なんだ。おまえ、目が赤いが大丈夫か?」
「郷田さん見てたら、お父さん思い出しちゃってさ」
「気軽に会えなくなっちまったしな。そういや同い年だったっけか、篤輝の親父さんと」
暗い外を眺めていたからか、今も自然に暗視の魔法がかかっている。
目を伏せて、意識して魔法を切ると、視界が一気に薄暗くなった。慣れないな。この感じだと、郷田さんにはそんなにしないうちにバレる気がする。
「じゃあ行くか、信濃大学」
「お願いします。今日も郷田さん一人なの?」
「いや、今日は香津美も一緒だな。松本駐屯地に異動だ」
誰だろう。
意味深な顔をする郷田さんと別れて、二階に上がる。荷物……といっても、ガスマスクにタオル、ジャケットくらいしか荷物は無いけれど、それを持って待合室に向かう。
「あらかわいい。外人さんかしら? ないっしゅーみーちゅー?」
「いや香津美、何だそれは。無理だろう。柏崎篤輝だ、世話になってるって話をしただろう。今日の同伴者だな」
「あら。日本人じゃ無かったの?」
「まあ、色々あるんだ。準備ができたら行くぞ」
濡れ羽色っていうのかな、きれいな長髪のお姉さん。ああ、そういうことか。テーブルにのせられた香津美さんの左手に、郷田さんと同じ指輪がはめられている。
「えっと、おめでとうございます?」
「何で疑問形なんだよ。そこは普通に祝えよ」
「よろしくね。柏崎クン」
出会った頃に、奥さんが亡くなったって聞いていた。それだけに、なんだか嬉しい。
二人が防護服を着るのを待って、除灰車に乗り込んだ。
降りしきる灰色の雨が、車の窓ガラスを濡らす。
「慎重に行こう。到着予定はヒトゴマルマル。長丁場だ、トイレは早めに言ってくれ」
雨脚が心なしか強くなる。
いや、別に前振りとかじゃないんだけど。
「そういえば、篤輝はほんとうに防護服を着なくてよかったのか?」
木曾の谷を抜け盆地に入る頃、郷田さんが思い出したように聞いてきた。
外出する際の最低装備が、目まで覆うタイプのガスマスク。基本的に全身を覆うタイプの防護服を着ていないと、外で活動できない。
ガスマスクは装着していて、頭にもタオルを巻いているけれど、今日みたいな雨の日には確かに防護服の方が動きやすい。
「信濃大に戻れば、前の防護服があるから大丈夫だよ。それまでの辛抱だし」
「でもエリクシル装備ないんだろう? 不便なんじゃないか?」
「研究室にしばらく籠もることにする」
「柏崎クンは、お家には帰らないのかしら?」
「そういえば三ヶ月くらい、帰ってないかも……」
ハンドルが左に切られて、正規のルートから外れていく。やがて遠くに信濃大学の大きな建物が見えてきた。お昼くらいを境に雨は小降りになっている。
「今は何を研究してるんだ?」
腰元の保存容器を掲げると、ルームミラー越しの郷田さんが苦笑いを浮かべていた。だって、そのために山に入ったんだもの。
透明な容器の中には花びら、茎、葉っぱまですべてが黒い花が一株。濃い紫色の燐光を放っていた。
「それが黒紫蝶か。エリクシルの原料だったか」
「何だか神秘的な花ね。見ているだけで効果がありそうだわ」
「んで、まだ何か調べることがあるのか?」
問われて思う。
何でわざわざ採集に行ったんだろう。
「わかんない。そもそも僕、採集しただけで例のエリクシルの開発には一切関わっていないんだよね」
「……は? 何だそりゃ。お前の功績じゃないんかよ」
「ふふふ。それで今回遭難したのよね? 何だか柏崎クンの性格がわかった気がするわ」
そうだよな、変だよな。
専攻が自然植生学だから、別に成分を調べるとかするわけじゃないし。何ならここからどうやってエリクシルにしたのかすら、見当がつかない。
改めて、目の前に持ってきて見てみる。
よく見ると、黒じゃなくて濃い紫なんだな。透明容器の中でゆっくりと揺れ動いている。
揺れ……動いている……?
「……はあっ?」
「どうかしたのか?」
「ごめん。何でもない――」
いや、何でもないなんてもんじゃない。
思わず、声が出ていた。
そういえばもう24時間以上経過している。だとしたら、既に枯れているはずなんだ、例外なく。
聞いた話でも栽培だって不可能だったらしいし。
だから今現在もエリクシルの製造元では、現地採集を採用しているし、在庫がないから絶対の生産数が少ない。
価格高騰は意図的に抑えられているけれど、裏価格だと数千万ドルで取引されているって噂だ。ドルだから日本円なんかにすれば20億は軽く超えるんじゃないかな。
問題はそこじゃない。
そもそもが、萎れてさえいないんだ。
何なら最初に採集したときより、生き生きしているよ。
薄暗い車内。
目の、暗視の魔法が自動起動する。
唐突に黒紫蝶が光り輝いた。
車内が紫色の光で満たされる。それだけじゃない、僕を中心に渦を巻くように、次々と光が溢れていく。
「うわっ、なんだっ!!」
「きゃああぁぁぁっ――」
除灰車が急停止。
取り落としそうになって、慌てて容器を抱え込んだ。
さらに激しく光が迸り――唐突に消えた。
静まりかえる車内。
そっと容器を覗くと、黒だったはずの黒紫蝶が、紫色の宝石になって揺れていた。
しばらくしてから、ゆっくりと動き出した除灰車は、誰も声を発しないまま信濃大学につ着いた。
「連絡、待ってるからな」
「絶対に、誰にも言わないから。安心してね」
「……うん」
僕を下ろした除灰車が、火山灰を掻きながら遠ざかっていく。
呆然と。
ロータリーの火山灰を踏みしめて、ロビー前。脇の認証端末にマイナンバーカードを翳して、信濃大学に入った。無事戻れた、みたいな実感は黒紫蝶のインパクトで全部吹っ飛んでいて、そのまま所属している自然植生学研究室の扉を開ける。
無人の研究室。
自分の椅子に腰掛けて、黒紫蝶が入った容器を机の上に置いた。
今も紫色の宝石がゆらゆらと揺れている。
ガスマスクを外して、思わずため息が漏れた。
いや、これなに?
と、遠くからヒールの音が近づいてきた。
何だろう、何か忘れている気がする。
「柏崎くん。戻ったんだね。2週間ぶりだけど、元気にしてた――」
研究室の扉が開いて、白衣姿の女性が部屋に入ってきた。
そのまま立ち止まって無言。
部屋の中を怪訝な顔で見回して、最終的に僕を見て首をかしげた。
「えっと……ちょっと待ってよ、あなた誰?」
やばい。忘れていた。
考えてみたら、僕は僕じゃなくなってたんだった。




