17.ミモザの記憶
輸送船の風速機がカラカラと音を立てて回っている。
定員いっぱいの輸送船だけど、それは船室内の話であって、僕がいる甲板にはまばらに人が居る程度で、これならもう少し人数が乗れたんじゃないかな、なんて思った。
僕はミモザと、甲板で風を感じていた。まあ、防護服越しだから、何も感じないのは今さらだけれど。
野田さんを含め、他の人たちは下の会議室で話をしている頃だと思う。
「ねえ、イブキ? 名前、アツキに戻さなくてもいいの?」
「どうかな。僕としてはイブキに、そんなに違和感はないんだよ。それに、方舟に乗るのはイブキであって、篤輝の僕はまだ木曽の山奥にいるっていう設定らしいし」
方舟まで3時間程。実際には到着してからも手続きがあるみたいで結構時間がかかるみたい。
船縁から見える海は……何だろ、赤というか緑というか、マーブルカラーに濁っていて、改めて今の海底火山の噴火が、とんでもない自然災害なんだなって感じる。
これ、例の植物プランクトンなのかな。こんな汚染された海じゃ、生物が絶滅するのも分かる気がする。
だからかな、乗っている輸送船の航行速度も安全面とか考えて、普段の多分半分くらいなんじゃないかな。ゆっくり航行してる。
「ねえ、もしもよ。みんながアツキのことを一切忘れちゃって、記憶にすら残っていなくて、もしそうなったら悲しい?」
「また難しいテーマだな。僕はそれを知っているの?」
「知らないと思うし、分からないと思う。ごめんね、変な質問よね」
肩に座っているミモザに顔を向けると、何だか思い詰めたような顔をしていて、見ている僕も何だか胸が締め付けられるような気がして。
どうしたんだろう。まあ、言うべきことは、はっきりしているけれど。
「だったらさ、なおさら僕はイブキでいいよ。そんなミモザの、悲しい顔見たくないし」
涙が、その紫色の瞳から溢れだした。
拭ってあげたくて、でも拭ってあげられなくて。僕は空を見上げた。
「またさ、話せる時にになったらでいいから。ミモザが知っているイブキのこと話してよ。そうすれば僕は、イブキのこと憶えていられるからさ」
「うん……」
そして静寂。ちらっと横に視線を向けると、ミモザと目が合って同時に目を反らした。
いや、どうしてこんな空気になっちゃったんだろう。
僕としてはさ、どうせ小難しい話をするだけだから、気晴らしに甲板に出ただけなんだ。姉さんにも、いなくても問題はないって、ある意味戦力外通告されたし。あれ、何だか目から汗が……。
別の輸送船が近づいてきて、そのまますれ違っていく。相模湾から東京湾に戻ってきたんだろうか。
見上げた空は相変わらず灰色で、これで快晴だったなら、どれだけ景色がいいんだろうなって、思った。
顔を下ろしても同じで、降りしきる火山灰が、視界を灰色に染めている。ほんと、こんなんがずっと続いているんだから、地上での生活を元の災害前に戻すのなんて、ほぼ不可能だと思うよ。ほんと。
海底火山も活性化するみたいだし、収束の目処は立ちそうもない。
「……それでね」
あ、話すんだ。
「もう、イブキのこと思い出せないの。どんな顔で、どんな声で。それこそ笑顔とか、好きな食べ物もよ。一切合切。唯一、憶えているのが、イブキは魔法が使えなかったこと……だけなのよ……」
「……うん。うん?」
その、何だ。どういうこと?
出会った時にミモザは、僕のことを間違いなく『イブキ』って呼んだ。あれは、僕のことを知っていてイブキって呼んだんじゃないのかな?
実際のところ僕は、魔法が使えている。
今だって目を意識して魔法を使おう……とか考えると、遠方だってクリアに見えるようになる。ほら、方舟も見えた。
いやしかし、大きいな方舟。東京ドーム10個分とか聞いていたけれど、もしかして縦の高さの話? 普通に三浦半島の上に、方舟の巨大透明ドームが見えるんだけど。
え、マジで? 大きすぎじゃね?
「記憶が消えているの。イブキのこと、もう……」
「ならさ。僕が本名が篤輝で、呼び名とか芸名? そんな感じのが、イブキでどうかな。普段はイブキで」
「ふふっ、なによそれ。ふふふっ、おっかしい。どっちかにした方がいいわよ絶対、うふふふっ」
まあ、なんだ。
ミモザがちょっと元気になった感じで、よかったと言うことで。
でもそうか、記憶がなくなっていってるんだ。
そもそもがミモザの、生物的ななにがしが理解できていない。確か姉さんが、ミモザは『黒紫蝶コア』だって言っていた記憶があるんだけど、それって何なのか。
髪色が紫、瞳が紫。ずっと薄紫色のドレスを着ている、色白美人さんだ。容姿から年齢を推測すると、たぶん二十代前半位じゃないかな。
知っているというか、分かっているのはそれだけ……かな。
何も知らないじゃんね。
でもまあいいか。
「そういえば、方舟。見えたよ。すっごく大きい」
「えっ、ほんとに? ここから見えるって、相当よね。どうやっても見えないか、らうらやましいわ」
そっか。魔法、使えないんだね。
「ちょっとお腹すかない? 食堂行こうか」
「いいわね。中華が食べたいんだけど、量が食べられないのよ。イブキの分けてよ。餃子が好きなのよね」
そういえば道中も、色々食べていたっけ。
中華が好きなんだ。一つまた、知ることができた。
「ちょっと眠くなったわ。瓶の中で寝るから、落ちないように蓋してもらえる?」
「開かないように?」
「ええ。密封しておいて」
確か出会いは密閉された瓶の中だっけ。
呼吸はしているみたいだけれど、呼吸できなくても平気なんだ。
知らないなら知っていけばいいんだよ。まだ時間はたっぷりあるんだからさ。
でもちょっとだけ、嫌な予感がする。
甲板のベンチに座って、大きくため息をついた。
輸送船は三浦半島を回って、相模湾に入った。その、相模湾を丸々占拠する形で、外宇宙移民船『方舟』が、文字通りそびえ立っている。
魔法無しでもはっきり見える巨大建造物に、二人して感嘆のため息をついた。
「海上部分で、高さが500メートルちょっとあるみたいよ。球体に大きな箱がくっ付いたようなデザインだから、本当に飛べるのか心配になるわね」
「水中部分も500メートル?」
「そうね。そう書かれているわよ」
ミモザが、ミモザ専用の携帯電話を見ながら解説してくれている。
もう慣れたもので、何か調べたくなったらどこからか取り出して見ているんだけど、いったいこの小さい体の、どこに仕舞っているのだろう?
「ミモザさ、それ。どこから出したの?」
「能力って言えばいいのかしら。ちょっと位相がズレた空間に倉庫があって、そこから出し入れしているわね」
「ああ、異次元倉庫みたいな? え、そんなのあるの?」
「あるわよ。この携帯電話だけしか入れてないけれど」
結局、姉さんたちとは別行動になった。さっき食堂で会った際にイブキのマイナンバーカード手渡されて、その時に、どうやら首脳会議に出席するらしい話は聞いた。
まあ何となく、そうなる気はしていたけれど、何だか遠くに行っちゃったようなそんな感覚がして、ちょっとだけ寂しい。
方舟に横付けされた輸送船から、タラップを使って中に入る。
ミモザと顔を見合わせて笑った。ミモザも僕も、多分すっごくいい笑顔。
何だかすごく、ワクワクするぞ。




